第28話 嵐、そして
癒える痛みと、消えない傷跡。
ねえ、終わったの?
――魔王の断片に関しては。だが、まだその郎党共が残っているようだ。殲滅しておくか?
どうやって?
――我の力は、全ての水を主の意のままに従わせる力。荒ぶる波に、全てを飲み込ませるが良かろう。
分かった。
ラヴィナさん、皆、見てて。絶対に、仇は討ってみせるからね。
波よ。
逆巻き、押し寄せ、全てを飲み込む波よ。
エルギーニ海軍の船を、全て沈めて。
滝のような豪雨の中で、レイリは必死に船にしがみ付いていた。ぐったりしたユリアンの身体を右腕で抱え、左腕は濡れて滑る手で帆柱を抱えている。
「ユリアン、あたしどうしたらいいの? 分かんないよ……目を開けてよ……」
返事は無い。
結局あたしは、また人に頼っている。いざ自分が誰かを守らなきゃならない立場に置かれると、どうしたらいいか分からなくなる。
まだだ。
まだ、終われない。
たった一人の家族に誓った事を、まだ成し遂げていない。母さんとの約束も守れていないのに、あの世になんか逝けない。
絶対に二人で、生き延びてやる……!
ぎり、と唇を噛んだレイリは、解決策を求めて辺りを見回した。
この状況で海に投げ出されたら、高確率で死ぬだろう。船から落ちたら、それこそ一巻の終わりだ。それを防ぐには……そうだ、ロープで船に身体を固定するんだ。
クライドが積み込んだ、予備のロープの束に手を伸ばす。掴んだ瞬間に激しく船が揺れ、転がったレイリは帆柱にぶつかった。
「痛……」
涙目になりながらもユリアンを帆柱に寄り掛からせ、自分もその隣に座る。腹の辺りにロープを回して、二人の身体とユリアンの杖を、帆柱に縛り付けた。万が一にも解けないようにきつく結び、その端を腕に巻き付けて握り込む。痛くなるような土砂降りの中、激しく揺れる船の上でそれだけの事が出来たのは、半ば奇跡に近いだろう。
一息つく間も無く、一際大きな波が船を襲う。ユリアンの手をきつく握ったのを最後に、レイリは何も分からなくなった。
「あー、すっげー雨だったなー」
アルシュロンを片手で超徐行運転して海上を進みながら、サイザンは小声でぼやいた。
「服も包帯もびっしょびしょじゃねえか……水も滴る良い男ってか? まあ晴れてきたし、そのうち乾くだろうけど」
冗談めいた口調で零したサイザンだったが、実は結構苦労していたのである。大雨のせいでなかなか島から出られず、雨が止んで陽が高くなるまで、遺跡の隅で雨を凌いでいたのだ。
「いくらメナルーが温暖だって言っても、流石に風邪……お?」
段々近付いてきた白い砂浜に、何か大きなものが打ち上げられているのが見える。どうやらそれが古ぼけた小型艇で、中に人がいるらしいと分かった瞬間、サイザンは心持ちスピードを上げた。砂浜に停止させたアルシュロンから飛び降りて船によじ登り、中の様子を確認する。
案の定、茶髪の少女と黒髪の少年が、ロープで帆柱に身体を固定した状態で気を失っていた。
「……こいつぁまた」
ロープを固く巻き付けて握り込んでいるせいで、レイリの指先は鬱血して紫色になっている。サイザンは右手でナイフを抜き、レイリの前に跪いた。
利き腕である左手が使えないせいか、なかなかロープが切れない。何度か引っ張ったり揺さぶったりしているうちに、小さく呻いてレイリが目を開けた。
鳶色の瞳と金色の瞳は、しばらく見つめ合う。
「え……」
「お、お目覚めかな。おはよ」
サイザンとしてはいたって普通に挨拶したつもりだったが、レイリからすれば穏やかな話ではない。目が覚めたらナイフを持った男が覆い被さるようにしゃがみ込んでいた、という最大の危機として認識されたのである。
「……わああああっ!?」
「うわわっ!?」
驚いたサイザンの手から、ナイフが滑り落ちた。
「ちょっちタンマ! ストップストップ! 痛い、痛いから……うわっ!」
ドカドカと数回レイリに蹴られてバランスを崩し、サイザンは後ろ向きに引っ繰り返った。
そこでさらにタイミングの悪い事に、折れた左腕をレイリの足が直撃する。
「……ッ……!」
あまりの激痛に、声も出せずに体を丸める。サイザンの様子がおかしい事に気付き、レイリはようやく足を引っ込めた。
「ちょっと、いきなり何なの……あれ?」
体を起こそうとして、ロープで固定した事を思い出す。下を向くと、切断されたロープが数本、膝の上にぱらぱらと落ちた。そして、そのすぐ脇に転がっているナイフ。
「もしかして、これを切ってくれようとしてたの?」
蹲ったままの橙色の髪が小さく上下するのを見て、レイリは慌てて残ったロープを振り解く。
「ごめん! 本当ごめんなさい! 大丈夫……」
駆け寄ったレイリは、サイザンの腕に解けかけた包帯が巻かれているのを見て青ざめる。
「怪我してるの? ……うわ、折れてる!」
「痛っ……」
「あ、ごめん」
サイザンが顔を歪めたのを見て、レイリは慌てて掴んでいたサイザンの手首を放す。
「本当にごめんなさい。大丈夫ですか?」
相手が、クライドがあれ程恐れていた魔導騎士団とやらだった事を思い出し、恐る恐る丁寧な口調で聞いてみた。
「ん、大丈夫大丈夫。そんな、こいつみたいな口の利き方しなくていいって、俺は別に何とも思ってねーからさ」
人懐こい笑顔を向けられた所を見ると、少なくとも怒ってはいないらしい。
内心でほっと息をついたレイリは、ユリアンのほうに顔を向けた。
「ユリアン? 大丈夫?」
ロープを解いて肩を掴んで軽く揺さぶってみたが、反応は無い。
「どうしよう……」
サイザンが、ユリアンの首に手を当てて脈を確かめる。
「うーん。生きてはいるけど、これだけじゃよく分かんねーわ。とりあえず日陰に移動しねえ? 直射日光は良くない気がする」
晴れて陽が高くなり、ぎらぎらと強い日差しが照りつけているのを見て、レイリは頷いた。
二人掛かりでずるずるとユリアンを引き摺って船から降ろし、アルシュロンに乗せる。さすがに三人は座れなかったので、サイザンの背中にユリアンを寄り掛からせ、レイリは自転車に二人乗りする時の要領でサイザンの肩に掴まった。
「しっかり掴まっといて。落ちたら痛いよ、多分」
「分かってるよ。どこに向かってるの?」
砂浜を海岸線に沿って進みながら、レイリは声が風に飛ばされないように大声で聞いた。
「ちっせー村の跡地。来る途中で見たんだけど、多分エルギーニ軍に襲われたんだろうな」
明るいオレンジ色の髪をなびかせて、サイザンも大声で答える。
「え? それって……」
「ああ、あそこあそこ」
目を上げると、見覚えのある風景が目に飛び込んできた。
クライドとシエラが住んでいた、今は廃墟になった村だった。
二日前にレイリとシエラが泊まった家の中にユリアンを運び込み、サイザンが詳しく様子を調べる。それをレイリは、部屋の隅に座って眺めていた。
「頭を強く打ってるみたいなんだけど……」
「頭? ……ああ、ここかな。瘤が出来てら。ただの脳震盪ならいいんだけどな……っと」
もう一度脈を測り、額に手を当てる。そのまま静かに目を閉じ、サイザンは小さく何事か呟いた。一瞬二人の周囲の空気が揺らめいたのを見て、レイリは目を見張る。
「……何、したの?」
サイザンが目を開けたのを見て、レイリは恐る恐る尋ねた。
「んー、魔力の欠乏だね」
「何それ、ヤバいの?」
「いや、そこまで心配はいらない。俺達魔術師ってのは、普段から無意識に魔力を体内で循環させてて、気の流れを調節してんだ。魔力を消費しすぎると、それが乱れて肉体が極度に疲弊する。こいつの場合、ザーシャにやられかけてバンバン魔術使ってたから、ツケが回ってきたんだろ。重症だと命に関わるけど、そこまでひどくないから安心しな。放っとけばそのうち気が付くよ」
「そっか……良かった」
安堵の表情を見せたレイリは、サイザンの顔を覗き込んだ。
「さっきは本当にごめん。腕、平気?」
「ん? あ、ああ」
目を逸らしたサイザンの腕の包帯を、レイリは無言で解き始めた。
「っ……おい!」
「全然大丈夫じゃない! 腫れてるし、添え木もグラグラじゃん! 骨折は応急処置をちゃんとしないと、骨がくっつかなくなっちゃうかもしれないんだよ!?」
「は、はい」
レイリの剣幕に驚き、サイザンは抵抗するのをやめた。
「巻き直すから、動かないで!」
添え木をきちんと当て直して包帯を巻きながら、レイリは内心でサイザンの忍耐力に舌を巻いていた。時々顔をしかめこそするものの、声一つたてずにじっとしている。ずれていた骨も、自分で引っ張って正しい位置に戻したようだし、並の精神力ではない事は確かだ。
やはり軍人などやっていると、怪我も多いのだろうか。レイリがそう聞くと、サイザンは少し首を傾げた。
「うーん……何でいきなりそんな事聞くの?」
「え? 何か……近くで見ると、傷だらけなんだなって思って」
露出の少ない衣装のせいで気付かなかったが、袖を捲ってみると、腕のそこかしこに既に完治した古い傷跡が残っている。遠目には滑らかに見えた顔にも、腕に比べれば非常に少ないものの、細かな傷跡が刻まれていた。
立ち上がったレイリは、部屋の隅に積み上げられていた日用品の山を掘り返した。クライドとシエラが、焼け残った家の中から使えそうな物を運んで来ていたのだ。
「妙な事聞くんだな。もちろん軍人になってからの傷もあるけど……大半はガキの頃の傷、かな」
「子供の頃の? ……あ、これがいいかな」
男物のジャケットを引っ張り出したレイリは、胴の部分でサイザンの腕を包んで袖を首の後ろで結び、三角巾の代わりにする。
「出来た! どうかな、ちゃんと固定されてる?」
「ん……うん」
顔を上げたサイザンは、にっと笑みを浮かべた。
「ありがと。助かった」
そのまま立ち上がって出て行こうとするサイザンの背中に、レイリは小さく言う。
「ううん。こっちこそ、色々ありがとう。……もう、行っちゃうの?」
「ああ。事後処理とか報告とか、ちゃんとやんねーと隊長に怒られちまう」
隊長、特務部隊、魔導騎士団。ユリアンの声が、耳の奥に蘇った。
『彼は両親の仇を討つ為に魔導騎士団に入団し、特務部隊の隊長としてザーシャを追っている――』
「サイザン、待って」
レイリの声に、サイザンは足を止める。
「あんたの言う『隊長』ってのは……六年前にザーシャに両親を殺された人?」
サイザンは答えず、家の外に出て行った。レイリも立ち上がり、後を追う。
「答えてよ」
振り向いたサイザンの瞳は、不思議な光を湛えていた。
「……そうとも言えるし、違うとも言える。ただ」
金色の瞳は、ひどく哀しげだった。
「あいつが、その現場に立ち会ってたっていうのは事実だ」
アルシュロンに鎌がしっかり括りつけてあるか確認しながら、サイザンは言った。
「こいつはこの腕の礼として言わせて貰うけど、実はあんた、うちの隊長にかなり目を付けられてる。そのうち、隊の他の奴等とも会う事になるよ」
「え?」
「理由は分かるよな」
アルシュロンに飛び乗ってエンジンをかけたサイザンは、背筋が寒くなるような視線でひたりとレイリを見つめた。
「俺達零伍小隊を、甘く見るなよ。油断してると、全部筒抜けだぜ? それじゃ……」
少し哀れむような、温かい笑み。彼が今までに遂行してきたであろう『任務』の内容には、不釣り合いな微笑だった。
「また会おうぜ、異世界からの旅人さん」
砂を巻き上げて急発進するアルシュロンを追うように、レイリは二、三歩歩いて立ち止まった。
「待って!」
叫び声も虚しく、サイザン・ハーネットの姿はあっという間に見えなくなる。
「なんで、知ってるの……」
呟きは、宙を彷徨って消えた。
第29話に続く――
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