20☓☓年 かつて焼け堕ちた聖少女

夢を見ている。いつもの夢。

この人生において、何度目かになる夢。


薄暗く、しかし何処までも広がる空間。月一つない河原。

目の前には1本の川がそよそよと流れ、何処からともなく鈴虫の音が響いてくる。

相変わらずの寂しい空間。しかしこれが、僕の原風景となる。


「今日も居ないか...」


そうポツリと零し、僕は川辺に腰掛ける。特に何をするでもなくただぼーっと川を眺める。すると時折、川上から黒く発光する光の塊が流れてくる。ああ、今日も誰かが死んだのか。

僕は知っている。この川は、時として死者の魂が流れてくる事がある。輪廻転生の輪から外れ、救いを失った魂が。

その魂が川に揺られて下流へと流れていくのを、僕は両手を合わせて見送った。せせらぎに揉まれ、その魂の穢れを祓い、いつの日か生まれ変われる事を心から願ってやまない。


「哀しい光景ですね」


後ろから声が響く。振り向かずに返事をする。


「来てたのか時計ウサギ」

「ええ勿論」


突如、僕の背後に現れた夢の木。その木がウネウネと動き、枝の上に鎮座していた人物をスルスルと地面に降ろしていく。

タイトな黒のタキシードで全身を包んだ女性。インナーには白のブラウスを着ており、首元にはタングタイを巻いている。唇は真っ黒の口紅、頬にも黒いチーク。頭に被った黒のシルクハットにはウサギの耳が付いている。体のラインのハッキリ出たパツパツの衣装を身に纏う、官能的な女性が立っている。

彼女は自らを時計ウサギと名乗った。1000年の時を超えて、夢に住み着く魔物の類だ。


「ねぇ輪廻さん。貴方はいつわたしのモノになるんです?」


時計ウサギが僕の膝に手をかけ、下から覗き込むように僕の瞳を見つめる。まるで獲物を見るような眼。彼女の瞳はとても冷たく、およそ感情というものが感じられなかった。

その眼を真っ直ぐに見返し、僕は答える。


「ならないよ。僕は誰のモノにもなるつもりはない」

「ウフフ、輪廻さん。貴方今日、告白されていましたよね? 素直で可愛らしい子でしたのに、どうして断ったんです?」


するりと体を滑らせて、背後から僕の肩に手を置いて耳打ちするように彼女は囁く。僕は彼女をしっしと払いながら返事をする。


「おんなじ理由だよ。僕と人生を共にする人間は必ず不幸に合う。だから僕は、僕の人生を誰かに恃むつもりは毛頭ない」

「あらあら、それではどうして彼女を受け入れたのですか? あの神性を備える不思議な少女、アナスタシアを」


僕はその言葉に少しハッとさせられた。確かに、なんでだろう。

多少強引な手段ではあったが、それでも普段の僕なら無理矢理にでも突っぱねただろう。

そう悩む僕を尻目に、後ろでクルクルと廻りながら彼女は続ける。


「ウフフ。不思議がることはありません。それが貴方なのです。何だかんだと口にしても、貴方は誰かを救う事を止められない。

りんかも、恋華こいばなも、ジャンヌも、ミングランも、ガリルロッゾも皆、そんな貴方と共に生きたがった。只それだけの事ではありませんか」


僕は振り返り、初めて彼女を目で追った。

先程まではなかった月の中、月面に映える彼女と目が合った。

月に向かって夢の木がスルスルと伸びていく。


「この1000年、人に揉まれ、しかし人と共に生きて来た貴方はこの世の誰より。自らの使命に思い悩み、時としてその手に罪を犯しながらも真っ直ぐに生きていく貴方の姿に、わたしは魅せられているのです。

 しかし、それもここまで。......今、この世界に不思議な力を備えた人々が次々と現れております。貴方の1000年のが終わりを迎えようとしているのです」


スルスルと伸びた夢の木の枝が、天上に浮かぶ月に引っ掛かる。そして、夜空に浮かぶ月と夢の木は互いに引き合うように震えた。空からスポンと月が抜け落ちて来て、空にポッカリ穴が開く。落ちてきた月は夢の木に抱かれて、僕の頭のすこし上でピタリと止まった。

その月の下に時計ウサギは逆さまに立ち、僕と顔を突き合わせる。時計ウサギの両手が僕の頬にそっと触れる。

その無感情の瞳に、ほんの僅かな熱を湛えて彼女は僕に優しく告げる。



「もうこれまでのようには参りません。ただ、誰かの人生に寄り添うだけの貴方ではいられない。

 貴方はいよいよ、貴方の人生を生きる時が来たのです!」



いつの間にか僕は宙に浮いていた。月が煌々と輝く。眩しい。世界がだんだんと白んでいく。

宙に浮かぶ大きな月の上に、時計ウサギが腰掛けている。


「御機嫌よう、輪廻さん。わたしは食べる事に飽いて、食べられる事を望んだウサギ。貴方の本当の人生、本当の選択。全てわたしが見ておりますよ」





目が覚める。天気の良い、日曜の朝。

開け放たれた障子の隙間から入った日の光が僕の顔を照らしている。障子の奥、縁側にはアナスタシアが立っている。

なんだ、今日は早起きだなぁ。それとも僕が寝坊したのか?

僕はフラフラと、日の光に導かれるように縁側に出た。

目を擦りながらアナスタシアに声をかける。

「ごめんアナスタシア遅れたね、すぐに朝ごはんを作──」


縁側に出た僕は、そこに広がる光景に絶句した。

...なんだこれ。我が家の庭に今、いくつもの頭が並んでいる。

縁側の板敷きの上で、僕とアナスタシアがそれを上から見下ろしている。アナスタシアはその光景に妙に鼻息を荒くしている。


「スンマセンっしたーーーっ!」


僕が現れたのを認めると、一列に並んでいた頭が一斉に口を開く。うう、寝起きに堪える大声だ。アナスタシアが眉間にシワを寄せて、両耳を塞いだ。

アナスタシアに顛末を聞く。どうやらここ数日僕達を悩ませていた真車兄妹とその仲間達が、ガン首揃えて謝罪に来たらしかった。


僕は頭を抱えてため息をついた。こんなもの寝起きに見るような光景じゃない。右手で頭を抑えたまま、手でしっしとジェスチャーをする。

「悪いけど、全員帰ってくれないか。ああいや、幸太郎だけ残ってくれ。少しお話をしよう」

集団の中に幸太郎の姿を見つけ、声をかける。彼には聞かなければいけない事がごまんとある。

「ああ、俺もあんたと話したい事があんだ」

幸太郎が頭を上げ、一歩前に出る。

残る連中を追い返し、僕は幸太郎を家に上げた。


「おう、お邪魔するぜ!」

僅かに緊張している様子の幸太郎。彼は僕達の向かいに正座で座り、そして2分でギブアップした。うぁー!と叫び両足を投げ出しひっくり返る。

「...楽にしてていいよ」

「おう、よっしゃ!」

彼はあぐらをかいて座り込む。


さて、何から話したものか。

「まずは自己紹介をするよ。僕は御堂輪廻、こっちはアナスタシアだ。宜しく」

「俺は真車幸太郎だ。前も名乗ったよな。早速でワリぃんだけどよ先にちょっと質問良いかな」

「構わないよ。なんだい?」

幸太郎に質問を促す。幸太郎はすこし緊張した様子で必死に言葉を選んでいる。

「いや、あのよ...」

幸太郎にしては歯切れが悪い。よほど真剣な質問なんだろうか。僕は黙って続きを待つ。少しの間の後、彼はキッと覚悟を決めた顔になり机をバンと叩いてこう言った。


「俺の花音の、一体どこがダメなんだ!?」


僕はズルリと崩れ落ちそうだった。頭を抱えて眉間にシワを寄せる。ここまで待たせて出てくる質問がそれか。呆れる僕の隣でアナスタシアが僕をじっと見ている。

返事に困る僕の前で、幸太郎が捲し立てるように花音の魅力をアピールする。


「兄の俺が言うのも何だが、あれで中々気立ての良い奴なんだ花音は! 何だかんだ優しいし、笑顔が可愛くて、ちょっと奔放な所があるけどそこがまた可愛いと言うかな! ツンケンしてる癖にたまーに甘えてきた時の愛らしさが堪らない奴で、目に入れても痛くないってのはこういう事を言うのかって感じで! ハッキリ言って、オススメです!」


バッと頭を下げて、右手を突き出す幸太郎。

僕は頭を掻きながら返事をする。

「君がいい兄貴なのは良く分かった。でも悪いけど、受け入れる事はできないよ」

「どうしてです?」

隣で僕をじっと見つめていたアナスタシアが質問する。

僕は彼女に向き直り、答える。


「...君も分かっているだろうアナスタシア。僕と人生を共にする人間は、みんな不幸になるからだ。丁度いい幸太郎、君にも話しておくよ。僕のこれまでの人生を。少し荒唐無稽な話になるけど聞いて欲しい」


僕は改めて語った。僕のこれまでの1000年を。

犯してきた罪も、為さねばならぬ使命も。包み隠さずその全てを──。


全てを話し終えた後、幸太郎は心底驚いたと言った顔で固まっていた。そしてうんうんと考え込み、ポンと手を叩いて結論を出した。


「でもそれってつまり、お前は困っている人を救う神様って事じゃねーか!」

またそれか。違うってば。

「そうです!」

アナスタシアがふふーんとふんぞり返って得意げにする。

違う!


なんで君たちはそうなんだ。今しがた、1000年間碌に人助けなど出来なかったと語ったばかりなのに。

不満げに眉をしかめる僕。

その僕にアナスタシアがくるりと向き直り、そしてニッと口元に弧を描く。


「でも輪廻、私は貴方に会えて幸せでしたよ」


──僕は。

僕は、この時どんな顔をしていただろうか。自分でも分からない。

僅か十数日の付き合いの中で、既にいくらかの不幸を負った彼女からこんな台詞を聞くとは思っていなかった。

そうか。と軽く返事をして、顔を伏せる。


バカだな僕は。こんな事で、何かに救われたような気持ちになるなんて。





僕達は話し合いを続ける。


「幸太郎、今度は僕から質問だ。君も天啓を受けたね。それによって得られた【奇跡】について、具体的な状況や能力を教えて欲しい。

 ...うん、そうだな。その為にもまずは僕達の起こす【奇跡】を見せようか」

僕は袖をまくり腕輪を見せて、それをボコボコと変形させてみせる。アナスタシアは湯呑を逆さまにして、垂らしたお茶をそのまま剣に変えた。


「僕は直接手を触れて、僕の神性を流し込んだ物体の形を変えることができる。そうして形を変えた物体は僕に限り重さを無くし、質量の範囲で伸縮自在だ」

腕輪の上にボコボコと木を生やしていき、手首の上に盆栽を作り、そしてまた腕輪に戻す。小さく出来る下限は大凡この辺りになる。


「私は手で触れたあらゆる物体を剣に変えることが出来ます。変えた物体は元の性質をそのまま維持し、また自在に元の形に戻す事ができます」

背筋をぴしっと伸ばしたまま、剣に変えたお茶をチューチューと吸い、柄だけとなった剣を湯呑に戻した。

......うーん、こんな全く品のない行いも、彼女がすると何となく華があるから本当に不思議だ。洗練された所作のせいだろうが、全く中身と伴っていない。


僕達の【奇跡】を見て、幸太郎はほほーと感心していた。

そして右手をすっと上げて説明を始める。

「あー、俺はついこないだ変な夢を見てな。なんか神の力になれとかなんだとか言われる夢なんだが、それ以来手の触れた物体の一部を回転させる事ができる」

幸太郎が掲げた右手を机に置くと、机の中心がグルンと回転し、その上に置いてあった湯呑が弧を描きながら吹っ飛んでいった。かしゃーんと音をたてて湯呑が割れ、お茶が溢れる。

僕とアナスタシアがガタンと立ち上がる。


「わー! 待て待て待て! 悪かったワザとじゃねぇよ!」


僕は鬼の形相で、台所脇の雑巾とチリトリを指さした。


部屋の隅で片付けをしている幸太郎を横目に、僕はアナスタシアと相談をする。

「やはり、こうも立て続けに啓示を受けた人間が現れるなんて明らかにおかしい。啓示を受ける事もそれにより【奇跡】を授かる事も、本来そうそうある事じゃない。それもこんな、ちょっと祈りを捧げただけの人にだと言うなら尚更だ」

「私のように殺意に支配されたって事もなさそうでしたね。神託の深さによる差でしょうか?」

「わりぃ、ゴミ袋ってどこ?」

「台所の脇!」


幸太郎に向けて、僕は大声で答える。

気を取り直してアナスタシアに向かい、話を続ける。


「かも知れない。だが問題はやはりその頻度だ。明らかに意図がある。

 恐らくはこれで終わりじゃない、他にも居るだろう。中には君のように殺意を植え付けられた人も混ざっているかも知れない」


それを聞き、アナスタシアは何事か考え込む。そして小さく疑問を口にした。


「輪廻、私にはやはり分かりません。どうして貴方がその命を狙われているのですか? 長く生きる事がそんなにも罪な事なのでしょうか?」

「...罪なんだよ。僕たちに限ってはね」


空気がしんと沈む。そこに、全く空気を読まない男が陽気に割り込んできた。

「うっし! 掃除完了! いい時間だしそろそろ飯にしねーか? ハラ減ったぜ俺は。台所借りていいなら俺作るぜ!」

僕はぎょっとして聞き返す。

「君、料理作れるのか?」

「おう勿論だ! 花音の飯だって、割と長いこと俺が作って来たんだぜ!」

驚いた。人は見かけによらないモノと知ってはいたが、料理も片付けも出来るなんてアナスタシアよりずっと上等じゃないか。僕は隣の最も見かけによらない奴を眺め、わざとらしくため息をついた。アナスタシアは何故か得意げににんまりと笑った。


少しして、僕たちの目の前に蕎麦が運ばれてくる。なるほど、それを見つけたか。何を隠そう僕はかなりの蕎麦党だ。常に各地方の生麺を複数ストックしてある。こんな物を生み出した人間という奴等はやはり素晴らしいと言わざるを得ない。

しかし──。

「それだけに僕のチェックは厳しいぞ」

「ふふん、まぁ食ってみてくれ!」

ほほう随分と自信満々じゃないか、いいだろう。箸を掴み、蕎麦をつゆにつけてつるりと麺を口にする。...これは!


「...茹で加減が抜群だ。細切りながらコシのある歯ごたえ、箸さばきもいい。のどごしは小粋で清冽せいれつだ。そして何よりこのつゆ、か・え・し・が違う! さては、僕が普段使っている醤油じゃないな! 幸太郎、君は何をした!」

「ふっふっふ、お目が高い。かく言う俺もかなりの醤油党でな。こいつは秘蔵のたまり醤油を使ったものさ! 代々伝統的な味噌作りをしてきた蔵の、赤味噌の旨味のみが凝縮した至極の醤油だ!」

そう言うと、彼はスボンのポケットからマイ醤油を取り出しまざまざと見せつける。

「幸太郎、君は!」

僕は立ち上がり、幸太郎と固く握手をする。

そして握手をしたまま、二人でバッとアナスタシアを見た。


彼女は自分の蕎麦をもっちゃもっちゃと食べながら、ヒョイヒョイと僕たちのザルからも蕎麦をつまみ口に運んでいた。そして僕たちの視線に気づくと、ざるを突き出しこう言った。

「まぁまぁでしたね。おかわり下さい」

この日ほど、僕は彼女に怒りを覚えた日はなかったかもしれない。





部屋の隅でアナスタシアが渋い顔をしながら正座している。頭には小さくコブができている。

「ところで幸太郎。君の知り合いで、この近くに住んでいて、かつ十字架とか神様とかに祈ってそうな若者は居ないか? 啓示を受ける可能性がありそうな人だ。君は僕達より顔が広そうだし、どうかな」


僕は先手を打って啓示を受けた人達に接触を図ろうと考えていた。こうも度々襲われてはたまったものじゃないし、自らと彼らの安全の為にもやはりそうするべきだと思う。

幸太郎は顎に手を当ててうーんと悩む。

「いやぁ居たかなそんな奴。分かると思うが、俺の知り合いにそんな信心深そうな野郎なんてそうそう...? 

 ──いや、一人心当たりがあるぜ! 年下の女でちょっと変な奴なんだが、いっつも黒い服着て十字架掲げて、神がどうたら歌っている奴だ!」


それだ! 僕はピーンときた。

啓示を受けた人間の特徴として、彼らにはいくつかの共通項がある。10代半ばの若者で、神に纏わる何かが側にあり、そして独特の雰囲気を備えている。サンプルが少なすぎてこれ以上の条件は絞りきれないが、聞いた限り可能性はあると言えるだろう。


「そいつとはどこに行けば会える?」

「おう行くか! 丁度今日がライブの日の筈だ、俺が紹介してやるよ」


......ん? ライブ?

なんかちょっと、違和感のある単語が聴こえた気がするぞ。





『God is dead! An angel fell to the ground!

 神なんざいねぇ! 世界は暗闇! 俺達は眼を瞑って歩く羊の群れ!』

『you are deae!』『you are dead!』


ステージの上で、黒いパンク衣装に身を包んだ若い女性がギターを奏でて暴れ回っている。そのステージの足元にオーディエンスが殺到し、頭をブンブン振り回して何事かを喚いている。

その最も最後尾で、僕たち三人は並んでステージを眺めていた。

「なぁこれって...」

「な? 神がどうとか言ってるだろ? それにほら」

そう言って彼はステージの上、壁面の装飾を指差す。そこには逆さまになった十字架が無造作に吊るされていた。

「ああ確かに十字架ですね。ひっくり返ってますけど」

アナスタシアが額に手を当て覗き込むように見る。


呆れた。これはむしろ真逆じゃないか。

退廃的音楽として若者に人気のヘヴィメタル。攻撃的な音楽性の目立つそれはむしろ、神への冒涜的な意味合いを強くしている。

それ故の逆十字。まぁこれは聖ペテロ十字、カトリックのシンボルの一つでもあるけど。


信じた僕がバカだった。僕は肩を落とした。

付き合いは短いが、こいつがどんな奴かはおおよそ分かってるつもりだったのに。

とはいえ来てしまったからには仕方ない。せめてライブを楽しもうと、目を瞑って音楽に耳を澄ませた。

ん? なんだか聞き覚えのある声がする。ずっとずっと昔、さんざ聞かされた声と同じ。懐かしい響きが耳にこだまする。

これは、まさか──!


顔を上げる。ステージでギターを掻き回し歌い狂っている少女を眺める。

全身黒尽くめの少女。黒い鉄檻のような網々の靴に、黒のニーハイソックス。エナメルの黒いホットパンツに、黒のタンクトップのヘソ出しルック。そのタンクトップからは黒い片翼が生えている。首元には勿論黒のチョーカー。両手もこれまた黒いレースの手袋を付けていた。肌は透き通るように白く、黒い衣装と相まってそのコントラストが良く映えた。

髪も白く染めたボブヘアー、後頭部で少し髪を束ねており毛先がピンと跳ねている。頬には黒い羽をかたどったフェイスペイント。

それのお陰で、パッと見では分からなかった。

しかし、その魂を見れば彼女が何者なのかは明らかだった。


「──ジャンヌ、君はついに生まれ変われたんだな」


600年程前、僕は彼女と共に生きた事がある。英雄と呼ぶには若すぎた年相応の少女。狂信的なまでの信仰を備えそれ故に無鉄砲で奔放だった彼女は、当時僕が牢に囚われている間に神の裏切りによって非業の死を遂げた。


彼女の名は【ジャンヌ・ラ・ピュセル】。

現代で言うところの、【ジャンヌ・ダルク】だ。


神を誰よりも信奉し、そして神に裏切られ魂を穢した彼女。

それ故、一度は輪廻転生の輪から断ち切られた彼女。

あの夢の川で彼女の魂を見つけた時、僕は初めて心から自分の運命を呪い、神を憎んだ。


そんな彼女が、そうか、遂にか。


「まぁ一転、僕と同様の神嫌いに落ち着いたようだけど」

それも仕方の無い事だろう。生きたまま焼かれる苦痛を、僕はよく知っている。


「おう、そろそろライブが終わるぜ。控室に行こうや、俺は顔パスで通れるからよ。会うんだろ? あいつに」

そうだな。会ってみよう。

かつて、確かに神の恩寵を受けた彼女だ。一度は堕落した彼女の魂にもはや啓示が下ることは無いだろうが、合う価値はある。



実際のところ、印象深い彼女との久しぶりの再会に僕は少しだけ心が踊っていた。

勿論、彼女は僕の事など覚えてはいないだろうが。


少しだけ会って、元気を確かめたらすぐ帰ろう。

彼女の人生にもはや僕は必要ない筈だ。


彼女には今生こそ、平穏で退屈な一生を幸福に過ごしてもらいたい。

僕はそれを、心から願ってやまない。

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