第22話 鼓動


 ただ、懐かしくて。

 ただ、温かくて。



 しばらく潜ると、海底が見えてきた。もう陽は暮れたはずなのに、辺りはほのかに明るい。どうやら、メアルが持つ発光体以外にも、光源となるものがあるようだ。

 白い砂をふわりと舞い上げて、静かな海底に降り立ったレイリは、辺りをもの珍しげに見回した。

 海上から見ただけでは分からなかったが、魚や見慣れない小さな生物が沢山泳ぎ回っている。その中の幾つかは、様々な色の光を発していた。

「夜光クラゲだ。初めて見るだろ?」

 いつの間にかすぐ傍に来ていたクライドにそう教えられ、レイリは頷いた。

「うん。あたしの生まれた国にも海はあったけど、棲んでる生き物がこことは全然違う。水の色も、こっちのほうが澄んだ色してる気がするし」

「そっか」

 メアルが、前方の少し下り坂になっている斜面を指差した。

「我々の都はこの先にあります。どうぞ、こちらへ」

 レイリとクライドは、メアルの後について海底を歩き始めた。

「足元に気を付けてくださいね」

 色鮮やかな珊瑚や海藻が辺りの岩を覆い、様々な生物が泳いでいる。しかし、その普通なら見ることの出来ない風景を、じっくりと眺めている余裕は無かった。

 思いつめたような表情のクライドは、ひたすら前を歩くメアルの背中を凝視している。まるで、そうする事で焦りや不安を押し潰そうとしているようだ。レイリもそんなクライドに話し掛けづらくなり、必然的に会話も無くなった。

 クライドが、シエラの事をどれだけ大切に想っているか。

 それが如実に現れているようなクライドの表情が、レイリには何か悲壮感さえ漂っているように見えた。

 数分ほど早足で歩くと、前方に何かの建造物が見えてきた。淡い光に照らされたその建物は、白っぽい色をした岩で出来ている。更に進むと、同じような建物が幾つも建っている事が分かった。

「海原の民の街は、珊瑚の死骸が堆積して出来た岩石によって造られています。白く見えるのは、そのせいですね。大地の民の街も、同じもので造られているようですが」

 メアルの説明に、レイリは納得したように頷いた。確かにメナルーの街並は白っぽかったし、崩れた旧市街も同じ色をしていた気がする。海底の砂の色が白いのも、それと関係あるのかもしれない。

「街の周りを囲んでるのは何だ? ほら、ドーム型になってるやつ」

 クライドが、街全体を包む透明な泡のようなものを指差した。

「あの中は空気で満たされていて、陸上と同じ状態になっています。大地の民との戦に敗れた我々が、海中に移住する事が決まった時に、大地の民の魔術師が魔術によって造った泡の結界で、長い時が経っても揺らぐ事はありません。我々海原の民は、魔術を使うことが出来ない種族……戦に敗れたのも、その為だったと」

 白い堅固な城壁に囲まれた街が、だんだん近付いてくる。見つからないように岩影を進みながら様子を伺うと、城壁の上にはメアルと同じ青い髪の兵士が見張りをしていた。

「海蛇を警戒しているのです。いつもより見張りが厳しいですから、慎重に行動しましょう」

 そのまま街を迂回して反対側に出ると、メアルは小さな門を指差した。

「あれが裏門です。表門に比べて小さい為に、警備も手薄です。準備はいいですか?」

 レイリとクライドは、無言で頷いた。

 メアルが物陰から顔を出して辺りを伺う。安全だと判断したのか、二人を手招きして泡の結界の前に進んだ。

 そっとメアルは結界の中に手を差し込む。そしてそのまま、するりと結界を通り抜けて振り返った。

「普通に歩いて通り抜けて結構です。早く、見張りの来ないうちに」

 そう言われて、レイリとクライドも恐る恐る手で触れてみる。す、と突き抜けた手は、確かに大気の中にあった。

 そのまま進むと、身体は何の抵抗も無く結界を抜ける。あまりにあっさりと通過する事が出来たので、レイリもクライドもすっかり拍子抜けしてしまった。

 手筈は単純だった。

 まず、レイリとクライドは衛兵の死角から門に接近する。メアルが衛兵に話し掛けて気を引き、隙を付いて二人が飛びかかる。後は殴るなり何なりして気絶させ、服を奪って兵士に成りすまし、街に侵入する。

 危険の多い作戦だが、今はこれに賭けるしかない。二人が十分な距離まで移動したのを確認して、メアルはゆっくりと岩影から立ち上がった。

 結論から言うと、大成功だった。

 長い見張りの仕事に飽きていた二人の兵士は、突然姿を現わしたメアルに驚きつつも、何の疑いも無く雑談を始めた。

 背後から近付いたレイリが、片方の首の後ろに剣を叩き付け、もう片方もクライドが後ろから猟刀で殴り倒した。もちろん、剣は鞘に納めたままである。足元に転がった衛兵の傍にしゃがみ込み、レイリはその様子をしげしげと眺めた。

「……これ、本当に大丈夫かな」

「何が?」

「その、人を殴って気絶させるって初めてで。かなり強く殴っちゃったから、打ち所が悪かったらまずいかなとか、色々考えちゃって」

「ああ……」

 苦笑して、クライドも隣にしゃがみ込む。

「俺はともかくレイリの力なら、そのくらいでちょうどいいんじゃねえかな。俺も、慣れてるわけじゃねえけど」

 気絶した衛兵の服を剥ぎ取り、縛り上げて近くの岩影に隠した。着ている服の上から、丈の長い制服を被る。髪がはみ出さないように気を付けながら兜を被って槍を持つと、他の兵士と見分けがつかなくなった。

「レイリは目の色でバレるかもしれねえから、下向いてたほうがいいんじゃねえのか?」

 そうクライドに指摘されて、レイリは軽く頷く。

「よろしいですか?」

 レイリとクライドが頷くのを確認して、メアルは話を始めた。

「これから、牢獄に向かいます。お二人は途中までは私の付き人のふりをし、牢獄の近くで分散してください。見張りが入り口に二人立っているはずなので、先程の要領で一人ずつ片付けて頂きます」

「了解であります、姫様」

「お任せください、姫様」

 真面目くさって敬礼をした二人を見て、メアルは微笑んだ。

「お似合いですよ」

 レイリとクライドは、兜の目庇の下から覗く目を見交わして、一つ大きく頷いた。

「参りましょうか、姫様」




 ぽたり。

 水の滴り落ちる音が、薄暗い空間に響く。

 この単調な音を、もう幾度聞いた事だろうか。シエラは、これまた幾度目か分からない溜め息をついた。

 海蛇に弾き飛ばされたシエラは、どうやらその衝撃で失神していたらしい。気が付くと、青い水面が頭上一杯に広がる海底に横たわっていた。

 シエラが育ったこの地方には、海の底に死者の暮らす国がある、という信仰がある。目を覚ましたばかりで頭がぼうっとしていた事も手伝い、漠然と自分は死んだと思い込んだシエラは、しばらく辺りをふらふらと歩き回っていた。

 突然現れた青い髪の人達は、シエラを見て驚いたふうだったが、そのうち憎しみを込めた目を向けてくるようになった。そして、シエラを捕らえて牢に放り込んだのだ。裏切り者、とか言っていた気がする。

 ようやく自分がまだ死んだ訳ではないらしいと気付いたシエラだったが、何故牢に入れられたのかも分からない上に、辺りに看守の姿も見えない。状況が全く分からず、シエラは途方に暮れていた。

 他の三人は、一体どうしただろうか。

 自分の事を捜しているかもしれない。きっと、クライドがあまり無茶をしないよう、レイリとユリアンが抑えてくれているだろう。

 そこまで考えて、シエラはふっと笑った。

 クライド。

 シエラの幼馴染みで、兄弟のような存在。

 記憶を失っていて、不安じゃないはずがないのに、いつも気丈で。

 普段はしっかりしてて頼れる奴だけど、何かに夢中になると、周りが全く見えなくなる。そんな子供っぽい所も、シエラは好きだった。

 この気持ちに気付いたのは、いつだっただろうか。

 いつも気が付くと目で追っていて、もっと声を聞いていたくて、色々な表情を見せて欲しくて。

 ああ……あたし、あいつに惚れてたんだ。

 そう思った瞬間は、ずっと昔のようにも、つい最近のようにも思える。

「好きだよ……クライド」

 小さく呟き、シエラは拳をきつく握り締めた。

 とにかく、今のこの状況をどうにかして打開しなければならない。牢の鉄格子は頑丈で、壊すのは到底不可能だ。床は岩なので、穴を掘るなどという古典的な脱獄方法も無理。更に悪い事に、持っていたナイフを捕まった時に全て奪われてしまっていた。

「あー、もう!」

 自棄になって鉄格子を蹴飛ばした時、何かが聞こえた気がして、シエラは耳を澄ませた。

「これはこれは姫様、何故このような所へ?」

「囚人が護送されて来たと聞いたので、どのような者か見に来たのです」

 看守らしい男の声と、少女の声が聞こえる。どうやら自分が話題に登っているようなので、シエラは更に耳に神経を集中させた。

「ああ、あの女……かなりの重罪ですよ。まだ正式に発表は有りませんが、確実に死刑でしょう」

「罪状は?」

「大地の民と連るんでいたそうで。何でも、捕まった時も奴等の服を着ていたそうですよ」

「まあ……」

 どうやら、看守は二人居たらしい。呆れたような声で、一人が言った。

「本当に、何がしたかったんですかね……うっ!?」

 ドサッ、という音が聞こえた。

「おい、一体どうし……うわあっ!」

 もう一人の悲鳴が聞こえた直後、聞き覚えのある声が響いた。

「やったー!」

「大成功だな!」

「はい!」

 パン、パン、とハイタッチの音がする。

「クライド? レイリ?」

 シエラが思い切って声を掛けてみると、途端に向こうの空気が一変した。

「シエラか? 大丈夫だったか! 今どこにいるんだ?」

 気遣うようなクライドの声に、安堵感が一気に押し寄せてくる。

「牢屋の中。暗くって湿っぽくて、もう最悪ってやつよ!」

 声を聞いただけで安堵した自分が少し気恥ずかしくなり、わざと不機嫌そうな声を出してみた。

「鍵を探さないとね」

「ああ、そうだな。……おい、これシエラのナイフじゃねえのか?」

「看守が鍵を持っていました。早く開けましょう」

 姫様、と呼ばれていた少女の声が、少しずつ近づいてくる。牢の外の廊下の壁を、淡い光が照らした。

「シエラっ!」

 突然光に晒された目に、誰かが駆け寄って来るのが映った。

 見慣れない模様のついた長い衣を纏ったクライドとレイリ、そして、シエラと同じ青い髪の少女。

 古びた大きな鍵が沢山付いた鍵束を持った少女が、鍵穴に合うものを一つずつ探していく。何本目かに差し込まれた鍵が、耳障りに軋む音をたてて回転した。

「シエラ!」

 クライドが、乱暴に扉を開けて牢の中に駆け込む。

「良かった……本当に、無事で良かった……」

 シエラの肩を抱いて、クライドは呻くようにそう呟いた。小柄なシエラはその声を、クライドの胸に顔を埋めるようにして聞いていた。

 今はただ、そうしているだけで良かった。

 薄ら寒い牢の空気で冷えた身体を包む体温は、はっとする程温かい。

 トクン、トクンと、心なしか早くなった心臓の鼓動が聞こえる。遊び疲れて、寄り添うようにして眠った子供の頃を思い出した。

 シエラの青い髪を撫でながら、クライドは低い声で今までの事情を説明し始めた。

 メアルは海原の民の姫である事。シエラはメナルー領主とメアルの母の間に生まれた子供である事。

 魔王の封印の為に、シエラの力が必要な事。

「そんな……そんな話って……」

 呟いたシエラの耳元で、クライドはそっと囁いた。

「心配すんな。俺が付いてるから。……お前は、俺が守るから」

 シエラは、かあっと顔が熱くなったのを感じた。額をクライドの胸に付け、照れ隠しのように言う。

「……何カッコ付けてんのよ、バーカ……」



第23話に続く――

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