三章
20☓☓年 廻る車輪の真ン中に
──20☓☓年、現代──
俺は怒った。
普段からよく怒る方かも知れねェが、今回ばかりは本気で怒った!
俺の一等大事な宝物。可愛い妹、気の置けねぇ友人、頼りになる仲間達。そういう奴等を傷付けられて、黙っていられる俺じゃねぇ。
俺は昔から、納得の行かねェ事には真正面からぶつかってきた。
どんなにデケェ奴が相手でも怯んだ事はなかった。
這ほう這ほうのていでアジトに逃げ帰ってきたアイツらを見た時の、俺の気持ちが分かるか?
目に入れても痛くない妹がぐったり倒れていた時の、俺の気持ちが分かるのか!?
何が起きたのかは知らねぇ。でも良い事が起きたとは思えねぇ。俺は感情の赴くままに、スケボー担いで駆け出した。絶対にこんな真似した野郎を許さねぇ。必ず俺がとっちめてやる!
そして今、俺は知らない街で一人、ぜぇぜぇと肩で息をしている。
名前、聞いてねぇ。特徴も。ここは何処で、野郎は誰なんだ。
仕方無しに、とりあえずコンビニに入ったが驚いた事に財布もねぇ。
俺は完全に途方に暮れていた。
「違う違うアナスタシア! 現代戦においては被弾面の大きさは致命的なんだ。背筋をそこまで真っ直ぐ伸ばすな! 腰を少し落として若干前屈み気味に構えろと、何度も言っているだろう!」
アナスタシアの腰と左手に手を置き、ぐっと力を込めて矯正する。
「ひゃっ。あまりベタベタ触らないでくださいませんか」
「君が口で言うだけですぐに理解できるような人ならね。ほら続けて」
アナスタシアは顔を赤くしながら、口をきゅーっと結んで素振りを続ける。覚えは決して悪くはないが、幼い頃から染み付いた剣道の型を崩すのは並大抵の事じゃない。随分と苦戦しているようだった。
「君の剣の型はとてもキレイだ。姿勢も振る舞いも目を見張る。良い指導を受けたのだろうね。
でも実戦としての剣術には少し足りない。要は脚だ。早く巧みに動ける体重移動と、それを誤魔化す足捌きをまずは身につけるんだ」
「はい!」
淀みのないいい返事。これならすぐに彼女は上達するだろう。
『輪廻、私は貴方になりたい』
あの約束の日から数日。雲一つない青空が眩しい土曜日。
体調の戻った彼女に僕は庭で剣を教えている。彼女が何よりまずそれを学びたがったからだ。
アナスタシアにとって、剣を教わるということは特別な意味合いを持つらしい。彼女は一本の抜き身の刀のような女性だ。その佇まいは鋭くも凛々しく美しい。彼女の中心には剣がある。
さながら日本刀の如く、叩くほど靭性を増していくかのような彼女への指導はなかなかに心が踊った。ここまでの素材を作り上げた今は亡き彼女の父。名も知らない彼を僕は少し尊敬している。
「アナスタシア、病み上がりなんだ。今日はそのへんにしておこうか。東京に来てまだ間もないだろう。折角の休日、僕が街を案内するよ」
アナスタシアの剣がピタリと止まる。しててててっと小走りで部屋に駆け上がり、それから10分とせずに着替えを済まし鞄をかけて現れた。
「行きましょう輪廻」
キリッとした笑顔で彼女は答える。
...おい君、さては最初から準備してたな?
2つ隣の街の寂れたボウリング場。そこに、ガラの悪い男達が集団でたむろしている。その中に、なんだか具合の悪そうな少女が一人、扉を開けて入ってきた。
彼女の名前は
「うーす。あれ? 兄ちゃんは?」
「ちっす花音さん、コーさんなら外っすよ。どこ行ったかは知らねっす。こないだの俺らの話聞いたらなんかスゲー勢いですっ飛んで行ったッスよ」
それを聞き、少女は左手で頭を抑えながら眉をしかめる。
「何それ。なんの話したわけ?」
「いやこないだの話っすよ。花音さんが男に攫われかけて俺等で取り戻したっていう。武勇伝、みたいな?」
「はぁーーー?」
花音が驚愕する。なんだそれ!
あの女はともかく、御堂さんがそんな事するわけ無いじゃん!
私ちゃんと覚えてんだけど? 炎の中目が覚めて、煙の吸い過ぎで身動きが取れなくて、怖くて怖くて。バカやって火事に飲まれて、死にかけた事。
その後の事だってちゃんと聞いてる。気を失った私を御堂さんが担いで連れ出してくれたって事! きゅーん!
なのに、そのホラ話を聞いてあの馬鹿兄ちゃんがすっ飛んでいったって、それどういう事? 決まってる、御堂さんを探しに行ったんだ! ありもしない仇討ちの為に!
「何が武勇伝だこの馬鹿! 行くよ、兄ちゃん探しに!」
目の前の男をポカリと叩いて引っ立てる。
ほんとにあの馬鹿兄ちゃんは! 過保護で過保護でイヤになる! 人の事となるとすぐに目の色変えて、面倒くさいったらありゃしない!
...でもあの馬鹿は、喧嘩だけはホントに強い。それこそ馬鹿みたいに強い。
あげくに何だかヘンな力まで持っている。
急がないと! 御堂さんが危ない!
花音は外へと駆け出した。
「60点ですね」
カフェでチョコレートムースパフェを食べながらアナスタシアが何事か採点をつける。
「なにが」
「お店のチョイスでしょうか」
ああ僕への採点だったか。なんだこいつ。
「悪いわけではないのですけど、どうしても花音と比べてしまいますね。いえあの子は大したものでした」
左手で頬を撫でつつ、右手でサンドイッチつまみながらしみじみとアナスタシアは思い耽る。花音、彼女は僕と同じクラスの女の子。アナスタシアは以前彼女と遊びに行き、ちょっとした事件に巻き込まれていた。
そういえばあの日の出来事を僕は全て聞いてはいなかったな。
「結局あの火事は何が原因だったんだ?」
「花音が落っことしたタバコが火元ですね。遊びに誘われたのは口実で、内心私をイジメてやろうと考えていた彼女にあのカラオケ店に連れ込まれたのです。返り討ちにしましたけど」
カラオケ店? あのビルは確か......、いややめておこう。今は不良がたむろするだけのただの廃ビルだ。
「会ったばかりで何でもう嫌われているんだ?」
「彼女は貴方に憧れているのですよ」
スパゲッティをクルクルと食べながら彼女が答える。そうなのか、じゃあこれも僕が引き起こした不幸だったのかもしれないな。ふと考え込む僕。その目の前で、彼女はスッと華麗に手を上げた。
「すみません、日替わりカレーセットを」
「待て待て待て」
どれだけ食べるつもりだ、我に返って彼女を止める。どうも彼女は食べられる機会に食べ続ける傾向がある。ただでさえ一人分の出費が余計に嵩んでるというのに、こっちだって余ってるわけじゃないんだぞ。
メニューを取り上げて店員を追い返す。
彼女は絶望したような顔でこちらをジッと見ていたが、僕は断じて見ないフリを通した。
見知らぬ街で、金なし友なしケータイなし。それがこんなに寂しいもんとは知らなかった。
自分が何処にいるかも分からず、でも金がねェから何にも出来ずに座ってる。怒り心頭飛び出した手前、空手からでで戻るのもバツが悪ィし一体俺はどうすりゃいい? 野郎の方からひょっこり現れてくんねぇかな......。
「ありがとうございましたー!」
目の前のたい焼き屋から、元気の良い接客が聞こえてくる。
あー、たい焼き美味そうだ。腹減ったなぁ。
ボーっとたい焼き屋を眺めながら、なんとはなしにポケットの中をゴソゴソと探る。するとなにか硬いものが指に触れた。
......ッ! この感触は、硬貨だ!
100円くん! お前、俺のもとに残っていてくれたのか!
俺は嬉しさのあまりに駆け出した。
そして今、俺の手には3円とたい焼き(あんこ味)がある。俺はいよいよへたり込んだ。自分の無思慮さがイヤになる。
100円あれば公衆電話で仲間に連絡もできただろうに。俺はカスタード味が好きなのに。
道端に座り込みたい焼きを齧る。
...いや、たまにはあんこも悪くはねぇな。
「輪廻、見てください。明らかに困ってる方が居りますよ」
会計を終えて店を出た所で、アナスタシアが何事かを見つけて僕の裾をクイクイと引っ張る。彼女の視線の先には、なるほど見るからに落ち込んで項垂れている大男が居た。
「だからどうしたって言うんだ」
「いいえ、でも困ってる方が居りますよ」
アナスタシアが何かを期待したような瞳でこちらを見ている。
どうも彼女は、僕が困ってる人を救う神様だと本気で信じている節がある。今朝もテレビで、最近妙に増えた凶悪犯罪の特報を見ながら横目でチラチラとこちらを見ていた。
あの時は無視を決め込んだが、いざ困ってる人を前にこの視線をやり過ごすのは中々バツが悪い。
彼女の期待に恐らくは応え続けてきたであろう、今は亡き彼女の父。名も知らない彼を僕は大分尊敬している。
「...話を聞くだけだよ」
「はい!」
いい笑顔で大きく頷くアナスタシア。
僕は項垂れている彼に近付き、声を掛けた。
「随分と落ち込んでいるみたいだけど君、どうかした?」
「あぁ?」
声をかけられた男が顔を上げる。口元にあんこをつけた、10代後半と思しき男性。彼は独特の雰囲気のある男だった。
身長は恐らく180代後半、体重も100kg近くありそうな筋肉質な肉体。下向きのツンツンヘアーで両耳にピアス。首にはアクセサリーをかけており、両手首にはリストバンド。半袖のパンクなTシャツと妙にポケットの多いズボンを履き、腰にはチェーンをジャラジャラと巻いている。上向きに開いた左手には1円玉が3枚、右手にはスケボーを抱えていた。
端的に言って不良といった外見。しかし、どこか懐かしさを感じさせる。
「いや別に何でもないなら良いんだ、それじゃ」
声はかけたのだから文句はあるまい。そそくさと帰ろうとする僕を、彼は後ろから呼び止めた。
「あ、いや待ってくれ! お前この辺のやつか? なら悪ィんだけど教えて欲しいことがあるんだ。俺は真車まぐるま 幸太郎こうたろう、この辺りで火事のあったビルを知らねぇか?」
僕は、内心ぎょっとした。火事のあったビルを探す、真車という性の男。
恐らくはこの男、真車 花音の兄だろう。となれば、それを探している理由と言うのも多少検討がつく。
まったくなんてヒキだ。僕は横目でアナスタシアを見る。口をキュッと結んで冷や汗を浮かべている彼女が見えた。
「いや知らないな。それがどうかしたのか」
「そうか。いや知らないなら良いんだ」
僕はとぼけた。こんな奴はとっとと追い返すに限る。
「この辺に来るのは初めてかい? なら、良ければ道案内くらいはするよ、駅まででいいかい?」
「いや! いや、そうだな...。すまねぇ頼むわ。渋谷くらいまで出られれば後は分かると思うんだけどよ」
「分かった渋谷だね、それならこっちの道を道なりに進めば近くまで出る。案内するよ」
そう声をかけ、アナスタシアに帰るよう「しっしっ」と手でジェスチャーをする。それを見たアナスタシアは小走りでこっちに駆け寄ってきた。違う違う! 逆だ!
確かに「こいこい」に見えなくもないジェスチャーではあった。まぁ来てしまったものは仕方が無い。
今更追い返すのも彼の目に不自然に映るかもしれないし、とっとと案内を済ませて帰るとしよう。
先導しながらいくらか歩く。彼は道すがら、長い事寂しい思いでもしたのだろうか。留まる事なくべらべらと喋り続けた。
「俺には可愛い妹がいてよー、いっこ下なんだけどよー、もう目に入れても痛くない位でそらもう可愛くてよー。花音って言うんだけどよ、可愛い名前だろー? もう名前まで可愛いんだ!」
ん、やっぱりね。横目でアナスタシアを見る。彼女は依然、口をキュッと結んで固まっている。
「昔はもうちょい大人しくて可愛いやつだったんだけど、反抗期って奴なのかな? 最近は俺のマネして可愛くもやんちゃし始めてよ。こないだなんか吸えもしないのに、タバコ構えてカッコつけてんの。可愛いけど、女の子がタバコなんざ良い事ねぇから辞めろっつっても聞きゃしねぇんだ」
「それは心配だな。さっきビルがどうって言ってたのもその子絡みなのかい?」
それとなく探りを入れてみる。
「そうそう、そうなんだよ! こないだ俺のチームの連中引っ立てて何か計画してるのは知ってたんだけどよ。何日か前にそいつ等が気ィ失ったまま戻ってきて、あげく花音までグッタリしててよ、もう心配で心配で俺ァ死ぬかと思ったよ!
一人に話を聞いてみたら、ガイジンの女と色白の男にボコられて、あげく火まで放たれた所を間一髪取り返したんだって言うんで、俺ァもう頭に来てね! 俺の可愛い妹に手ェ出して、覚悟出来てんだろうなって話だよ!」
滅茶苦茶な伝わり方だ、これは完全に敵だと思われてるな。幸い具体的な特徴までは聞いていないみたいだが、やはりアナスタシアだけでも無理にでも帰しておくべきだった。
「そういやアンタら、聞いてた話の奴等とちと似てんな」
それを聞き、少し身構える。
「......アッハッハ! 心配すんなよ! 俺が探してんのはもっと凶悪な二人組だからよ! お前らじゃねぇーよ!」
バシバシと肩を叩かれる。バカでよかった。
「じゃあ、後はこの道をまっすぐ行けば駅前に着くはずだから」
「おう! 世話になったな!」
手をブンブンと振って歩き出す花音の兄。それを見送る僕にアナスタシアがこっそり耳打ちする。
「輪廻、私達のことちゃんとお話したほうが良くないですか? 追い返してもきっとまた来ますよ」
「今話せば確実に争いになる。彼を徹底的に殴って終わりにするのもアリだけど、悪いやつでは無さそうだし少し気が乗らないな。今は帰して、仲間達から事の顛末をきっちり聞き出して貰った方がいいんじゃないか?」
「ちゃんと説明すればきっと解って下さいますよ。花音に任せてもきっと彼女は私達の事を悪しざまに伝えますよ」
まぁ君はあの子のこと普通にぶん殴ってるからな。
個人的に、勝手に解決する余地のある問題は先送りするに限るのだが。
「...分かった。そうしよう」
僕も一枚噛んでいるとはいえ、これは彼女から始まった問題だ。今回は彼女の意思を尊重しようと思う。
僕は息を整えて、彼の背中に声をかける。
「真車幸太郎!」
「んー? なんだー!」
背中を向けたまま、手をひらひらと振って彼は返事をする。
「...黙っていようかと思ったけど話すよ。君が探している二人組、それは多分僕達の事だ」
彼はピタリと足を止める。彼が先程まで湛えていた陽気な空気がなりを潜め、場にピリピリと緊張が広がっていくのを感じる。
幸太郎は背中を向けたまま振り向きもせず、ゆっくりと口を開いた。
「......それ、マジか?」
「本当だ。でも聞いてくれ、これは君の思ってるような話じゃーー」
バァン!!
僕が言い終わる間もなく、左手側のブロック塀に彼は拳を叩きつけた。ブロック塀がひしゃげる音が響く。
(やっぱり無茶だったか...)
そう思った次の瞬間、僕は目を疑った。
彼が拳を叩きつけたブロック塀が、まるで断ち切れたかのようにズルリとズレるのを見たのだ。そのままブロック塀は回転扉のように動き出し、その一部が高速で僕に迫った。
ドォン!! と大きな音を立てて小路の逆側のブロック塀に、動き出したブロック塀が衝突する。虚をつかれながらも僕は間一髪、後ろに跳ねて難を逃れた。
これは......!
ギャリギャリギャリ!!
ブロック塀の向こうから何かが削れるような音が響く。ブロック塀で視界が塞がれているから分からないが、壁の向こうで何かが起きている!
「アナスタシア、離れろ!」
指示を出し、音を警戒しつつ身構える。音がどんどん大きく迫る。
何かを削るような音が最高潮に高まったその瞬間、ババッとブロック塀の上からスケボーに乗った幸太郎が現れる。響いていたのは、スケボーでブロック塀の上を滑った音?
スケボーの車輪は超高速で回転している。なるほど、少し読めてきた。
彼は恐らく──。
「このクソッタレ野郎がァああ!!」
大声で激高する幸太郎。
彼は僕の頭上でスケボーを右手に持ち替え、僕目掛けて空中で廻し蹴りを繰り出す。僕はそれを目で追い、腰をかがめて避ける。今度はこっちから反撃を──!
そう思った次の瞬間、幸太郎は蹴りの勢いで一回転し、そのまま右手に掴んだスケボーで殴りかかってきた。
スウェイバックで上体を逸らす。しかし避けきれず、当たる瞬間に首を大きく回して衝撃を逸らす。頬に擦り傷が残る。実に無軌道な戦い方。
今回の人生において、怪我をしたのはこれが初になる。
「──やるね」
頬を拭い、上体を戻して彼にグッと詰め寄る。彼は後ろに大きく下がりつつ、今度は足元の道路をドンと蹴った。すると道路がアスファルトの下の土ごとぐるりと回転し、僕の目の前に大きなアスファルトの壁が出来る。足元の地面が下がって行く。
(うん、やはり間違いないな)
そしてそのまま半回転した地面は地上で山となって止まり、僕は地面の下、先程まで道路があった筈の空間に閉じ込められた。
「...貴方も啓示を受けたのですね幸太郎。私と同様、信仰心があるようには思えませんが」
アナスタシアが口を開く。幸太郎が答える。
「あ? この力の事を言ってんのか? つい最近、偉そうな奴がグダグダ喋る夢を見てな。そっからだ。朝起きたら色んなもんが廻ってやがった。なんて名前の野郎だったか忘れたが、この力はテメェ等みたいなクズを懲らしめるのに重宝するぜ」
両手をブラブラとさせて近付く幸太郎をアナスタシアが警戒する。
左手に空気の剣を作り、腰を落とした前傾姿勢で剣を構える。
「人の妹を襲った落とし前、つけてもらうぜ!」
幸太郎が叫び、アナスタシアに向けて駆け出す、その瞬間!
ドォオオン!!と轟音が響き、突如幸太郎の後ろから生えた木がアスファルトごと地面を吹き飛ばした。
「輪廻!」
アナスタシアが叫ぶ。地面を吹き飛ばした木がパックリと2つに割れ、中から輪廻が現れる。彼は木を木刀の形に纏め、幸太郎に向けて宣言する。
「ゾフィエル。それが君に啓示を与えた主の名前だ。そうだろ?」
それは天使の第三階級、座天使スローンズを率いる天使長。無数の眼が付いた燃え上がる車輪の姿を持つ天使。彼の起こす【奇跡】、それはすなわち車輪の如く「万物を回転させる力」──。
恐らくはそんな所だろう。
カラクリが分かれば恐れる事はない。僕は大股で彼に詰め寄って行く。
「な、なんだテメェは!!」
幸太郎が動揺しつつ、壁に手をつく。回転して襲いかかってくるブロック塀を、僕は一太刀の元に両断した。
勢いをつけて飛んでいくブロック塀。その隙間を縫って彼に近づく。彼の苦し紛れの右拳をくぐる様に避け、懐に入り込んで木刀の腹で横薙の一閃を放つ。
「がぁっ...!?」
その小さな悲鳴ごと、僕は彼をブロック塀に叩きつけた。そして木刀から根を生やし、そのまま彼をブロック塀に縛り付ける。
幸太郎は驚きで声も出せずにいた。
「......話を聞く気がないなら仕方が無いね。僕はこれから君が泣き出すまで君を殴る。君が惨めに泣くまでだ。二度と僕たちに関わりたくなくなるようにね」
一歩前に出て、幸太郎の正面に立つ。彼の顔に明らかに緊張と恐怖の色が走る。
僕が拳を握り一歩を踏み出した、その瞬間。
「あーーーーーっ! やっとみつけたーーーーーッッ!」
大きな声がその場に響いた。聞き覚えのある声。
アナスタシアが大きく反応して振り返る。花音だ。彼女が少しフラつきながらも現れた。
幸太郎を拘束していた根を引き剥がす。彼は地面にヨロヨロと倒れ、そのまま地面に手をついて浅く息をしている。
「なになに、これ!? 一体どういう状況?? 兄ちゃん大丈夫?」
「花音お前、こっちに来るんじゃねぇ!」
駆け寄ってくる花音に向けて幸太郎が絞り出すように叫ぶ。忠告に構わず花音は幸太郎の隣まで寄ると、一切の躊躇なく彼をぱしーんと引っ叩いた。迷いのない、洗練された動き。
「良く分かんないけど、どうせ兄ちゃんまたやったでしょ!! あたしにいちいち干渉すんの止めてって言ったよね!?」
目を白黒させる幸太郎。うっかり後ずさりする僕とアナスタシア。
「え、いや、だって俺は」
「この人アタシの恩人なんだよ! バカやって死にかけた私を助けてくれたの、わかってる!? それなのに兄ちゃん何やってんの!!」
目を丸くし、バッと首だけでこちらに振り返る幸太郎。
「いや、まぁ少しね」
勢いに圧されつつ僕は答える。アナスタシアが私は? って顔で自分を指さしている。
僕の返事を聞き、バッと花音に向き直る幸太郎。
「いやそんな、だって俺、てっきり、お前が心配だったから」
冷や汗を浮かべる幸太郎。言い訳にもならない言い訳を重ねるその姿を見て、花音は頭を掻きむしりながら叫んだ。
「あ〜〜、もう! だからそーいうのが嫌だって言ってんの!! アタシはもっと自由に生きたいの!! イイ男見つけてラブラブしたら、そう言うの無くなるかと思って頑張ったりもしたけど、もうほんといい加減にしてよ!! アタシは兄ちゃんのド・レ・イ・じゃないってゆってんの!!」
......不憫だ。少なくとも幸太郎の妹への愛情は本物だった。それだけに今の彼の落ち込みようは察するに余りある。
花音、彼女は自由をこよなく愛する少女。前世で、そうなるに足る何がしかの出来事があったのかも知れないが、それ故に兄の過干渉に強く反発している。
愛情が常に報われるとは限らない。僕は心から同情した。
花音がくるっとこっちを向く。そしてしずしずとお詫びをして来た。
「ごめんなさい御堂さん。兄が大変ご迷惑をかけました」
「いや、気にしなくていいよ...」
むしろ、あそこで地面に手をついて俯き震えている君の兄にこそ、優しい言葉を掛けてやって欲しい。
「あと、えっと、その......、もう一つなんですけど......」
モジモジしながら花音が何事かを言おうとしている。
そして覚悟を決めたように、バッと頭を下げて右手を付き出した。
「第一印象から好きでした! 私と付き合って下さい!」
「いや、ごめん...」
突然の告白。そしてお断り。
花音の後ろで、幸太郎が泣いた。愛する妹の告白と失恋を目の前で見せつけられ、地面に手をつきむざむざと泣いた。
何もせずとも彼が泣き出したおかげで、僕は彼を一度も殴らずに済んだのだった。
「ところで聞いておきたいんだけど、君はどうして啓示を受けれたんだ? 神性を持つわけでも、神への祈りを捧げるようなタイプでもないだろう」
あちこちから泣き声の響く地獄絵図の中、僕はどうしても気になっていた事を聞いた。うぉおおぉぉ...、と男泣きをしていた幸太郎は首だけをこちらに向けて嗚咽とともに答える。
「知らねぇよそんなん......。祈りったって、俺が持ってるのは精々この、十字架形どったシルバーアクセくらいだぜ」
それを聞き、座り込んでひーんひーんと泣いていた花音が、泣きながら会話に入ってくる。
「...あ。それ、あたしがあげたやつ。学校入ったとき貰ったの。......あたし興味なかったし、兄ちゃんそういうの好きかなって思って」
「...ああ、だから俺は嬉しくてよ、それ以来風呂の時だって肌身離さず身につけてるよ」
幸太郎が泣きつつも感極まったように、胸元の十字架を掴んで何かに思い耽っている。
......学校入った時に貰った、十字架の形のシルバーアクセだって? 僕は思い当たるフシがあり、彼の胸元のシルバーアクセ(?)を手に取りマジマジと眺める。
ああ、やっぱり。
「呆れた。これはシルバーアクセじゃないぞ、ロザリオだ」
「へ?」
神に祈りを捧げるためのロザリオをシルバーアクセと勘違いし、肌身離さず身に着けていた彼。
愛する妹からの贈り物だからと毎日大事にケアをして、事ある毎にロザリオにキスをし、験担ぎに祈っていた彼。
その結果、それを信仰と勘違いされ天使の啓示を受けた彼。
1000年生きても、世の中にはまだまだ知らない事が沢山ある。
世の中にこんな間抜けが居るなどとは、僕は夢にも思っていなかった。
こんなつまらない事で、彼はこの先半年間に渡る戦いの日々に巻き込まれる事になるのだから。
☆★☆★☆ワンポイント豆知識☆★☆★☆
〜ロザリオとシルバーアクセ、どう違う?〜
ロザリオは、仏教で言うところの数珠!
神への祈りを唱える為に、数える事のできる小さい珠が付いているよ! 10個ずつの小さな珠が5セットと、それぞれの間に大きな珠が1個、それから主への祈り等5個を含んだ計59個だ! ネックレス部分に付くこともあれば、十字架部分に直接つくこともあるよ!
シルバーアクセサリーはファッションアイテムだからそんなものはないよ! 最近はロザリオをファッション感覚で付けている人もいるけど、違いは知っておくと良いかも知れないね!
そうしないと、幸太郎みたいに変なことに巻き込まれちゃうかも!注意だね!
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