第33話 盲目の少女



 無ければ良いと思った出来事ほど、不思議と起こってしまうのは何故なんでしょうね?




「……つー訳で、腕も折られた上に奴の目的や詳細な情報も掴めずじまいってやつさ」

 眉をひそめて溜息をついたサイザンは、右手を伸ばしてデスクの上のお茶を啜る。

 元々の彼の任務は、先行して偵察を行い、後発組と合流することだった。ザーシャの動向を探り、場合によってはその邪魔をする。

 しかし、その任務は途中で変更を余儀なくされた。

 メナルーの背後から、エルギーニ軍が陸路で凶暴な魔物を放つ奇襲を行ったため、後発組はそちらの援護に回り、サイザンのみがザーシャと対峙する羽目になったのだ。

「お前って奴は……」

 呆れた顔で、副隊長が呟いた。

「あんま無茶すんなよ? 元々お前の身体は、今まで後遺症らしい後遺症が出てねぇのが奇跡みてーなモンなんだからよ」

「平気だって、この位。それより、ザーシャがアルマハーナに向かったってのは確かなんだよな」

「先輩、私と諜報部隊の仕事を疑うおつもりで?」

 すちゃ、と眼鏡をずり上げながらフォンファがサイザンを睨む。

「なッ……そんな訳ねーだろ!? フォンファの事は誰よりも俺が信じて……」

「ザーシャの足取りに関してですが、アルマハーナに向かったようです。現在地や目的等は、はっきりしませんが」

 サイザンの言葉を遮り、諜報部隊からの報告書を捲りながら、フォンファは調査結果を報告する。

 彼女が十七歳の若さで零伍小隊に籍を置く理由は、体術や飛び道具の扱いに長けている事だけではない。情報収集と分析、そして冷静な状況判断能力に長けた明晰な頭脳こそ、彼女の最大の武器なのだ。

「しかし、その……レイリと言ったか? その少女が異世界から来たというのが真であるならば、話はややこしくなるな」

「彼女がこちらに来た際の、周囲の魔力の歪みは確認済みだそうです。その点に関しては、間違い無いかと」

 ふむ、とウォルクロフは考え込む。

「ザーシャが異世界人の娘を拉致した、というのもよく分からない。彼女をどうする気なのか……ザーシャにとって、何らかの利益にはなるのだろうが」

「その二人って、何か特殊な人間なのかもしれないよな。場合によっては、レイリって子には俺達にとっての利用価値も出て来るって事か」

 グレイアの言葉に、副隊長は頷いた。

「で? そいつもアルマハーナに向かったのか」

 ギャレットが腕組みをして、フォンファに低い声で尋ねる。

「はい。サイザン先輩の乗った軍用機が出発した直後の便に乗っていた事が、確認されています」

「ああ、そういえば発着場で会ったっけ」

 ふうん、と隊長は眼を細める。

「レイリ・シオツキからは今後も目を離さないようにしましょう。異世界人やその仲間に何らかの危害が及んだ場合、こちらが助けてやる位の心構えで居たほうがいいでしょうね。いざという時に利用出来なければ、元も子もありませんから」

 一同は、深く頷いた。

「今後の僕達は、本件を最優先とします。僕と副隊長さんとフォンファ先輩、それにサイザン先輩は都に残って出撃メンバーのサポート。ウォルクロフ先輩、ギャレット先輩、グレイア先輩はザーシャの追跡及び異人とその同伴者の監視にあたってください」

 全員が再び頷いた直後、サイザンは苦笑いする。

「この腕が治るまでは、当分出撃は無しだろ? じっとしてんの苦手なんだよな」

「ま、その分フォンファと一緒に居られる時間は増えるがな」

 ウォルクロフの言葉になるほどといった顔で頷いたサイザンを、フォンファがものすごい目で睨んだ。

「そうだよ。折れたのが左で良かったよな。右だと厄介だったけど……あ」

 グレイアが言いかけて、ふと何かに気付く。

「お前……左利きだったっけ」

「うん」

 事も無げな口調で、サイザンは返事をした。

 一瞬、沈黙が辺りを支配する。

「つまり先輩は、怪我が治るまでは居ても大して役に立たない、という事になりますね」

 ここぞとばかりに、フォンファに一刀両断に斬り捨てられるサイザン。ここまで来ると、流石に哀れである。

「なっ、何だよっ! 早く治せばいいんだろ? こんなの、ナナシに見せりゃ一発だっての!」

「ナナシ? ……ああ、お前の主治医か。早く診せて来いよ。つーか、まだ行ってなかったのか?」

「んー、まずこっちが先だと思ってさぁ。話は終わりだろ? これからちょろっと行ってくるわ」

 立ち上がって、サイザンは笑顔で手を振って部屋から出て行こうとした。

「待て、サイザン」

 鋭い声でウォルクロフに呼び止められ、サイザンは振り返る。しかしウォルクロフは、声を掛けてからしばらく躊躇ったようで、きまりの悪い空気がその場を支配した。

「……何?」

 沈黙に耐えられなかったのか、サイザンが先にその空気を破る。

 ウォルクロフは小さく溜息をついて、口を開いた。

「十年前の事件で、刑務所にいたお前の父親……つい先日、出所したそうだ」

 サイザンが息を吞んだのが、しんとした部屋にやけにはっきりと響いた。

「……あ……はは、そうなんだ。い、今どこで何してんの? あの人」

 引きつった顔でそう聞かれ、ウォルクロフは教えたものか迷いながらも再び口を開く。

「看守には、妻の墓参りをしにデュナカイに行きたいと言っていたらしい」

「……そっか。ありがと」

 少し俯き加減にそう言ったサイザンは、苦し紛れのような笑顔を浮かべて顔を上げた。

「もう、俺とあの人との間には、何も無いから。これからずっと、他人として生きてくし……二度と会う事も、無いよ」

 自分に向かって言い聞かせるようにそう言って、今度こそ本当に、サイザンは扉を開けて出て行った。

 僅かに軋みながら扉が閉まった途端に、ウォルクロフは天井を見上げる。

「あいつ……大きくなったな」

「おいおいウォル、ジジイみてーだぞ」

 一旦はウォルクロフの言葉を茶化した副隊長だったが、その後深く頷いた。

「でも、オレもそう思う。なんつーか、明るくなったよな」

「親父さんの事……吹っ切れたのかな」

「どうだかな。まあ、今後関わる事は無いだろ。……そうであって欲しいと、オレは思う」

「そうだな。何事も無ければいいのだが」

 ウォルクロフの溜息を受けて、彼の目の前に置かれた鉢植えの花が微かに揺れた。




「ふいー、長かったねえ……」

 飛空艇のタラップを降りながら大きく伸びをしたシエラに続いて、レイリはアルマハーナの発着場に降り立った。砂漠からの風が、一行の髪や衣服を揺らす。

 アルマハーナは、工業が発達した街である。周囲を砂漠に囲まれているが、近くの山には大量の金属資源が眠っており、精錬や機械の製造が盛んなのだ、とユリアンからは聞かされている。こうして歩いていても、市場の店では食品や衣料品のほかに、沢山の金属製品が売られている。見覚えのある道具もあれば、レイリには全く用途の分からないものまで様々だ。

 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、腹の辺りに鈍い衝撃が走った。

「っ!?」

「あ、ごめんなさい!」

 レイリにぶつかった、帽子を被った小柄な少年は、軽く頭を下げながら人混みに紛れて足早に立ち去る。

「気を付けなよレイリ、ぼんやりしちゃダメだよ?」

「そうですよ。特にこんな人混みの中じゃ、スリの絶好のカモ……」

 言いかけて、ユリアンは口をつぐんだ。ユリアンとシエラの冷たい視線が、レイリの荷物に向けられる。

「な……」

「ちょっと失礼します」

 ユリアンはレイリを引っ張って通りの隅に連れて行くと、レイリのベルトに付いた小物入れに手を掛けた。

「ちょっ、何!?」

「いいから、じっとしていてください!」

「おやおや~、どさくさに紛れてどこ触っちゃってるのかな?」

「触ってません!!」

 噛み付くようにシエラに言いながら、ユリアンは中身を調べた小物入れを再び閉じる。

「……レイリさん、悲しいお知らせです」

「は、はい」

「レイリさんの財布が、有りません」

「……」

「……」

 しばし、沈黙が続いた。

「……はい?」

「ですから、財布が有りません。恐らく先程の少年、旅人を狙ったスリです」

 ようやくレイリにも、事態が飲み込めた。サッと顔から血の気が引くのが分かる。

「……マジで」

「マジです」

 路銀として必要な金はユリアンが管理しているので、レイリの懐には小遣い程度の金しか入っていない。しかし、そうは言っても盗まれたものを放っておけないことに変わりは無い。

「おそらくさっきの少年、生活の為にスリをしているくちでしょう。スラム街に行けば、見つけられるかもしれません」

 すぐ近くに屋台を出していた男からスラムの方角を聞き出し、一行は歩き始めた。

 何度も脇道へ曲がりながら歩いてゆくと、少しずつ街並が寂れてゆくのが分かる。道端や家の軒下に蹲る者もいれば、路地裏で怪しげに蠢いている者もいた。

 背中にぞくっと悪寒が走り、レイリは前を歩くユリアンから離れないよう、ぴったりくっつこうと足を早めた。

 レイリは、この国は一見豊かに見えても、治安の悪い地域も確かにある、とユリアンに教えられていた。それは、こういう意味だったのか。

 すえたような匂いが鼻を突き、落書きだらけの壁には昼間から酔っ払いが座って背を預けている。

 けばけばしい化粧をして派手な服を着た女が二人、レイリ達を特異なモノでも見るような目で見てくすくす笑いながら通り過ぎた。

 その足元にはぼろを纏った少年が黙って蹲り、こちらを見上げている。

 その中で、小さく歌声が聞こえてきた。

 高い女声が、薄暗い灰色のスラムには不似合いな明るい響きを残しながら、旋律となって流れる。

「……ふうん」

 歌声を聞いて、ユリアンが目を細めた。

「巧いのに、荒削りな……変わった歌い手ですね」

「そうなの?」

「あたしらには、さっぱりだね~。あ、止まった」

 シエラの指摘どおり、一行が声の主に近付くと歌声はふっつりと止み、代わりに話し声が聞こえる。

「何話してんだろ。全然分かんないわ」

 先頭を歩いていたシエラが首を傾げ、曲がり角を曲がった所で急に立ち止まった。当然、レイリとユリアンはシエラにぶつかる。

「ちょっと、急に止まんないでよ」

 ぶつかったレイリの文句を聞き流し、シエラは前方を指差した。

「あいつ……」

「え?」

 二人は、シエラの指が差す方向に目を向ける。三人の前方にある、倉庫のような大きな廃屋の入口には、一人の少女が三人に横顔を見せる形で立ち、小柄な少年と話していた。

 歳の頃は、十かそこらであろう。

 その年代の子供特有の、薄く華奢な身体付き。閉じられていてもわかる、大きな瞳。高い位置で括られた、桜色の髪。あどけない顔立ちには不釣り合いな、大人びた表情。

「ラージュ……誰か、向こうにおる」

 突然少女の顔がぐるんとこちらを向き、細い指がレイリ達のいる方向を正確に指した。その眼は、相変わらず眠るように閉じられたままである。

 盲目、なのだ。

 どこか聞き覚えのある、独特なイントネーションでそう言った彼女の隣に居た帽子の少年と、レイリの目が合った。

「あ……」

「あぁーっ!!」

 よくよく見れば、レイリの財布を盗んだあの少年である。

 さっと青ざめ、慌てて走って逃げようとした少年だったが、目にも止まらぬ速さで飛び掛かったユリアンとシエラに、呆気なく取り押さえられた。

「おとなしく縄に付けい、こそ泥が!」

「こそ泥……?」

 シエラの声を聞いて、桜色の髪の少女は眉を吊り上げた。

「どーゆー事やねん、ラージュ! さっきあんた、これはもろたお金や言うたやん! また人様のお金盗んだ上に、うちに嘘吐いてたん!?」

 関西弁だ……!

 おそらくこの国のどこかの地域の方言が、レイリにはそう聞こえているだけなのだろうが、頭では分かっていてもなかなかのインパクトがある。

 あまりの事態に硬直しているレイリに、少女は財布を差し出した。

「堪忍したってや。この子、うちの為にお金集めようとしてくれてん。うちの事ぶん殴ってくれてええから、その子放したってくれへん?」

 小さな子供の声で、随分と凄い内容を話す。

「あ、いや……別にぶん殴ったりしないんで……ありがとうございます」

「なんでねーちゃんが敬語になっとるん?」

 可愛らしくちょこんと首を傾げた少女から、レイリは財布を受け取って中身を確かめる。どうやら、取られた時のままのようだ。

「……にしても」

 少女は、ユリアンとシエラの拘束から解放された少年をぎろりと睨む。目は閉じたままだが、確実に睨んでいる。

「スリはアカンて、何度言うたら分かんねんあんたは!」

「だって!」

 ラージュと呼ばれた少年も、負けじと言い返す。

「オレ達……いや、リリシには金が必要なんだよ! その眼、金さえ有れば……」

「ドアホ!!」

 横で聞いていたレイリまでもがびっくりするくらいの大声で、リリシはラージュを怒鳴りつけた。

「治るかもしれんってだけやろ! そないあやふやなモンの為に、あんたが犯罪に手ぇ染めてどないすんの! うちやって、自分の治療費くらい自分で工面するわ!」

 なおも言い合う二人を見て、レイリはそっとシエラに耳打ちする。

「なんか、お取り込み中っぽいね……」

「話題がヘヴィ過ぎて、部外者のあたしらにはちょ~っと入り込めない世界っつーか」

 三人が顔を見合わせた、その時。

 何者かの気配に反応して、ユリアンが前に出て身構える。

 バァン! と何かが破裂するような音と同時に飛んできた何かがその足元に当たり、石で出来た床の破片が飛び散った。

「この武器……どうしてここに」

 ユリアンが何事か呟いたが、レイリは突如前方に現れた人物に気を取られていた。

 まだ少年だ。

 歳は、レイリやユリアンとそう変わらないくらいだろうか。夜空を思わせる深い藍色の髪で右目は隠れ、左目は焼けた鉄のような鮮やかな朱色。首には作業用のゴーグルを掛け、工具の入ったバッグを腰に吊っている。

 この街に入ってからよく見掛ける工員や機工職人の格好だが、彼はどこか異質だった。どこだかは分からない。しかし、普通の人間とは、どこかで何かが決定的に違っていた。

 硝子のように透明な瞳には、人形のそれに似て何の感情も浮かんでいない。それだけではなく、表情というものが皆無である。

 彼は口を開き、その外観に相応しくのっぺりとして抑揚のない声で言った。

「リリシとラージュから離れて下がる事を要求する。拒否した場合、攻撃態勢に移行する」

 真っすぐにこちらに向けられた彼の右手には、レイリにも見覚えのある形状の物体が握られている。向こうの世界のものとは若干違うが、それでも同じものだと分かる形だ。

 拳銃の銃口は、ぴたりとユリアンの眉間を狙っていた。



第34話に続く――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る