第25話 それぞれの行先


 一人きりで、一体何が出来るっていうんだ。




 避難する住民達でごった返す街を抜けたレイリ達は、ソマラ島の方角に近い門を通って外に出る。泡の結界はこの騒ぎの中でも崩れていないようで、外に飛び出す時に微かに水の抵抗を感じた。

「この方角で、合ってるのか?」

「うん。島の地下にあるけど、入り口は塞がってないみたい」

 海底を走りながらクライドに聞かれて、シエラはそう答えた。周囲を見回していたレイリの頭に、何かが引っ掛かる。

「あれ……」

 思い出せそうで思い出せない。もどかしさで一杯だが、もたもたしている暇は無い。小さな疑問を無理矢理頭の隅に押しやり、レイリは走り続けた。

 どうやらその近辺はは水没した旧市外の一角のようで、建造物の名残らしき岩影がそこら中に聳え立っている。

「……あ、そろそろ近くなってきたかも」

 三人は足を止めて、辺りを見回した。遺跡の黒いシルエットが、夜光クラゲのぼんやりした光に浮かび上がっている。

「ここいらのはずなんだけど……」

 レイリはふと、先程思い当たった事の正体に気付いた。

「この方角……」

「ん? どした?」

「ユリアンに行けって言われた、遺跡の方向だよね」

「確かにそうだな」

「もしかして、その遺跡が宝玉の在処なんじゃない?」

「ああ……その可能性はあるな。上手くいけば、合流出来るかもしれない」

 レイリは、少し高い所にある巨大な建物を指した。

「って事は、あれかな」

「そうだねー」

 それは、近くまで行ってみると神殿のような建物だった。幾本もの複雑な彫刻が施された柱が立ち並び、荘厳な雰囲気は建設当時から長い年月が流れていても、全く失われていない。しかし、所々は傷んで崩れ落ちている。特に入り口部分の損傷が激しく、柱が折り重なるように倒れていた。

 その前に立ったシエラの頭の中に、先程から聞こえていた鈴の音が、一際大きく響き渡った。まだ建物の外にいるにもかかわらず、宝玉の脈打つような力の波動が伝わってくる。どうやらその脈動は、持ち主が近くにいるのを感じ取って、勢いが増しているようだった。

「ここだよ。間違い無い」

 シエラはそう言って、崩れた入り口を覗き込んだ。

 積み上がった瓦礫と海底との間には、レイリの腰の高さほどの隙間が開いている。覗き込むと先は明るく、瓦礫の向こう側まで続いているようだったが、狭い隙間を潜り抜けなければ、中に入る事は出来なさそうな様子だった。

「あ……」

 他の二人に同時に見上げられて、クライドは困ったように首を傾けた。

「これは、無理だな」

「あっさり諦めないで!?」

「いやいや」

 クライドは、倒れた柱と床の間の隙間を指差した。

「この狭さじゃ駄目だ。俺が無理に付いていったら、足手纏いになるだろ。一刻を争うんだし、ここはお前ら二人で行け。俺は、ここで待ってるから」

 レイリとシエラは顔を見合わせて、一つ大きく頷き交わした。

「分かった。じゃあ……」

 しかしシエラの言葉は、途中で途切れる。

 ズン、という地響きと共に、近くの建造物の一つが、まるで何か大きなモノに押し潰されるように崩れ落ちた。

「な……何!?」

 レイリの声に答えるようにして、そいつは姿を現わした。

 太く長い、黒い影。

 うねるような動きで彼らの前に泳いできたのは、海原の民の街を襲っていたはずの、大海蛇だった。

 鎌首をもたげて鋭い牙を剥いた海蛇の眼は、薄暗い海中でも分かる位、はっきりと赤い光を放っている。

「嘘! 何であいつがここにいんの! メアル達はどうなった訳!?」

 シエラが声をあげる。

 シャーッ!

 威嚇音を上げたそいつの眼は、魔物と形容するのに相応しいような凶々しさを湛えていた。

「下がってろ!」

 手でレイリとシエラを下がらせたクライドが、背中の筒から銛を抜いた。

「メアル達がどうなったかは分かんねえけど、来ちまったもんは仕方ねえ。俺があいつを引き付けるから、二人で中に入れ!」

「そんな事……出来る訳無いでしょ!?」

 シエラが、クライドの服の端を掴んだ。

「一人であれに向かってくなんてバカげてる! そんなの、死にに行くのと一緒だよ!」

 その時、海蛇が動き出した。三人のほうに海蛇が向かって来たのを見たクライドは、腕を振り上げて銛を放つ。

 水中を切り裂くようにして飛んだ銛は、見事に魔物の右目に突き刺さった。

 魔物は激痛にのたうち回り、水流で三人も押し流されそうになる。強風に煽られた時にも似た圧力が体に掛かり、幾つかの建造物が崩れ落ちた。

「奴は今動けないだろ! 早く!」

 怒鳴ったクライドは振り返り、立ちつくしていたシエラを見つめた。

「でも……んっ!?」

 いきなり口を塞がれたシエラは、目を見開いた。

 何が起きたのか、一瞬分からなかった。

 状況は理解していても、思考が追い付かない。

 ただ、自分がきつく抱き締められていて、唇に温かいものが触れている事しか分からない。

 ほんの一瞬が、とても長い時間に感じられた。

 ゆっくりと顔を上げたクライドは、艶やかなシエラの髪に触れた。

「もし……」

 低い、小さな声。

「もし、俺達が全員生きて帰れたら、その時は……」

「……その、時は?」

 クライドは口を開きかけてから一瞬迷い、目を伏せた。

「……いや。やっぱり、いい。早く行け」

 シエラの肩に押いていた手をとん、と突き放す。

「何……? ねえ、言ってよ! ねえ!」

「いいから! 早く!」

 叫んだクライドは、シエラとレイリに背を向けて、海蛇のほうを向いた。

「でも!」

「……シエラ」

 後ろから肩を掴まれて、シエラは振り返る。そこにはレイリが、顔を歪めて立っていた。

「クライドの言う通りにしよ?」

「嫌!」

 一瞬躊躇い、レイリはぐいっとシエラの腕を掴んで引っ張った。そのまま神殿の入り口まで引き摺って、無理矢理中に押し込もうとする。

「ちょっと、何すんの! 離してよ!」

「いいから! 早く行ってよ!」

 レイリの声が涙声になっているのに気付いて、シエラは諦めたように自分から進み、中へ消えて行った。

「……ありがとな」

 クライドが、呟いた。

「うん……じゃあ、ね」

 ぽつりとレイリはそう言って、クライドのほうを振り返る事無く狭い通路に入っていった。

「本当に……ありがとう」

 クライドの呟きは、誰に聞かれる事も無く消えていった。




「レイリ……大丈夫?」

 隙間を潜り抜けたレイリに、先に抜けていたシエラが手を差し出す。

 神殿の内部は、大きな広間になっていて、その奥には祭壇が設けられていた。

「……ごめん」

「え?」

「あたし、どうかしてた。あの場では、ああするしか無かったんだよね。駄々こねたりして、馬鹿みたい」

 立ち上がって、祭壇に駆け寄りながらシエラは言った。

「……違う」

 レイリは俯く。

「ああするしか無かったんじゃない。出来なかったんだよ」

 あたしが、どうする事も出来ない程弱かったから。

 その一言を飲み込んで、レイリもシエラの後を追った。

 祭壇を調べると、内側が開閉出来る仕掛けになっている事が分かった。海原の民が調査した時に開かれたのだろう、隙間に手を掛けて引くと、隠し扉は簡単に開く。ぽっかりと口を開けた入り口の中は、暗い階段になっていた。

 メアルに貸りた、光る球体を持ったシエラの顔が、ぼんやりとした光に浮かび上がる。

「神殿の上のほう、見た?」

「え? ううん」

「ここは、海面にずいぶん近いみたい。屋根の部分は、水面から出てたよ。ユリアンが行けって言ったのは、そこの事だと思う」

 レイリは黙って、早口に喋るシエラを見つめた。

「もう、夜明けが近いんだよ。見て」

 シエラは天井の辺りを指差した。その方向を見たレイリは、目を見張る。

 所々に穴の開いた天井からは、日の出前の薄青い光が、微かにではあるが、確かに差し込んでいた。

「あ……」

「あんた達が海中で呼吸出来るのは、夜明けまでなんでしょ。もう、いつ出来なくなってもおかしくない。ここからはあたし一人で行くから、レイリは早く上に上がって。そうすれば、たぶん海の上に出られる」

「……分かった」

「もしユリアンと合流出来たら、ここから少し離れたほうがいいかもしれない。何が起きるか分からないから」

 シエラの言葉に頷き、レイリは床を強く蹴って水面を目指した。その姿を見送る間も惜しんで、シエラは踵を返すと、暗い下り階段に飛び込んだ。

 ひたすら上へと泳ぎながら、レイリは最後に見たクライドの目を思い出していた。

 優しい目だった。

 同じようにレイリを逃がす為に残ったユリアンの瞳とは、少し違う……どちらかというと、病院で見た母の瞳に似ていたように思える。

 自らの死を覚悟している人は、あんな瞳をするのだろうか。

 しかしクライドの場合、シエラが封印に成功すれば、助かる可能性も少ないながらに残っている。

 それを、祈るしかない。

 あたしは無力だ。

 大切な人達を、失いたくない。失いたくないから、無くならないように守りたい。だけど守れる程強くないから、祈るしか無い。

 ユリアンは、無力なあたしを足手纏いと判断して先に行かせた。

 クライドは、シエラが封印を作動させる時間稼ぎをするつもりで、危険を伴うからとあたしをシエラと一緒に行かせた。

 シエラは、海中で呼吸が出来ないあたしの身を案じて、暗闇の中に一人で下りていった。

 あたしは結局、皆に守られていただけだった。

 前を向いて歩こうと、決めたつもりだった。でもそれ以前に、しっかり自分の足で立てていなかった。周囲から支えられて、やっとの思いで立っていたに過ぎなかった。

 もう、そんなのは嫌だ。誰かに守られるだけは、終わりにしなきゃいけないんだ。一人で立たなきゃ、駄目なんだ。母さんと、約束したんだから。

 一人で立って、出来れば誰かを支えられる位になりたい。

 母さんが言った『強さ』が一体何なのか分からないままに、今まで闇雲に刀を振ってきた。

 それじゃ、駄目だったのかもしれない。

 もう、わからない。何もわからない、けれど。

 歩みを止める事だけは、絶対にしない。

 そう心に誓って、レイリは上へ上へと、水面を目指した。




「……これが、宝玉なのかな」

 シエラは、祭壇下の隠し通路の先にあった石の台座に、小さな箱が置かれているのを見つけた。

 凝った細工の施された箱の蓋に触れると、びりびりと細かな振動が伝わってくる。思い切って指に力を入れると、蓋は存外簡単に開いた。

 中に入っていたのは、青い宝石の付いた、古びたペンダントだった。

 思っていたよりも小さいが、これで間違い無いようだ。深い海のような、澄み切っているのに底の見えない、神秘的な蒼の宝石。

 鎖を持ち上げ、ペンダントを首に掛ける。ずっしりとした重みに、妙な安心感を覚えた。

 目を閉じると、耳の奥で微かな音が聞こえる。だんだん大きくなってゆく潮騒に似た音に混じって、声が聞こえた。

 汝を、我が所有者と認めん――。

 男とも女ともつかないその声が、耳を聾さんばかりに響いた瞬間、シエラの目がかっと開いた。

 首に掛けた宝玉が蒼く輝き、それと同時に見開かれた双眸も蒼い光を放つ。

 ――海が、騒ぎ始めた。



第26話に続く――

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