第2話 彼はストーカーでした
「はあ……」
キーボードを叩きながら、思わず溜息を零す。
「奏以ー、それもう10回目。どうした? なんかあったか? 」
「え? そんなに? 」
「気がついてなかったのかよ? 」
隣のデスクの同僚、
「ちょっとねー……」
美少女然とした美少年にコクられました、なんて言い難い。
「おっし、終わったら飲みいくぞ! 」
「行く! 」
拳をこちらに突き出す。私も拳を出し、コツンと拳を付き合わせる。
黒田は気さくで、話しやすい。
気心知れた存在だ。
だから、恋愛対象として考えたことは無い。
気の置けない友人。
その関係が心地良かった。
「あの、奏以さん」
休憩中、ちょっとお茶を入れて給湯室で休んでいると、後輩の
「どうしたの? 蝦名ちゃん」
「……奏以さんって、黒田さんと同期なんですよね? 」
「そうだよ? どうかしたの? 」
「あ、いえ、ちょっと約束してるの聞こえちゃって……、仲良いんですね」
「そうだね、1番仲良いかも」
「つ、付き合ってたりは……」
ああ、と察する。
黒田は誰に対してもフレンドリーだから、好きになる子が耐えない。
イケメン、と言えなくもないだろう。
転職の二次面接で知り合い、お互い受かるといいねと話していたら、本当にお互い内定をもらえた。
あれからもう七年になるのか。
学生時代は、色々なスポーツの部活やサークルを掛け持ちし、見事なリア充をしていたらしいとは聞いたけど。
斯く言う私はと言うと、彼には本を読むのが好きだから文芸部だったとだけ伝えてある。
言えるわけがなかった。
オタクを謳歌していたんなんてことは……。
2次元美少女の画像集めや、アニメ、小説、ゲームに明け暮れているなんて口が裂けても言えない。
それは現在進行形だということも。
趣味は高尚で、否定するものでは無い時代になったからと言って、一般人人生を今も充実して過ごしている人に話せる代物ではない。
ゴスロリ、甘ロリ、白ロリ、ニーソックスにニーハイブーツ、パニエ……。
そんな格好の、如何にもな美少女キャラクターをこよなく愛する女。
親にも隠し通し、大学で無理矢理一人暮らしをして初めて、初めてフィギュアを飾れるようになった。
……泥沼だ。
━━その瞬間、昨日のことがフラッシュバックした。
キメ細やかで柔らかそうな瑞々しい肌。
線の細いライン。
長い睫毛。
綺麗な長い指。
スカートから伸びるニーソックス。
僅かながらの絶対領域の食い込み。
充血を知らない綺麗な意思の強い瞳。
……何てミラクry。
「……奏以さん? 」
━━ハッ。
「ごめんごめん。気の置けない友だちだよ。私と飲みに行くくらいだから彼女いないんじゃない? 」
「そう、ですか」
腑に落ちていない顔をしていることにも気がつかずに、ひらひらと手を振り、デスクに向かう。
……もう会うことはないんだからと、振り払おうとしても中々頭から離れてはくれない。
強引にされたわけでもない。
告白されただけ。
それに今時、女装男子なんていっぱいいる。
……あ。
スマホを取り出し、Twitterを起動する。
フォロワーをタップし、スライドしていく。
凡そ、300前後の中の真ん中くらい。
……そこにいたのだ。
昨日の彼とおなじ顔をアイコンにしたフォロワーが。
よく見ると、フォローを返している。
……好みだったからうっかり?
きっと、レイヤーさんか何かと勘違いしたんだ。
基本的にフォローはしない。
気に入ったときだけ。
意外とこういう世界はドロドロしいから。
Twitter上での喧嘩も絶えない。
ダイレクトメッセージを開いてみるが、絡んではいないらしく、空欄だった。
……これで私を知ったことは確かだろう。
私が気になっていたのは、容姿云々ではなく……。
□□□□□
「じゃ、カンバーイ! 」
「カンバーイ! 」
よく行く、木造の古めかしい居酒屋。
客は疎らで、ホロ酔いのお父さんたちくらいだ。
カウンター席に座り、軟骨やもろきゅう、焼き鳥などツマミをどんどん頼んでいく。
乾杯は入店と同時に頼んだ生ビール。
「……んで? 何があった? 」
「え? 」
気心が知れているとはいえ、ちょっと話しにくい。
……だって、話してないことはいっぱいある。
同期とはいえ、同い年ではない。
新卒採用の黒田、中途採用の私。
実は五つも私が上だなんて言えないでいた。
同じ日に面接だったから、疑いもしないだろう。
まあ、昨日のことくらいなら。
「んー、昨日さ、私残業になっちゃってね。最短ルートで帰ってたら……」
すごい美少女に告白され、実は男の娘だった。しかし、流石に断ったと。
「あはははは! ……ま、断ったんならいいんじゃねえの? でも、なら何で溜息? 何か? 勿体ないとか思ったかあ? 」
私は言い淀んだ。
「そう、ではなくて……。名前を何故知ってたかなんだけど……」
「確かに……」
Twitterの相互さんであることは確認したけれど、本名なんて書くはずがない。
私は自撮りもしない。
GPS機能もOFFにしている。
では、どうやって本名を知り、私の顔を知り、あの場所を特定出来たのか。
そこまで言いながら、寒気がした。
「それって……ストーカーなんじゃ」
「え? 何で私なんかストーカーしても……」
だって、もう三十四……。
「関係ねえよ。好きになるのに年齢なんか関係ないんだよ……」
急に真顔になった。
スっと手が伸ばされる。
「……あのさ、今までお互いに誰かいたからさ。結局、何だかんだ一緒にいて楽なのってお前だった。だから、俺たち付き合わねえ? 」
黒田がそんな目で私を見ているとは思っていなかったから、私は固まった。
不意に私は肩を誰かに柔らかく抱かれ、視界に影が差す。
「うわっ! 」
黒田の声に視線を戻すと、その誰かは、黒田の眼球を刺す勢いで細いものを突きつけていた。
「え……? 」
店のオヤジさんも固まっている。
ホロ酔いのお父さんたちも静かになっていた。
カウンターを見ると、黒田の使っている箸が片方ない。
「……横槍なんて酷いなあ。刺したら入院して、そんなこと出来なくなりますよね? 」
聞き覚えのある声。
「や、やめて! 」
すると彼は振り返る。
「
細身の黒ダウン、真っ白いTシャツに黒ジーンズ。
昨日の髪はウイッグだったらしく、肩ほどの猫っ毛のふわふわな色素の薄い髪。
イメージが全く違う。
少し紅潮した頬で、うっとりと見つめられた。
私は一瞬で青ざめる。
「な、なんでここにいるの?! 」
「貴女のお仕事終わるまで待っていただけですよ? そしたら、この男とここに入ったのでオレも入っただけです」
当たり前だと言わんばかりだ。
「……本当にストーカーしてやがった」
笑顔で更に箸を近づけ、黒田は口を閉じる。
「やめて! 薫くん! 」
私は、薫くんの腕にしがみつく。
すんなり下ろされた。
「はい、悠華さんが言うなら。あ、すみません。お会計を」
笑顔でブラックカードを差し出す。
……え?
「使えますか? 現金じゃないとダメですか? 」
高そうな長財布を後ろポケットから取り出す。
「あ、ああ、カードは……扱ってない」
関わりたくないのは見て取れた。
紙幣を数枚取り出すとカウンターの上に置く。……全部諭吉さんだ。
「わかりました。お釣りは迷惑料として取っておいてください」
……どこにそんな力があったのか、私から視線が逸れた瞬間、自分と黒田の鞄と黒田の腕を引っ掴んで店を飛び出す。
自分に運動神経はない、なんて言ってられない。
グチャグチャに走り回り、追い掛けて来ていないのがわかると止まった。
「ゼイゼイゼイゼイ……ゲホッゲホッ」
「だ、大丈夫、かよ? 奏以? 」
私は返事の代わりに黒田の鞄を押しつけ、1人で駆け出した。
「お、おい! 奏以! 」
パニックになっていた。
黒田の告白さえ、恐怖で。
どこをどう走ったか、帰巣本能は誰にもあるようでアパートに帰れた。
「……やり過ぎちゃった、かな。でも、諦めないからね」
アパートの、私の部屋の下。
そこに薫くんがいたことも知らずに、私は気絶するように眠りについた。
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