第2話 惨讐者セルフィ=エクィン
目覚めると深い森の中だった。くまさんには出会っていない。周囲を見渡すと木まみれだったが、正面に一つだけぽつんと祠があった。きっとフルールの祠なのだろう。念のため手を合わせておいた。
さて、今俺の手には例の分厚いクリアファイルと一枚の薄い物がある。これを使うには神力が必要で、一度召喚してしまうと1ヶ月から3ヶ月待たなければならない。神力は使途となった俺から供給され、供給ペースは体調によって異なる。無理はするなってことだな。付いていた説明書にそう書いてある。
初めに召喚するのは『セルフィ=エクィン』以外無いな。しかし本当に彼女が居る世界が成立したのなら、シナリオどおりの人生を歩んできたなら。俺はここで殺されるかもしれないな。
ぼんやりとそんなことを考えながら、クリアファイルから彼女のキャラクターシートを取り出し、地面に置いて少し離れる。持っていたクリアファイルが煙のように消える。自分の任意で現出・消失ができる。便利だ。
キャラクターシートが光の糸となって解けていき、幾何学模様の魔法陣を描く。完成した陣はゆっくりと回転し始め、中心に淡く輝く扉が出現する。キィ、と幻想的な見た目にそぐわない錆びた音を響かせ、白いワンピースを着た一人の女性が姿を現す。
「……っ」
思わず息を呑んだ。意志の強さを感じるキツめの目尻。艶やかな薄桃色の唇。日系エルフ特有の長い耳。真っ白な肌に、程よい曲線を描く女性的な肢体。記憶していたはずのゆるふわ金髪は黒く染まっているが、日の光に当たると黄金色に輝く。瞳も深い紺碧色だったはずだが、左目だけ空のように鮮やかな水色だ。
間違いなく俺が20数年育て続けた『セルフィ=エクィン』だった。イメージと差異はあるが、むしろそれが彼女が一人の生者であることを強く感じさせた。
俺は一歩前に進み、強烈な威圧感を放つ彼女へと口を開く。
「初めまして、セルフィ=エクィン。俺が君の仇だ」
* * * * * * * * *
ああ、ようやくだ。もう何年たったのか見当もつかない。
国家ぐるみの人間の『奴隷狩り』や『素材狩り』に家族が殺され、雑に打ち捨てられたのを見てから。
あの時の私は復讐へ燃えていた。ただそれだけが生きる目的だった。
バラバラに解体された父を見て、絞首の痕がある全裸の姉を見て、腹から
死体と血のカーペットを踏みしめ、焼ける森の熱気に抱かれながら、絶対に殺してやる、一人残らず殺してやると吼えた私は、犯人を駆逐していった。決して直接関係の無い人間に手は出さない。逆に困っている人間は助けもした。私は欲に狩られて殺すあいつらとは違うんだと、信じ込むように。
何度も死にそうな目にあった。太い尻尾だった貴族を殺した時は、数千の追っ手に魔法を封じられ、そう身体能力の高くない私はただの女にされた。魔眼を氷魔神から奪うため負った傷で片腕を落としそうになった。邪竜から奪った魔力因子を取り込んだ時は危うく身体がシャボン玉のように爆ぜる所だった。
そうして絶命の危機を幾度と無く乗り越え、黒幕の国王へ辿り着いた時、私は困惑した。
国軍と
豪華な歓待の間で出迎えたのは、黒幕の国王の息子と、現国王である孫だった。追い続けていた仇は、私が力を求めていた僅か数十年の間に凶王として処刑されていたのだった。
残虐者の子孫は今まで出会った誰よりも誠実で、誇り高かった。『エクィンの森』でのことを国の罪であると認めて既に公表しており、その上で私の要求には全て応えると言った。「おこがましいが、現国王である孫を失うわけにはいかないから、どうか私の首で収めて欲しい」と息子は言い、その妻も首を差し出した。
彼らは私が怒りをままにぶつけるには、高潔に過ぎた。
何故もっと悪でいなかったんだと、私はこれまでの生と激情をどうしたら良いんだと、子供のように泣き喚いた。何の怒りを買って私はこんな道を歩んでいるんだと、神を心底恨んだ。
結局私は何も為さず受け取らず、すっかり燃え跡の薄くなった生まれ故郷へと帰った。
ぼろぼろに汚れた家族と集落の皆の墓を造り直し、そこで私は命を絶つつもりだった。しかし、首に短剣が突き刺さる寸前に腕が固まった。まるで神にでも掴まれたように、鍛え上げたはずの腕がピクリとも動くことはなかった。死ぬことすら許さない、命を弄ぶ神を何度も何度も呪った。
私に自由はないのだと思考も放棄すると、身体は操られているようで勝手に動いた。歩みの進むままにしていると、私が初めて赴いた人間の都市へ踏み入れた。
歩みは止まらず、何処へ行くのかと傍観していると、冒険者ギルドへと入っていった。すると操っていた糸は切れ、身体の自由が効くようになる。一体なんなんだとため息を吐いた直後、一人の男性が私に駆け寄ってきた。
「セルフィさん! セルフィさんですよね!? よかった、やっと会えた!」
その言葉を皮切りに、それなりの年の男女が大勢駆け寄ってきて、私は人の波に揉まれるハメになった。なんてことは無い、彼らは私が現実逃避のために救った人間だった。呆然と受け答えをしているとまた身体を奪われ、都市をふらつかされ、今まで立ち寄った町や都市へと赴かされた。その道中、同じように何度も声をかけられた。数十年も前の事をよくもまあ細かく憶えているものだと感心した。
「セルフィさん。あなたのおかげでこうして生きていられます。本当にありがとう」
誰だったか、全員だったか。なんの価値も持たないはずの言葉は、くだらない慰めと比べるまでも無く私を私と認めてくれていた。つい最近見た街並みでふとそのことに気付いた時、私はようやく受け入れられた。私の生は怒りだけではなかったのだと。私のこれまでは、無駄などではなかったのだと。
こうして神は、私の呪詛の内の一つを消してくれた。空虚な人生を歩んだと思い込む呪詛を。だから、私にこんな人生を歩ませた怒りという呪詛は、一発殴ってやるだけで許してやることにした。いつか、出会えると信じて。
そのために身体をなまらせる訳にはいかない。いや、今より強くなっていなければならない。そう思い立ち、冒険者ギルドの依頼に精を出した。時に薬草を集め、時にダンジョンを踏破し、時に美味しいご飯を食べて寝る。なんの変哲もない日々だが、人と話せるというだけで充実しているように感じた。
そしてとうとうその日がきた。もう私を認め癒してくれた人たちは亡くなっている。かなり待ちくたびれた。
見たことも無いような装飾のドレスに着飾った、自称神の女がやってきて、私の力を借りたいという。しかし、こいつは神ではない。私が"主"と、弄んだ皮肉に呼んでやりたい相手ではない。だから一蹴してやった。そうすれば、"主"を連れてこなければいけないはずだからな。
思惑は上手くいったようだ。女が姿を消してからしばらくして、聞こえぬ声に呼びかけられた。"目の前に現れた扉を、応えるならば開けよ”と。私は躊躇い無く踏み出し、扉を引く。……押し戸だったようだ。先にどっちか宣言しておいて欲しい。"…善処しよう"と返ってきた、素直でよろしい。
力強く扉を開くと、若い男が立っていた。体つきもヒョロく、対して強そうでない。本当にコイツか? と疑った直後だった。
「初めまして、セルフィ=エクィン。俺が君の仇だ」
間違いなく、そう言った。
* * * * * * * * *
俺が敵対宣言を取ると、急激に場の温度が冷えた。これが殺気というものなのか、なんて感心している場合じゃない。目の前に死そのものがあるようにすら感じた。
やべーよコイツ。Lv1000になんてしなきゃ良かった。
内心ガックガクで足の震えを抑えるのが精一杯の中、セルフィは口を開いた。
「あなたが"主"ですね?」
「そうだ」
短い単語で返すのが精一杯だった。声が喉に詰まるなんて新入社員の頃以来だ。彼女は妖艶で魅力的な微笑を絶やさず、ゆったりと歩み寄ってくる。
「あなたが、私の歩みを決めたのですね?」
「そうだ」
「あなたが――私の両親を、殺したのですね?」
「そうだと、言っている」
唇がぶるぶると震えてしまっている。間違いなくセルフィも気付いているだろう。
「(困りましたね…。こんなに軟弱では、全力だと死んでしまうではないですか)」
「……」
ぼそぼそと何か呟いたが良く聞き取れなかった。弱、死ん、だけは聞こえてきた。どうやって嬲り殺すかでも考えてるのか? やべーよ拷問じゃねーか。やるなら早く楽にしてくれ。
「では、あなたには積年の恨みを込めて、一発殴らせていただきますね」
「は?」
言うが早いか、という言葉がぴったり当てはまるほど早かった。にこりと笑った直後に左腕がブレて、数メートル吹き飛ばされた。右頬が張り詰めたように感じて、ようやく殴られたのだと自覚する。だけど。
「ふう、すっきりしました。これで許してあげま――」
「こんなものか?」
「――なんですって?」
「こんなものかと言っている。お前の怒りは、存外なかったのだな」
おぼつかない足を無理矢理立たせて、それっぽいことを言う。セルフィは激情家だからな、瞬間湯沸かし器だ。そんな自分を律するために、普段から雑に丁寧な言葉遣いをしているのを知ってる。俺がそうさせたんだから。煽ってみたら効果は抜群だ。ギリィッと聞こえるほど大きな歯軋りの音を立てた。
「では、お望み通りに」
一瞬で目前へと迫ると、再び右の頬を穿たれる。木に激突し、首や背が悲鳴をあげる。くらくら明滅する意識を強引に引き上げ、セルフィを睨む。
「なんだよ。お前にとって家族の命の価値はこんなものだっ」
「黙りなさい」
最期まで言い切れなかった。今度は頬ではなく、顔面ど真ん中だ。自慢の高い鼻はぺしゃんこだろう。責任を持って少し盛って貰わなければ。
「全然軽いじゃ」
「黙れ!」
その後も何度も殴る、殴る。縦回転なんて初めての経験だ。それでも挑発すると、今度は右手でも殴るようになった。右利きだからか、ちょっとばかし威力が強いかもしれない。何度も意識が飛んだが、コンボが途切れていない。お前格ゲーのキャラかよ。
「お前が! お前が殺したんだ! あんなに背中の大きかったパパを、優しかったママを! 張り合っていたお姉ちゃんも、お腹の上から撫でた妹も! みんな、みんな、お前のせいで!」
ああ、そうだ。俺が殺したんだ。俺がお前の仇を奪ったんだ。セルフィが俺と同じ人間なら、俺を殺すに十分な理由があるんだ。それでセルフィが復讐なんてモノから開放されるなら、命くらいくれてやるよ。安いもんだ。
「失ったのは私だ、全部奪われたのは私だ! なのに、どうして…」
ぴたりと暴力の暴力の雨が止む。なんだ、満足しちゃったのか?
「どうして、お前が泣いているんだ……」
どうしてだって? 決まっているだろうに。俺は安易な気持ちでセルフィに重い過去を持たせた。確か当時ダークファンタジーに嵌まっていたとか、良く憶えてもいないような理由で。うまくシナリオが作れなくて、後にも先にもダークなバックボーンを持っているのは彼女だけだ。
たった1回。たった1回の俺の気分で、セルフィの家族や同じ集落のエルフ達を凄惨に皆殺したんだ。彼女以外生き残りは居ない。俺がそう作ったからだ。許せるはずがないじゃないか、"ちょっとかっこいいかも"なんてだけで何百人の命を奪い、彼女の人生を狂わせておいて『嫁キャラ~』なんて言っていた自分自身を!
だけど。
「教えて、やんない」
「っ、コイツ――!」
だってそれを言うのは卑怯だろう?
「言え! 言うまで殴るぞ! 本当だぞ!」
「言わない」
顔は腫れ上がって、前もよく見えない。胸倉を掴み上げられ、端整な顔が至近距離へと近付く。その頬には涙が伝っている。
「なんで、言わないんだよぉ…」
そう言って俺を抱きしめた。その涙と言動で、わかってしまった。セルフィは俺を許すつもりでここへ来たんだ。俺が後悔を吐き出して、彼女が許すきっかけが欲しかったんだ。どうやらもう彼女のなかでは決着が付いていて、あとは俺が誠意を見せるだけだったんだ。なんだよ、独り相撲みたいじゃないか。
でも、ああやっぱり。泣かせたくは、なかったな。
力の入らない腕を上げ、何とか片方の涙を拭う。そこで力尽きた俺は、意識を手放した。
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