第15話 特務部隊
そこはさながら、光すら届かぬ冷たい囹圄の奥のように。
ラシャーナル王国軍、魔導騎士団。エリート集団として名高い彼らだが、その中でも特に能力の高い一握りの者だけで構成された特務部隊がある事は、あまり知られていない。
特務部隊。
その名を、零伍小隊。
彼らは、決して表舞台には出て来ない。常に裏で、王国の闇の歴史を刻んでいるのだ。
そして今日も彼らは、都の軍司令部の一画に誂えられた部屋で、顔を合わせていた。
「なあウォル、隊長まだなのかよー」
自分のデスクで菓子を食べていた若い男が、窓際で鉢植えに水をやっていた男に声を掛けた。
「さあな。集合時間を伝えてきたのは隊長だし、そろそろ来る頃合いでは? と言うか、勝手に人の名前を略すなとあれ程……」
「短いほうが呼び易いじゃん?」
ふふん、と笑ったのは、しなやかな身体を黒い軍服に包んだ、サイザン・ハーネットという青年だった。炎を思わせるような明るいオレンジ色の髪と金色の瞳に、人懐こい笑顔が印象的な彼は、少年から青年になりかけくらいの年齢だろうか。まだ若いにもかかわらず、軍人の中でも士官階級の者しか身に付けられない、金色の縁取りの軍服を纏っている。
零伍小隊は、軍内部でも少々特殊な扱いで、他の軍組織との関わりが少なく、ほぼ独立した組織となっている。便宜上、構成員には准尉以上の階級が与えられ、必要とあらば下位の兵を動かす事も可能だが、零伍小隊自体には上下関係がほとんど無い。隊長と副隊長、それに永久参席という特殊な役職があるのみで、それ以外は階級に関わらず平等に、自由に動く集団なのだ。
その、永久参席であるウォルクロフ・ディエ=ロヌーヴはといえば、窓際の鉢植えたちへ水をやり、花や葉に異常が無いか丹念に調べているところだった。彼は外見から年齢を判断する事が難しい男で、容貌は若々しいものの、その深緑の瞳は何百年も生きてきたかのような底知れなさを湛えている。若草色の長い髪が窓からの光に淡く輝き、甲斐甲斐しく世話を焼いている草花たちと同じ色を放っていた。
「お前、また何か食べているのか……燃費の悪さも相変わらずだな」
「いやあ、旨いんだよこれが。フォンファも食べる?」
「いいえ。先輩お一人でどうぞ」
眼鏡をずり上げながらにべもなくそう言ったフォンファ・リゥも、まだ十代の少女だった。先輩と呼んでいるあたり、他の二人より年下なのだろうが、冷静で大人びた雰囲気を醸し出している。薄紫色の長い髪を、頭の両サイドできっちりとお団子にした姿からは、一分の隙も感じられない。
「生憎、私はサイザン先輩と違って、食物は生命活動維持の為のエネルギー源としか見ていませんので」
否、冷静を通り越して冷酷である。
書類を捲るフォンファに、サイザンは気を取り直して持ち掛ける。
「そうつれない事言うなよー。っていう訳で、今度の休日空いてる?」
「空いていたら何だって言うんですか? 私のプライベートなんて、先輩には関係無いでしょう」
目を合わせないどころか、顔すら上げない。にべもなく切り捨てられたサイザンは、ガックリと肩を落とした。
「……そんなお前も可愛いよ、フォンファ……」
「本当にめげないな……」
その肩をポンと叩いて、フードを被った男が言う。
「まあ、お前はそういう前向きなところが長所だと思うよ」
僅かに笑いを含んだ声は、顔の下半分を覆うマスクによってくぐもっている。軍服のジャケットの下に着込んだ服のフードの下から覗く、チョコレート色の癖毛とマスクに隠され、顔は目だけしか露出していない。その目を僅かに細めて、グレイア・マーレイは静かに微笑んだ。
「そっか、そうだよな! ありがとグレ兄!」
「グレイア先輩、あまり甘やかさないでください。その人、すぐに調子に乗るので」
「そういう事を理解している辺り、フォンファもあながち……いや、冗談だ、そう睨むな」
睨まれたウォルクロフは、焦った顔で自席に戻った。彼のデスクにも、小さなサボテンが置かれている。その様子を眺めて、グレイアも椅子に腰掛けた。
「ところで……俺達が集められた理由は、やっぱり」
「ああ。おそらくエルギーニ帝国軍が動いた事と関係があるのだろう。隊長のターゲットも、最近は忙しくしているようだしな」
ウォルクロフが返した。
「ったく……俺達、常に隊長のターゲット捜してるようなモンじゃんか」
「しかし、実際に上から彼女を捕らえるように命令が下りているでしょう」
「そうは言っても、さすがに六年も経てばな……。軍上層部も、もはや捕まるとは思っていないだろう。隊長がそれでも諦めきれないのは、やはり両親の仇だからだろうな」
「なあ、隊長の両親が殺された事件って、そんなに酷かったのか?」
「私、ギャレット、そして副隊長の三人はその頃からのメンバーで、実際に現場にも行ったが……なあ、ギャレット?」
グレイアに問いかけられたウォルクロフは、何を思い出したのか表情を曇らせ、壁際で煙草を吸っている男に視線を移した。
「……見られたモンじゃなかった。それだけだ」
長身に切れ長の吊り上がった目、そして左目の上から頬にかけての大きな傷跡がある顔をしかめて、ギャレットは煙と共に言葉を吐き出す。高い位置で結んだくすんだ色の金髪を揺らして屈み込み、彼は短くなった煙草をブーツの裏で揉み消した。
「おーうお前ら、揃ってんな……って臭ッ! ギャレット、お前また煙草吸ったな!?」
突然騒々しく扉が開き、入ってきた人物はキッとギャレットを睨むと、つかつかと部屋を横切って窓を開けた。ウォルクロフの鉢植えたちが、外からの風にそよそよと揺れる。
「換気が済んだら締めますよ、副隊長さん。外部に漏らしては大変ですから」
「わーってるよ、隊長さんよ。ほんっとにお前らは可愛げがねえなあ」
むくれた顔をした副隊長を尻目に、隊長は一同を見渡す。
「まあ、既に皆さん聞き及んでいるとは思いますが……」
にっこり、と彼は微笑んだ。
「ターゲットが、メナルーに移動しました。次こそ、討ち取ります」
レイリ達が都を出発して、四日が経った。
あれ以来クライドの住む村の話を避け、無理矢理明るく振る舞っていた三人だったが、メナルーに近付くにつれて口数が少なくなった。
時折吹く風に潮の匂いが混じり始め、太陽の強い光がじりじりと照りつける昼下がり。レイリが、その日何度目かの溜め息をついた時だった。
「……クソッ!」
突然のクライドの悪態に、レイリは荷台の日除けの下から這い出した。同じように出てきたユリアンと共に、クライドと同じ方向に目をやる。
そこはメナルーと、そこに接する海を見下ろす高台だった。目を見張るような蒼い海に面する、白い壁が特徴的な街並の港街は、陽の光を反射して眩しい位だった。
それは、とても美しい風景だった。
こんな状況でなければ。
「う、そ……」
思わず声が出た。
真っ黒な船団が陸に近付き、ラシャーナルの軍船が応戦している。港を囲む湾の上に作られた城壁の上からも、ラシャーナル軍が攻撃を行っているのが見えた。
鳥のような魔物が空中から襲いかかろうとしているのが、胡麻を撒いたように点々と見え、弩によって撃ち落とされてゆく。
「……っ!」
クライドは、馬に鞭を当てた。急に速度が上がったせいで揺れが大きくなり、レイリとユリアンは荷台にしがみ付く。
歯を食い縛って手綱を握るクライドの手が微かに震えているのを、二人は黙って見ているしかなかった。
「この角を曲がれば、村が見えるはずだ」
数分後、クライドが低い声で言った。
木立に遮られたカーブを曲がると、そこには確かに幾つかの建物のようなものが見える。
しかし、何か様子がおかしい。
徐々に近付くにつれ、村の様子がはっきりと見えてくる。違和感の理由に気付いたレイリは、思わず息を飲んだ。
「燃えてる……」
木造の建造物には火が放たれたのか、既に鎮火しているものの焦げて黒くなり、一部は骨組みのみになっている。そこかしこに落ちている武器にも、煤がついていた。
そして、人の姿が無い。
戦場になったであろう村は、完全に無人だった。
「クソッ!」
クライドは御者台に拳を叩きつけると、馬車から飛び降りて駆け出した。
「待ってください、クライドさん!」
ユリアンの制止も無視して、クライドの姿はあっという間に瓦礫の中に消えていった。
「僕達も行きましょう、レイリさん」
「うん……」
先に馬車から降りたユリアンが、呆然と村の残骸を見ているレイリに手を差し出した。その手を取って馬車から降りたレイリは、あたりをぐるりと見回す。焦げ臭い匂いが鼻をついた。
風に乗って人の話し声が聞こえた気がして、彼女は顔を上げた。立ち上がって服についた砂を払うと、音をたてないように移動して、物陰に隠れる。
かつては家の外壁だったものの陰からそっと覗くと、村の入り口に人がいるのが分かった。
人数は二人。
一人は女。長い髪をポニーテールにして、腰に剣を提げている。
もう一人を見て、彼女は眉をひそめた。
男にも女にも見える、黒い長衣を纏った魔術師風の出で立ちをした人物。こちらも長髪を束ね、武器らしい物は長い杖のようなものが一本。
二人とも、見慣れない人間だ。
彼女はベルトに挿した小型の投擲用ナイフを三本抜くと、二人の方に投げた。
キキキン!
澄んだ音が辺りに響く。
魔術師の杖に払い落とされたナイフは、三本とも地面に突き刺さった。
動揺した様子の女のほうが、怯えたように辺りを見回す。魔術師のほうはいたって冷静で、正確に彼女の方に顔を向けて言った。
「隠れていないで、出てきたらどうです?」
場所までお見通しって訳か……。
彼女は、先程よりも大振りのナイフを二本、逆手に構えた。
それなら、お望み通りにしてやるよ!
「はあああぁぁぁぁっ!」
彼女は地を蹴って、瓦礫の陰から飛び出した。
矢のように真っ直ぐ走ってきた相手が、二本のナイフを逆手に構えているのを見て取り、ユリアンはそれを杖で受け止める。金属同士がぶつかり合う音が再び響き、火花が散った。
ユリアンの杖は木製で、一見すると地面から持ち主の顎の高さ位までの棒にしか見えないが、先端の装飾部分は金属になっている。相手が真剣でも、その部分を使えば打ち合えるようになっているのだ。
防いだ相手のナイフを、力を込めて押し戻す。相手は大きく後ろに飛んで距離を取り、身軽に二、三回空中で回転して、猫のように四つ足で着地した。
改めて見ると、相手は女性だった。年齢は、レイリやユリアンとそう変わらないように見える。輝く海を思わせるような青い髪を、真っ直ぐおかっぱに切り揃え、同じ色のくるりと大きな瞳が油断無くこちらを睨んでいる。敏捷そうな小柄で細身の身体は日に焼けて、いかにも健康的だ。
てっきりエルギーニ軍の伏兵かと思っていたユリアンは、少し気を抜いた。
「僕達は怪しい者ではありません。剣を納めてくだ……」
ところが相手は全く聞く耳を持たず、再び飛びかかってきた。
「攻撃が、ワンパターンな……ッ!」
突然ユリアンの顔面を、何か熱いものが襲う。それが日に焼けて熱くなった砂で、相手が斬りかかると見せかけて足で跳ね上げたものだと悟った時にはもう遅かった。
強烈な蹴りを腹部に食らい、息が詰まる。
しかし、この位ならアイロとの過酷な修業に比べればまだマシである。
どうにかその場に踏み止まり、二撃目の蹴りを入れようとした相手の軸足を、杖で薙払った。仰向けに倒れた相手の喉元に、杖を突き付ける。
「っ!」
「勝負ありましたね」
ユリアンはこほこほと軽く咳き込み、口に入った砂をぺっと吐き出した。
「ユリアン! 大丈夫?」
離れて様子を伺っていたレイリが駆け寄ってきた。
「ええ。……あなたも、大丈夫ですか?」
差し出された手をパンッと払い、女は自力で起き上がった。
「……あんた達、ここに何しに来たの」
二人が顔を見合わせ、レイリが口を開きかけたその時。
「ここか?」
「ああ。生き残りが居ないか探して、居たら殺せって命令だ。とっとと片付けて帰ろうぜ」
「ったくよお、折角前線で戦えると思ったのに、こんな村一個なんて……おい、あれ見ろよ」
武装した兵士が、村の入り口に立っていた。人数は五人。その鎧に刻まれた紋章を見て、ユリアンと青い髪の女が身構える。
「エルギーニ軍……!」
兵士の一人が、にやにや笑って言った。
「女が三人か。楽勝だな」
一斉に動いた兵士達に、三人は取り囲まれる形になった。
ここでようやく、レイリにも事態が飲み込めた。一気に緊張とパニックが込み上げてくる。懐の短刀を抜いたユリアンに合図され、レイリも震える手で刀を抜いて構えた。
「何、あんた達、ラシャーナル側の人間だったの?」
女が小声で聞く。
「ええ。話も聞かず飛び掛かってこられてはたまりませんよ」
「いやあ、ごめんごめん」
にっ、と子供っぽく笑った女の目が細くなる。
「さて……相手は五人。こちらは三人。どうしたものでしょうか」
「取りあえずひたすらボコ殴りの方向でどうよ、魔術師ちゃん?」
「同感です。ちなみに言っておくと、僕は男ですよ」
ふと女の目が、がちがち震えているレイリに向けられた。
「あんたのお連れさん、大丈夫かな」
「僕がフォローします」
「ひゅう、格好いい!」
二人の様子を見て、兵士の一人が下卑た笑みを浮かべる。
「何をゴチャゴチャ喋ってるか知らねえが……そっちの黒いのは、よく見たらなかなかの上玉だなぁ? どうせ殺すなら、その前に頂いても」
男の言葉が途切れた。その喉からは、細い棒状のものが生えている。
「……は?」
他の兵士達が呆気に取られる中、ゆっくりと男は倒れる。鎧が耳障りな音を立てた頃には、男は既に言切れていた。
「すみません、手が滑りました」
にっこり、と笑ったユリアンの手には、細長く尖った棒状のもの――強いて言うならば、釘に近いだろうか――があった。暗器をダーツのように投げたのだと気付いて、兵士達は一斉に剣を抜いて飛び掛かってきた。
「このアマ!」
大振りのナイフを構えた女は素早い動きで敵を圧倒し、あっという間に一人を倒す。ユリアンも一人の兵士の鎧に覆われていない部分に短刀を突き立て、さらにもう一人を相手にしながら、ちらりとレイリの方を振り向いた。
レイリは、真剣を持った兵士が斬りかかってくるのを見て、棒立ちになってしまった。
眩しい日差しに照らされて、振り上げられた兵士の剣がぎらりと光った。
第16話に続く――
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