12☓☓年 あの子に偉いと褒めて欲しくて

──12☓☓年、極東の島国──


壱岐の島の中心、樋詰城の頂から城下を眺める小さな影があった。

その視線の先には稽古に励む武士の姿がある。


姫御前ひめごじょう、お体に触ります」

「爺や、あれは何をしているんです?」


齢10もいかないような少女の疑問に、爺と呼ばれた初老の男性が答える。


「あれは我が殿の武士団ですな。彼らはああして訓練を積み、この壱岐の平和を守っているのですよ」

「へぇ!」


姫御前と呼ばれた女の子が前へ出る。ヘリに掴まり目を輝かせ、ひとしきり武士達を眺めてから振り返った。風に煽られふわっとふくらんだ髪の隙間から、ヒマワリみたいな笑顔がのぞく。

「うん、偉いねぇ!」





──雨が降っている。

僕は今、息も切れ切れに駆けていた。命を狙われ、取るものも取り敢えず逃げ出した。


鎌倉時代、それは平時と戦時の区別が曖昧な時代であったと言える。朝敵は打ち取られ、鎌倉幕府の隆盛も極まった今世。大別すれば平時と呼べる今ではあるが、それでも骨肉の争いは留まる所を知らなかった。いくつもの家が族滅され、巷ちまたには食い詰め浪人や野党の類が溢れていく。そして、それを襲い刀を奪う百姓達。世は混迷の最中にあった。

かく言う僕も、名越家に連なる御家人として、めいを受けて九州の沿岸警備に赴いたところで、折り悪く謀反を企てたらしい名越家の一員として追討を受けた。既得権益にまつわる政治上の争いによるものだと後に聞いたが、その時の僕は訳もわからずただ逃げ惑った。


矢が次々と飛んでくる。鎧兜を求め、百姓までもが石をその手に追い縋ってくる。僕の馬ももう限界が近い。お互いに息を切らせ、気力だけで走っている。ザァザァと強く打ち付ける雨が体力を奪う。

僕は彼らの追討を避け、村を抜け、山を駆け、いくつもの峠を超えた。地獄の果てまで続くと思われた逃走劇。最後は木々に誘われるかのように森に逃げ込んだ僕達は、すべての気力を失い倒れ込んだ。静寂が広がる。

こんなものか。僕の今回の人生は。転生にも会えず、こんな所で朽ちて死ぬ。18年、無為な人生だった。

目を閉じ、自分の心臓の音に耳を傾ける。次第に弱まっていく心音が耳に響く。死を覚悟してから死ぬまでの、この静寂の時間。何度も経験した時間ではあるが、酷く寂しく、未だに慣れることはない。ああ、雨が無情に僕を打ち付ける。死が近づいてくる。





──ふと、雨が止んだ。

驚いて、僕は固く閉じた目を薄っすらと開ける。目が霞む、前がよく見えない。


「やぁやぁこんな所で行き倒れとは、さてはお前さんもこの世界からのつまはじきかね?」


頭上から声が響く、力のある若い女性の声。その女性が僕の頭のそばに立ち、僕に唐傘を指していた。


「このままほっときゃお前さん、死ぬぜ。生きる気力があるなら手を取りな。肥前ひぜんの天狗が命をやろう」


僕の目の前に手が差し出される。僕は霞む目で必死に手を伸ばし、彼女の手を握りしめた。そして、絞り出すように叫ぶ。


「僕は...生きたいっ!」

「宜しい確かにこの命預かった。ただしお代は高くつくぜ」


天狗を名乗った女性は、ひょいと僕を肩に担ぐと一本下駄を器用に操り風のように森の奥へと消えていった。





目が覚める、見覚えのない小屋。どのくらい眠っていたのだろう、お腹が酷く空いている。鼻をスンスンと鳴らす。外からいい匂いが漂ってくる。

僕は外から香るいい匂いに釣られて、フラフラと小屋から抜け出した。

小屋の外には小さな集落があった。家らしき見すぼらしい小屋が数軒。どうやら10人と少しばかりの村人達が暮らす、小さな隠れ里らしい。

里の中心には竈があり、いい匂いはそこから香ってきていたようだ。竈の周りには小さな子供達と、背の高い赤毛の女が座っている。

「おお目覚めたか、お前さんお寝坊さんだねぇ。さぁどこでもいい、とっとと席に付きな。疲れた身体によく染みる、天狗印の七草鍋のお時間だ」

誘われるまま切り株でできた椅子に座る。隣の小さな女の子からひび割れた茶碗と箸を貰う。

「ありがとう」

お礼を言うと、彼女はニコリと笑って食事を始める。僕もそれに習って七草鍋に手を付ける。その様をニヤニヤと赤毛の女が眺めている。

「いやぁ礼儀正しくて結構な事だ。ガサツなお武家様ならどうしようかと思ったね。食べながらでいい、この場を借りて自己紹介させて貰おうか。俺の事は知っとるね? 名は花御はなみ。この村の取りまとめ役をやっている」

花御と名乗った女を見る。灼眼灼髪の大女。180cmを超えると思しき長身に、腰まで届く長髪をたなびかせている。丈の足りない羽織を身に纏い、露出した足にはさらしを巻き付けている。腰に巻いた帯には刀、それと芭蕉で出来た扇が刺さっており、帯の先はだらしなく地面に垂れている。この時代の人間としては実に奇抜なその外見は、なるほど天狗と呼ばせるに相応しいものを感じさせる。


「次々行こうか、こいつは雛弦ひなづる。主に山で獲物を獲る食料係だな」

今度は隣の少年の肩をバシンと叩く。急に叩かれたせいで持っていた茶碗を落としそうになり、彼はヨタヨタと堪えた。年若く、しかし精悍な雰囲気を湛える少年。艶のある黒髪に毛皮の服とマントを羽織り、背中に弓を備えている。狩人らしいその鋭い眼光は...何故か僕をまっすぐに睨めつけている。

「こいつが錆丸さびまる。手先が器用な男でね。私達の服や道具は彼が作る。お前さんも世話になる事だろう」

花御が指差した先を見る。毛皮の帽子を目深に被った小柄な少年が七草鍋をかき込んでいる。彼は左手をひらひらと振って返事をした。

「そんでお前さんの隣の娘が恋華こいばなだ。彼女は炊事係になる。そしてチビたちの教育係でもある」

さっき茶碗を渡してくれた女の子を見る。恋華と呼ばれた女の子は目を合わせてニコリと微笑んだ。花柄の和服を羽織ったとても小さな女の子だ。

3名の紹介を終えたところで花御がまた口を開いた。


「以上がウチの年長者たちさ。残るチビ共に関してはおいおい説明するとしよう。この里は世間のつまはじき達の成れの果て、この世に混じれぬ魑魅魍魎ちみもうりょうの掃き溜めさ。

 ......お前さんこの子達を人間にできるかね? 魑魅魍魎ではない真っ当な人間に。俺はいい、如何様にでも生きていける。だがこいつ等は皆が皆そうはいかん。例え里が滅んでも、生きていけるだけの力を与えてやって欲しいのだ。どうだい、お前さんになら出来るんじゃないかと思うんだがね?」


その言葉を受けて、僕は彼らを真っ直ぐに見つめた。僕の命を救った彼らを。

「分かった、僕でいいのなら。僕は輪廻。よろしく頼むよ」

世間でつまはじきにされた子供達。果たして彼等が間違いなのか、それとも世間が間違いなのか。それは分からない。

しかし、いずれにしても僕には人を導く使命がある。言うまでもなくこれは僕のすべき事だろう。


「うん、お前さんがいいな。天狗の隠れ里にようこそ輪廻」


一度は終わった筈の人生に、彼女によって『次』が作られた。ならばそれは、彼女達のために使うべき余生だろうと僕は思う。不幸を呼ぶこの身だ。いつまでここに居られるかは分からないが、その時が来るまで僕はこの里の為に尽くそうと思う。





『しばらくは里でただ過ごし、彼等と親交を深めてやってくれ。大の大人が来る事などこれまで全く無かった事で、彼等も心の内では不安を感じて居るのでね』


花御の言に従い、僕はこの数日を無為に過ごした。ある時は森を歩き、追手から僕を匿ってくれた木々に御礼を言って回った。逃げていた時薄っすらと感じてはいたが、この森には覚えがある。懐かしい記憶だ。

また別のある時は周辺を散策し、里の子供達と話をした。彼らの事をよく聞き、そして僕の事をよく話した。

「ねーねー、輪廻はどこから来たの」

「僕はここよりずっと東の国から来たんだ、鎌倉と言ってね。少し殺伐としていたが、まぁいい所だったよ。君たちは何処から?」

「わかんねー! 気付いたらここだった!」「ねーねー天狗ってにもいたのー? 花御ちゃんだけー?」「遊んで遊んでー!」

おお、元気がいいな。若さに圧倒される僕。子供が元気な里は良い里だと聞く。子供達にこうも慕われる花御という女、どうやら中々の人物らしい。


子供達の質問攻めから逃げるようにその場を離れ、里をぐるりと一周する。すると今度は炊事係の女の子、恋華に出会った。遠目からその様子を観察する。どうやら保存食の管理をしていたところ、干し肉にカビが湧いて困っているようだった。

ゆっくりと近寄って隣に立ち、その様子を眺める。音も無く隣に現れた僕に一瞬ビクッと反応するも、すぐに向き直ってカビ取り作業に戻っていた。

「高温多湿なこの山中で干し肉は難しいだろう。干しきったつもりでも、どうしても水分は残るし水分が残ればカビも生える」

必死にゴシゴシと干し肉を擦っていた恋華の手がピタリと止まり、顔を上げて僕を見る。

「こういう環境なら燻蒸をオススメするよ。煙が逃げない小屋を作る必要があるがそう手間じゃない。干し肉と比べれば保存期間は少し落ちるが10人ちょっとが食べていくには十分な筈だ」

僕は彼女の目を見て返事をする。恋華は口をぽかんと開けて僕の顔をじっと眺めていた。僕は彼女の手からひょいと肉を取り上げる。腰の刀を抜いて肉にあて、表面をするするとこそぎ落として行く。そしてそれを、口をぽかんと開けている恋華の手に戻す。

「はい。このカビは毒性は強い種類だけど、まだ肉の中までは根を伸ばしてはいないようだ。煮沸してなら食べられると思うよ。燻製窯は今度僕が作っておこう。完成したらやり方を教えるよ」

そういって彼女の頭をポンポンと叩く。すると彼女は両手で頭をババッと隠し、一目散に逃げ出した。

「あ、あれ?」

何か間違えたかな? 彼女の仕事場を無遠慮に荒らした事が逆鱗に触れたのだろうか?

僕はその場に一人ぽつんと残された。


「おい、お前」

そんな僕に後ろから声がかかる。

「一体何をした。恋華が一目散に駆けていくのを見たぞ。...あんま人の家を土足で踏み荒らすなよな」

振り向くと、そこには雛弦が立っていた。弓に弦を張り革製の長靴を履いた、狩りの為の格好をしている。

「なにか失礼を働いた覚えはないのだけど、どうやら僕は嫌われたらしいね」

「...悪いけど、お前にあいつの心を融かすのは不可能だよ。それは花御にだって出来ないんだ。あいつは決して喋らない、何年も自分の殻の中に閉じこもったままだ」

遠い目をして、駆けていく恋華を眺める雛弦。恋華の姿が見えなくなると、彼はキッと眼力を強めて僕に向き直った。

「来いよ、お前が本当に俺らの仲間にふさわしいのか試してやるよ」

そう言って雛弦は歩き出した。僕は黙ってそれに着いていった。


「錆丸、矢をくれよ。二人分で毒のついてないやつがいい」

途中、村人達に『道具屋』と呼ばれている錆丸の納屋に立ち寄って矢を調達する。矢尻は石を削った原始的なもの。矢羽はキジのものを用いており、雅な風合いを放っていた。それを持って村の出口に向かう。

「お前がただの穀潰しなのか、ちょっとは役に立つ奴なのか、見極めさせてもらうからな。花御の次の年長者は俺なんだ、俺にはその義務がある」

なるほどな。彼は子供達の先輩として責任意識を持っているようだった。あくまで花御を信用してはいるが、それでも自分の目で物事を見極め納得したい。それは実に子供らしく、しかし大事な感情に思える。

ズンズンと森の中に踏み込んでいく雛弦。僕はその後ろを追う。

彼が子供たちの保護者であると同様に、僕は彼の保護者でもある。だから僕も彼を理解しなくてはならない。その為にはいい機会だ。

「迷惑をかけるねぇ。あの子も少し複雑なのさ、少し相手してやってはくれまいか」

村の出口、夫婦杉めおとすぎの影に花御が立っていた。驚いた、この僕が話しかけられるまでまるで気配を感じなかった。こいつは一体何者なのだろう。

「俺は大した人物じゃあない。つまらない過去を持った、異人崩れの成れの果てさ。お前さんにはね、彼らの心も融かしてほしい。世界とは自分一人じゃ生きられない、それを彼らはまだ理解してはおらんのだ」

人の心を読んだかのように花御が答える。その顔は少し寂しそうに見えた。

「言われるまでもないさ」

僕は彼女の目を見て笑い、そして雛弦を追って森の深くに足を踏み入れて行った。



雛弦は狩人としては大した腕前だった。特にその弓の冴えは目を見張る程で、それはまさに達人と呼ぶに遜色のない程であった。

「違う輪廻! 森の中でそんな大きく動作するな! 動物は僅かな変化にも敏感なんだ! 上から引き降ろすのが弓の正道でも森の中ではそうもいかない、もっと締めるように引き絞るんだ!」

彼を指導するつもりで着いてきた僕だが、逆に指導される有様。武家仕込みの弓術と狩りの弓術はこうも異なるのか。

「ほら、そっちに追うぞ! 一匹くらいは仕留めてみせろよな!」

テンがこっちに向かって駆けてくる。僕が生まれてから今年で二百と云十余年。もはや背伸びをするような年頃ではない。今はただ、己の未熟を恥じるばかりだ。長生きしてもまだまだ知らない事は沢山ある。弓での狩猟もその1つだ。僕はテンの後ろ姿を眺めながらそんな事を考えていた。

「あーあ、結局お前はボウズかよ。猟も出来ないでお前ほんとに役に立つのかよ」

後ろで雛弦が立っている、ニヤニヤ笑っているのが分かる。自分の優位を感じて得意になっているのだろう。こういう所はきっちり子供だ。くすりと笑い、すっくと立ち上がって返事をする。

「すまないね。すぐに覚えるよ」

二百と云十年、ずっと学び続けた人生だった。この世は深く、人の技もまた深い。僕よりもずっと幼い彼らも、時として僕よりずっと優れた一芸を持つ。やはり人は素晴らしいのだと思わずにはいられない。


「ふーん、解体はできるんだな」

「まぁ少しはね。肉なら随分とさばいてきたよ」

僕は雛弦と並んで獲物の解体を行っていた。戦場での経験は苦い思い出ばかりだけど、こういう所で応用が効く事もある。肉を断つ経験、僕はそれを人一倍学んでいる。

獲物を肉と毛皮に分け、背中に担ぐ。そして一足先に帰途につこうとしている雛弦に僕は後ろから声をかけた。

「どこ行くんだ? せっかく上質な毛皮が取れたんだ、街に降りて金に換えようじゃないか」

「えっ、街だって?」

時期はまだ春先、里に衣服はふんだんにあるようだし、この毛皮に急ぎで必要な宛はないだろう。ならば今は金に換えておくべきだ。

しかし雛弦はどうも乗り気で無いらしく、なんだかソワソワしている。隠れ里で暮らす彼らだ。街に出れない理由があるのだろうか?

「もちろん僕とて追討令の出ている身だ。顔は隠して行くつもりだけど、何か他に気になることでもあるのかい?」

「いや俺は、その、なんていうか、......街になんて行ったことない......」

ああそうか、なるほど。それは考えてみれば当たり前の事だったかもしれない。花御が僕に頼む役割、それはつまり花御には出来ない事があるという事だ。彼女は街に降りることが叶わない。

本人は異人だと言っていたが、あの外見だ。天狗と謗られ追い立てられることは想像に固くない。

「だったら尚更だ。この世界がどういう規則で動いているのか、君は知る必要がある。そしてそれは僕の役割でもあるんだ。行こう、街へ」

僕は雛弦を伴って山を降っていった。彼は街までの道を分からないと言って駄々をこねたが、全く問題はない。何故ならこの近辺の地理なら僕にも多少覚えがあるからだ。

だってここは遥か昔、かつて僕が暮らしていた土地なのだから。





「姫御前、出立のお時間です」

「もう準備ができたの? 偉いねぇ!」


壱岐の島は小さな離島だった。その為、彼らは時として武具を含む必要物資を他国へ買い付けに行っていた。この日は月に一度の交易船の出発日であり、姫御前と呼ばれた少女はそれに付き添い街に出向く約束をしていた。

壱岐の守護代にして樋詰城城主の平景隆たいらのかげたかは賢しい男であった。そしてその娘である少女もまた賢しい女性であった。広く見識をもたせ、次代の壱岐を背負う賢者とすべく、幼い彼女に様々な経験を積ませようと、彼は彼女に多くの自由を許していた。


「姫御前ー! ご出発でございますかー!」

「おりん様ー!!」


馬に乗って城下を進むと、それを見た城民から声がかかる。彼女はそれに笑顔で答える。温厚で誠実なその気性は高貴な人間特有の奢りを見せず、広く島民に愛されていた。


姫御前、それは高貴な人の娘に付く敬称である。おりんと呼ばれた彼女の本名は、凜歌りんか。

「島のみんなは今日も真面目に元気に働いているねぇ! 私も、みんなの為に頑張らなきゃいけないね!」

彼女には一つの口癖があった。それは今よりずっとずっと昔から、魂に刻み込まれた彼女の言霊。

「うん、偉いねぇ!」


船は街に向かって進んでいく。遥か昔、かつて彼女が住んでいた街へ。

そこで彼等は邂逅する。二百と云十余年の時を超えて。


今はまだ、お互いを知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る