12☓☓年 雛弦の心

──筑前国ちくぜんのくに


それは大陸との通行の要所であり、外交上の要地であると同時に外寇がいこう防衛の要地であった。それ故に地方の行政機関である太宰府だざいふが置かれ、鎌倉幕府の権力の強く行き届いていた土地であった。

鎌倉時代は本格的に通貨が流通し始めた時代でもある。他国との交易が盛んなこの土地において貨幣制度の必要性は高く、農村などでは未だ物々交換が主流であったこの時代において驚くほど通貨が浸透していた。

通貨が流通する地域では物の価値を数字で示せるようになる。そうなれば、取引に扱える物品の数や量の価値に共通認識が生まれ、取引効率を大幅に増すことが出来る。つまり、より沢山の種類の物資をより多く動かすことが出来る。

その為、筑前国は中枢から遠く離れた僻地でありながらも、驚くほどに栄えていた。


今僕達は、その筑前国の港町で、陸揚げされた物資の数々を見学して回っていた。

「すげぇすげぇ! ここには、この世界の全部が揃ってる!」

「まさか、世界は広いんだ。この海の向こうには更に違う国があって、違う人たちが住んでいて、もっと驚くような物も沢山あるよ」

僕は海の先を指差して雛弦に告げる。雛弦は目をキラキラとさせて、海の向こうを眺めてる。

「知ってるぜ、この海の先にある国。そうって言うんだろ?」

振り返りながら得意げに雛弦が告げる、彼の後ろで海が光を反射してキラキラと輝いている。

「惜しい、その国は今はもう無いんだ。いや、なくなる予定と言うべきか。今この海の先にある国の名前は南宋なんそう、そしてげんって言うんだ」

「なくなる予定? どういうことだよ、滅ぶのか? 滅茶苦茶でっかい国だったんだろ?」

「そうだね、悲しい事だが恐らくはまもなく滅ぶだろう。どんなに強大な国にも、どんなに素晴らしい人にも、永遠なんてないんだ。世界は広い。君はもっとずっとその事を学ばないといけない」


雛弦は驚いたといった顔で海を眺めた。彼にはまだ理解ができていなかった。この広い海の先に知らない人達が居て、そして知らないままに死んでいく。強い誰かが衰えて、次の誰かに道を譲る。栄枯盛衰、世界を巡る輪廻の輪が。

僕は雛弦のその姿を眺め、ほのかに懐かしんでいた。かつて僕が初めて海の向こうの事を教わった時の衝撃、今でも鮮明に思い出せる。そう、世界は広い。生きていれば彼もいろんな経験をするだろう。だからこそ、今は一歩ずつ世界を知って行って欲しいと思う。


「そう悩むことはないよ、魂の在り処なんてそのうち誰もが知る事だ。今は目の前の事から一つずつを覚えていこう。まずは通貨の使い方。人の営みもまた、世界の真理と同じくらい複雑だ」


振り向いた雛弦の目の前に、僕はテンの毛皮をずいと掲げてニヤリと笑った。



「見てくれないか? このテンの毛皮を。冬を越え、春先の豊かな自然を大いに満喫したこの品のある毛皮! 冬毛の残る豊かな毛は夜の寒さを忘れさせ、しかし今年の暖冬からか痩せこける事無く成長した毛皮には豊かな艶が残っている! ただでさえ高級なテン皮だが、これだけ高品質なものはこの時期そうそう見つかるもんじゃない。太宰府のお偉いさんに喜ばれること間違いなしだ!」

「うーん、そうさなぁ。ならこの位でどうかね」

商人の男が指を3本立てる。ちっ、相場より安い。

「またまた、初顔だからと足元見るのはやめて欲しいな。この位はつけてくれてもいい筈だ」

僕は指を5本立て、商人に詰め寄る。

「そうは言うがねあんた、毛皮の旬も需要も秋だろう。言う通り確かに質は良さそうだし、固い品ではあるけどねぇ。そもそもこれ何処で獲ってきたんだい? 出処はちゃんとしてるんだろうね?」

「僕達は猟師でね、これは僕達の取ってきたものだ。普段は自分達の衣服に利用するところだが、今の世の中こういう道もあるかと思ってね。今後も猟の度にこういう物を卸して行きたいと思ってる。......願わくば、君とは長い事良い付き合いをしていければと思っているんだが」

そう言って、僕は指を4本立てる。商人の男はん〜〜と悩んで頭をポリポリと掻いた後、両手をうってこう言った。

「わかった、良いだろう! その代わり、今後もうちに優先的に卸してくれよ?」

「勿論だ。いい取引だった!」

商人に毛皮を数枚引き渡し対価を受け取る。それを持って、後ろでちんぷんかんぷんと言った顔をしていた雛弦に行くよと声をかける。

「今のどういう事だよ。毛皮は? あげちゃったのか?」

「違う、交換したんだ。これとね」

僕はニヤリと笑って麻紐で結われた貨幣の束を指先でクルクルと回す。そして、それを雛弦に手渡した。

「なんだこれ、こんな金属片と交換したのか? これそんなに価値あんのか?」

「ははは! それ自体に価値なんてないさ、ただの金属片だよ。だけど、その金属片には『信用』があるんだ。宋が作り、幕府が定めた『信用』がね。そして、商人たちはその『信用』に価値を定めて取引の物差しにしているのさ」

雛弦がマジマジと貨幣を眺める。

「ふーん? つまりこれは尺みたいなもんか? 並べて三寸の長さなら肉と交換みたいな」

「おおなかなか筋がいいな! 大凡そんな所だよ。ちなみにそれ全部使えば大体米が一俵買える」

雛弦がぎょっとした顔でこっちを見る。そして、適当に手遊びに使っていた貨幣をぎゅっと握りしめて固まった。

「そう緊張する必要はないよ、それ自体は単なる『モノ』だ。重要なのは無価値な物に価値を与えるその仕組みさ。通貨は人間の最も偉大な発明の一つだ。これにより、日本もこれからもっともっと大きくなる。乗り遅れないようにしないとね」

ほほーと言った顔で雛弦は僕を見つめていた。人生経験ならごまんとある僕だ。どうだい、少しは見直してくれたかな?


雛弦を伴い、街を散策する。物品の金の替え方は今見せた通り、次は金を物品に替える方法を教えなくてはいけない。

広場に出ると途端に喧騒が増していく。多くの商人が客の呼び込みでせわしなく駆け回っている。その中を雛弦は金をぎゅっと握りしめたままトコトコと僕の後ろをついてきている。

「安いよ安いよー! お、そこの猟師のお兄さん! この小刀なんて入り用じゃないかね?」

「ええっ、いや、別に!」

声をかけられ一瞬立ち止まる雛弦。しかしすぐに商人を振り切り、小走りで僕の所まで駆け寄ってきた。そして広場に置かれている壺、小刀、干し魚、野菜、小麦といった様々な物資をキョロキョロと眺める。

「なぁこれひょっとして金があれば何でも買えるのか?」

「そうだよ凄いだろ? 全ての物資に共通の価値を持たせるっていう概念の力さ」

しかし、それを聞いた雛弦は一瞬顔を輝かせたあと、反対にみるみると顔を曇らせていった。どうも身に余るモノを抱えてしまったといった風情で縮こまっていく。

「なぁこの世の全てのものが買えるだなんて、実はこれは危険なものなんじゃないのか? 俺は何だか恐ろしいぞ。こんなもの持ってて大丈夫なのか?」

「そうだな...」

その懸念は確かに間違ってはいない。貨幣は素晴らしい発明ではあるが、同時に多くの悲劇を生み出す元でもあった。貨幣の最も恐ろしい点は、彼の言う通りこの世の全てに価値をつけることが可能となってしまった点だ。『他の物品と比較して、いくら』『それを得る為にかかる労力と比較して、いくら』。それは例え天と地の全てであっても、人の命であっても。

何百人もの人間の命をも賄える概念。一人の人間が持つには過ぎた力を貨幣は与える。


「まぁそれも全部使い方だよ。便利なものには違いないんだ。君がお金に使われない人間になればいい」

「そっか。でも怖いから返すわ」


ぐいっと貨幣を握り込まされる。ほんのり温かい。人間の社会に対して、やはりまだ恐怖が勝るか。

でも今はそれでいい。彼にはお金を怖がる感性がある。ならばお金に使われるような人間にはならないだろう。人間社会に関してはこれから少しずつ慣れていけばそれでいい。

僕は安心して微笑んだ。


その時、喧騒に鳴る広場に一際大きな声が響く。辺りがしんと静まり、騒ぎの中心に注目が集まる。


「商人様よ、中々良い品扱ってるじゃあないか。わざわざ我等の為に海の向こうから有難う。有り難く頂戴していくぞ」


騒ぎの中心には武士達が居た。商人を恫喝し物資を巻き上げようとしている。

僕はギョッとして姿を隠した。半世紀前に御成敗式目が制定されてからはこのような蛮行は鳴りを潜めていたものだが、一体どうしてだ? 

その答えはすぐに判明する事になる訳だが、この時の僕には理解できなかった。突然の彼らの行動も、そして雛弦の心のうちも。





輪廻、こいつは一体何者なんだろう。

俺がこの世に生まれてから15年。これまで精一杯生きてきたつもりなのに、知らないものがどんどん出てくる。こいつ自体もそうだ。何者なのか、未だに正体が掴めない。

分かっているのは2つだけ。花御が信頼している事と、鎌倉武士だったということだ。だから俺は、こいつを信用するべきだけど、絶対に信用する事が出来ない。だってこいつは元鎌倉武士だから。


あいつらは禄な連中じゃない。常に血に飢えて、欲に満ち、誰かを害する事に喜びを感じている。5歳の頃に花御の世話になり、以来10年巷ちまたを知らない俺でもそれは知っている。こいつもきっとおんなじだ。

だが恐ろしい事にこの世は彼らの世界らしい。奴等は我が物顔でこの世を闊歩し人の定めた規則を脅かす。


俺達の居る広場には今、喧騒が拡がっている。さっきまでの陽気な喧騒とは違う、怒号の混じった殺伐とした喧騒だ。今俺の目の前には、あいつ等がいる。暴力を是とするこの世のゴミ共。

花御が瀕死の輪廻を連れてきたとき、それを見た俺は怒りで我を失った。鎌倉武士が憎くて憎くて、俺は反射的に掴みかかったのを覚えている。

そして今、またもや俺は怒りで我を失った。今聞いたばかりの規則を、貨幣制度を当然の如く侵している彼等に、俺は強い怒りを覚えてしまった。

体が烈火のごとく熱くなって、自分が自分でないみたいに駆け出した。俺はどうしようもなく、無教養で視野の狭いガキだったんだ。





僕には誤算があった。彼はもう少し落ち着きのある理性的な人間だと思っていた。花御が口にした彼に纏わる『複雑な事情』。それを十分理解していたつもりだが、その上で彼には自らを律する理性が育っていると思っていた。

問題の芽は根深い。広場に現れた、商人達に暴力をちらつかせて品物を取り上げる数名の鎌倉武士達。マズイと思って姿を隠した僕と裏腹に、雛弦が真っ直ぐ彼らに駆け出した時、僕はどんな顔をしていただろうか。

雛弦は今、鎌倉武士達の正面に立ち罵声を浴びせている。

「ふざけるなお前ら! 守れよ! 規則を!」

「なんだこの餓鬼。殺されたいのか?」

一触即発の空気。雛弦は複数の武士たちに囲まれ、震えている。恐怖からか怒りからなのかは分からない。顔を真っ赤に染め上げ、拳を固く握りしめていた。


「死にたくなければとっとと失せろ糞餓鬼。我等にはこいつ等から金を巻き上げても良い権利があるのだ、なんと言っても我等は強いからな。なんなら貴様も我等の人足にんそくとして召し上げこき使ってやろうか?」


フルフルと震える雛弦。次の瞬間、彼はカッと目を見開いて咆哮と共に武士達に殴りかかった。


「ふざけるな!! お前らの我儘で不幸になった奴が、この世にどれだけ居ると思ってるんだ!!」


武士が身をよじる。雛弦の拳は空を切った。そして体制を崩した雛弦を武士が刀の柄で殴りつける。ぎゃうと喚いて地面に突っ伏した雛弦。それを別の武士に抑え込む。これはまずい! 僕は物陰から飛び出した。

地面に突っ伏したまま、雛弦が喚く。


「俺の母さんは、ただの百姓だった! それをお前ら! 俺の目の前で手ごめにして殺しやがった!! 何が武士だ! お前らなんか人間じゃねぇ!! 絶対に許さねぇ、絶対に許さねぇからな!!」

「いや喧しい餓鬼だ。首だけになってもその調子で喋れるか試してみよう」


刀を抜き、上段に構える武士。それを見て、青い顔で震える雛弦。

勢いよく振り降ろされたその刀は、次の瞬間ガキィンと鈍い音を立てて地面に転がった。

「ぐぉっ! 誰だ!」

小さくうめき声を上げ、手の甲を抑えて悶絶している武士。その近くを一枚の貨幣がコロコロと転がる。彼から放たれた誰何すいかの声に応じるように、僕は姿を表した。

「それはお駄賃だよ。取っておくといい」

「貴様、名越家の......」

彼の手の甲を打ったのは僕の放った一枚の貨幣だった。貨幣が彼の手の甲を直撃し、彼は刀を取りこぼしたのだ。いや危なかった、外したらどうしようかと思った。

「国から追討令の出ている反逆者が何故ここにおる? どうやらこの餓鬼を助けたようだが身内かね? 反逆者を匿うもまた罪、どうやらこの餓鬼には躾がなっていないようだな」

武士達は雛弦を無理矢理立たせ、羽交い締めにする。

「餓鬼の命が惜しければ手は出すな」

武士達が刀を抜いて近づいてくる。彼らに向けて、僕は両手を軽く上げて声をかけた。

「抵抗はしない、代わりに取引をしないか?」

「なに?」

訝しむ武士達。僕は麻紐で結われた貨幣を取り出し、彼らの目の前に掲げた。

「ここに400文ある。ああいや、さっき1文飛ばしたから399文だが、これで見逃してやってはくれないか?」

それを聞いた雛弦が、何故か動揺した顔で僕を見つめる。主格らしき武士が顎をこすり、値踏みをする。

「人間二人で400文とは割に合わんな」

「勘違いするな、これは彼の分の代金だ。僕は含まれていない」

「ほぉ、それならお前はどうする? 見た所、得物も手にしていないようだが我等と勝負するつもりかね?」

「それもいいな。君も武士なら当然受けるだろう?」

顎をこすり、考え込む武士。そして雛弦を拘束している武士に目配せをして拘束を解いた。

「良かろう拘束は解いた、さぁお前も金を渡せ」

それを聞き、僕は貨幣を彼らに投げ渡した。彼らはそれを受け取ると僕に居直り、刀を構えて大声で名乗りを上げる。


「やぁやぁ、音にこそ聞け近くば寄って目にも見よ! 我こそは、那須が長兄、重孝なり!! 名越家の残党よ、いざ尋常に勝負、勝負ゥ!」

「......いいや、僕はただの輪廻だ。名字はもうない」


僕の名乗りが終わるのと同時に、咆号が響いた。

彼の刀が閃光のように奔る。僕は半身になってそれを躱し、腕を彼の首に引っ掛けて体を引き上げ、そして思いっきり脚を払う。彼は弧を描いて回転し、次の瞬間鈍い音と共に地面に頭をめり込ませていた。

それは一瞬の出来事だった。意気揚々と名乗りを上げていた男は今や、一声もあげずピクピクと痙攣している。

それを唖然とした顔で見ていた武士達。しかし、やがて我に返ると刀を抜いてを一切に挑みかかってきた。そして僕も応じるように構える、その瞬間。


「やめなさーーーいっ!!!」


周囲に声が響いた。その場にいた全員が固まり、声の方に注目する。

そこには小さな女の子が立っていた。大勢の護衛を引き連れ、そしてその真ん中で胸を張って立っている。

立派な旅装の武士たちの只中にあって一切見劣りしないその少女を目にした時、僕は心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。


僕は、この少女を知っている。かつて僕が初めてこの地に生を受けた時、右も左も分からない僕を真っ直ぐに育て上げてくれた人がいる。それ故に不幸を負いながら、それでも懸命に僕を育ててくれた人。

僕がその運命の元に死に分たれたあと彼女が一体どうなったのか、僕はずっと気にしていた。しかし、彼女はかつての魂をそのままに今僕の目の前に立っている。

ああ、りんか! りんかばあちゃん! 貴女は二百云十年たった今でも、あの頃の貴女のままだ!


「私は壱岐の守護の娘、凜歌りんかです! 双方剣を引きなさぁい! ここは港沿いの市場です! 諍いを起こして良い場所ではありません!」


威勢の良い啖呵を切る凛歌。その彼女に武士達は渋い顔をして、否やを唱える。


「しかし壱岐の姫御前、こいつはあの名越家の残党なのですよ。追討されて然るべき謀反者の一味です」

「それについては、既に追加の発布があった筈です。名越の当主が討ち死にした今、勝手に粛清を波及させてはいけないという追討禁止令が!」


小さく「むぅ」と口にして押し黙る武士達。へぇ知らなかった、少し山に隠れている間にそんな事になっていたとは。


「......確かにその通りですな。しかし、我らは既にともがらを一人やられています。報復せねば恥になる」

「それも貴方がたが産み出した火種でしょう。武力をカサにきた盗賊の紛い事を咎められての諍いだと聞きました! それでも納得いかないと言うのなら仕方ありません、彼らは私達壱岐のお抱えとします!」


壱岐のお抱え、それは僕たちの身分が壱岐の国の客人となることを意味していた。すなわち、これを征伐するにはお上の意向が必要という事。あくまで言葉の上ではあるが、僕達は彼等には手を出せない存在になったのだ。

それを聞き、武士達が眉間にシワを寄せる。そして震える拳を握りしめ、吐き捨てるようにこう告げた。


「......良いでしょう、我等は引きます。しかし決して後悔されない事ですな。我等の行いは断じて盗賊紛いの行いではない、これは太宰府より任ぜられた正式な徴発なのですよ。壱岐の姫御前であれば貴方もご存知でしょう。遠い大陸の超大国、元と呼ばれるその国が今、不穏な動きを見せている事を」


凜歌が黙る。不穏な空気が広がる。『徴発』、それは金、物資、人員を取り込む為の国家主導の略奪行為。それは大戦が起こる前触れ。つまりこの先、何かが起ころうしていると言う事。


「我等に楯突いたこと、大宰府は決して忘れんでしょう。ゆめゆめ後悔なさいませぬよう」


武士達が立ち去っていく。その場がしんと静まる。しばしの静寂の後、凜歌はぐるりと僕達に向き直った。


「大丈夫? 貴方も、後ろでへたりこんでるお兄さんも」


あっ雛弦、忘れてた! 後ろを振り返って姿を確認する。まるで魂でも抜けたような様子でへたり込んでいる彼の姿を確認して一安心する。その僕の姿を凛歌がニコニコしながら眺めていた。


「あの子を守るために頑張っていたんだよね? うん、偉いねぇ!」


足りない背丈をうんと伸ばして、ぽんぽんと頭を叩かれる。何だか照れくさくてババッと頭を隠して俯いた。ううん懐かしい、この感じ。


「ほとぼりが冷めるまで、少しの間ですがお二人は私達のお城で匿いますね。うーん、船が苦手じゃないといいけど」

「船は好きだよ。そうだね、よろしく頼むよ」


別に大丈夫とは思うけど、お抱えにすると言い放った彼等の体面もあるだろう。ここは大人しく好意に甘えて匿ってもらうとしよう。

僕は放心している雛弦の手を引いて、壱岐の武士団と共に港へ向かった。





今、僕達は船の縁で二人並んで海を眺めている。波間に揺られながら、僕は一日の出来事を反芻していた。雛弦は心ここにあらずといった感じで海をボーと眺めている。


「海って広いな......」

「そうだなぁ」


今日は色んなことがあった。そしてその中で、雛弦という人間がどういう男なのかよく知ることができたように思う。


「ちょっと波が高いな......」

「そうだなぁ」


短絡的で、感情的。頭がよく、そして家族を大事にしてて不条理を嫌う正義漢。初めてあった時の睨めつけるような視線。僕を敵視していた訳も良く知ることが出来た。


「なぁ輪廻......」

「なんだい?」


そんな雛弦が、少し困ったような声色で僕に問いかける。


「俺、お前に買われたのか?」

「そうなるね。お金は人の命を救う事もできるんだ。悪くないだろ?」


少し歪ではあるが、こういうお金の使い方もある。ものはなんだって使いようなのだ。

それを聞いた雛弦は、僕と目を合わせずに顔を伏せた。なんだか思い悩んだ風情で暫しの間黙した後、顔を伏せたままふと口を開いた。


「......じゃあ俺、今お前のモノなのか?」

「ぷっ、アハハハハハハハハ!!」


僕は船の縁をべしべしと叩いて笑い転げた。さっきから、心ここにあらずといった様子で一体何を考え込んでるのかと思ったら、そんなことか! 確かに僕はお金を介した取引をそう説明したが、なんて生真面目な男だ! 笑い転げる僕を、雛弦は真剣に困った顔で見つめている。ああやれやれ。

「そうだな、そうかもしれないな。なら雛弦、持ち主として命令だ。これから先、よく考えてよく生きろ。そして家族みんなを守ってやれる男になれ。いいね?」

雛弦は驚いたような顔をしたあと、もう一度顔を伏せた。

「ん。分かったよ、輪廻兄さん」

そして照れ臭そうにそう言った。それを聞き、僕は優しく微笑んだ。

僕達を乗せた船は陽光の元、ゆったりと波間を掻き分け進んでいく。


海は、人が生まれ変わるには丁度いい場所だ。

ここから始まる彼の新しい人生。いつしか雛が還り、矢の如く世界へと羽ばたいていくその姿を僕は夢見ている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る