11☓☓年 夢の木に纏わる蛇

きらびやかな衣装の男が馬上にいる。

その足元で、吹聴係の男が両手を広げて喧伝している。


「やぁやぁ! 我々こそは今世最強の騎士団! 悪しきを挫き正義を尊ぶ、まさに騎士の中の騎士! 当代に並ぶ者なく、天下に及ぶものなしたれば正に我らが騎士団に相違なし!

十字軍参戦は騎士として最高の名誉であり、キリスト教徒として最高の善行なり! 我らと共に神の子たらんとす、真なる英雄は我が元に集いたまへ!」


「へっ、バカ言ってるぜ。うだつの上がらない辺境諸侯の次男坊程度がよ。最強の軍隊はリチャード様の所に決まってらァな」


兵隊の呼び込みを行う騎士団を一瞥し、エドゥアルトが悪態をつく。

十字軍の招聘を受け、参戦を表明した王侯貴族や諸侯たちが早くも旗上げの準備に勤しんでいる。

私達傭兵団もまた、自らが担ぐ旗を求めてここにやってきたのだった。



司教の言っていたことは、全て現実になった。


あれからまもなく、ローマ教皇グレゴリウス8世より十字軍の結成が呼びかけられ、聖戦ジハードが叫ばれた。

各地から十字軍に賛同の声があがる。

その中には、獅子心王ライオンハーテッドリチャード1世の姿もあった。

彼は十字軍結成が叫ばれて間もなく、莫逆の友でもあった尊厳王オーギュストフィリップ2世の謀略の元に父であるヘンリ2世に公然と反旗を翻し、王位を簒奪したのだ。

そしてその権力を持って、国内のありとあらゆる物を売り払い聖戦の為の資金を集めていた。


「リチャード様には世話になってる。お父上のヘンリ様もそうだったが、プランタジネット家の方々は昔からのお得意様なのさ。奴等は自前の軍隊よりも、傭兵を雇う事を好む連中だ。ヨーロッパ屈指の金持ちは流石、金の使い道ってモンをわかってる。

 その上奴等は稀代の戦争上手の略奪上手。綺麗事も言わねぇホンモノの戦士だ。今回の戦争も、つくなら断然リチャード様さ」

「リチャードねぇ...」


別に誰でもいいんだけどね。無駄に兵隊死なせる王様じゃなけりゃ。

とりあえず私の関心はそんなところには無いんだ。

キョロキョロと辺りを見回す。いかにも野党といった風貌の傭兵達、馬上できらびやかな衣装に身を包んでお高くとまる貴族様。そんな連中が見渡す限り蔓延っているこの草原に、果たして彼はいるだろうか?


時代の特異点。私達はそこに引き寄せられるように集まる。

この戦争は確実に私達の戦いの舞台になるはずだ。本物の聖戦が、彼らの聖戦の枝葉の先で巻き起こる。


(傭兵ではないのかな...?)


輪廻の姿は見られない。

私達の出自は、基本的に劣悪な環境からスタートする。となれば私と同じく傭兵と言うのがありそうな線だと思ったんだけど。


「どうしたテンセル? 探しもんか?」

「昔の知り合いを、すこしね。ここにいると思ったんだけど見つからないや」

「ほう。お前にそんな知り合いがいたとはな。エルサレムにいた頃の友人か? それならもしかして、サラディンの元にいるかもしれんぞ。エルサレムを占領したサラディンは欲張りな事に、市民を端から捕虜にしたそうだからな。身代金を端から奪う算段だろうと思ったが、払えない奴も城外退去で済ませたと言うから妙な話だが」


へぇ知らなかった。占領しといてただ釈放なんて理解できないけど、もしかしてちょっと良い奴なのかなサラディンは? 基本が善人な輪廻の事だ。もしそうならサラディン側にいるっていうのもありうる話。

一転して軍団選びが大事になったね。サラディンの元までたどり着ける可能性の高い軍。リチャードありかも?


ついでにエルサレムに残った私のお義父さんの無事も判明。

てっきり死んだと思ってた。どっちでも良いけど。


とりあえずエドゥアルトの伝手でリチャード1世の軍勢には取りなしがついた。今日からエドゥアルト傭兵団はリチャードお抱えの軍隊の一員となる。

戦費の確保に今しばらくの年月がかかると言うから、出発前に最後の平穏を楽しんでおこう。

さぁ、今日のご飯はなんだろね?





「リチャード、君は城や官職に飽き足らず、スコットランドまで売り払ったのか?」

そう問うのは尊厳王オーギュストフィリップ2世。それに対し獅子心王ライオンハーテッドライオンハーテッドリチャード1世が答える。

「勿論だ。国庫の金も軍役大納金もつぎ込んだがまだ足りない。民にサラディン税をかけたがそれでもだ。そうとなれば、国を切り崩して資金を作る他ないだろう」

「理解が出来ない、十字軍なんて大博打に君がそこまで本気になる理由が分からない。僕達は君の父上に勝利した。それで全部じゃないのかい?」

リチャードはやれやれといった素振りでかぶりを降った。

「十字軍参戦は騎士として最高の名誉であり、キリスト教徒として最高の善行! イングランド王が参戦せず諸侯に範が示せようか! 何より相手はあのサラディン、俺の知る限り最強の将だ。奴と戦う為ならば、俺はロンドンだって売り払うだろうさ」


そう言うと、リチャードはふんぞり返って去っていった。

残されたフィリップは、呆れ返ってものも言えなくなっている。

これだから戦争屋は理解できない。合理的じゃない。


「ローマ教皇の手前、フランスとしても参戦しない訳には行かない。でもそれだけだ。僕には十字軍に対して一切の情熱なんてない。

 ......君には世話になった。だから君の人探しにも僕は可能な限り協力したい。だがそれも国益が許す範囲までだ。どうしたって僕は、国王だからね。

 分かってくれるねリィンカ」


フィリップは振り返り、暗闇に声を掛ける。暗闇の中から一歩、一人の男が音もなく現れた。

リィンカと呼ばれた男は、無言で去っていくリチャードの背中をただじっと見つめ、そしてゆっくりと口を開いた。

「フィリップ王。良い話があります」

暗闇の中、薄く笑う口元だけが浮き上がって見えた。





今日は、街に繰り出しお買い物。

今年、齢14を迎える私は絶賛成長期の真っ最中、あつらえた服も鎧もどんどん体に合わなくなっていく。だからこうしてショッピング。平民共から巻き上げたお金なら沢山あるし、たまには散財しようじゃないか。日頃の私にご褒美だ!

正直な話、服も鎧も【魔術】で形を変えればいいのだけど、そこはデザインと言うものがある。私だってたまには可愛い服も着たい。昔から獣の毛皮とか麻の布とかばっかりなんだ。お金のあるときくらい良いじゃないか。

もうすぐ輪廻と殺し合うんだ。多少はお洒落しないとね。


「とはいえ機能性も捨てがたいよね。フリフリしたのは困るかなぁ」


商館で衣服を物色して回る。その中で、一際フリフリとした赤のドレスが目に留まる。うーん、ドレスは綺麗だけどロングスカートは動きにくそう。戦場はパーティみたいなものだけど、このドレスはドレスコードに合わないだろう。

それを着た私を想像してみる。そしてすぐにやれやれとかぶりを振る。今はまだグラマラスには程遠い私だ。これは将来の楽しみにとっておくとしよう。

今のところ、私にはパンツルックが似合ってる。


「やっぱり今回も、フリフリはお預けだね」

ややガッカリしながら腰元のケースを見る。すると、キレイな白い玉を用いた一組のイヤリングが目に入った。これって、真珠? 見るのは初めてだけど、クスノキの園で輪廻からその存在は聞いたことがあった。




『転生、海にはね真珠って言うものがあるんだ。とてもキレイなんだよ。大きな貝を取るとたまに中に入っている事があってね、昔一度だけ見た事がある。とてもキレイで、......きっと君に似合うと思うんだ』

輪廻は私の顔を見ずに俯いて、照れながらそう言った。

私はなんだか愛おしくなって、一歩彼の方に近寄って、彼の肩に頭を預けて目を閉じた。

『いいな。私も見てみたい。ね、いつか私に真珠を見せてね』

懐かしい記憶。私達の唯一の、甘い記憶の一欠片。

一月と無かったあの日々は、100年経った今も私の胸を焦がしている。




私は真珠のイヤリングを購入することにした。結構値は張ったが迷いはなかった。耳につけて、銅でできた鏡で身だしなみを確認する。

輪廻は気付いてくれるかな? 似合ってるって、言ってくれるだろうか。





少しづつ、決戦の日が近づいてくる。

私はそれまでの1日1日を大切に生きた。たまにはお洒落して、装具を見繕って、時には略奪して、美味しいご飯を沢山食べた。

あれから1年、いよいよ私達リチャード軍にも出立の令が降った。リチャードが軍隊を前に、壇上で演説を行う。フランス王フィリップも、僅かな騎士を伴い駆けつけていた。


「諸君、お待たせした。いよいよだ。耐え難きを耐え、偲び難きを偲ぶ日々であったことだろうと思う。苦労をかけたが、遂に時は来た! 我々の聖戦が始まる!」


『ワァーーーーッ!!!!』

『うおお!!リチャード王!!リチャード王!!!』

『戦士の中の戦士、獅子心王!!!』


兵士達から歓声が上がる。口々にリチャードの名前を叫び、歓喜に打ち震えているのが伝わる。エドゥアルトも両手を振り回し跳ね回っている。うわあ。


リチャードが手を伸ばす、歓声がピタリと止まる。

おや、意外とカリスマなんだね。神性を持つようには見えないけど、なるほどこれが戦士達の主の姿ってわけか。


「結構! 諸君らの熱意、しかと受け取った! 伝承に知る十字軍クルセイダーズに参戦する諸君らは、まさしく騎士の誉れにしてキリスト教徒の誇りである! これは聖戦、聖戦なのだ! 悪しきサラセン人共を討ち滅ぼし、聖都を我等が神の元へと取り戻す! 我等の英雄的奮戦は歴史に刻まれ、聖人として教会史に名を残す事だろう! これより先は全てが聖事である、奇跡である! 故に、一切から目を逸らすことまかりならん!! 我等の一挙手一投足が、聖書に等しき伝説となるのだ!!!」


リチャードが手を掲げて宣誓を終えた。

一際大きい歓声が響く。空気がビリビリと震え、士気が最高潮に高まっていくのを感じる。エドゥアルトは感激で遂に涙まで流した。

男に産まれたのなら、私も同じく雰囲気に酔えたのかもしれないね。この場は今、確かにリチャードの発した1つの意志が支配していた。

いや違う。たった1つ異なる意志が紛れてる。尊厳王フィリップ2世、この歓声の中、伏せた顔には一切の揺らぎの色がない。

名君と名高き彼は、リチャードとは違う。名誉の為の戦争なんかに本気になるような男じゃない。その鉄仮面の裏で、一体何を考えているのかな?


リチャードが手を振る。ピタリと歓声が止まる。


「結構! 今日はもう一つ諸君らに伝えることがある。それはこの日の為にわざわざ駆け付けて下さった、我が友フィリップから直接伝えて頂こうと思う」


そう口にすると、リチャードは壇上から下がり、フィリップと場所を変わった。

軍隊をじろりと一瞥した後、彼は居直り口を開いた。


「只今紹介に預かった、フランス王フィリップだ。かつてプランタジネットの王宮で暮らしていた私だ、君達の中には私を知る者も多く居るだろうが、改めて自己紹介させていただきたい。

 先刻承知の者も居るだろうが、我々フランス王家も十字軍に参戦を表明している。すなわち私は、君達と肩を並べて戦う戦友というわけだね。そうした立場の人間としては、この壇上から映る光景は実に壮観だ。戦友として、このような勇ましい軍隊と轡を並べて戦える事を、大変頼もしく誇りに思っているよ」


場がしんと鎮まる。しかし、皆が内に気を溜め込んでるのがわかる。リチャードの演説とはまた違う、優しげで、しかし強く響く声。

フィリップの声や振る舞い、その全てが彼らの心を捕まえ、震わせている。大した演技力。


「僕達フランス軍も、リチャードと時同じくして出立する事になった。既に赤髭王バルバロッサフリードリヒの軍が進軍を開始しているが、功を焦る必要はない。我々が轡を並べる以上、進む先には勝利以外に何もないのだから!」


フィリップが大袈裟に手で胸を叩く。

応じるように皆が胸を叩き、顎を引いて背筋を伸ばした。誰一人声を発しないが、誰もが頬を紅潮させ上気させている。

荒くれ者達にこれだけの熱を吹き込む、リチャードとは異なる確かなカリスマ。

そう、二人は全く異なるタイプの人間だった。かたや英雄願望の強い夢想家の豪傑。かたや合理主義で狡猾な優男。この二人が親友? この男フィリップに、そんなソフトな回路があるようには思えない。


演説を終えたフィリップは姿勢を正し、彼らを値踏みするように端から端へと視線を送る。そして、ふと私と目があう。

熱に浮く荒くれ者の群れの中、一人だけ涼やかな視線をたたえる私。それを目にした時、彼のその鉄仮面が揺らぎ、僅かに笑みが溢れたような、そんな気がした。



「流石だフィリップ。我が兵が滾っているのが伝わる! 君に来て貰えてよかった! 我ら二人が一丸となれば異教徒など恐るるに足らんな!」

「そうだねリチャード。僕も

そう言うと、フィリップはリチャードには目もくれず、馬に乗って自分の陣幕へと戻っていった。

「なんだ、せっかちな男だな。積もる話もあるだろうに」

リチャードは少し寂しそうにその背中を見送った。





遂に、十字軍全軍が始動した。

目的地は一先ずシチリア島。効率を求め海路を臨んだフィリップに対し、リチャードは出来うる限りの陸路を取りたがった為に、一旦別れての進軍となった。


進軍というのはとにかく退屈なものだった。リチャードの軍隊はアキテーヌやアンジューの騎士だけでなく、私達傭兵や階級の低い歩兵、馬車からなる輜重隊を含む混成部隊になる。中には行軍の様子を記録する官吏や吟遊詩人までもが参列していた。

長期の行軍と城攻めを目的とした編成ではあるが、こうまで多様な隊が集えばとにかく足取りは重くなる。

私達の行軍は、非常にゆったりとした進行となった。


「退屈なんだけどエドゥアルト」

「軍隊の行軍なんてこんなもんだテンセル。史書に載るような華々しい戦いなんてものは、戦争のホンの一部分だけさ」


うわぁ現実的な意見。およそせっかちなエドゥアルトらしくない。

この先の栄光を夢見る今の彼にとっては、この時間すらもデートの待ち時間に等しいお楽しみの時間ってこと?

付き合ってられない。呆れ返って上を向く。


──空が青い。雲がゆったりと流れていく。

思い返せば、傭兵団としての暮らしはずっと暗闇と共にあった。森の中で野営をし、夜闇に紛れて村々を襲撃する。こんなゆったりとした時間の中、青空を眺めるのなんて何時以来だろう。

今や私達は薄汚い傭兵団ではなく、キリスト教の看板を背負った聖王の軍、お天道様の下を堂々歩けるなんて暫くぶりだ。お日様って気持ちいい。

空を眺めて、長い道のりをゆらゆらと歩く。


「ようテンセル、お待ちどうだな最初の宿営地が見えてきたぜ。へへ見ろよ、奴ら手を振って俺らを歓迎してらぁ」


いい加減首も痛くなってきた頃、エドゥアルトが声を掛けてきた。空も若干、朱が差し始めた頃だった。

視線を前に戻す。小さな街が見える。城門には多くの市民たちが十字軍を歓迎して出迎えてくれている。

これは私の人生においては初めての経験だった。悪魔に産まれた私を、歓迎してくれる人達がいる。正確には私ではなく十字軍をなのだけれど、暖かい声援で迎えられたのは初めてだ。

決して裕福そうな人達では無かったけど、出て来たご飯は美味しかった。彼らの分もお腹いっぱい食べた。寝床はその辺の民家でフカフカのベッドを借りた。とても暖かくて気持ちいい。少し血の匂いがすることだけが欠点だけど。


こんな日が続くなら退屈な行軍も悪くはないね。

この日はとても深く、深く眠った。





──夢を見ている。分かる、これは夢だ。

見渡す限り何もない河原、川を挟んだ対岸も同じく荒涼とした河原が続いている。

私はあまり夢を見ることがない。たまに見る夢と言えばいつもこれ。空っぽの河原で一人佇む夢。

誰もいない空間に一人ぼっち。我が夢ながら寂しい空間だ。目が覚めるまで私はぼーっとして時間を潰す。

たまに対岸に何かの気配を感じる事はある。けれどそれが何なのかはまるで分からない。でもその何かには、なんだか懐かしいような愛おしいような、そんな気配がある。

それに会ってみたい気持ちはあるけど、なんだか川に近寄るのは危険な気がして、いつも遠目で眺めるばかり。


(今日は居ないのかな)


ポツンと体育座りしながら、対岸を眺める。川がさわさわと静かに流れていく。

川を見つめる。いつもは静かなだけの川だけど、この川はたまにキレイな光の玉が流れてくる事がある。それがゆったりと川を流れる光景はとてもキレイで幻想的で、私は好きだった。


あ、ほら1つ。ふよふよと光の玉が流されていく。

またきた、もう1つ。それからもう1つ...?


変だな。今日は随分と多く流れてくる。次から次へと光の玉が流れてきて、川はキラキラと輝いた。

「キレイだな」

私はうっとりとしてその川を眺めている。この光景を見る為なら、私は多少の苦労も辞さないだろう。


「相変わらず、不気味な光景ですねぇ」


声が聞こえる。誰?

声の聞こえた方を振り向く。先程までは無かった筈の枯れ木、その上で黒い影が動いている。


「あなた誰? 人の夢で何してるの」

暗闇に声をかける。


「私が誰かなんて、見てわかりませんか? ああそうでした。月も出てないこんな薄暗い夢の中では、姿など見えはしませんね」


ではこれでどうでしょう?

そう言い放った影がパチンと指をうつと、空に月が浮かび、枯れ木の周りをどこからともなく蛍が現れ飛び交った。光が影を照らし、怪しいシルエットが浮き彫りになる。

女性だ。シルクで出来た白い服とその上に羽織った黒の上着、下はタイトな黒ズボンを穿いた女性。襟元にはリボンが着いていて、髪は少し粗雑な背中まで伸びる金髪、頭には黒い円筒形の帽子に何故か兎の耳がついている。鋭い視線には一切の感情を感じない、まるで爬虫類のような瞳。彼女のどの部分も、およそこの時代の人間のものでは無いと思うに十分な雰囲気を湛えている。

恐らくは神域の、化物の類。

で、誰?


「わかりませんか? こんなに可愛いうさぎちゃんですのに」


木の上でクスクスと女が笑う。いちいちカンに触る女だ。せっかく人がいい気分でいたのに。

小石でもぶつけてやろうと地面に手を伸ばす。しかし、どの石もまるで地面に張り付いたかのように動かなかった。どうして?


「ねぇ転生さん。どうして貴方はそんなに人を殺すんです?」


木の上に寝転がり、両手の上に顎を乗っけて脱力した態勢で彼女は私に語りかける。なんで私の名前を知っている?

「なにそれ、どういう意味?」

私は地面に屈んだまま、彼女を睨めつける。


「だって、人は素晴らしいじゃないですか。億を超す命がそれぞれの人生を劇的に生きている。彼らの一つ一つの魂が時に輝き、時に堕落し、それでもいずれ役割を全うし大いなる輪に飲まれていく。それを眺めるのが、わたしは大好きなのです!」


今度はゴロリと仰向けになり、月を仰いで彼女は大げさに人間への愛を語る。しらじらしい。

「人が素晴らしい? バカ言ってる。あんな凶悪な生き物は他にいないよ。一人一人は情けないくらい弱っちいクセに、徒党を組んだら途端に態度が大きくなって隣の誰かを虐めだす。あんな連中に何度も虐げられ殺されていく私達の気持ちが、あなたに分かる?」


「ウフフ、ほんとうに弱い子」


カチンと来て立ち上がり、大股で彼女の方に詰め寄る。すると、木がスルスルと伸びて、歩いた分だけ彼女は遠ざかった。


「わたし、あなたが嫌いなんですよ。強がってばかりの寂しん坊。愛が欲しくて人とぶつかる甘えん坊。夢の中、一人ぼっちは寂しいですか? いつも誰かを探してますよね?」


なんだ、こいつ。なんなんだこいつ!

人の夢に土足で入り込んで、人の心に噛み付いてくる!

何がウサギだ。蛇、この蛇め!

怒りが沸き立つ、しかしそれに応じるように世界が白んでいく。


「あらあらお時間のようですね。わたしもそろそろお暇します。また会いに来ますよ、夢の木に跨って。 

 ウフフ。わたしは食べる事に飽いて、食べられる事を望んだウサギ。なんでしたら、【時計ウサギ】とでもお呼び下さいね。

 貴方達のこの先の云百年、時を超えて、わたしが見ていて差し上げます」





私はうなされるようにして起きた。何か、イヤな夢を見ていた気がして。でももう何も思い出せない。

「おう、起きたかテンセル。見ろよ今日は飛び切り良い天気だ」


いつの間にか私は船に乗って、大海原に繰り出していた。

そうだった。を終えて、シチリア島に向かう途中だったね。潮風が心地よい。初めての船、強い日差しが身を焦がす。

私はふらふらと船の先端に歩み寄り、柵を掴んで半身を乗り出す。


風があたる。潮の匂い。波の騒がしさが耳に響く。太陽が煌々と輝き、水面がまるで宝石のように輝いている。カモメがみゅうみゅう鳴いている。


ああ、世界はこんなに美しいのに。

世界はなんでこんなにも残酷なんだろう。





「リチャード、何故君は道中の街々を襲撃して回ったんだ!」

フィリップが激高している。向かいに座るリチャードは平然とした顔で言い放つ。

「何を憤るフィリップ。私は彼らに兵站と寝床の供出を願ったのみだ。それを突っぱねた奴らの問題であろう。聖王の軍を相手に大変不敬な振る舞いだ」

場所はシチリア島。二人はこの地にて合流を果たしていた。


「彼らは応じた筈だ! 自分達の暮らしを除いて、最大限適うだけの量を!」

食いかかるフィリップ。それに対しリチャードはやれやれとかぶりを振る。

「甘いぞフィリップ。これはキリスト教徒全体に関わる問題。それを、よもや自己を優先して制限をつけるなどキリスト教徒にあるまじきとは思わんかね? 誰がために身を捧げるのがキリスト教徒の本懐! ...だいいち奴らは平民で我らは騎士だ。である以上、これは正当の関係だよ」

フィリップはそれを聞き、喉の奥をくっと鳴らした。

「君が戦闘狂なことは知っていたつもりだ。だがよもや、かつての民衆十字軍とどっこい程度の節度しか併せ持たないとは、思いもよらなかった」

「何が言いたい?」


リチャードの目が鋭くなる。フィリップは椅子から立ち上がり、その目を真っ直ぐに睨みつけて宣言する。

「君との関係もここまでと言う事だ。我が姉アリースとの結婚、ここで正式に破談とさせていただこう」

その発言に、リチャードはくっくと肩を笑わせて答える。

「大変結構だ。実は今朝方、我が母アリエノールがナヴァール王女べランガリアを伴ってお越し下さってな。...彼女は私の婚約者となる。あの淫売との婚談に関しては、君が言い出さなければ私から切り出そうと思っていたくらいだよ」

父のお下がりなど御免被る。リチャードは呟くようにそう告げた。

フィリップの異母姉アリースは、リチャードの父ヘンリ2世の愛人だったとの噂のある女性であった。

それを聞き、いよいよフィリップは激怒した。


「なるほどリチャード、僕は君を見誤っていた。これまでの事は全て、僕の頑迷な頭が引き起こした過ちだった。さよならだ」


フィリップはリチャードを一瞥すると、背中を向けて振り返らずに立ち去った。



「うまく行ったかな? どう思うリィンカ」

「お上手だったと思いますよ」

フィリップは前を向いたまま暗闇に声をかける。暗闇の中から返事が返る。リィンカだ。

「これでリチャードとの関係は断てた。後は君の言う通り、然るべき場で彼女の正体を暴くのみだ」

フィリップは平静そのものの様子で淡々と語る。激高したのは単なる演技。略奪も、アリースの婚約破棄も彼の心には響いてはいなかった。あくまで彼の目的はリチャードと敵対することにあったのだ。

十字軍への参戦に全く価値を見出していなかったフィリップ。彼は今、リィンカの口車に乗せられとある目的の為に暗躍している。


「リチャードが陸路で行軍を開始すれば、こうなる事は分かっていた。私が執拗に海路を進めれば、あの反骨心の塊のような男の事だ、あえてギリギリまで陸路を取ろうとすることもね。彼にとって栄光の道とは自らの足跡に他ならないのだから」

フィリップの口角がククッと上がる。

「今やリチャードは暴虐の主だ。十字軍の看板のもとに無法を働く悪魔の軍隊だ。王権とその人気故に未だその地位を保ってはいるが、亀裂は入った。

 ......彼女が、彼の軍にいたことは幸いだった。後は彼女の存在を彼の軍隊の有り様とこじつけ、告発する。彼の軍は悪魔を伴い使役する事で万の戦果を上げてきた、悪魔の軍であるとね」

リィンカは無言で彼の横を歩く。

「そうなれば彼は終わりだ。キリスト教徒すべてが彼の敵になる。いよいよだ。いよいよ僕は、ヘンリに奪われたフランスのすべてを取り戻す」


城門を抜ける。爽やかな風が吹きぬける。闇の中に居た男に光が差し、その姿が陽光のもとに照らされる。



リィンカ。色白の肌に白い髪の男。前髪は少し崩れていて、束ねた後髪は肩まで伸びている。体は比較的細身ながらも、ガッシリとした肉付きをした男。

かつての世界では、輪廻と呼ばれた男が立っていた。


転生を殺す。それが彼の目的であった。





私は見た。あれは確かに輪廻だった。

フランス王フィリップ2世。リチャードと決別し逃げるように去っていくフィリップと、彼に伴われて駆けていった色白の騎士。

すれ違うその瞬間、私達の視線は交錯し、まるで時が止まったような世界の中私達はお互いを見つめ合った。


ようやく会えた。輪廻、世界でたった一人の私の兄妹。


今後フランス軍とは別行動になると聞いた。となれば、恐らくは次に出会うのはアッコンだ。

サラセンの居城にして、難攻不落の大砦。恐らくはそこで十字軍の全軍が集結することだろう。

つまりそこが、私達の約束の地になる。




待ったよ輪廻。およそ15年、短いようで長い人生だった。

貴方と殺し合う日が目の前に迫っている。手の届くところに貴方がいる。

進もうじゃないか。合間にある全てを破壊して。


私達の戦争が、また始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る