第24話 約束


 その約束は、何の為に有るの?




 蒼白い月の光に、崩れた瓦礫の山が冷たく照らされていた。

「あだっ!」

 どす、という鈍い音の直後に、変な声が響く。瓦礫の中に埋もれていたサイザンが、起き上がろうとして頭をぶつけた音と声だった。

「くっそ……」

 額の痛みに耐えながら小声で悪態をついたサイザンは、薄く目を開いた。薄暗い中でその金色の瞳に映ったのは、蒼白い光に浮かび上がる、目の前に覆い被さるように倒れた巨大な岩の柱。

 ぶつかる訳だよ、畜生。

 柱を睨んでいると、今度は身体の下で何かがもぞもぞと動いた。

 何がどうなってるんだ?

 周囲の様子を確認しようと体を動かすと、左腕に激痛が走った。痛みのあまり言葉にならない声を上げそうになるのを、必死に堪える。

 ようやくぼんやりしていた頭が正常に働き始め、状況を把握出来るようになった。

 確かザーシャに吹っ飛ばされた直後、崩れてきた瓦礫から身を守る為に、周囲の岩を魔術で変形させて、自分と柱の間に隙間を作ったはずだった。そのまま意識を失ったようだが、左腕の激痛の理由が分からない。

 とりあえず、身体の上に覆い被さっている柱を退けるか。

 サイザンは右の腕を伸ばして柱に掌を当て、ゆっくりと精神統一をして、体内の気を柱とのそれ同調させていく。

 魔術の基本は、自らの体内に流れる気を周囲の気と同調させ、万物に宿る精霊の力を借りる事だ。同調のし易い物とそうでない物には個人差があり、サイザンの場合、金属系統の物質と相性が良い。柱の材質は石だが、変成術を得意としているサイザンにとっては、さほど難しい事ではなかった。

 左腕の痛みを極力意識の外に押しやり、小さく呪文を呟く。柱と掌が接している部分から光が広がり、バチバチと音をたてて弾けた。ゆっくりと変形し始めた柱は、まるで細い針金のように、いとも簡単にぐにゃりと曲がる。

 目に突き刺さるように飛び込んできた明るい月の光に、思わず目を細めた。サイザンは左腕を動かさないようにしながら、身体の上に乗っている小さな岩の欠片を払う。

「いっ……」

 左腕を動かしていないのに、微かな振動が伝わっただけで激痛が襲う。恐る恐る身体の左側に目を向けたサイザンは、一気にげんなりした表情になった。

 瓦礫の隙間に挟まれた腕は、肘から先が拉げて変な形にねじ曲がっていた。所々の擦り傷からは、微量の出血がある。

 潰されて、骨が折れたのか。

 今まで、任務で怪我をした事など数え切れない。怪我人や死人も数多く見てきている。幼い頃に背中に重度の火傷を負って、生死の境を彷徨った経験も有る。

 しかし、自分自身がこのタイプの怪我をしたのを、自らの目で見るのは初めての事だった。なかなかに、現実を受け止めるのに時間がかかる。

 とにかく、このままでは埒があかない。

 周りの瓦礫を変形させて腕を引き抜いていると、すぐ耳元で小さな呻き声が聞こえた。驚いたサイザンは跳ね起き、直後に腕に走った凄まじい痛みから、彼自身も呻き声を上げる。

 後ろを振り返ると、黒い服を纏った魔術師が横たわっていた。サイザンと一緒に折り重なるように倒れていたせいか、目立った外傷は少ない。

 唇を噛んで痛みに耐えながら、這っていって顔を覗き込む。

「おい」

 擦れた声で呼びかけ、ぺちぺちと軽く頬を叩いてみた。

「おーい、生きてるか」

 尚も頬を叩くと、閉じた目蓋がひくひくと動き、ユリアンはゆっくりと目を開けた。

「う……んっ……」

 自分を覗き込むサイザンの姿を認めると、ユリアンは低く呻いて身体を起こした。

「……ザーシャは?」

「知らん。どっか行っちまった」

 ユリアンは、立ち上がって身体のあちこちを検分した。どうやら大きな怪我は無かったらしく、瓦礫の中から杖を引き抜き、辺りを見回す。

「余計なお世話かもしれねえけどさ、お前はもう少し自分の体を大事にしたほうがいいと思……おい、どこ行くんだよ」

「島の反対側に。レイリさん達と、そこで落ち合う約束なので」

 サイザンのほうに背を向けて、ユリアンは瓦礫から飛び下りた。

「約束……お前が、ね。やっぱ訂正するわ。お前は変わったよ」

 数歩進んだユリアンは、サイザンの声を聞いて立ち止まる。

「もう、時間が無いんですよ。もしあの情報が真実なら、彼女を利用しないと、全て水の泡になる可能性すら有る」

「おー怖。時間無いって、どの程度進行してんだ?」

 振り返った翠の瞳と金の瞳の視線は、真っすぐにぶつかり合った。

「腕は肘の辺りまで。脚も侵食が始まっています。しかも、少しずつ速くなっている」

 絶句したサイザンを見やって少し淋しげに笑い、ユリアンは再びくるりと背を向けた。

「……また、お会いしましょう」

 ゆっくりと歩き始めたユリアンは、徐々に速度を上げて走り去る。

 残されたサイザンは、ふるふると頭を振った。

 折れた左腕に目を落として、一つ大きく溜め息をつく。添え木でも当てておかないと、動けたものではなさそうだ。

 左手に着けていた、鎖を振り回す際の摩擦や圧迫から手を保護する為のグローブを外し、口に銜える。右手で左腕を掴み、一つ深呼吸すると、ずれた骨を無理矢理元の位置に戻した。

「っぐぅ……うっ!!」

 銜えたグローブをきつく噛み絞め、痛みに耐える。あまりの激痛に、頭がぐらぐらしてきた。

 近くの瓦礫に絡みついていた蔦を、魔術で一本の棒に変えて腕に当て、腰に着けた物入れに常備している包帯で固定しようとする。しかし、片手だけでは上手く包帯を結ぶ事が出来ない。さらに悪い事に、彼は左利きだった。

 ゆるゆるで不恰好な包帯を見て、サイザンは眉間に皺を寄せた。

「何であいつに手伝ってもらわなかったんだろ。バカじゃん、俺」

 そうひとりごちて、よっこらせと大儀そうに立ち上がる。

「んー、一旦アルシュロンの所まで戻るか」

 岩の隙間にあった鎌を引き抜いたサイザンは、ぴょんと瓦礫から飛び降りて、その場から歩き去った。




 幻想的な青い光に彩られた街並みの中、幾人もの海原の民達が、血相を変えて逃げてくる。

 巨大な海蛇が、城壁の一部を突き破って中に入ろうとするのを兵士達が必死に食い止めようとしていたが、街中に入られるのも時間の問題に見える。

「ど、どうすんの!?」

 シエラが叫んだ。

「どうもこうも!」

 負けじと、メアルも大声で返す。

「街中に侵入でもされれば、甚大な被害が出るのは目に見えています! 何としても、食い止めなければ!」

「でも、あんなの相手にどうやって戦うのさ! ただの兵士にどうにか出来る相手でもなし、こっちには、あれに対抗する手段なんて……」

 海蛇を指してそう言ったシエラを見て、メアルはふと何かを思い付いたような顔になった。

「……いえ……手段なら、あります」

 小さな声でそう言ったメアルは、シエラの目を見つめた。

「封印の宝玉の力を解放すれば……あの、魔王の一部をもう一度封印すれば、民は助かります」

 レイリとクライドが、一斉にシエラのほうを振り返った。

「あ、あたし?」

 狼狽したように、シエラが言う。

「だって……そんな」

「シエラ」

 クライドの声に、俯いていたシエラは顔を上げた。

「お前にしか出来ない事だ」

 体を屈めて、クライドはシエラと目線を合わせる。そして青い髪をくしゃくしゃと撫でながら、少し笑ってみせた。

「俺ももう、人が沢山死ぬのは見たくねーから。メアルにさ、俺達みたいになって欲しくねーんだよ」

「あ……」

 シエラの瞳が揺れた。

「だから、さ」

 この上なく優しい、でも少しだけ憂いを含んだような笑顔を見せて、クライドはそっと言う。

「頼むよ、お願いだから。やってくれるか?」

 忘れられなかった。

 あんなに快活な女性だった育ての親が、冷たくなって転がっていた光景が。

 震える手で握った、その手の感触が。

 見開かれた、硝子のような瞳が。

 火を放たれて、焼け落ちた村が。

 燻臭い煙の匂いに混じって漂う、血の臭気が。

 独りで過ごした夜の、心細さが。

 もうそんな思いをしたくない。出来る事なら、他の誰かにもして欲しくない。

 自分を守る事も出来ないのに、そんな大それた事を言うのは、ただの傲慢かもしれないけれど。

 自分一人だけの、ちっぽけな力しか持っていないけれど。

 それでも。

 どんなに小さく弱い力でも、敵に立ち向かう事は出来る。誰かを守りたいという気持ちを、貫き通す事は出来る。

 その為に戦う事に、意味がある。そして、その戦いには価値が有る。

「……分かった」

 シエラは、頭に置かれたクライドの手を外して、ぎゅっと握った。

「あたし……やってみる。出来るかどうか、分からないけど」

 空色の瞳を見上げてそう言った瞬間、何かが聞こえたような気がした。

「……?」

 眉をひそめてふっと黙り込んだシエラの顔を、クライドが心配そうに覗き込んだ。

「シエラ?」

「しっ、黙って」

 耳を澄まして、その音を聞き取ろうとする。

 周囲の喧騒の隙間に、リン……と微かに、鈴のような澄んだ軽やかな音が聞こえた。

「……呼んでる」

「は?」

「呼んでるの」

 シエラは、ソマラ島の方角に顔を向けて、小さく言った。

「宝玉が……呼んでる」

「場所が、分かるの?」

「うん。上手く言えないんだけど……誰かに呼ばれてるような、そんな感覚」

 レイリの問いにそう答えたシエラの腕を、クライドが掴んだ。

「だったら、早いとこ行こうぜ。メアル……」

「いえ、私はここに残ろうと思います」

 近くに落ちていた、兵士のものと思われる槍を拾い上げて、メアルは振り返った。

「ちょっ、何言っ……」

「民が戦っている場所から背を向ける君主など、所詮紛い物でしかありません。例えどんなに憎まれ、罵られたとしても、私は民と共に有りたい。それが……」

 傷だらけの顔に、眩しい笑みを浮かべて。

 少女は、言った。

「王家に生まれた私の定めだと、そう信じています」

 シエラがゆっくりとメアルに歩み寄り、自分のそれよりも少し高い位置に有る首に腕を回した。

「……無事で、いてね」

 一瞬驚いたような顔をしたメアルだったが、やがて柔かく微笑んでシエラの背中に腕を回す。

「……姉様に、数多の波濤の御加護が有らん事を」

 そっとシエラから離れたメアルの手を、レイリが掴んだ。

「絶対絶対、また会うんだって、約束して」

 瞳に必死な光を浮かべて見つめてくるレイリを、そしてその後ろに立つクライドを見て、メアルはまた笑った。

「ええ、約束です……また、会いましょう」

 メアルがそう言ったのを聞いて、レイリは手を放した。

「じゃあ、また」

 クライドが言って、シエラを振り返る。こくんと頷いたシエラは、メアルのほうを一瞥してから、足早に歩き出した。レイリとクライドも、その後を追って歩き出す。

 三人に背を向けたメアルは、そっと呟いた。

「どうか……無事で」

 そして、大声を張り上げて、海蛇と戦う兵士達に語りかけた。

「皆、私の話を聞いてください!」

 数人の兵士が振り返り、驚いたような顔をした。手の離せない者にも、声は届いているようだ。

「現在、魔王の封印の資格を持った者が、宝玉のもとに向かっています! これから封印が発動するまで、魔物をこちらに引きつける事に専念してほしいのです!」

 兵士達は、一瞬だけ顔を見合わせ――

「仰せのままに!」

 その声を聞いて、メアルは手に持った槍の石突をドン、と地に付いた。

「姉様、ここは私にお任せください」



第25話に続く――



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