12☓☓年 錆丸の心

「いやぁお前さん、大活躍だったみたいじゃあないか」

壱岐の島から戻った僕達を、花御はニヤニヤしながら出迎えた。


あの騒ぎから一週間。その間、僕達は壱岐でそれなりの待遇の歓待を受けた。

壱岐は決して豊かではなかったが、美しく、人々は活き活きと希望に満ちていた。大人達は日々笑顔で汗を流し、子供達は元気に島を駆け回っている。子供が元気な社会は良い社会、きっと壱岐は良い指導者に恵まれたのだろう。

人々は口々に壱岐守護代の素晴らしさと、その娘の凜歌りんかの慈愛に満ちた振る舞いについて語った。


「凛歌様はほんに優しい子だよ。とても良い子にお育ちになられた。あの子の笑顔を見ると私も力が湧いてくるんだ」

「うん、わかるよ。僕も同じだ」


──凜歌。壱岐守護代の娘の凜歌。かつて僕を育ててくれたりんかばあちゃん。

二百と云十年前の悲劇の別れ。かつて背負った悲しみが、彼女の魂をいびつに歪めてしまったのでは無いかと僕はずっと心配していた。しかし太陽よりも朗らかで優しく、誰よりも愛に満ちた彼女は、あの頃と変わらぬ魂でそこに居た。

僕はそれが何よりも嬉しくて、そして誇らしかった。もし僕のせいで彼女の美しい魂が穢れてしまっていたなら、僕は二度と前を向いて歩けなかったかも知れない。


美しい島、美しい人々。彼女達は今、何よりも幸福に包まれている。

僕は彼女に幸せになって欲しい。それは僕が生まれて間もなく心から願い、そして何百と言う年月の間、変わらず思い続けている願い。

この島なら、きっとそれは叶うだろう。僕は心より安堵し、島を経ったのだった。



雛弦と共に久しぶりの里を散策して回る。僕達が里を開けていたのはほんの一週間ばかりではあったが、里にはいくらかの変化が生じていた。

「おかえりー、雛弦にーちゃん!」「お外楽しかったー!?」「わたし怖くなかったよ! 花御ねーちゃんが大丈夫だって言うから!」

里の子供達が元気そのものといった様子で僕たちの元に集まってくる。雛弦が消えた事によって取り乱したような様子も見受けられない。

きっと、花御がフォローしてくれたのだろう。僕はともかく、彼等の兄貴分である雛弦が居なくなった事は本来耐え難い恐怖だった筈だ。強い子達だ。

そう思っていたら、ふと一人の子供に裾を引っ張られた。振り返り確認すると、俯いて無言でフルフルと震えている子供が目に映る。屈んでその子に正面から向き合う。目にうっすらと涙が浮かんでいる。

......前言撤回、努めて元気に振る舞ってはいてもやはり心の何処かでは不安を感じていたのだろう。僕はその子の頭をぽんぽんと叩き「ごめんね」と告げる。そして雛弦に視線をやった。

「ねー! 遊んでー!」「今まで居なかった分遊べー!」「雛弦登りしよー! おれいちばーん!」

雛弦もまた、子供達に纏わり付かれがに股で歯を食いしばっていた。

ああやはり、この子だけじゃなく本当は皆不安で仕方無かったのだろう。こんな事にも気付けないなんて、僕も大概見る目のない男だ。

「こりゃ駄目だ。悪いけど輪廻兄さん、俺こいつらの相手するよ。また今度いろいろ教えてくれよな」

そう口にした雛弦は、そのまま子供達に引きずられるようにどこかへ去っていった。


子どもたちの様子の他、変化はもう一つあった。

里の端、森に繋がる獣道の脇に小屋が一軒増えていた。近くに寄り、小屋をまじまじと眺める。かつて西洋で大工の息子に生まれついたこともある僕だ。それだけに、釘すらないこの里で家がどのように作られているのか、前から少し興味があった。

「これは...木組みか」

木組みとは、釘を使わない日本独自の工作方法。材木に切れ込みを入れ、木同士を組み合わせる工法だ。

ペタペタと小屋を触り、細かい意匠を見て回る。

「細工は丁寧だが、組み方が雑だな...」

「それは悪いね」

脇から声が聞こえる。視線をやると、毛皮の帽子を目深に被った小柄な男が立っていた。錆丸だ。

「途中なんだ」

彼は一言そう言うと、革袋を地面に降ろしその中からいくらかの工具を取り出して小屋のささくれを削り始めた。そして入り口部分に意匠を施し屋根に天幕を張る。僕の目の前で小屋がどんどんと家になっていく。

「大したものだなぁ。これは何の為の家なんだ?」

「君の」

錆丸は振り返りもせず端的に答える。その返事に僕は少し驚いた。

「僕の? わざわざ建ててくれてるのか?」

「そう」

でもなぜ? そんな思いが脳裏に浮かぶ。進捗を見るに、昨日今日作り始めた小屋じゃない。少なくとも一週間は前から用意していた筈だ。他にする事もあっただろうに、里に来て間もなく姿を消した男の小屋を優先して作る理由はないだろう。

里に来てからの数日、僕は夜を物置小屋の床で過ごした。それで特に不便はなかったし、いつまで居られるかも分からないこの身だ。なるべくなら里に負担をかけたくはない。

「......君が」

そう考えていた僕に、錆丸がゆっくりと口を開く。

「君が雛弦にした事を花御から聞いた」

「だからその御礼ということか?」

「そう」

「そうか......」

それを聞き、ちょっとだけ照れくさくなって頬をポリポリと掻く。そうかこの家は、僕がこの里において異物ではなくなった事の証明なのか。認めて貰えると言うのはどんな時代でも嬉しいものだ。

「そういう事なら僕も手伝おう。何か持ってきて欲しいものはあるかい?」

錆丸は静かに首を振る。

「ない。ぼくの仕事だ」

「だけど僕の家なんだろう? なら僕にも手伝わせて欲しい」

「雛弦にもそうやって取り入ったのか?」

錆丸が初めて振り向く。知り合って初めて目が合う。

......僕は、衝撃を受けた。彼のその瞳は暗く、どこまでも深い黒色をたたえている。こういう目には、覚えがある。

かつて騎士として、蛮族に脅かされた村を訪問した時。商人として、奴隷の市場を訪れた時。神官として、慰み者にされた女性を介抱した時。僕はそれを見た。

人生に絶望し、世を儚んだ人達の諦念の色。そんなものを、十年程度の人生しか生きていないだろう、こんな少年が湛えている。

「さっき雛弦とすれ違った。あんなに笑う男じゃなかった」

錆丸が僕の目をじっと見つめている。すべてを諦めたような瞳。胸がじりじりと痛む。

「......君は生きるのが辛いのか?」

「なぜ?」

「とても悲しい目をしている」

雛弦は少なくとも生きる希望に溢れていた。里の子供達もそうだ。辛くとも、貧しくとも。

だけどこの子は、この子は!


「ぼくは」

視線をそらし、ポツリと錆丸がこぼす。

「痛いのが嫌だから死なないだけだ」


人生は苦しい。僕はそれを誰よりも知っている。

しかし、これまでの人生、決してそれだけじゃなかった。

朝の微睡みも、小川のせせらぎも、夕焼けの美しさも、酒を酌み交わす楽しみも、大切な誰かとの掛け替えの無い時間も。楽しい事だっていくらでもあった。幾十もの死ぬ程の苦しみを経てもなお僕が生き続けるのも全て、そこに理由があるからだ。

人生は苦しい、しかしこれら全ての歓びもまた、人生でしか得られない。生きる事が劇的であるからこそ、世界はこんなにも華やぐのだ。なのに。

「どうして君は、そこまで」

「世界が暗闇だから。親の顔も、生きる歓びも、ぼくは知らない」

暗い瞳。変わらない色。絶望に満ちた魂。


もしも、もしも彼を絶望の縁から救うことができたなら、彼らは許してくれるだろうか。

蛮族に生きる全てを奪われ、復讐の旅の中無情にも命を落とした彼。ただ幸福に生きていただけなのに奴隷として捕えられ、終わらない悪夢の中に閉じ込められた彼女。夫となるべき男の前で純潔を散らされ、絶望の縁に十字架で首を吊った彼女。

僕が救う事の出来なかった彼ら。僕は世界の大きさに対し、神が齎した教会の権力の前に、何処までも矮小で無力だった。


だが僕は、今度こそ彼を救いたいと心から願っている。それはきっと僕の使命でもある筈だ。

「錆丸」

僕は静かに声をかける。

錆丸は作業の手を止め、じっと僕の言葉を待っていた。

「君に世界を教えるよ。世界は君を絶望させたかも知れないが、それを帳消しに出来るだけの歓びがこの世界には詰まっている筈なんだ」

「そう」

小さく返事が返る。そして作業を再開する錆丸。

なんとなく、分かる。きっと彼も心の何処かでまだ世界に期待してる。最初から全てが嫌いな人なんて、居る筈が無いのだ。





「錆丸、君は焼き菓子クッキーは知ってるか?」

「またか、どうでもいい」

彼の目の前で両手に卵と小麦を掲げる僕を、錆丸は心底呆れた顔で見つめていた。

あの日から、僕の涙ぐましい努力の日々が始まった。錆丸はこの先までずっと仕事が詰まってるからこの里からは出ないと言った。ならば、この里の中に丸ごと世界を持ち込もうと考えた。


花御から、彼の過去を聞いた。素浪人に襲われ孕んだ歩き巫女。産まれてすぐに川に捨てられた子供が彼だ。親の顔も知らず、産まれてすぐに要らないと断ぜられる気持ち、それは僕にも良く分かる。厭世えんせいするのも当然だ。


僕は彼の隣で調理を始める。泡立てた卵を砕いた小麦と合わせた物に蜂蜜を加えてよく練り、この為だけに拵えた簡素な石窯で焼いていく。そして、石窯から香る芳ばしい芳香を団扇でパタパタと錆丸の鼻先に送る。間をおいて、石窯からこんがり焼けた焼き菓子を取り出し、箸でつまんで錆丸の顔の近くでグルグルと回す。

「......わかった、食べるよ」

「是非そうして欲しいな」

錆丸が焼き菓子を口にする。製粉の質の低さから少し硬めではあるが、日本には無い食感のお菓子。もぐもぐと頬を動かし味わっているのが分かる。

「どうだった? これは初めてなんじゃないのか?」

「初めてだ。美味しい」

僕はグッと拳を握る。言わせてやったぞ。そうだ、世界には美味しいものだって沢山あるんだ。

「どうだ、焼き菓子は好きか?」

僕は嬉々として彼に尋ねる。

しかし、彼の感想は簡素なものだった。

「別に」

このたった一言。残念ながら食の喜びが彼の心を動かすことは微塵もなかった。


別のある時は草笛を披露した。笹の葉を口に加え、頬を震わせて音楽を奏でる。西洋の息吹を乗せた聖歌、和の風情を漂わせる数え歌。音楽は人を豊かにすると言う、彼の為だけの演奏会。

「君は何でもできるな」

しかし、錆丸の反応は簡素なまま。草笛自体には多少感心してくれたがそれだけ。音楽もまた、彼の心を動かすことはできなかった。


僕の考える、世界を好きになる為の方法。それは、まず"好き"を1つ作る事。

そうやって1つずつ"好き"を増やして、数え切れないくらいの"好き"を集めれば、きっと人生は豊かに実る。僕はそう信じていた。

世界に絶望した人を、絶望から救うには何が要るのだろう。何があれば、人は前を向いて生きていけるのだろう。食べ物、愛、自己肯定感、人生を生きていく為に必要なものは山ほどある。彼には何が足りない?

少なくとも、彼にとってそれは食べ物でも、音楽でもなかった。転生なら、食べ物だけで十分幸福を感じてくれる筈なんだが。


「錆丸、何か欲しいものはないか?」

「特に」

あれから数日、僕はいよいよ万策尽きていた。これまでに、彼には色んな物を見せた。しかしそのどれもが彼の琴線には触れなかった。その瞳は未だ何処までも暗く、闇を覗かせている。とても悲しい瞳。

破れかぶれになった僕は、一つの決意をした。彼をこの里から連れ出し直接世界を見てもらう決意。彼自身に世界を値踏みしてもらう為の旅。

その為に、僕は彼の仕事を手伝う事にした。彼の理屈なら、この先の仕事を全て終えれば里を出るのを断る理由は無いはずだ。いや、最初からこうすべきだった。


「上手だな」

彼の隣で狩りの為の矢を拵える僕を、錆丸が横目で眺める。

「慣れたものだよ。でも君の方が細かい細工は得意じゃないか」

こうして並んで作業をするとよく分かる。錆丸の工作技術は非常に優れている、僕よりも遥かに。やはり世界は広い。何十年生きようとも、僕の出来ない事を出来る人は世界にはごまんといるのだ。

「矢羽は筈の方から巻いた方がいい。その方が後調整が効く」

作業の最中、彼は逐一僕の工作に指示をくれる。そして、その度に僕はなるほどなーと口にする。僕にしてまだ、世界を知る旅の最中。この世界は1000年かけても味わいきれないだろう深みがある。10年ばかしの人生で世界を諦めるのは、やはり早すぎると僕は思う。

黙々と作業をしていた錆丸の手が、ふと止まる。

「どうした?」

俯いた彼の顔を覗き込む。張り付いたような無表情の中に、僅かに悲しみの色が浮かぶ。

「別に。ただ君がここまで工作が出来るなら、僕は必要ないと思っただけだ」

「そんな事無いだろう。君は十分里に貢献している」

「僕はこれしかできない」

悲痛な声。いつもと全く変わらない声音ではあったけど、僕にはそう聞こえた。

僕は、ようやく彼の絶望の輪郭を捉えた気がした。『必要ない』これこそが、恐らくは彼の絶望の根幹なのだろう。

彼はずっと自分の存在を思い悩んでいたのだ。産まれてすぐに要らないと言われた自分。最初から世界のつまはじきだった自分。

そんな自分が本当に生きてていいのか、工作すら奪われたとするならば、いよいよ自分に価値はあるのか、そんな疑問がずっと頭を離れない。


「......錆丸。君は僕が今年で273歳になると言ったら信じるか?」


僕の唐突な告白に、錆丸は驚いて顔を上げた。僕の目をじっと見つめて暫し悩み、ゆっくりと口を開く。

「......信じる。君は何でも出来るから」

「そうか、ありがとう。でも僕は才感の無い男だ。ただ少しだけ、君たちより世界を知っているだけ。君は将来、僕よりもずっと優れた人間になれるよ。僕が保証する」

それを聞き、ほんの少しだけ彼の目に光がともる。しかしまたすぐに暗い瞳に戻り、そして俯いた。

「でも僕は要らない人間だ」

僕はくすりと笑い、彼の頭をぽんぽんと叩いた。そしてすっくと立ち上がり、彼に手を差し伸べる。


「ならそれを確かめに行こうか、君が本当に世界に拒絶されているのかどうか。安心するといい、世界はそんなに狭量じゃないよ」


太陽が僕の背中を照らす。それを錆丸が眩しそうに見つめる。錆丸は眩さに目を伏せながら、そして縋るように手を伸ばした。





初めて行う事や感じる事は、例えどんなものでも刺激的に感じるものだ。環境が変われば感じる全てが大きく変わる。

だからこの旅は、彼にとって世界の輪郭を変える旅になる筈だ。

僕達は時間の許す限り世界を巡った。



大きな滝を見に行った日もある。彼は自然の大きさに愕然として、矮小な自分を責めた。


──世界は、壮大だ。でも僕は。


野伏に襲われた町民を救った事もあった。彼は人の醜悪さに我が身を呪った。


──世界は、悲惨だ。だから僕は。


商店に入り団喜だんき(団子の原型)を頂いた日もある。彼は職人の技に度肝を抜かれ、己の未熟さに悲しんだ。


──世界は、巧みだ。それなのに僕は。


世界を見て回る度に、彼は自分を責め立てる。絶望を募らせる。でも僕はそれで良いと思った。

この絶望は、これまでの絶望とは違う。世界を知って積み立てていく絶望は、自分の殻に閉じこもって育んだ絶望とは異なり、未来がある。彼の中に生まれた様々な葛藤、それを正しく昇華できるかどうかは彼次第だ。

世の中にはたくさんの絶望が溢れている。でもだからこそ、僕達は絶望と付き合っていく術を学ばねばならない。今は悲しんで、涙を枯らすまで泣いて、そして明日は前を向く。それが出来るのが人と言うものだ。

僕は心底美しいと思う。


僕達は旅の終着点、肥前の北端の小さな寺を訪れた。

「綺麗な所だ」

錆丸は寺の中をキョロキョロと眺め、あらゆるものに興味を惹かれている。そして本堂に入り、あるものに目を奪われた。

寺社の最奥に飾られた仏像。木彫りの仏のその顔を見て、彼は呆然と立ち尽くした。

苦しみの果てに希望を見出し、苦痛を断ち切らんとする仏の教え。彼は今、その小さな仏像に自分を重ねていた。

「お若い方、仏様に興味がお有りかな」

部屋の奥から年老いた住職が姿を現す。彼の質問に錆丸は仏像から目を話さずに返事をした。

「わからない、でも彼を見ていたらなんだか胸が」

「お若い方、あなたはその身空で多くの苦しみを背負ってきたのですな」

住職は悲しい顔で錆丸を見つめる。

「ならば貴方は仏の教えを知るべきです。苦しみから逃れるべく例え命を絶とうとも、その苦しみは輪廻して貴方を永劫苦しめることでしょう」

錆丸はその言葉に驚き、僕を見る。

「大凡間違ってはいないよ。命は全て繋がっていて、その中を魂は巡る。そして魂の有り様もまた、生命の在り方次第で形を変えるものだから」

だから、魂が解脱することは無いのだけれど。誰かと関わらない生命など世界にはただの一つも存在しない。輪廻の輪から外れる事は、生命を否定するに等しい。人は、苦しみの中から希望を拾って生きるしかないのだ。

錆丸は仏像に向き直る。静かにその瞳をじっと見つめる。

「僕は、どうすれば良い」

「今は善く生きなさい。世界を知り、苦しみを知り、そして繋がりを知りなさい。全ての事象には理由があります。貴方が真理を学び、善く生きる事が出来るのなら、きっと苦しみから逃れる事が出来るでしょう。あなたが生きる事は悪い事ではありませんよ」

宗教とは、時として人が生きる道標となる。決して人や世界の中心にあって良いものではないが、誰もが心に抱えていなければいけない道徳の一形態だ。

錆丸は寺院の中心で、一人ただ佇んで、仏像を眺めていた。



帰り道、錆丸がぽつりと溢す。

「もしかして、僕は生きてて良いのかな」

彼は今日、世界の一端を知った。自分がどうするべきなのかについて、初めて頭を巡らせている。世界が自分を受け入れてくれるのか、その可能性について。

「それもすぐに分かるよ」

僕には確信がある。彼が世界に受け入れて貰える、その確信。

なんてことは無い。彼には最初から居場所があったのだ。彼がそれに気付いていなかっただけで。

獣道を進み、ずいぶんと見慣れた山道を掻き分けて一刻ほど進むと、里が見えてくる。一週間ぶりの帰郷。

二人並んで里の入り口に立つ。錆丸が少しだけ震えている。

ほんの少しの空白の時間、誰かが僕たちに気付くまでの間。錆丸が次第に俯いていく。

その時、ふいに大きな声が響く。


「あーーーー! 錆丸お兄ちゃんっ!!」


一人の子供が彼に気付いた。その声を耳にした子供達がワラワラと広場に集まり、こっちに向かってかけてきた。

錆丸が、驚いて顔を上げる。雲間から太陽が顔を出し、彼の顔に日が指していく。その彼に子供達が我先にと飛びついた。


「わーん、錆丸お兄ちゃん! 寂しかったー!!」「錆丸にいちゃーん!」「どこ行ってたんだよ! しんぱいしたんだぞ!」


子供達は彼を囲んで口々に騒ぐ。錆丸は呆気にとられて固まっている。何かを喋ろうとしたが、声が出ていない。口をパクパクと動かし、そしてふいに目から一筋の雫を垂らした。

彼の瞳に今、光が指している。雫が光を反射して、一層キラキラと輝いている。錆丸は大きく涙を流し、嗚咽を交えながら、無言で子供達を抱きしめた。

「痛いよ、錆丸!!」「きゃー!!」

騒ぐ子供達。でも何処か幸せそうな彼ら。

喧騒の中、ふと里に目をやると、そこには花御が立っていた。淡い笑顔を湛えて、その光景を眺めている。そして僕と目が合うと、彼女は深々とお辞儀をした。

里は今、幸福な喧騒に満ちている。その喧騒の最中、錆丸は子供達を抱き締めたまま顔を上げて僕を見る。その顔は、瞳は、生き生きと生気に満ち、雲ひとつ無い青空のようだった。


「輪廻、ありがとう。僕は生きるよ。君よりもずっと、ずっと長生きしてみせる。百年でも、二百年でも」


僕はにこりと笑って答えた。彼はもう心配いらないだろう。

自分が世界に必要とされていない、そんな不安はもうここには無い。

自己肯定感、生きる上でそれは最も必要な感情だろう。自分が誰かに大切にされている。大切な人がいる。それを知る事が出来た時、人は何よりも強くなれる。



僕は神の御子だ。人々を導く神の御子。

今この時だけは、堂々とそう名乗らせて欲しい。

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