第31話 船出


 別れはいつだって、とても唐突に訪れる。

 それが良い形にしろ、悪い形にしろ。




 メナルー領主のラズル・ネドガルドは、突然舞い込んだ知らせに驚きを隠せなかった。

 昨日の夜明け頃に、突如としてそれまで晴れていた空が曇り、激しい嵐になった。そして、原因不明の大嵐によって、エルギーニ海軍の軍船は一隻残らず沈没したのだった。

 安堵する間も無くその事後処理に追われていた彼の元に、更に彼を悩ませる情報が入った。

 領主様の娘を名乗る女と海原の民を名乗る娘、それに旅の魔術師が面会を求めております。

 自身も困惑したふうにそう言った衛兵の顔を見て、ラズルは溜め息をついた。

「通せ」

 一礼して退出した兵士を見送り、ラズルは頭を抱える。

 こんな日は、絶対に来る事は無いと思っていた。

 いや、心の底では、いつかはやって来るだろうと思っていたのかもしれない。

 とにかく、気をしっかり保たなければいけない。

 扉が開く音で、ラズルは我に返った。

 中に入って来たのは、青い髪をおかっぱに切り揃えた娘と長く伸ばした少女、同じく青い髪をした三人の兵士だった。そしてその後ろから、黒髪と茶髪の二人の少女がひっそりと入って来る。扉は閉まり、中に居るべき人間は全て入った事を示した。

 しばし、沈黙が流れた。

 シエラ達は、目の前の真っ白な髪をした痩せ気味の中年の男を眺め、これからどうしたらいいのだろう、という沈黙。

 ラズルのほうは、二人の青い髪の娘の顔にはっきりと残る、かつて愛した人の面影に驚いての沈黙。

 口火を切ったのは、ラズルのほうだった。

「君達は……ルリーマの、娘だね?」

 こくんと頷いた後で、慌ててシエラははい、と付け足した。

「そうか……よく来てくれたね。ルリーマは、元気かな?」

「はい」

 今度はきちんと返事をしたつもりだったが、喉がからからになって擦れた声しか出なかった。

「そう……か」

 だらんと体の両脇に垂らした両手を握り締め、シエラは顔を上げた。

「あの……あなたが、あたしのお父さんって事で、いいんですよね?」

 ラズルの黒曜石のような瞳の視線が、シエラのそれと絡み合う。

「ああ……おそらく、間違ってはいない」

 再び、部屋に沈黙が流れた。

 正直シエラは、この状況にどう対応したらいいのか分からなかった。だから、ラズルがシエラの胸元に輝くペンダントに目を止め、大きく目を見張って立ち上がった時に、ある種の安堵を覚えた位だった。

「それは、封印の宝玉!?」

「えーと……はい」

 ラズルの反応に驚きつつも、シエラはペンダントを外してラズルに差し出す。恐る恐る受け取ったラズルは、宝玉を光にかざしてよく眺めた。

「なるほど……確かに、伝説に相応しい輝きを持った品だ」

 そしてそれをシエラに手渡し、ラズルは微笑んだ。

「君は本当に、私の娘なんだな……」

 シエラは、ラズルの顔をぼんやりと眺めていた。

 正直、この男が自分の父親だなどと今更言われても全くぴんと来ないし、そうだと認めたくも無い。その感覚は、メアルの母親であるルリーマに会った時に感じたものと同じだった。

 あたしの親は、ラヴィナさんだけ。

 あたしの家族は、ラヴィナさんとクライドだけ。

 血の繋がりなんて無い赤の他人だって事は、自分が一番良く分かっている。だけど、血なんか繋がっていなくても家族でいられる事も、自分が一番良く分かっている。

「……あたしは」

「領主殿」

 シエラが話し始めたのを遮って、メアルが口を開いた。

「海原の民の王族は、あなた方大地の民と和解する事を決意しました。海原の民にはまだ、大地の民を憎んでいる者が多くいます。しかし、姉様や今後ろにいるお二方、そして今回の件で命を落とされた方が、我等の都を魔王から救ってくださった。それは、決して揺るがぬ事実だと――そう、彼らを説得していこうと思うのです」

 ラズルは一瞬目を見開き――そして、微笑んだ。

「そうか」

 彼の黒い瞳はシエラを、メアルを、レイリを、ユリアンを、そしてメアルの部下達を眺めた。

「そうだな……私はかねてより、いつかは貴方達と対話しなければならないと思っていたのだ。連絡を取る手段を見付けられず、諦めかけていたのだが」

 メアルに向かってラズルは手を差し出し、シエラのほうをちらりと見た。

「障害も多いだろうが……彼女は希望をくれるな」

「はい」

 二人は握手を交わした。

 太古からその存在を隠して生き、大地の民を憎み続けてきた海原の民。おそらく両者の間には、レイリには分からない深い深い溝が横たわっているのだろう。

 ラズルはかつてその溝を飛び越え、今度は両者が行き来出来る橋を作ろうとしている。

 その道は、険しい。

 しかし、二つの種族の混血であるシエラの存在は、それ自体が両者が分かり合う事が出来るという一つの希望になる。

 確かに、過去に有った事を取り消す事は出来ない。しかし、これから先の未来には、無限に近い幾つもの可能性が有る。

 彼等は、それを信じているのだ。

 それから、今までに起こった事をメアルとユリアンがラズルに報告した。

 ただ、ユリアンがソマラ島でサイザンと戦った事だけは何故か語られず、それがレイリにはどうも引っ掛かった。

 しかし、ユリアンからは『余計な事は言うな』とでも言いたげな空気が漂っていたので、レイリは終始口をつぐんだままだった。

「これから、君達はどこに行くんだい?」

 顎のあたりに手を当て、考え込むような素振りを見せながらラズルが尋ねる。

「僕達はザーシャを追うつもりです。船が沈んだ位で彼女が死ぬとは、とても思えません」

 そりゃそうだ、とレイリは思う。ザーシャが何の足場も無い空中を歩くのを、レイリとユリアンは目撃しているのだから。

「しかし彼女は、あの嵐の後行方が知れていないんだろう? どうやって探すつもりなんだ?」

「昨晩、都で情報屋をやっている知り合いと連絡を取りました。彼女が向かったのは、西――恐らく、アルマハーナかと」

 レイリには馴染みの無い地名だったが、ラズルは深く頷いた。

「成程。アルマハーナに有る封印の一つが狙い、という事か」

「はい。何故彼女がエルギーニ側に付いて封印を狙っているのかは、分かりませんが」

 ユリアンは、鋭い視線をラズルに向けた。

「彼女は、必ず――僕が仕留めてみせます」

 後ろから見ていただけのレイリの背中にも、鳥肌が立つ位の静かな迫力でそう言ってのけたユリアンは、一礼して扉に向かった。慌ててレイリも頭を下げ、その後を追う。

「後日、また伺います」

 メアルとその部下達も部屋を後にし、後にはシエラとラズルだけになった。

「あの」

「良い、何も言わなくて」

 ラズルはシエラを見て、微笑んだ。

「君が今、自分が置かれた立場に戸惑っている事は、一応私も分かっているつもりだ。自分が宝玉に選ばれた人間だという事も、私の娘だという事も、まだあまり実感が無い――受け入れられて、いないだろう?」

「……はい」

 所在無さげに頷いたシエラの肩に手を置き、ラズルはその漆黒の瞳でシエラの瞳を覗き込む。

「しかし君には、クライドという青年の仇を討つという、目標が有るのだろう? それならば、自分は自分自身だという、誇りを持ちなさい。誰にも負けない、強い誇りを持って生きなさい」

 その言葉をよく心の中に留めて、シエラは再び、今度ははっきりと自信を持って頷いた。

「はい! あたし、もう行きます。皆、待っているので」

「行ってきなさい。……今度会う時には、ゆっくりと話をさせてくれ」

「はい!」

 やっと自分自身に見切りをつけたシエラは、一度も振り返らずに部屋から出ていった。

 一人後に残されたラズルを、窓から入って来る爽やかな潮風が、ふわりと撫でる。

「さて……これから、もっともっと忙しくなるな」




 領主の館の玄関先でシエラと合流し、レイリ達は飛空艇の発着場へ向かった。

「ねえ、ユリアン?」

「何でしょうか」

 戦の気配も序々に遠ざかり、元の活気を取り戻しつつあるメナルーの町並みを歩きながら、レイリは尋ねた。

「飛空艇……って、何?」

 おずおずとそう聞いたレイリを見て、シエラがぱちんと両手を合わせて声を上げる。

「あ、レイリは知らない? まあ、あたしも乗るのは初めてなんだけどねー。飛空艇ってのは、文字通り空を飛ぶ船の事だよ」

「空を飛ぶ、船……?」

「興味深いですね。どのような原理で飛ぶのでしょう?」

 一行は、緩やかなカーブを描きながら低めの崖の上につながっている階段を登り始める。興味津々、といった目付きでメアルに尋ねられ、ユリアンは気まずそうに頬を掻いた。

「僕も専門家ではありませんから、詳しい事は言えません。外観は海を航行する帆船によく似ていますが、内部に魔術や錬金術の力を利用して、浮力と動力を得る為の機械が搭載されているらしいです。主に長距離の移動や、貨物の運搬に利用されています」

 おおっ、さすが! という目で女性陣に見られ、ユリアンは居心地が悪そうに前方を見た。

「……ほら、あれです」

 階段を登った先には、岬の先端に造られた大きな船着場と、数隻の巨大な帆船が有った。

 受付でユリアンが乗船の手続きをしている間、レイリ達は外で船を眺める。

「軍人が多いね。都からの援軍が、帰るところなのかな」

 周囲を行き交う人々を眺めながら、シエラが呟く。そう言われてみれば、確かに赤や青の軍服を着た兵士達が忙しなく歩き回っていた。

「軍服にも、色の違うものが有るのですね。赤、青……黒は、少数派?」

 メアルがそう呟く。そうだね、とレイリが相槌を打った。

「赤は右軍、青は左軍。黒は魔導騎士団のものなんだって」

「成程。所属によって色分けされているのですか」

 メアルが納得したというように頷いたその時、それまでざわついていた周囲が急に静まり返った。

「……何?」

 不安そうに呟いたレイリの耳に、カツカツと足音が飛び込んできた。

 その音が聞こえて来る先には、一人の軍人。

 くしゃくしゃのオレンジ色の髪には、今日は額当てを着けておらず、前髪を横に流している。

 丈の長い、漆黒に金の縁取りの軍服が、崖下から吹き上げる潮風にはためく。包帯が巻かれ、三角巾で吊られた左腕が痛々しかった。

 唯一変わらないのは、肩に担いだ大鎌。刃に革製のケースを被せられているとはいえ、その迫力は十分だった。

 一歩歩くたびに革製のブーツの足音をたてながら、彼は淡々とに一隻の軍船に向かう。

 レイリ達の横を通り過ぎる時に彼はちらりと視線をレイリに向け、一瞬だけ笑みを浮かべた。

 再び無表情に戻った彼が乗船し、その姿が見えなくなった途端に、水を打ったように静かだった周囲の騒めきが戻ってくる。

「今の奴、知り合い?」

 シエラに尋ねられて頷いたレイリの耳に、近くを歩く軍人達の会話が飛び込んでくる。

「おい、何だったんだ今の怖ぇあんちゃん」

「魔導騎士団の中でも、精鋭部隊の奴らしいぜ。軍服の縁飾りの色が、金だったろ?」

「ガキのうちから訓練して、とても日の光の元では言えねぇような汚ねぇ仕事をやってるんだってよ」

「おっかねぇよな、あんな鎌持って……ありゃ、バケモンだぜ」

 軍人達が通り過ぎ、彼等の会話も聞こえなくなる。

「……レイリ、そんな奴と知り合っちゃった訳?」

「それは……」

 レイリが言いかけた時、船のチケットを持ったユリアンが走って来た。

「時間が有りません! 走って走って!」

「うっそ、マジ!?」

 近くの船に向かって走りながら、三人は慌ただしくメアルに別れを告げる。

「いい、メアル! 頑張んなさいよ?」

「姉様こそ、きちんと仇は討ってくださいね!」

「待ってくださーい! その船乗りまーす! ……それじゃ、お元気で!」

「じゃあねメアル、また会おうね! 約束だよ!?」

 いつかと同じ台詞を口にして、レイリはタラップを上る。

 間一髪で乗船出来た三人は、船縁からメアル達に手を振る。微かな機械音と共に、船がゆっくりと動きだした。

 レイリがメナルーにいた時間は、短い。

 しかしその中にも、忘れられない出会いと別れが有った。

 これから先がどうなるのかなんて、誰にも分からない。

 だけど、きっと良い事が有ると信じよう。それすらも信じられなくなったら、きっと折れてしまうから。

 強く、強く――信じ続けよう。

 メアル達の姿が見えなくなるまで上昇した船の上からは、輝く海原と大地が描く風景が、どこまでもどこまでも広がっていた。



――第二章 了

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