第21話 黒い炎
越える試練。
超えなければならない存在。
「……で、具体的に俺達は何をすりゃあいいんだ?」
クライドが、メアルに尋ねた。
「まず、我々の都に潜入します。牢の近くまで行ったら、私が衛兵の気を引いている間に、後ろから近づいて倒して欲しいのです。そして、牢からシエラさんを奪還します」
「えっと、ちょっと待って」
すかさずレイリが言う。
「都は海の底にあるんでしょ。どうやってそこまで行くの?」
「その点に関しては、事前に私が手配しておきました。……ええと、確かここに……」
メアルはごそごそと肩から掛けていたポシェットのようなものを漁り、小さな瓶を二つ取り出した。中身は、海のような美しく深い青色の液体だった。
「これは、海底に自生する、魔力を持った特殊な植物を煎じたものです。飲むと、大地の民でも一時的に水中で呼吸が出来るようになります」
「ふーん……」
レイリは、メアルの手の中のそれを覗き込む。
いや。
どう考えても怪しいのでは?
著しく警戒心を強めたレイリを余所に、クライドはメアルから一つ受け取ったそれを、しげしげと眺めた。
「これ、どの位の間水中で呼吸出来るんだ?」
「約半日位でしょうか。今からだと……」
メアルは空を見上げる。いつの間にか、夕暮れ時になっていた空は茜色に染まっていた。
「明朝の夜明けが目安だと思っていてください」
「ふーん……あ、ユリアンはどうするの? 待ち合わせの場所にいなかったら、心配するんじゃないかな」
「……そういえば」
「その方の事は、信頼の置ける私の部下に見張らせています。有事の際には、すぐに知らせるように命じておきました」
メアルの言葉に、クライドはぎょっとしたように振り返った。
「それ、俺らも見張られてたって事か?」
メアルは、少し顔をしかめた。
「あまり聞こえは良くない言い方ですが……まあ、そういう事です。シエラさんの無事を確認した後に、私があなた達に確実に接触する為にはこうする他無かったのです。申し訳ございませんでした」
頭を下げたメアルを見てレイリは、慌てたように手を振った。
「そんな、謝んないでよ。あたし達別に何とも思ってないし。ね?」
そして、クライドの方を振り返る。
「……ああ、そうだな」
一瞬の沈黙の後にクライドは、ふっと表情を緩めてそう言った。
その様子を見て、レイリは少し俯く。
多分クライドは、まだ完全にメアルを信用した訳ではないのだろう。そしてそれは、レイリにしても同じ事。
本当にこのまま、メアルの言う通りにしてもいいのだろうか。本当に、シエラを助けられるのだろうか。
分からない。
何も、分からない。
だけど、一つだけ分かる事がある。
このままここで迷っていても、何も始まらない。状況を動かす為にも、何かしらの行動を起こさねば。
「何やってんだよ。ほら、レイリも一個取れ」
「へ?」
レイリが顔を上げると、ちょうどクライドが小瓶の栓を抜いたところだった。
「えっと……本当に、飲む気?」
「おう。シエラを放っちゃおけねえからな」
その空色の瞳は、真っすぐな迷いの無い光を湛えている。
そして次の瞬間、クライドはくいっと瓶の中身を呷った。
「うわ、本当にいった!」
クライドが薬を飲み込むのを、レイリは固唾を飲んで見守る。
「……お味は?」
「まずい。……なあ、本当にこれっぽっちで、水中でも活動できるようになるのか?」
「そういうことは、口に入れる前に聞けってば……」
返事の代わりに、クライドはレイリの顔をじっと見た。
「……何?」
「お前もゴチャゴチャ言ってないで早く飲めよ」
「う、うーん……?」
レイリは恐る恐る、メアルから手渡された小瓶を眺める。硝子のような素材で出来た、繊細な模様が入った小瓶の中で、小さな海がちろりと揺れた。
「ああもう! こうなったら、もうどうにでもなれ!」
思いきって口に流し込むと、苦味と塩気が襲ってきた。そして、微かな磯臭さ。独特の喉越しが、はっきり言って気持ち悪い。
かなりの努力を要して飲み込んだが、これといって身体に変化は無い。クライドが疑うのも、無理は無かった。
「うえぇ……まっず」
「それでは、行きましょうか」
メアルが事も無げにそう言ったのを聞いて、レイリとクライドは顔を見合わせる。
「確認するけど、本当にこれだけで平気なのか?」
「はい。さあ、行きましょう」
メアルの姿が消えた、と思った直後、ざぶんと水音が聞こえた。二人が瓦礫の端から海を覗き込むと、メアルが立ち泳ぎをして待っている。
「……ぶっちゃけた話、今俺すげー不安なんですが」
「あたしも」
「目を瞑って、せーので飛び込もうぜ。いくぞ……せーのっ!」
レイリはクライドの声に合わせて、目を閉じて瓦礫を蹴った。一瞬頬に風が流れるのを感じ、そして身体が水面に着く。鈍い衝撃と共に、ざぷん、と耳元で水音がした。
目を開けると、周りはどこまでも続く一面の紫に埋め尽くされていた。
夕暮れの日差しに透き通った、水面近くの赤みがかった薄紫。
限り無く黒に近い、海底の藍色がかった紫。
ちかちかと輝く幾つもの小さな光が遠くに見えて、幻想的な雰囲気を醸し出している。その中を泳ぐ沢山の魚のシルエットが、例えようもなく美しかった。
ゴボ、と音をたてて口から空気が漏れる。本能的な危機感に駆られて浮上しようとしたが、水面はレイリが思っていたよりもずっと上にあった。
溺れる!
慌ててもがくが、水面は遠い。腰に吊った刀が邪魔だ。ついには、我慢出来なくなって肺の中の空気を全て吐き出してしまった。必死に息を止めようとする努力も虚しく、反射的に息を吸ってしまう。
……あれ?
水の中で息を吸ったにも関わらず、苦しくない。普通に陸上にいるのと同じように、何の不自由も無く呼吸が出来る。
レイリは、落ち着いてそっと脚で水を蹴って、水面に浮上した。
「っは!」
「どうでした?」
いつの間にか近くに来ていたメアルが、笑いを含んだ声で聞いてきた。
「凄いよコレ! 全っ然苦しくない!」
レイリがそう答えるのを聞いて、メアルは瓦礫の上を見上げた。
「……だ、そうですよ。そろそろクライドさんも、こっちに来てください」
「え」
レイリが見上げると、クライドはまだ瓦礫の上にしゃがみ込んでいた。にっ、と笑顔で手を振られて、ようやくレイリにも状況が分かってくる。
「……クライド! あんた嵌めた!?」
「いや、ここまで見事に引っかかるとは思わなかっ……うわっ! やめろ!」
容赦無くレイリに水を掛けられて、クライドは顔を腕で庇った。
「遊んでる場合じゃない! 早くしてよ!」
「分かった分かった、俺が悪かったよ。危ねえから、そこ退いてくれ」
レイリとメアルを下がらせると、クライドは綺麗な弧を描いて飛び込んだ。レイリが下に潜ると、かなり深い所にクライドの姿が見える。
くるり、とこちらに振り返ったクライドは、大きく手を振った。
「いや、本当にすげえな、これ!」
声も水中で通るのを確認したレイリのすぐ傍を、何か光るものが横切った。
「私達も参りましょう」
メアルは、何かの発光体が入っているのか、淡い光を放つ球を抱えている。照明の代わり、ということらしい。
三人は、海底のさらに深い所を目指して、暗い海に潜っていった。
紅に染まった空の下、金属がぶつかり合う音が響き渡る。
ギャン! と耳が痛くなるような音の直後、全ての音が止まった。
「この程度か……見損なったぞ、小僧共」
次の瞬間、両側からの攻撃をザーシャの鎧に覆われた左腕に受け止められたユリアンとサイザンは、それぞれ別の方向に弾き飛ばされた。
「がは……っ!」
立ち上がったサイザンの唇の端から、一筋の血が流れ落ちる。
強え……。
サイザンは今、畏れにも似た何かを感じていた。
これまでにも、何度かザーシャと対峙した事はあるが、その時には他の隊員達が何人もいた。そこから逃げ出すだけでも大したものなので、ザーシャは油断の出来ない相手だという事は、事前にしっかり肝に銘じたはずだった。
しかし今回、こちらは二人である上に、何故か以前よりもザーシャの力が増している。後から来る手筈になっていた、増援が来る気配も無い。はっきり言って、この状況は危険だった。
「はっ……はっ……はぁっ……!」
顔を上げたサイザンは、異変に気付いた。
よろよろと立ち上がろうとしたユリアンの、呼吸がおかしい。額にはうっすらと汗が浮かび、胸の辺りを押さえて苦しそうな表情をしている。
その原因に思い当たったサイザンの背を、冷たい汗が伝った。
「……っは! がはっ、げほっ……ごぼっ!」
激しく咳き込みながら、ユリアンは力無く地面に膝を付く。
馬鹿が! こんな所で『あれ』を解放したせいで、一気に反動が来てんじゃねえかよ!
ごぼごぼと妙な音をたてて咳をし続けているユリアンと、焦った表情のサイザンを交互に見て、ザーシャは笑った。
「……やはり、な。もはやこの者、長くはないぞ」
勝者の優越を湛えた瞳でこちらを眺めるザーシャを見つめながら、サイザンは歯軋りした。
悔しいが、今のこの状況を打開する方法を、サイザンは持っていない。
このまま、ここで死ぬのか? そんな事、あってたまるか。
この黒い魔術師を残して、自分一人で退却すれば、まだ助かる見込みはある。ここで共倒れになるよりも、いくらかマシだろうか。
しかし――今、こいつにくたばられる訳にもいかない。
覚悟を決めたサイザンの目の前で、ザーシャは頑丈そうな銀の鎧に覆われた左手を、すっと上げた。手袋をはめた右腕とは明らかに太さも長さも違う、奇妙にアンバランスなその手の平は、真っすぐにユリアンの方に向いている。小さな黒い塊が、徐々に大きくなりながらその手の平に収縮していった。
「……畜生がッ!」
ザーシャのしようとしている事に気付き、サイザンは全力で走る。
蓄積されたダメージのせいか、脚が思うように動かない。
手に馴染んだ筈の鎌が、やけに重く感じる。
「……消えろ」
黒い炎の塊が、真っすぐにユリアンの方に放たれた。
よろめきながらも立ち上がろうとしたユリアンの前に、大鎌の刃の部分を盾のようにかざして、サイザンは庇うようにその身を投げ出す。
一瞬、時間が止まったような気がした。
次の瞬間、凄まじい熱と共に激しい爆風が吹き荒れて、二人を襲った。
黒い炎が直撃した鎌の刃は、びりびりと震えている。ついにはその風圧に耐えきれなくなり、サイザンはユリアンを抱えたまま吹き飛ばされた。
破壊の衝撃のせいか、周囲の建造物が次々と崩れ始める。二人の姿も、倒れた柱の下に見えなくなった。
ズン、と重い地響きと共に、もうもうと土煙が立ち昇る。それを眺めながら、ザーシャは、フンと鼻を鳴らした。
「埋もれたか……わざわざ掘り出して確認するまでもないな。他愛もない」
そう呟いたザーシャの口元に、僅かに笑みが浮かぶ。
あと、少しだ。
あと少しで、積年の悲願は成就する。
長く長く、経てきた年月は数知れず。その間、ずっと生きる糧にしてきた、否、その為に生かされてきた目標に、ようやく手が届く時が来たのだ――。
静まり返った島を、淡い月の光が照らし始めた。
第22話に続く――
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