第16話 斬
言葉にするのは簡単だけれど。
現実は、そう単純なものではないのでしょう。
強い日差しに、兵士が振り上げた剣がぎらりと光る。
――このままでは、殺される。
剣。
光。
頭の中で何かが、カチリと噛み合う感覚。
口をついて出たのは、ごく短い呪文――
「ぐあっ!?」
ほんの一瞬、まばゆく光を放ったレイリの剣は、確かに兵士をたじろがせた。
「……この!」
考えるより先に、身体が動く。再び斬りつけてきた兵士の剣を、無我夢中で弾き――横薙ぎに振るった剣は、兵士の脇腹を切り裂いた。
ぞんっ、と、肉を斬る嫌な感触が手に走る。
「あ……ああぁ……」
手が震え、刀の柄が滑り落ちた。
一瞬、まさか、というような表情の兵士と目が合う。
兵士の手から剣が離れて落ち、その後を追うように兵士本人も崩れ落ちた。
脚の力が抜けて、レイリはへなへなとその場に膝をつく。
他の兵士が、レイリに斬りかかる。それに気付いたユリアンが防ごうとしたところで、突然動きを止めた。
直後、何か細長い物が唸るような音をたてて飛んで、レイリに斬りかかろうとしていた兵士の肩を貫く。
よく見るとそれは、漁に使う銛だった。
「おい! 大丈夫か!」
そう言いながら走って来たのは――
「クライドさん!」
「クライド!」
ユリアンと女は同時に叫び、驚いたように顔を見合わせた。
背中に背負った筒型のケースからもう一本の銛を取り出すと、クライドはそれを構えて言う。
「一体何がどうなってるんだよ!?」
ユリアンは辺りを見回した。そろそろケリをつけたほうがいいだろう、と判断し、静かな声で言う。
「それは、こちらを片付けてからにしましょう」
ユリアンはレイリのほうに駆け寄ると、落ちていたレイリの刀を手に取った。
振り返った彼の顔には、表情というものが皆無だった。氷のような瞳が、獲物を求めて飢えた獣のように動く。
斬!
目にも止まらぬ速度で刃が一閃する。
クライドの銛が肩に突き刺さった兵士の動きが、一瞬止まった。その直後、切断された上半身が滑り落ち、下半身がその後を追う。
「うわああぁぁっ!」
レイリが斬りつけた兵士は、何とか動ける程度の負傷だったようで、背中を向けて逃げ出そうとしたところで――
その背中を、ユリアンは袈裟懸けに斬った。
うつ伏せに倒れ、逃げる事が出来なくなった兵士に刀を突き付け、ユリアンは低い声で問う。
「誰の命令で来た」
「や、やめてくれ……ど、ど、どうか、い、命だけは……」
「誰の命令で来た、と聞いている」
地面に置かれた兵士の手を刀が貫き、恐ろしい悲鳴が上がった。
「わ、分かった! は、話すから! 俺達は、ザーシャ・アーヴィン様の命令で来たんだ。……嘘じゃない!」
ユリアンの目が細くなったのを見て、兵士は慌てたように叫ぶ。
それからすっかり恐れをなしたのか、兵士は質問にぺらぺらと答えた。ザーシャはエルギーニ軍の中でも幹部で、裏で権力を握っているという事。今回の襲撃はザーシャの指揮下にあるという事。
「彼女の目的は何だ」
「し、知らない! 俺は下っぱだから、生き残りを探して始末しろとしか言われてない!」
「そうか……ならばもう用は無い」
血に濡れた剣が振り上げられ、陽の光にぬらりと輝いた。
「ま、待ってくれ、そそ、そんな……うわあぁ」
悲鳴が途中でぷつりと途切れ、兵士の首は目をかっと見開いたままごとん、と音をたてて地面に落ちた。
白い肌に返り血の深紅の花を咲かせたユリアンは、眉一つ動かさずにぶん、と刀を一振りして、刃に付いた血を払った。
違う。
“彼”は、自分が知っている大人しい少年とは、まるで異質な存在だ。
クライドは、自分の全身に鳥肌が立ったのが分かった。
その場で動くものは、風に巻き上げられた砂だけだった。
「具合はどう?」
声をかけられたレイリは顔を上げた。声のした方を見ると、先程の女が、壊れた扉の隙間から顔を覗かせている。
あの後。具合が悪くなって戻してしまったレイリは、焼け残った家の中で休んでいた。壁に開いた穴からは、夕暮れ時のぼんやりした光が差し込んでいる。
「レイリちゃん、だっけ? ご飯食べられそう?」
「ううん、まだいい。ええと……」
「あ、ゴメンゴメン。あたし、シエラ・マリディム。シエラって呼んで」
にっ、と人懐こい笑顔を見せたシエラは、レイリの隣に座った。
「マリディム……って、クライドと同じ名字?」
「うん。あたしは捨て子だったし、クライドも似たようなもんでさ。二人とも、ラヴィナ・マリディムって人に育てられたの」
「……ごめんなさい」
「ああ、いいのいいの。気にしないで」
ぽん、と膝を抱えたレイリの肩に手を置いて、シエラは続けた。
「確か、あたしが十二の時だったかな。村の近くの浜辺に、でっかい木箱が幾つか流れついてね。たまたま一人で通りかかって、気になって一つ開けてみたの。そしたら、中にあたしと同い年位の子供が入っててね。意識が無かったから、慌てて人を呼んだの。命に別状は無かったんだけど記憶を無くしてて、クライドっていう自分の名前しか覚えてなかった」
シエラは肩を竦めた。
「ラヴィナさんは、自分が早くに両親を亡くしたらしいから、身寄りのない子供が放って置けなかったみたい。クライドも引き取って、あたしと一緒に育てたの。あたし達二人にとっては、親も同然だった。
でも……今回の襲撃で、殺されちゃった」
沈黙が流れた。
「昔っからこの辺りはエルギーニ軍との小競り合いが多かったから、それなりの備えはあったんだけどな。どうしてこうなっちゃったのかな」
レイリは、シエラの方にゆっくりと首を巡らせた。
「じゃあ、初めてじゃないの? その……」
「人を斬った事が?」
「うん。あたしね、今日初めて人を斬ったの。何が何だか分からなくなって、刀を振り回したら、斬っちゃってた」
ぽつぽつと紡ぎ出されるレイリの言葉を、シエラは黙って聞いていた。
「ユリアンが何の躊躇いもなくあの人達を斬ったのを見てね、怖かった」
抱えた膝の間から、絞り出すような声が漏れる。
「人が死ぬのって、あんなに軽いものだったんだ、って」
自分の服の袖を掴んだレイリの手に、ぎり、と力が込もる。
「もう……どうしたらいいか、分かんないよ……」
「そうだね。あたしもどうしたらいいか分かんない」
声を押し殺してすすり泣くレイリの背中を、シエラはそっと撫でた。
「あたしもね、最初の時はあんたみたいに悩んだよ。でも、四の五の言っていられなかった。自分の命を、自分達の住む村を守る為には、他の命を奪うしかなかった」
壁に開いた穴から見える空は藍色に変わり、星が瞬き始めた。月明かりに照らされた砂は白く輝き、遠くから聞こえる波の音が二人を優しく包む。
「答えは人それぞれだよ。精一杯悩んで悩んで、それで答えを見つければいい。……あの子だって、きっとどこかで割り切ってやってるんだよ。そうでなきゃ、やっていけないよ」
「……うん」
シエラはは月明かりの中で、レイリの嗚咽が治まるまでずっと、その震える肩を優しく抱いていた。
サイザンは、ベルトに取り付けられたケースから小型の通信機を取り出した。
二つの黒くて平たい長方形のそれは、魔術と科学と錬金術の最新の技術を結集した機械で、遠くの人間と通信する事が出来る。発信機を口元に、受信機を耳元に当てて、サイザンは呪文を唱えた。
「……僕です」
ザザサ、という一瞬のノイズの後に、受信機から少年の声が漏れる。
「あ、隊長? 俺だけど」
「その声、サイザン先輩ですね? 全く、名前位きちんと名乗ってくださいよ」
「相変わらず堅てーなあ、隊長さんよ。お前、地位で言えば俺より上だろ? いつまで人の事先輩呼ばわりする気だよ」
「先輩のほうが年上な事に、変わりはありませんから」
わずかに笑いを含んだ声を聞いて、サイザンの口元にも笑みが浮んだ。
零伍小隊史上最年少の隊長である現隊長は、現メンバーの中で一番若い。将軍の父と魔導師の母を持つ彼は、幼い頃からその類い稀な才能を見せており、いずれ軍に入れば両親を超える功績を挙げるだろうと言われていた。
ザーシャによって両親が惨殺された後、彼は狂ったように訓練を重ねて零伍小隊に入隊した。
初めて彼を見た時、サイザンはあまりいい印象を持たなかった。外見がいかにも育ちのいいひ弱な子供という感じで、あまり戦いに向いているようには見えなかったからだ。そのくせ双眸は年齢に不釣り合いな程に鋭くて、得体が知れなかった。
しかし話をしてみると非常に礼儀正しく気のいい少年で、サイザンはすぐにこの後輩を可愛がるようになった。
そして、現隊長が当時の隊長であった、現在の副隊長に勝って隊長になった後も、それは変わらない。
「先輩、今どこにいるんですか?」
隊長の声で、サイザンは物思いから引き戻された。
「あー、メナルーまでアルシュロン使ってあと一日位のトコ。明日には着くわ」
通信機越しに、隊長がふうん、と唸ったのが聞こえた。
「実は、ラシャーナル軍がだいぶ苦戦しているんですよ。出来るだけ早くお願いします。他にも、厄介な勢力が現れていますし」
「ほー。どちらさんよ」
「ザーシャにかけられた、懸賞金目当ての傭兵です」
「傭兵? んなの、勝手にやらせとけよ」
「それがですね、そのうちの一人がユリアン・サーヴェンなんですよ」
「……マジ? そういうオチかよ」
そう言いつつも、サイザンの口元には笑みが浮かんでいる。向こうにもそれが伝わったのか、くすくすと笑い声が聞こえた。
「そういうオチなので、先輩にお願いがあるんです。メナルーに着いたら……」
依然として不敵な笑みを浮かべながら、サイザンは隊長の言葉に耳を傾けた。
「了解。皆は後から来るんだよな?」
「ええ。先輩だけ先行して頂いていますから、無理の無い範囲でお願いします。場合によっては、増援が来るまで待機でも構いません」
「あいよ。んじゃ、後はさっきの通りに」
「ええ、お願いします」
「んじゃーな」
ブツッ、と通信を切ったサイザンは、溜め息をついて通信機をしまい込んだ。そして、それまで寄りかかっていたアルシュロンと呼ばれる移動用の機械にまたがると、レバーを捻ってエンジンをかける。
最近になって支給されるこの乗り物は、通信機と同じく最新の技術で造られたものだ。外見はレイリの世界のバイクに似ている(無論、サイザンはそんな事を知る由も無かった)が、タイヤは無く、エンジンをかけると地面から少し浮いて、滑るように進む。音もほとんどたてないので、サイザンはこの乗り物を気に入っていた。
欠点があるとすれば――最新式の装備なので、まだ零伍小隊にも一台しか支給されていない事。
その為、速く移動出来るアルシュロンでサイザンが一人で先行し、他の隊員は飛空挺でメナルーまで移動する事になっている。
「さてと、そんじゃ行きますか。時間もあんまり無いし……それに」
そこで、サイザンはニヤリと笑った。
「折角、あの傭兵とサシで戦り合えるってんだから」
ああ、今回も血の匂いが取れないな……。
ユリアンは、解いた黒髪をそっと掻き上げた。潮の匂いに、ほのかに鉄臭い匂いが混じる。
常に柔和な顔をしている彼を見慣れた者が見たら、驚くような険しい表情で、ユリアンは瓦礫の上に腰掛けていた。
あの後、近くの川で身体に付いた返り血を洗い流したのだが、髪に血の匂いが染みついてしまっていた。
「僕も、まだまだのようですね……」
そう呟いた所に、クライドが姿を現した。すでに陽は沈んだ後で、空は薄紫色に変わっている。
「……飯、出来たぞ」
一瞬クライドは何か言いたげな目をしたが、結局何も言わずに立ち去った。
その態度、分からなくもない。
少し、やり過ぎたかもしれない。特にレイリにはショックが強過ぎたと見え、近くの家の中で休んでいる。クライドやシエラにしても、二人が自分を少々恐れている事位、その顔を見れば明白だった。
あの時、自分を抑える事が出来なかった。抑えようとする自分の心は、それを突き破って外に出ようとする『あれ』に負けてしまった。こんな事、今まで無かったのに。
それほど『あれ』が進行しているのか……。
右腕の袖を、肘の少し上まで捲り上げて確認し、ユリアンは顔をしかめた。
自分に残された時間は、思っていたよりも少ないのかもしれない。
急がなければ……!
袖を元に戻して立ち上がったユリアンの顔は、いつも通りの柔らかい笑みを浮かべていた。
第17話に続く――
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