第37話 夕暮れ色の銀貨



 他人と自分を重ねることに、意味なんて無いのにね。




 夕刻、アルマハーナの外れにある飛空艇の発着場に、一隻の軍用機が到着した。

 降りてきたのは、三人の男。

「へえ、ここがアルマハーナか……確かに、砂漠ばっかりなんだな」

「おや、君は初めてだったか。郊外は延々と砂の海だ、なかなか壮観なものだよ」

 辺りを見回すグレイアを見て、ウォルクロフは微笑んだ。その横で、ギャレットが無言のまま煙草に火を点ける。

 零伍小隊の三人は、レイリ達同様、ザーシャを追ってここアルマハーナまでやって来た。隊長と副隊長、負傷したサイザン、情報収集担当のフォンファが都に残り、実働役として三人が動く手筈になっている。都では軍服を纏っていた彼等だったが、外では各々の特徴に合わせた戦闘用の衣装に身を包んでいた。

「じきに日も暮れる。今日のところは休んで、明日は遺跡に入ろう。ザーシャの目的は、封印の破壊……必ず、遺跡に姿を現すはずだ」

「ああ、分かってる。泊まるのは軍の宿舎だろう? さっさと移動しよう」

 発着場から街に入った三人は、夕方になり活気を増した大通りを、軍の支部を目指して歩く。特に会話をするでもなく淡々と歩を進める三人だったが、グレイアは突然腹の辺りに軽い衝撃を受け、視線を下に向けた。

「あ、ごめんなさい!」

 目の前に立っていたのは、貧しい身なりをした少年だった。人混みに紛れて気付かなかったのか、どうやらぶつかってしまったらしい。

「こちらこそごめん。怪我は無い?」

「うん、大丈夫!」

 少年がそのまま、人混みに紛れるように姿を消そうとしたところで――

「待て、ガキ」

 ――ギャレットが、その細い腕を掴んだ。そのまま少年を無理矢理引きずるようにして、通りの端まで引っ張ってゆく。

「何してるんだ、こんな子供相手に!」

「何してるはこっちの台詞だ。こいつはスリだよ」

「スリ?」

「スリなんかやってないよ! 離して!」

「はッ、この節穴野郎は誤魔化せても、俺はそうはいかねえ。元同業者の目を欺けると思うなよ」

「元、同業者……?」

 不思議そうな顔をした少年を見て、懐に手を突っ込んだグレイアは、狼狽した様子で顔を上げた。

「……無い」

「なるほど、旅人の財布狙いか」

「いや、財布は有る。だけど、もっとヤバい物が無くなってる」

「え?」

 盗んだのは財布だと思い込んでいたのか、少年も首を傾げながら服の中に手を突っ込む。彼が取り出したのは、長方形をした薄手の革製のケースだった。知らない人間が見たら、確かに財布と間違えてしまいそうな見た目をしている。

 の、だが。

「バカ! このバカ!」

「うーん、流石の私もこれは擁護出来ないぞ……」

「そ、そこまで言わなくてもいいだろ!? 武器は取り出しやすい位置のほうがいいと思って……」

「それで盗まれてたら世話ねえだろうが」

 グレイアを罵倒して溜息をついたギャレットは、少年の手からケースを奪い取り、グレイアに手渡す。素早く開けて中身を検分したグレイアは、異常が無かったことを確認して、顔の下半分を隠しているジャケットの襟の内側でほっと一つ息をついた。ケースの内側のホルダーに、指ほどの長さのガラス管に液体が入ったものが沢山差し込まれているのがちらりと見え、中身が金目のものでなかった事を知った少年は、露骨にがっかりした顔をする。

「にしても」

 ぎろり、とギャレットは少年を見下ろす。

「こいつ、どうしてくれる?」

「ふむ。ギャレットのおかげで事無きを得たとはいえ、盗みは盗みだからな……」

「待ってくれ!」

 ウォルクロフが顎に手を当てた直後、突然現れた帽子を被った少年が割って入ってきた。

「頼む、こいつは見逃してくれ! 代わりに俺が何でもする、だから!」

「何だ?」

 呆気に取られた一同を、帽子の少年は見上げた。

「仲間が、居たのか……」

「そのようだな」

 腕を組んだウォルクロフは、片方だけ眉を吊り上げる。

「大方、浮浪児が徒党を組んで生活しているくちだろう。君が、リーダーかね?」

 帽子の少年は頷いて、口を開いた。

「だから、俺が責任を取る。頼む、こいつの事は……」

「ラージュ、いいよ。相手を読み違えた俺のミスだ、俺が罰を受けるべきだろ」

「でも、最初にスリを始めたのは俺だ。本当はお前達にこんな事させたくないし、皆を巻き込んだ以上、俺は」 

「いい加減にしろよ!」

 少年は、乱暴にラージュの肩を掴んだ。

「いつまでそうやって、自分だけで背負おうとするつもりだ! 俺達にだって生きる為に手を汚す覚悟はある、それはお前と変わらない! それに……」

 一気にまくし立てて、少年は息を吸った。

「それに、ゼナヒが居ない間、誰がリリシを守るんだ? ゼナヒがレイリ達と一緒に、遺跡に行って戻ってくるまで――」

「待て」

 ウォルクロフが、少年の言葉を遮る。その横でギャレットが、少年をじっと見つめた。

「今、何と言った?」

「え……ゼナヒが居ない間、誰がリリシを守るんだって……」

「違う、その後だ。その、ゼナヒという人物は、誰と一緒に遺跡に行くと言った?」

「……なんで、そんな事」

「ウォル、もういい」

 僅かに声に警戒を滲ませた少年の言葉を、ギャレットが遮る。その声に、ウォルクロフは振り返った。

「……読んだのか」

「詳しい事は、人が居ない場所で話す。行くぞ」

「分かった。君がそう言うなら、確かな情報なのだろう」

「ああ、信じるよ」

 そのまま三人の軍人は、その場を立ち去ろうとする。と、状況が分からず目を白黒させていた二人の少年を、いきなりギャレットが振り返った。懐に手を突っ込み、何か小さなものを二人に向かって投げる。

「おっ、と」

 キラキラと輝くそれを慌てて受け止めたラージュが掌を開くと、銀貨が一枚、夕暮れの光を反射した。

「え、あの、これ」

「駄賃だ。じゃあな」

 それきり呆気に取られた少年達を振り返る事は無く、ギャレットは黙って歩を進める。その横で、ウォルクロフがふふ、と笑みを浮かべた。

「何だ、君らしくもない」

「うるせえ。たまたま気が向いただけだ」

「あの二人に、思う所でもあったのかい?」

「うるせえっつってんだろ」

 グレイアの言葉を振り切るように足を速めようとしたところで、ギャレットは顔を顰めてこめかみに手を当てた。舌打ちをして、懐から小さなケースを取り出す。ウォルクロフとグレイアは振り返って、表情を引き締めた。

「痛むか」

「……そんなところだ」

 ケースから幾つか取り出した錠剤を口に放り込んで飲み下したギャレットは、相変わらず顔を顰めたままケースを懐にしまった。その様子を眺めていたグレイアは、フードの下の目を細める。

「それ、あまり一度に沢山飲むものじゃないぞ。今くらいの量なら平気だろうけど、大量に飲むと副作用が出る。ただでさえ長期間飲み続けてるんだ、気を付けたほうがいい」

「分かってるよ、うるせえな。相変わらずのご高説どうも、学者先生」

「だから、その呼び方はやめろって……」

 言いかけて、グレイアは溜息をついた。

「即効性とはいえ、効いてくるには多少の時間がかかる。少しの間、我慢してくれ」

「ああ」

 相変わらずこめかみに手を当てたまま、ギャレットはほとんど唸り声のような返答をする。それを見やって、ウォルクロフは空を見上げた。

「よし、もう日没だ。早く行こう」

 そのまま三人の姿は、人混みに紛れて消えていった。




「さて……今後に関してですが」

 宿屋に入ったレイリ達は、値段の割りにはなかなかの味の食事を摂り、風呂にも入ってさっぱりとした顔で集まっていた。

 ベッドに座り、解いた長い髪を指先で梳きながら、ユリアンが切り出す。

「アルマハーナが砂漠の中にある街である事は、既にお二人もご存知だと思います。しかしメナルー同様、ここアルマハーナも、ここ数百年のうちに造営された新しい都市です。かつてにアルマハーナと呼ばれていた都市は、現在は住む者も無い廃墟になっています」

「やっぱり、メナルーみたいに天災で?」

 いえ、とユリアンは首を振った。

「戦で、一面火の海になったそうです。五百年ほど前にこの辺りで有った、ハザダ戦争という戦いで、ね」

「ハザダ戦争……」

 聞き覚えの有る単語に、レイリはあやふやな記憶を辿る。

「確か、もの凄く規模の大きい戦いで、転移の技術もその時に失われた、だっけ?」

「はい。転移魔術だけではなく、様々な技術が失われました。当時は現在よりも遥かに科学技術が発達していて、人間そっくりに作られた機械仕掛けの人形……ゼナヒさんのような存在が、様々な仕事をしていたと言われています。中でも多数の人形が、兵士として戦争に使われていたそうです。

 昼間見た『銃』という武器も、軍の研究機関が遺跡から発掘されたものを復元して開発しているものです。まだ、一部の特殊部隊にしか支給されていないものの筈……ゼナヒさんは、自身の記憶を頼りに作っていたようですが」

 特殊部隊、とシエラは呟いた。

「こないだ会った、鎌担いだ奴とか?」

「ええ、彼も所持していますよ。この間も、腰に吊っていましたし」

「え、そうだったの!?」

 レイリは、自分の顔が一気に青ざめたのを感じた。ちょっと間違ったら撃たれていたかもしれないと考えると、今更ながらにぞっとする。

「まあ、彼は飛び道具よりも接近戦を好む傾向が強いですから、撃たれていた可能性は低いですが……零伍小隊には、腕の良い狙撃手がいますからね。相手が彼女だったら、危なかったかもしれません」

「女の人も居るんだ……」

 呟いたレイリの顔を、ユリアンが真剣な目で覗き込んだ。

「そういえば、レイリさん……先日、隊長に目を付けられてるって言われたんですよね?」

「うん。あたしの事、『異世界からの旅人』って呼んだし……どこまであたし達の事知ってるのか分かんないから、怖いな」

「となると、あの隊長の事ですから……今後も、彼等はレイリさんに何かと付きまとってくるでしょうね」

「何それ、超陰湿じゃん!」

「ねちっこいですからね、彼。仇討ちの為だけに、あの変人集団を仕切ってこそこそ暗躍してる人ですから」

 そこでレイリは、ずっと気になっていた事を聞いてみる。

「ね、なんでユリアンはそんなに軍の事情に詳しいの? 隊長の話も銃の話も、民間人は知らないはずでしょ?」

 おや? とユリアンは眉を上げた。

「そういえば、お二人には言ってなかったんでしたっけ。

 僕の亡くなった両親、二人とも軍人だったんです。零伍小隊には、両親が生前知り合いだった方が居るんですよ。

 あと、師匠とも個人的に知り合いの方がいて……サイザン・ハーネットとも、そういう経緯で知り合いました」

 へえ、とレイリは頷いた。どうりで軍の内情に詳しいはずだ。

「丁度良い機会ですし、今後の為にも役立つでしょう。本来なら機密扱いですが、お話ししましょう……零伍小隊の、詳細な情報を」

 少し声のトーンを落としたユリアンにつられて、レイリはベッドの上で居住まいを正した。


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