第23話 裏切り者


 人の心は移り変わる。

 まるで、生まれては消えゆく海の泡のように。




 暫くしてクライドは、ずっと抱き抱えていたシエラの肩をそっと放した。

「……早いとこ、ここを出たほうがいいな」

「うん」

 振り返ったクライドは、レイリとメアルの姿が見えない事に気付いた。

「あれ? レイリとメアル、どこ行ったんだ」

 牢の外に出て廊下を見渡すが、誰も居ない。

「おいレイリ、メアル! どこだ?」

 少々声量を上げて呼んでみると、パタパタという足音と共に、二人が廊下の角を曲がって姿を現した。

「どこ行ってたんだよ! ったくどいつもこいつも、心配ばっか掛けさせやがって……」

「気を利かせて出て行ってやったんじゃん! 文句よりむしろ、お礼を言って欲しい位だよ!」

 レイリに反論され、クライドは言葉に詰まった。

「あの……」

「なっ……何で俺がお前らに気ぃ遣われなきゃなんねえんだよ!」

「あんたじゃなくて、あんたら!」

「あの!」

 突然響いた大声に、レイリ達は驚いてその方向を振り返る。その視線の先には、慌てた表情のメアルがいた。

「少しは状況も弁えてください! 緊急事態です!」

「緊急事態?」

「はい。実は今、この牢獄の前に多数の海原の民が居るのです」

「何でだよ? 俺らが殴り倒した見張りが誰かに見つかったとかか?」

 メアルは、レイリと顔を見合わせた。

「それが、よく分からないんだけど……」

「とにかく、表からは出入り出来ません。裏に脱け道があるので、そこから脱出することにしましょう。かなり狭いですが、他に方法が有りません」

 かなり狭い、と聞いて、クライドとシエラの顔色が変わった。

「クライド……」

「平気だ。他に方法が無いなら、仕方無いだろ」

 小声で話していたシエラとクライドに、レイリが声をかけた。

「大丈夫? クライド、顔色悪いよ」

 明らかにその表情からは恐怖が読み取れたが、クライドは無理矢理笑みを浮かべた。

「大丈夫。……大丈夫、だから」

「……無理、しないでね」

 シエラが、クライドの手をぎゅっと掴んだ。その手を、クライドはしっかりと握り返す。

「ほら、早く早く!」

 歩き始めたレイリとメアルの後を、二人は小走りに追った。

 元々は海底洞窟だったというこの牢獄は、奥に行くにつれて複雑に枝分かれした通路が入り組んでいる。その入口の鉄格子の鍵を開け、早足で進んだ一行は、一つの通路の前で足を止めた。

 縦は、レイリやシエラの身長より少し高い位。横も、それより少し狭い位。

 プラス、真っ暗。

「ホントに入るの? ここ」

 思わずレイリが洩らす。

「仕方のないことです。私が先に入りましょう」

 少し頭を屈めて、メアルが中に入る。レイリがその後に続いた。

「シエラ、先行け。……平気だから」

「うん……」

 心配そうな顔のシエラが中に入り、クライドも恐る恐る入り口に手をかけた。

 じわじわと、恐怖が押し寄せる。

 大丈夫。

 一歩踏み出す。

 怖くない。

 竦む足を無理矢理動かして、体を屈めて中に入る。

 何も考えるな。

 長身が故に、目一杯体を縮めて数歩進む。低い天井と、手をついた左右の壁から、途方も無い圧迫感が襲ってくる。

 プツン、と頭の中で何かが切れたのを感じた。

「うっ……うわああぁぁっ!」

「クライド!?」

 悲鳴と、通路の外に駆け出す足音が狭い通路に響いた。

 シエラがクライドの後を追っていった気配を感じ、レイリとメアルも来た道を戻る。通路から少し離れた所に、膝を付いて荒い息を付いているクライドと、その背中を擦っているシエラを見つけた。

「何? どうしたの?」

 レイリは、しゃがんでクライドの顔を覗き込む。

「……なんだ」

「え?」

 目を見開いてそう呟いたクライドの、擦れた声が上手く聞き取れず、レイリは思わず聞き返した。

「駄目、なんだよ……」

 肩が、小刻みに震えている。

「……狭い所が……怖いんだ」

 やっとの思いでそれだけ言って、クライドは深く俯いた。

「閉所恐怖症……ですか」

 腕組みをして呟いたメアルの言葉に、シエラは軽く頷いた。

「そう。子供の頃、嵐のあった翌日に、木箱の中に入れられた状態で浜辺に流れ着いたのをあたしが見つけて、それ以来ずっと一緒に暮らしてたんだけど……そんな事があったせいか、狭い所が、どうしても駄目で」

 納得したように、メアルは頷いた。

「成程。そのような経験があるのなら、恐怖症になるのも合点がいきます。狭い木箱で、荒れた海になんて……」

「そうだね。……もう少し早く言ってくれれば、他の方法考えたのに。あんまり無理しちゃ駄目だよ?」

 レイリに言われて、クライドは、小さく返した。

「……悪い」

 メアルは、顎に手を当てて考え込む。

「しかし、そうなるとこちらからの脱出は不可能になりますね」

「そうだね。一応正面の入り口には鍵を掛けたけど、誰かが合い鍵持って来たら終わりだし」

 沈黙が流れる。

「……こうしましょう」

 暫くして、メアルが言った。

「取り調べの為に、私が二人の兵士と共に罪人を別の所へ連れて行く風を装います。人気の無い所まで行ったら、一気に逃げる」

「バレないかな」

「でももう、それしか無いんじゃない?」

「……だよなあ」

 四人は急いで入り口付近に戻った。レイリとクライドは再び兜を被り、シエラの手首に縄を巻く。勿論、それらしく見えさえすればいいので、すぐ解けるよう緩くしておいた。

「準備は良いですか? ……行きましょう」

 メアルが、内側から掛けておいた鍵を外す。大きな扉を押すと、扉は僅かに軋む音をたてながら、ゆっくりと外側に向かって開いた。

「おい、入り口が開いたぞ!」

「中にいるのは誰だ?」

「姫だ! 姫がいたぞ!」

 扉を開いたメアルの姿を見つけて、周囲は騒然となった。数人の青い髪の男達が、いきなりメアルの腕を強引に掴む。

「なっ……何をするのです! 離しなさい!」

 抵抗も虚しく、メアルはずるずると引き摺られていく。止めようとしたレイリとクライドも、他の者達に抑えつけられてしまった。

「離せと命じているのが分からないのですか! 離……」

 反対側からも、誰かが連れて来られるのを見て、メアルは口をつぐんだ。海原の民特有の青い色をした長い髪が乱れ、その女性の顔を覆っている。

 しかし、見間違える筈も無かった。

「母様……?」

「……メ、アル……」

 メアルの声を聞いて僅かに上げられたその顔は、紛れも無くメアルの母のものだった。

 人垣の中心に放り出されたメアルは、母の顔を覗き込む。その口の端には、殴られたような痣があった。

「何故……! 母様、これは一体……」

 メアルの母は、小さな声で言った。

「ごめんね……ばれて、しまったの」

「ばれた? 何が……まさか!」

 ある事に思い当たり、メアルは青ざめた。

「この女、大地の民の男に惚れて、子供まで産んだんだってよ!」

 一人がそう言ったのを皮切りに、地べたに座り込んで抱き合う母娘に一斉に罵声が浴びせられた。

「裏切り者!」

「死んでしまえ!」

「我等一族の恨み、忘れたのか!」

 メアルの母の顔が歪むのを見て、レイリの脳裏に、母親の最期が過った。

「……やめてよ……」

 小さく、声が漏れた。

「やめて! 離してよ!」

 掴まれた腕を振り解こうと、力一杯藻掻く。

「おとなしくしろ!」

 怒りに我を忘れて、思わず腕を掴む兵士の顔をキッと睨みつける。まだ若い兵士の表情が驚愕に変わるのを見て、しまったと思った時にはもう遅かった。

「この女……!」

 兵士が手を上げて、兜を叩き落とした。

 ガラン。

 兜が地面に落ちる、乾いた虚ろな音が、無情にも辺りに響く。

 パサリと顔にかかったのは、海原の民では絶対に有り得ない栗色の髪。

 その場にいた全員の視線が、レイリに突き刺さる。

「こいつ、大地の民だ!」

「うっ!」

 顔を殴られ、レイリは地面に倒れた。

「レイリ! 大丈夫!?」

「畜生! 離しやがれ!」

 兵士を無理矢理振り払ったクライドと、どさくさに紛れて手首の縄を外していたシエラが駆け寄った。

「何だ、お前等も海原の民なのに、大地の民の味方をするのか?」

 返事の代わりに、クライドは自ら兜を脱ぎ捨てて放り投げた。現れた灰色がかった黒髪を見て、周囲が息を呑む。

「この男も……!」

「何故この街に入る事が出来たんだ?」

「決まってる! そこにいる裏切り者が手引きしたんだ!」

 指を突き付けられ、メアルの細い肩がびくんと震えた。

「裏切り者!」

 罵倒と共にどこからか石が飛び、メアルの脚に当たった。二つ三つと石が投げられ、やがて雨のように母娘に降り注ぐ。

「やめろ!」

 クライドが、二人を庇うように両手を大きく広げて立ちはだかった。レイリとシエラも、腕で頭を守りながら駆け寄り、メアル達の肩を抱く。

「あだだだっ!」

「メアル、大丈夫?」

「ええ……何とか」

 メアルは、弱々しく微笑んで見せた。

 飛んできた石が、クライドの額に当たった。一瞬だけ痛みに顔を歪めたクライドだったが、そのままそこに立ち続ける。切れてしまったらしく、生暖かいものが皮膚を伝い、眉間から鼻の横を通って滴り落ちるのを感じた。

 どうやら他にも、数ヶ所に出血があるようだ。痣に至っては、最早数え切れない程有るだろう。

 歯を食い縛って痛みに耐えながら、クライドは思った。

 どうしたらいい?

 このままじゃ、俺もシエラ達も長くは保たない。おそらく、殺されるのも時間の問題だろう。

 考えろ、考えろ、考えろ……!

 どうすれば……!

 その時、何かが崩れるような轟音と地響きで、足元が微かに振動した。

 その場の全員が、戸惑ったように顔を見合わせる。突然、兵士の一人が叫んで城壁のほうを指差した。

「おい! あれ見ろ!」

 彼の指の先には。

 堅固な筈の城壁の一部が崩れ、もうもうと土煙が上がっている。

「なっ……何だ?」

「行くぞ!」

 兵士達は、その方向に走って行った。一般人達も、不安げな表情で様子を見に行こうと歩きだす。どうやら、投石攻撃は終わったようだった。

「クライド! 血が……」

「平気だ、これ位。今のうちに、ここを離れて……」

 クライドが、怪我を心配するシエラの手を押し戻した、その時だった。

 複数の人間の悲鳴が、土煙の上がっている方角から聞こえてきた。

「何?」

「様子がおかしい……確認してきます!」

「おい、メアル!」

 駆け出したメアルに続き、見通しの良い大通りに出たところで、一同にもようやく何が起きているのかを把握することが出来た。

「あれ……あの時の、海蛇!」

 シエラが指差した先には、確かにあの巨大な海蛇が、首をもたげていた。



第24話に続く――

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