第1話 女神フルールレンティア

「起きて! 起きてください!」

「うぅ、後1時間……」

「さっきもそう言ってもう8時間待ったじゃないですか! いい加減起きてください!」

「へぶっ…えぇ?」


 ぺしぺしと軽く頬を張られる衝撃に目を覚ますと、果てなく続いている真っ白な空間に俺は横たわっていた。寝ぼけ眼な俺を覗き込んでいるのは、これまた真っ白なドレスを着た白髪蒼眼の美人だった。


「やっと起きましたか。あんまり待たせると女の子に嫌われますよ?」

「好きになってくれる女の子が居ない場合は?」

「……それでは、本題に入りますね」

「せめて無視はやめて?」


 俺の訴えは笑殺された。嘲笑じゃなく憐憫の笑みだったことだけが救いだと思う。


「ではまず自己紹介を。わたくしはとある世界の神、フルールレンティアと申します」

「あ、これはどうもご丁寧に。営業部の式葉 康です」

「どうもどうも」


 互いにポケットから名刺を取り出して交換する。すげぇ、めちゃくちゃ良い紙使ってるし、金の装飾なんかも入ってる。なになに、"第9433兆58億6337万12号世界 管理課 事務部所属 神課長 フルールレンティア"だって。


「――え、神?」

「はい、そうですよ。取り乱さないでくださいね、あんまり時間もありませんので」

「あっ、うん」


 人は驚きすぎると素が出てしまうんだと初めて体験した。というかこんな膨大な数世界があるんだ。世界って広い。ぽかんとしていると下顎に手を添えられた。細い指がすべすべしてる。


「ほら口開きっぱなしですよ。閉じてください」

「はぐっ」


 どうやらマヌケ面を晒していたようだ。いや、無理もないでしょ? とは思うが口には出さずキリリと表情を作る。美人の前だし名誉挽回をしておこう。その雰囲気が伝わったのか、よしと頷いて微笑んでくれた。かわいい。


「で、ですね。今回あなたをお呼びしたのはお願いがあるからでして」

「呼び? ……あっ」

「思い出しました? 此処は神の間、異世界の繋がりを媒介にあなたの精神だけを召喚したのです」

「なるほど…?」


 細かいことはよくわからないけど、クリアファイルが光った時のことだろう。けど、どうしてクリアファイルが媒介になったんだ?


「それはお願いにも関することです。あなたには一つの異世界へと行っていただきたいのです」

「さっきも言ってましたけど、異世界とは?」

「あなたの好きな『アルディナート』に似ている世界です。ゲームとは違いスキルという形はありませんし、存在している魔物も別種の別世界ではありますが。どちらも同じように人が武術や魔法を用いてそれに対抗しているのです」

「おお、ファンタジーっぽい!」

「ですが、その世界は侵食を受けているのです」

「侵食?」


 女神フルールの話では、担当の世界が『界破喰かいはぐい』に襲われており、通常ならば彼女達が神界から事前に対処して終わる話だそうだ。しかし今回は何故か神界側から界破喰いを観測できず、世界内部からしか対応できないイレギュラーに直面した。そのために使途として俺を送り込みたいと。


 現地で〈ポップポイント〉や〈邪神ダンジョン〉なんて呼ばれているものが界破喰いの一部で、それを見つけ潰して回るのがお願いの内容だ。そこから生み出される擬似生命は原生生物と違い、死ぬと真っ黒な霧となって雲散してしまうのが特徴らしい。目撃証言が得られやすいな。


「ところで、どうして私なんです? ただのサラリーマンですよ」

「その、あまり気を悪くされないで欲しいのですが、戦力として本当に欲しているのはあなたの持つ概念世界に住んでいる方々なのです……」

「はい?」

「あなたが『アルディナート』で作ったキャラクター達は、あなたが比較的長い時間作り続け、信じ続け、育て続けた結果――あるとき1つの『閉じた世界』として成立したのです」


 この言葉を聞いたとき、人生で一番驚いた。目の前の美人が神だとか、とある世界が危機に瀕しているだとか、全部がチャチに感じるほどに。きっと「あるとき」というのは、ダイスを使わなくても成否が分かるようになった時だ。だがもしこれが本当であるとして、俺は。いや、今は考えるのをよそう。先に抱いている疑問を解消するべきだ。


「……もし、それが本当だとして。どうして本人キャラクター達に頼まないのですか?」

「頼みました」

「えっ」

「欠かさず全員に接触を図り、お願いしました。ですが、応えは誰一人として異ならなかったのです」


『自分達を使いたいなら"主"と会わせろ』


「あなたと直接会って、あなたからの頼み事しか受けないと。そう仰いました。自分達の"主"は一人だけなのだから、と」


 絶句した。確かに俺は生みの親だと言えるだろう。しかしシナリオクリアしたキャラクター達はファイルにお蔵入り、悪く言えば使い捨て・・・・にしていたのだ。育て続けたのはセルフィくらいである。そんな俺を、"主"だなんて。


「式葉、康様」


 唖然としている俺に対し、絶世の女神が頭を垂れる。髪が肩からさらりと流れ、いくつもの房となった。


「どうか、あなたのお力をお貸しください。世界を救うために、あなたが必要なのです」


 俺は内心どうしたいか決まっていたのだろう。"彼女達"に会いたいと、男心に人生で一つは大きなことを成したいと、奥底からそう思ってしまっていた。だから女神様が頭を下げるなんて大事は、半ば思考に酔っていた俺を後押しするには十分だった。


「わ、わかりました! 私も行きたいと思っていましたし、大丈夫です! ですから頭を上げて下さい!」

「そうですか、受けてくれますか! 契約しましたからね!」


 先ほどまでの悲痛そうな表情はどこへやら、ぱぁっと明るい顔になり、光の文字が宙に浮かんで消えた。まるで「言質は取れた」とでも言うように。……そういえば俺、雇用条件とか全く聞いてない。あれ、これまずくないか?


「あ、あの。冷静に考えたら色々わからないことがありまして」

「はい、はい。なんでしょう?」

「そちらの世界へ行ったあと、地球へは戻って来れるのでしょうか?」

「いいえ、不可能ですね」


 やっちまっていた。


「それは、どうして?」

「まず他世界への転移をするために、私の使途になっていただく必要があります。そもそも使途が何かと言えば、"特定の世界にて上命を持って生涯常駐する部下"という認識をしてくだされば間違いありません」

「今回はその上命が?」

「はい。『界破喰い』を倒し、世界を守ることです。上命中だけでなく完遂後もこちらから命が無い限り、善良なる市民として生活してください。そして使途となった時点であなたは厳密には人類という区分から外れ、元世界…あなたの場合は地球ですね。そこから記録が抹消されます」

「今の仕事や両親は……」

「仕事を含むそのほかの事象については、"あなたが居なかった"ことを前提として再構成されます。ただ唯一例外があり、それがあなたのご両親です。血の繋がりというのは非常に強力な『現実という世界を構成する要素』であり、ご両親があなたの存在の証明に、あなたがご両親のそれになります」


 今日何度目の驚きだろう。世界が自分を忘れてしまっても親だけは忘れない、等と妄言染みたことが真実だったのだ。そう聞くと今までも、たとえ別の世界へ行ったとしても、孤独ではないのだと感じられるから不思議だ。


「ですので、転移前にご両親へ別れのメッセージをお願いしております」

「はい、わかりました」


 両親はもう70歳だ、先は恐らく20年もない。俺はもともと適当に生きる人間だった。思えば散々苦労も心配も掛けていた。最期は見取ってやれないだろうから、せめてこれ以上心配は掛けないようにとメッセージを書いた。


"人生で初めて成し遂げたいことができたので行方不明になります。きっともう会えないけれど、心配しないでください。息子は明るく楽しく元気にやっています。 康”


 …より一層心配をかけそうな文面になってしまった。でもこれ以上のことは思いつかないしな。まっさらな便箋に入れてフルールに渡すと、光に包まれて消えた。こちらへ慈愛の笑みを向ける女神にもう一つ尋ねる。


「最後に、もう一つよろしいですか?」

「はい、どうぞ」

「お給金の方はどうなるのでしょう?」

「……へっ?」


 慈愛の笑みがピキッと引きつった。


「名刺も頂きましたし、部下になるとも仰っていましたし。企業のようなものではないのですか?」

「え? えぇ、まぁ…?」

「私も見知らぬ場所で新生活を始めるのですし、仕事には対価をいただけないと困ってしまいます」


 そういうと女神は冷や汗をかき始め、頭を抱えだした。そんなに無茶な要求はしていないはずだけど。うんうん悩んでいたのもつかの間で、すぐに顔を上げて話し出した。若干唇が震えているような気がする。


「康様。申し訳ありませんが、定期的なお給金は支払えません」

「ええっ」

「私達神は基本的に使途だけでなく個人への肩入れが禁止されているのです。あまりに大きな力を持たせてしまうと、その人物による支配が懸念されるためです。私達の目的は支配ではなく管理ですから」

「ですが、今回は強い武力を持つ人を送り込むのでは?」

「その通りですが、あくまで今回はイレギュラーであり、解決に必要な最低限の戦力として康様が選ばれたのです。『神器』として召喚機能を組み込んだあなたのクリアファイルを付与しますが、これ自体も例外だと思ってください」


 なるほど、確かに。雑用係に国の政治権を与えるような真似はしたくなく、俺が苦肉の策で苦渋の決断をしたってとこか。


「ですので転移直前にも念を押すつもりでしたが、善良な一市民として生きてください。よろしいですね? 善良な、一市民、ですよ?」

「わ、わかりました、はい」

「話は戻りますが、金銭はお渡しできません。そのため、この度の業務に対する対価として『頑強』の加護を与えたいと思います」

「加護とは、一体…!?」


 なんだか凄そうだぞ。きっと頑強すぎてマグマを泳げたりするに違いない。


「物理的衝撃に対して身体が損傷しにくくなります」

「それは、つまり…!」

「怪我が少なくなる加護です」

「……」


 思ったよりショボそう。


「そんな目をしないでください、本当にこれが限界なんです」

「…わかりました。それで手を打ちましょう」

「おまけで20歳くらいまで若返らせて上げますから。ね?」

「その条件で、ぜひ」


 俺は爆速で女神の手を握った。20歳へ若返れば職に就くにもなんとかなるだろう。それに赤褐色だった青春時代をやり直せる。年を取ってから気付いた、若い時間の価値よ。


「では使途への変転の後、転移させます」


 宙に浮いているようにも錯覚する白い空間の中、俺の足を徐々に優しげな光が包んでいく。腰の辺りまで覆われたとき、ふと女神に語りかける。


「女神様、両親のことお願いします」

「先ほど言いましたように、個人への介入は原則認められておりません」

「はは、そうでしたね」

「――ですが、再構築する際の世界にちょちょっと手を加えるくらいは大丈夫です」

「ありがとうございます」


 女神の慈愛とは違う、可愛らしい微笑みに見送られて、俺は使途となった。

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