11☓☓年 花が舞う剣が唄う
リチャードとフィリップが決別して間もなく、フィリップはシチリアを発った。しかしリチャードは、何故か中々シチリア島を離れようとはしなかった。
シチリアの王妃はリチャードの妹であり、補給にも滞在にも非常に好意的だった。それだけにリチャードは、フィリップが去ったあともダラダラとシチリアに残りベランガリアとどこで結婚式を上げるかだとか、そんなどうでも良い事をグダグダと話し合っていた。
ああじれったい!
私達の次の目的地はパレスチナ。そこは十字軍が集結する予定の地点となっている。
パレスチナでは領内にあるチルスの城を拠点に、かつてのエルサレム王国の残兵達が未だサラセン人との戦闘を継続していた。しかし、敵の居城アッコンを包囲したエルサレム王国の残兵達は今、サラディンによる二重包囲を受け絶体絶命の危機にあるという。しかしそれでもリチャードは動こうとはしなかった。
神聖ローマ帝国の軍勢が、全軍の指揮官であるフリードリヒを失ってなお進軍を続け遂にパレスチナに到着したとの報が届いた時、ようやくリチャードは焦り始めた。
彼は、彼の英雄物語を夢見る男だ。あわよくば旧エルサレム王国軍が滅んだあとに、騎士道物語もかくやというような正当の戦争をサラディンと行いたかったのかも知れない。しかし『満身創痍になりながらも、かつての王国軍を助くべく現れた神聖ローマ帝国の軍』という美談的な報は、彼の考える陳腐なシナリオを粉砕した。
リチャードはようやく立ち上がり、宣言した。
「我々の結婚式は、聖地にて行う! 騎士としての最高の栄誉の中、主の心よりの祝福の元に結ばれるものとする!」
ああ彼はどこまでも英雄を夢見るロマンチスト。自分達が伝説の中にいると本気で思い込んでいる。
自分の剣にエクスカリバーとか名付けてしまう奴はこれだから困る。
私達は、まもなくシチリアを発った。
船に乗り、パレスチナを目指して進軍を再開する。しかし、情勢に慌て急いで発ったが為か天候に恵まれず、船旅は過酷を極めた。
風がごうごうと吹き荒れ、雨が甲板を叩く。私達はその中で、ビショビショになりながら甲板を走り回っている。
「帆を畳むんだ! 急げ!」
指示に従いロープにしがみつく。風に煽られバタバタと暴れる帆に振り回されつつ、力づくで引いていく。
「うえぇ、気持ち悪い」
「だがこりゃあ酔ってる場合じゃあねぇぞ!」
海は荒れ、波が大きく暴れ船を傾ける。その度に悲鳴が響き、暗闇に兵士が飲まれていく。
「絶対に手を離すんじゃねぇぞ! それエイオー! エイオー!」
力を合わせて帆を畳む。ようやく畳み終えたと思った瞬間、係留していたロープが弾けて足を取られた兵士がまた一人吹き飛んでいった。
船の上ではあちこちから怒号と悲鳴が響いてくる。
「船底に浸水アリ! 誰か来てくれ!!」
「荷を抑えろ! 船室に降ろすんだ、急げ!!」
「帆が弾けた! ああ、た、助けてくれ! あッーーーーッツ!!!」
「急いで帆を切ってくれ! 船がひっくり返る!!」
「馬鹿者! 帆を切ってこの先どのように進軍するつもりだ! とにかくロープにしがみつけ! 決してマストを折ってはならんぞ!!」
私達も船の上を駆けずり回る。ああイヤな予感。
この嵐は、シチリアでダラダラとしていた彼への神罰? それとも私が呼び寄せた不運?
急いでいる時ほど物事はうまく回らないものだ。輪廻がもう目の前にいると言うのに。
私達は何処までも風に煽られ流されていった。
──アッコン付近の丘陵地帯──
「キプロス島に難破?」
「はい。昨晩の事です。しかし、リチャード王も『彼女』も共に健在との事です」
リィンカがリチャードの近況をフィリップに報告している。
フィリップ達フランス軍はいち早くパレスチナに到着しており、現在アッコンを一望出来る小高い丘に陣を敷いていた。
報告を聞き、ふむと顎に手を当て考え込むフィリップ。
リィンカは状況を淡々と語る。
「リチャードの婚約者ベランガリアが、難破した際にキプロスの総督に拿捕され、現在リチャード王はキプロス軍と交戦中の模様です。難破の状況は不明ですが、恐らくこの戦闘は1月もせずに決着がつくでしょう」
「...リチャードはあれで中々周到な男だ。シチリアで無為に時間を潰していたのも、いずれ敵対するであろう私がサラディンとの争いで疲弊するのを狙ったものだろう。私には彼程の資金はなくこの近辺に支援者はいない。時間は彼の味方だったからね。
だがフリードリヒの軍が現れた事で状況が変わった。彼らの英雄的行軍によって、十字軍遠征における主役の座を脅かされる可能性が生じたと彼は考えたのだろうね。まぁ、この状況を見ればそれが早とちりだったと気付くだろうが」
フィリップは眼下のみすぼらしい軍隊を、まるで軽蔑するような眼差しで見つめた。フリードリヒの軍は指揮官不在の内部分裂や、長期の急行軍で既に疲弊しきっていた。衣服は汚れ士気も低く、敗残兵かのような様相を湛えている。
「これはもはや軍隊ではない、まともな戦力としては機能しないだろう。だがローマ皇軍という肩書自体は有用だ。リチャードを教皇へ告発する際の証人として、ね」
フィリップはフリードリヒの軍から視線を切り、アッコンを見つめる。アッコンの砦の下に陣を敷き、サラディンの包囲網を相手に未だ果敢に戦闘を続けるチルスの騎士。かつてはエルサレムに常駐していた神の信徒たち、彼らもまた長期に渡る戦闘に疲弊しきっておりくたびれた様子を示している。
彼らにも消えてもらっては困る。後々の事を考えれば、この二隊とは互助する事が望ましい。
「チルスの騎士を救出してフリードリヒの軍に見せ場を作る。彼らに恩義を売り僕達の側に取り込む事が、リチャードに対抗するために必要な準備だ。彼の独壇場にさせない為にね。彼らが難破したことにより降って湧いた時間、有効に使っていこうじゃないか」
フィリップが馬に乗る。それに合わせて配下の騎士達も騎乗する。空気が張り詰める。
「傾注! 目標はサラディンの包囲軍中央! 間延びした陣の一点めがけ騎馬突撃を敢行し、サラディンを挟み撃ちにする!!
総員抜刀、突撃構ぇえ!!」
フィリップが手を天に掲げる。
応じるように、騎乗した騎士達が腰から刀を抜き眼前に構えた。
「
天に構えた手が振り下ろされると同時に、轟音が響く。
アッコンをかけた戦いの狼煙が上がった。
──キプロス島──
鬨の声が響く。あちこちからうめき声が聞こえてくる。
「うぬぬ、リチャード! 悪魔の軍隊め!」
砦の上で、胸壁に手を掛けたキプロス王が喚いている。
剣を抜き、斬りかかってくる兵士。私は彼のその首に右拳を打ち込み、思わず身を丸めた兵士の首目掛けて思いっきり左手の剣を振り下ろす。ゴトリと言った音と共に鮮血が吹き出した。
首無し死体となった彼の落とし物を右手で掴み、次の敵に投げつける。ひぃと悲鳴をこぼし一瞬呆けた隙をついて一気に近付き、今度は左腰の斧を右手で抜いて、顎の下に叩き込んだ。
あはは。そんなに目を白黒させちゃって、気構えが足りてないんじゃない?
戦場に立つ時の心構え。常に棺桶に片足を突っ込み続けている私達にとってそれは日常に等しい。
「おうやってるなテンセル!」
片手で大斧を担いだエドゥアルトが隣に駆け寄ってきた。団の仲間も一緒だ。その身体は鮮血で染まっている。自慢の髭からも血が垂れている。
「ぼちぼちかな。メインディッシュが目の前だし手早く行きたいね」
「ガッハッハ! 前菜にしてもちと薄味だしな!
おっとテンセル少し止まれ、弓隊のお出ましだ。連中どうやら前衛は捨てるようだな。無慈悲なことだ」
そう言うと、彼は片手で十字を切って、首元の血塗れのロザリオにキスをした。
近くの遮蔽物に潜り込み、半身を出して観察する。
「クロスボウじゃないただの弓だ。舐められてる?」
「いやこれが神のご加護と言うものさ。クロスボウはキリスト教徒には使ってらならないという、有り難い教えがあるんだ」
「ふぅん、結構な事だね」
私は弓の射程外に伏せたまま、腰に括り付けていた道具に手を伸ばす。それを組み上げ矢を設置し、彼らに向かって引き金を引く。バシュッという音が聞こえた瞬間、遠くで人が倒れるのが見えた。
「おお、お見事。流石だな」
クロスボウ。それは引き金式の最新の弓の姿だ。弦を引くのに少し力が要る事と若干弾道が安定しない欠点はあるが、飛距離に優れ鎧すら撃ち抜く高い貫通力を持つ。キリスト教徒には使ってはいけないそうだけど知った事じゃない。だって私達は異教徒征伐の為の十字軍。持っていても不思議はないもんね?
ちなみに私のものは、少し小型化して携帯性を上げてある。弦はクロスボウそのものを変形させることで、クロスボウ自身に引っ張ってもらっている。
「
エドゥアルトも同じく、クロスボウで弓隊を狙う。傭兵団もそれに続く。次々と敵兵士が倒れていく。武器の歴史というものは、より遠く、より強く進化する。旧式の弓隊では相手にならない。
弓隊と撃ち合っていると、ふいにドドドドドと言った音が右手の丘の影から響き、騎馬隊が飛び出してきた。
「あ、リチャード軍。やってるねぇ」
たった今クロスボウで半壊し、隊列が乱れた弓隊を彼ら騎兵が切り裂いていく。統制を失い蜘蛛の子を散らしたように逃げていく敵兵士たちを、騎兵の後に続いた私達が切り捨てる。
そのまま騎兵隊を追って丘を登る。砦が見えてくる。
城門の前、リチャードが馬上で声を上げていた。
「恥知らずのキプロス王に告げる! もう分かったであろう、戦力は歴然としている! 城門を明け、我が妻ベランガリアを解放せよ!」
「ぐゥううう、リチャードォオ!」
顔を真っ赤にしてキプロス王が呻くように叫ぶ。
もはや決着は着いた。いくらかの小競り合いの後、間もなく城門が開いた。
蒼い顔でリチャードを出迎えるキプロス王。リチャードは騎乗したまま一顧だにせず脇を抜けた。代わりに私達でキプロス王を捕らえ、リチャードの後ろに着いていく。
「ベランガリア!」
砦の最上階の来賓室に彼女はいた。リチャードと再会し抱き合う二人。何処までも自分たちの世界に入り込む奴等だ。
「この悲劇は、私が彼女との仲を曖昧にしていたが故の悲劇だ。我等の魂の結び付きが弱いから離れ離れになるのだ! 二度とこのような悲劇を生まない為、我らの結婚式を直ちに執り行うものとする!
貴様見ていたぞ、先程は目覚ましい活躍であったな。よろしい! 式は貴様が取り計らえ」
うええ、唐突な式の宣言、急な指名。
何処までも直情的で型破りな男だ。私、結婚式の進行なんてしたことないし、そもそもそれは従軍牧師の仕事でしょ。悪魔の私がやっていいわけ?
戦士の結婚式は優秀な戦士が取り仕切るべきだとか、相変わらず訳の分からないことを言っている。手早く済ませたかったし、仕方無いのでうろ覚えでなんとか進行を務める。
「えー、病めるときも、健やかなるときも、...あと死ぬときも、これを愛し、その命続く限り戦う事を誓いますか?」
たしかこんな感じ。誓いますと確かな返事。
神の前での誓いのキスを以て、これにて式は完了だ。
(ケッコン、ね。......。)
彼は結婚を魂の結び付きだと表現した。その繋がりは、兄妹の繋がりより大きな結び付きなのだろうか? 赤の他人同士の繋がりにどれほどの価値があるのか、私にはさっぱり分からない。でも少しだけ羨ましい。
私は、これだけは断言する。この世界に私達兄妹よりも深く結び付いた関係は無い。そしてだからこそ輪廻、貴方を殺すのは他の誰でもなく私でなければならない。
貴方を誰より愛する私が貴方を殺す。
それまでは生きよう、苦しくとも哀しくとも。何百年もの人生を何十回もの人生で。
輪廻、貴方の生きる世界で。
──アッコン城包囲軍──
「来るか、小僧」
サラディンは丘陵に布陣をしていたフランス軍が動くのを確認し、軍隊に指示を飛ばす。
「長槍隊を前へ! 騎馬突撃をいなしつつ、襲来に合わせて少しずつ包囲の北側を開け!」
そしてサラディンは自身も騎乗し数隊の騎馬隊を編成する。内1隊をフランス軍の迎撃に向かわせた。
「まずは戦争の形を変える。さて十字軍とやらの実力、見せて貰おう」
「陣が動きます、長槍隊が迎撃に。遠方に騎馬隊らしき土埃も」
「来たか。包囲陣を動かしての迎撃とは、対応が遅れたなサラディン」
突撃を敢行するリィンカとフィリップ。目の前には方陣を組む長槍隊、遠くには迎撃に上がってきたと思われる騎馬隊の土埃。悩む時間は多くない、二人はすぐに状況を判断して指示を飛ばす。
「このまま突っ込む! 二重包囲を打破しチルスの軍との挟撃の体ていで各個撃破だ! 急ぐぞ!」
ドドドドドドドドドド!!
唸るような地響きと共に、二隊が正面から衝突する。いくらかの馬が長槍に貫かれ、しかし勢いそのまま薙ぎ倒すように長槍隊を圧し潰していく。
「蹂躙しろ! 突撃の優位がある間に北方の戦局を決定する!」
フィリップ自身も敵陣の只中に突っ込み、後続部隊と共に敵兵を蹴散らしていく。
そして、それに合わせるかのように北門の包囲軍が左右に裂け、少しずつ包囲が薄くなっていく。
「...急襲のせいでしょうか? あまり抵抗がありませんね」
「かも知れない、今のうちに有利を確立しておこう! 敵騎兵が到着するまでそう間はない筈だ!」
フィリップはチルスの軍に存在を見せつけるように、積極果敢に指揮を飛ばす。
「おい、見ろ! 援軍だ! フランス軍が来てくれた」
「包囲が崩れるぞ! 北側が開く!」
「北だ! 北! 北から逃げられる!」
チルスの軍がフランス軍の急襲に気が付いた。そして彼らの突撃に呼応するように、薄くなった北門の包囲軍に攻撃を仕掛ける。それによっていよいよ北方の包囲が完全に崩れる。挟撃が適ったと喜んだのも束の間、方位が崩れたその瞬間、
「今だ、逃げろ! 逃げろーーーー!!」
敵城を包囲していた筈のチルスの軍が、瓦解した北側からこぞって逃げ出し始めた。それに続くように、他の門前に陣を張っていたチルス軍も北側に向けて我先にと移動し始めた。
「なんだと!? 自ら包囲を切るつもりか!」
チルス軍との挟撃後の包囲戦というプランが崩れ慌てるフィリップ。彼は長期に渡って包囲され続けていたチルスの軍の士気を見誤っていた。エルサレム奪還を志したかつてのエルサレム王国の騎士、その士気は依然意気軒昂なものと勘違いしていた。
彼らは、先に到着したフリードリヒの軍容を見てとっくに士気を失っていたのだ。ローマが窮地を救うべく送り込んだ筈の軍隊が、僅か5000の薄汚れた騎士達であったその事実に。
ドドドドド...!
どんどん地響きの音が大きくなる。遠くに見えていた砂埃が、もう目の前に来ている。
「くっ、しかし二重包囲を打ち破るという当初の目的は達成した! 総員隊列を組み直せ! 移動するぞ!」
乱戦の中、突撃衝力を失ったまま騎馬突撃を受ければ全滅は必至。フィリップは急いで隊を立て直し、敵騎馬隊とは逆方向に移動を始めた。
間もなく、サラディンの騎馬隊が城の脇から現れた。間一髪の所でフィリップは突撃を回避した。
しかし騎馬隊はフィリップを一顧だにせず、背を向けて逃げるチルスの軍に襲いかかった。
「しまった! 総員反転、突撃態勢!!」
後ろを向いて逃げる兵士を蹂躙するのは容易い。抵抗らしい抵抗もなく、やすやすと切り裂かれていくチルスの軍。その蛮行をフィリップの軍が止めに入る。
「クソ! 最初から狙いはチルスの軍だったか!」
サラディンの騎馬隊とフィリップの騎馬隊が並行に並び、打ち合う。その隙に、サラディンの軍が騎馬隊を残してアッコンに入城を始めていた。
「フィリップ王! サラディン軍が!」
「今度は入城だと!? チルスの軍を追い出し籠城策を強化する事が本当の狙いだったとでも言うのか!?」
サラディン、どれだけの策を同時に練るのだ。全くの後手後手。非常にまずい事態だ。
「リィンカ、隊を2隊に分ける! ここは任されてくれるな!?」
「わかりました、引き受けましょう」
フィリップはいくらかの騎兵を率いて反転する。攻城戦になるのなら尚更チルスの軍との連携が不可欠になる。士気を奪われ蹂躙されたばかりのチルスの軍、彼らを再編し軍隊としての形を取り戻す。その為にフィリップは駆けた。
戦場に鮮血が散る。
シッ!、と小さく声を上げ、リィンカが敵騎兵隊の横腹に食らいつく。敵の剣を柄で受け、そのままスナップを効かせるように斬り上げる。肩口を斬られた敵がバランスを崩し馬上から落下する。振り上げた剣をそのままに、近付いてきた敵兵を袈裟斬りにする。少しづつ敵騎兵隊に馬体を寄せて行き、遂には敵騎兵隊の内側に潜り込んで加速した。隊もそれに続く。
「イスラムの馬は少し遅いな。後ろから蹂躙するのは戦争の手段の一つだ。君達もやった事なんだから、恨まないでくれよ」
左右からの剣を避け、敵騎兵を後ろから斬りつける。悲鳴が後ろに流れていく。次々と敵兵士を切り倒しながらそのままグングンと加速し、先頭に迫った。
『うわぁああ! 何なんだお前は!!』
『神の御子だよ。一応ね』
両手で柄を持ち、天に掲げた剣を勢いよく振り下ろす。悲鳴は無かった。地面には片手を失った敵指揮官が転がっていく。
「英雄的奮戦は必要ない。チルスの軍が撤退完了次第、僕達も撤退するぞ」
リィンカは騎兵を伴い駆けて行った。
籠城戦は長きに渡った。
東門をフィリップの軍が、北門をチルスの軍とフリードリヒの軍が攻める。統率するはオーストリア公レオポルト5世。チルスの軍はフィリップが取り纏め、フリードリヒの軍を率いていた彼に引き渡した。
これにより、戦局は頭数的にはやや有利ではあった。しかし、チルスの軍が持っていた投石機も大半が破壊されており攻城戦としては依然旗色が悪い。
「外に残した騎兵もまた厄介だな。憎らしい動きをする」
サラディン自らが率いる騎兵隊。彼等は時たま嫌がらせのように突撃を繰り返し、少しでも部隊を切り離せば今度はそれを執拗に追い立てた。こちらから迎撃の兵を出しても、この近辺は敵のホームグラウンドだ。時には彼らは自らの居城にまで逃げ帰り、そして最後に手痛い反撃をしてくる。向こうにとってはこちらの兵を切り崩すだけでも意味があり、そして多少戦力を削っても時間をかければそれだけ敵に増援が増える。
城の守りは固く、城壁からは絶え間なく矢や投石が降り注ぎ、梯子をかければ外され、城壁の下に行けば熱した油が流された。
最初の突貫から既に2ヶ月。良くない形を作られたまま、戦線は完全に膠着していた。
「おお、まだまだ始まったばかりって感じだな」
「これなら副菜にもありつけそうだね」
エドゥアルトとテンセルが小高い丘の上で話している。その後ろにはエドゥアルト傭兵団。そして更に後方にリチャードの本体が続いている。
「攻城戦、戦局悪し。北門東門にてそれぞれローマ軍・フランス軍が戦闘中。敵に騎馬隊の遊軍有り、以上。行って」
テンセルはリチャードの本体に向けて伝令を飛ばす。
キプロス島での戦いを終え、彼等はついにこの戦場に辿り着いたのだった。これにて十字軍の全軍がここアッコンに集結したことになる。戦局は佳境を迎えようとしていた。
「さぁ行け行け行けァ! 異教徒共にキリスト教徒の勇猛さを見せてやるんだ!!」
エドゥアルトがまた訳の分からないことを言いながらはしゃいでいる。リチャード軍は西門に布陣した。一部騎兵隊を部隊から切り離し、周遊させながら敵騎兵の突撃を抑える。
「決して深追いするな! 邪魔さえさせなければそれでいい!」
リチャードが指示を出す。敵騎兵の突撃をいなし、追い立て、そしてまたアッコンに戻る。さながら鬼ごっこの様相だが、彼の采配は確実に敵遊軍の機能を奪っていた。
「流石に戦上手だね」
「まさしくだ。サラディンも中々厄介な布陣を敷いたもんだが、リチャード様も勝るとも劣らねぇ。こりゃあいい戦争になるぜ」
「でも補給のない戦いなのは変わらない。城をどれだけ早く攻略出来るかが課題だね」
平原に立てた
「道を開けろ!!」
頭上から声が響き、首だけで振り返る。下部に車輪のついた移動式の櫓が複数、後方から迫ってくる。上には弓兵が何十人と乗っている。
「お、攻城砦か。こんなの持ってきてたんだな」
「組み立て式かな。大分攻城戦っぽい雰囲気になってきたねぇ」
衝立を持って、今度は横方向にのそのそと移動する。間もなく、城と攻城砦の間で壮絶な矢の打ち合いが始まった。さらにその後ろから、数人がかりで長梯子を抱えた兵士達が攻城砦の脇を駆け抜ける。私達も衝立を抱えて攻城砦に続く。
「このくらいの位置でいい、さぁ援護射撃だ!」
クロスボウを構え、城壁めがけて撃ちつける。いくらかの矢が城壁を抉り突き刺さる。そこに衝立から飛び出た傭兵達が飛びつき、矢を支えに城壁を登る。矢の雨を潜り抜けた長梯子も城壁にかかり、兵士たちがそれを登り始める。
「楔は刺さったな、後は時間の問題であろう。どうだフィリップ! やはり戦場の主役は私だ、貴様ではないぞ!」
リチャードが馬上で笑う。そのリチャードの視界の端で、一際大きな砂埃が巻き起こる。
騎兵だ。今まで嫌がらせ程度しかして来なかった敵騎兵が動きを変え、一転本陣に突撃を敢行してきた。リチャードが繰り出した騎兵隊を撃滅し、一直線に突っ込んでくる。その先頭はあのサラディンだ。
「出来るな、小僧。しかしこの城は落とさせはせんよ」
「来たかサラディン! 貴様の相手は私が務めよう!」
リチャードが騎兵を率い、突撃態勢に移る。閧の声が戦場に響いた。
うーん、まさしく歴史の一場面。英雄的叙事詩の一幕って感じだ。
数万の兵士が蠢きバタバタと死んでいくこの戦場で、彼らだけが自身を特別だと思い込み、自分の物語に浸っている。
自らの夢想の為に見知った数万を簡単に犠牲に出来る存在、そんなものは精々が悪魔か人間位のものだ。
「ウホホーーーー!」
エドゥアルトがはしゃいでいる。
まぁ喜んで彼らの夢に乗る連中もいるけど。呆れた。
しかしこれで、皆の目はリチャードとサラディンその両雄の対決に注目している。それなら今のうちに、とっととやる事済ませておこう。これから始まる本当の戦いの為にね。
私は城に向かって駆け出した。
私はクロスボウで作られた杭に足をかけ、跳んだ。斜めに跳ねた私は城壁に【魔術】を使い、遠目ではわからない程度の足場を作りまた跳ぶ。私は壁面を斜めに走り出した。
『撃て! 撃ち落せーーッ!!』
城壁の上から声が聞こえる。そして次々と私目掛けて矢が飛んでくる。ノロマな矢め、そんなものが当たるものか。軽々と壁面を駆け上がり、城壁の上に座り込むように着地する。
『やぁ、こんにちは』
立ち上がり、城壁に所狭しと並ぶ兵士達をぐるりと見回し、彼らの言葉で挨拶する。
これから彼らの人生に最も深く関わる私だもの、やっぱり挨拶はしとかないとね。
『こ、ころーー...ヘブッ!!?』
何かを言おうとした兵士の口に剣を突っ込む。ごめん、聞き取れなかったよ。もう一回は...言えないよね。
剣を引き抜かずそのまま城壁の上を走る。そして走り出した次の瞬間、剣に【魔術】を込め切れ味を高める。すると口の中に引っかかっていた剣がスパッと頬から抜け、デコピンの要領で溜まっていた力が一気に爆ぜる。
「あははははははははははは!!!!」
私は城壁を全速力で駆けた。走れば走るほど、私の後ろで赤い噴水が巻き起こる。あはははは! 気分が良いね!
城壁の上は大騒ぎになった。しかし城門真上の一帯だけは混乱が薄い。そこを注視すると、ひときわ立派な兜の男が何事か喚いているのが分かる。私はそれを見てニヤリと笑った。
「見ぃつけた。貴方が指揮官だね?」
腰のクロスボウに手を掛け矢を放つ。次の瞬間、立派な兜が砕けて下に落ちていった。ああ勿体無い。
城壁の上の混乱が加速する。喧騒の中、ふと東側の城壁がどよめいたのが分かった。
そして、遠くに見知った人影が映る。あれは...。
──途端に、しんとした空気が広がる。まるで時が止まったかのような感覚。
真反対の城壁に立つ彼。彼を目にした瞬間、急に世界が静かになった。
わかる。ここは今、私達の為の空間だ。
心の中で彼に語りかける。
輪廻。貴方は今回の人生、一体どうだった?
家族のこと、育ての親のこと、好きな食べ物、嫌いな食べ物。
そして、幸せを感じる瞬間は、いつ──?
ゆっくりと彼が顔を上げ、こちらを向いた瞬間、喧騒が戻る。
返事はなかった。でももうすぐに分かる。もう手の届くところまで来ている。
私は周囲の敵兵士たちをじろりと眺める。邪魔な連中だ。
私は悪魔だ。彼に近づく為なら、見知った数万の命も簡単に犠牲にできる。
まるで恐るべき人間達のように。
「小僧貴様、
「一体、なんの話だ!」
サラディンと鎬を削るリチャード。そのリチャードにサラディンは怒りを顕に怒鳴りつけた。
「聖都を巡る戦いによもや魔術を持ち出すとは、聖戦をなんと心得ている!」
サラディンは激高する。彼は一目で気付いていたのだ、城を駆け登るテンセルの魂、その有り様の歪さを。
「戦に負けそうだから、訳の分からない難癖をつけようという腹積もりかねサラディン公! そうとも貴様は敗れるのだ。城壁は我等が奪った。今や先駆けた一人だけでなく何人もの兵士が城壁に詰め掛けている。戦況をひっくり返す事ができる唯一の男は、今私に抑えられ身動きが取れない! 城が堕ちるのはもはや時間の問題であろう!」
「そうか、貴様は気付いておらぬのか。あの少女の正体を。確かにこの戦は私の負けであろう。貴様は強く勇猛なフランク人だ。だが悪魔を身に宿す限り、いつか貴様はその身を滅ぼす。悪魔に関わる者は皆そうなるのだ、私が手を下すまでもなくな」
サラディンはそう言うと、するっと騎馬隊を翻しそのまま風のように去っていった。
小競り合いをしている間、いつの間にか南門が開いており、そこから多くの騎馬が城から脱出していくのが見える。
「しまった、敗戦濃厚にして突貫してきたのは城の人員を逃がす為であったか。まんまとしてやられた」
リチャードは逃げるサラディンを見つめ、そしてアッコンの砦に視線を移した。城壁をかける少女が目に映る。城から煙が上がり、イングランドの旗が立つのが見える。そして、ゆっくりと城門が開いていく。
「悪魔...か」
戦争が終わった。隊を集め、西門よりリチャードとその軍が悠々と入城する。北門からはチルスの軍とフリードリヒの軍が。そして東門からフィリップとその軍が入城してくる。その中には、それぞれテンセルとリィンカの姿もあった。
悠々と歩を進めた三者は、遂にアッコンの広場の中心で対面する。
おもむろにリチャードが口を開く。
「少し見ない間に、随分とみすぼらしくなられましたなフランス王」
フィリップも対抗するように口を開く。
「いえいえ、汚れは戦士の勲章のようなものです。しかし随分と遅いお着きでしたねイングランド王。まさか良い所だけ食べよう等という、意地汚い腹積もりでは無いと存じてはおりますが」
彼らの対立は目に見えて加速していく。その舌戦の最中、隊の中からリィンカが一歩前に出た。
舌戦が止まる。
しんとした空気の中、涼しい顔をして彼はリチャードの軍を見つめている。
私を、探してる。
胸が、高鳴る。ドキドキする。ドキドキし過ぎて苦しいくらい。
このまま蹲まりたいような、心の向くまま跳ね上がりたいような。
前を見る。輪廻と目があう。急に恥ずかしくなってパッと目を伏せる。
そして、横目でまたちらりと彼を見る。
彼は泰然としたまま、そしてゆっくりとした動作で、私に向けて両手を伸ばした。
「輪ッ廻ぇーーーーーェエッ!!」
私は駆けた。感情が爆発して、矢も盾もたまらず駆け出した。
城中を震わせるような咆轟と共に。
輪廻も同じく駆け出した。二人の距離がグングンと縮まる。
私達は、同時に腰から剣を抜き放ち一閃を放つ。それは鋭い音を立てて、火花を散らせた。
散った火花が地面に落ち、そこから花が咲いていく。私達の踏む地面。撃ち合う剣から散る火花。それら全てから花が芽吹き周囲を飾り、そして散っていく。
いつしか私達二人の周りに小さな花畑が繁っていた。
周囲にどよめきが走る。
「あれは、なんだ!?」
「魔術、魔術だ!」
小さなどよめき、しかしそんなものは意に介さず、私達はお互いを求めあった。
私の放った渾身の一撃。彼はそれを剣の上を滑らせるように受け、そのまま流れるように剣を振り下ろしてくる。
私は身をよじって避けて、回転の勢いを乗せて輪廻の頭目掛けて横薙の剣を放つ。彼はそれを右手の篭手で払い、腰を大きく捻って逆袈裟を放つ。
私達が一撃を放つたびに、花が散り、浮かび上がるように花びらが舞う。
ああ強い。輪廻も、とても強くなった。
顔のニヤケが止まらない。
周囲のどよめきが大きくなっていく。
「転生、強くなった」
ふと聴こえた、輪廻の声。16年ぶりに聞く声は爽やかな心地で耳に響く。
嬉しくって、嬉しくなって、もっと輪廻に剣を見てほしくて、私は彼と何合も撃ち合った。
不意をついて腰のクロスボウを抜き、輪廻にうち放つ。彼はそれを軽く弾き、しかしそうして出来た僅かな隙に、私は剣を突き立てた。
輪廻の肩口から血が滲む。その感触に私は震えた。
これまで、何百という人間を殺した。しかし、兄妹の体とはこんなにも違うものなのだろうか。
輪廻、貴方の16年はどうだった? 楽しかった? 苦しかった?
私は今、幸福を感じているよ。貴方といるこの瞬間が、私の安らぎ。
ますます周囲が騒がしくなる。
永遠にも感じる時間。私達は一言も会話をしなかったけれど、いろんな事を話した気がした。
周囲に血が飛び散る。私は何本かの指を失った。呼吸が苦しい、肺も破けているかも知れない。
輪廻も片目が潰れ、肩の出血が彼の白い衣服を赤く染めている。
呼吸が苦しい。少し顔を伏せる。
ああ、終わりの時が、近い。
──喧騒の中、
ふと大きな声が場に響いたような気がした。
顔を上げた。
目が霞む。でも、見てしまった。
今、私の目に、沢山の。
矢が飛んできている。
私は駆けた。
輪廻に抱きついて、彼を包むように被さろうとした。輪廻も私をグッと抱きしめて、そしてその手に力を込めた。
私達は互いに抱きしめ合ったまま、花畑の中心で丸くなった。
「「総員、放てぇえーー!!」」
フィリップの号令が飛ぶ。ほぼ同時にリチャードも叫んだ。
リィンカとテンセル。彼等目掛けて両軍から矢が雨のように降りそそいだ。悪魔を殺す、二人の軍の思惑はそれで一致していた。
フィリップはリィンカを、リチャードはテンセルを殺すべく、それぞれが矢を放ったのだ。
沢山の花が散る。まるで包み込むように、彼らの周囲を花びらが舞った。
「無事か? 転生」
「無事なわけ無い。バカだな輪廻は」
私達は花畑の真ん中で全身を矢で貫かれていた。二人の体共々矢で貫かれ、どうにも離れる事ができない。
「強くなったね転生」
「輪廻こそ」
私達は、互いに言葉を交わしていく。
「転生、君にずっと言いたかった事があるんだ。シチリアで会ったあの日から」
「気付いてたんだ。なに?」
私は目を瞑り、彼の言葉を待つ。
「真珠のイヤリング、とっても似合ってる。約束守れなくてごめん」
「いいよ、そんな事。...ありがと」
そう言い終わると輪廻も目を瞑った。
──そしてそのまま、どちらも二度と口を開くことはなかった。
どちらが魔術を用いた悪魔の化身であったのか、それは闇の中に葬られた。
リチャードとフィリップ。彼等は共に悪魔を退治すべく正義の矢を放った勇者であったとしてその場を収めた。
二人の死体には火が放たれ、全ては無かったこととされた。
反目し合った二人はアッコンで決別し、フィリップは帰途に着き、リチャードはサラディンを追って進軍した。
その後間もなく、リチャードとサラディンの間に和平が結ばれ、これにて第三次十字軍は平定の運びとなった。
そしてかつての友人同士であったリチャードとフィリップは骨肉の争いに突入する。
そしてその戦いの最中、リチャードは因果応報とも言える死を迎える事になる。
だがそれはあくまで歴史のお話。
また何処かで、産声があがる。
神の心に悪魔の欠片を持つ少年と、悪魔の心に神の欠片を持つ少女。
連綿と続く彼等の戦いの歴史は、未だ終わりを迎えてはいない。
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