第二章 泡沫の物語

第14話 海へ


 この現実が悪夢の続きだとすれば、砂に埋もれた真実もまた、悪夢の一部なのだろう。




 また、あの夢を見た。

 夢だと分かっていても、激しい苦痛と恐怖、そして絶望に襲われる。ただ、あんなにも慕っていた人の歪みきった笑顔を見つめる事しか出来ない。

 自分のものではない血に染まった手で、顔を覆って叫ぶ――




「――っ!」

 勢いよく跳ね起きたユリアンは、何か硬い物に頭をぶつけてまたベッドに倒れ込んだ。ベッド脇で誰かがしゃがみこんでいるのに気付き、額をさすりながら覗き込む。

「……いきなり何すんだ! この石頭!」

 同じように額をさすりながら、うずくまっていたクライドが立ち上がった。

「うなされてるみたいだったから、心配して様子見てたらこれだよ……朝っぱらからついてねえ」

「えっ……すみません」

 汗で湿った長い髪を掻き上げながら謝るユリアンを見て、クライドは額を押さえていた手を下ろす。

「お前、大丈夫か? 汗びしょびしょじゃねえか」

「ええ……大した、ことでは」

 昨晩、メナルー襲撃の知らせを聞いたクライドが、出来るだけ早くメナルーに戻ると言い出し、レイリとユリアンもそれに同行する事になった。どのみち行き先が同じなら、土地勘のあるクライドと行動を共にしたほうがいいというユリアンの判断だった。

 窓の外を見ると、まだ空はほんのりと薄紅色だった。

「……顔を、洗ってきます」

「おう。……にしてもすげえな、それ。刺青か?」

 ユリアンの腹のあたりを見て、クライドが尋ねる。

「え……」

 見ると、めくれたシャツの下から覗く白い肌に、大きな図案の一部らしい幾本もの黒い曲線が刻まれているのが丸見えだった。

「これは……何でもありません。……失礼します」

 慌てて服を引っ張って肌を隠し、ユリアンは逃げるように部屋を出ていった。

 狭い風呂場に入って後ろ手で扉を閉めると、ユリアンはそこに寄り掛かって大きく息をついた。鏡の前に立ち、服をめくって身体に刻まれた禍禍しい黒い紋様を指先でそっとなぞる。

「ちっ……」

 小さく舌打ちすると、冷たい水で勢いよく顔を洗う。

 ふと、叶わぬ望みが脳裏をよぎった。

 己の罪も、水で洗い流してしまえれば、と。

 チェックアウトを済ませた三人が外に出ると、宿屋の前に一台の荷馬車が停まっていた。御者台に座っていた男が飛び降り、クライドに手を上げる。よく見れば、隊商の長のバゼートだった。

「メナルーの話を、聞きましたか?」

「はい」

「……帰るんですね」

 頷いたクライドは、馬車の荷台に背負っていた荷物を載せると、御者台に座った。

「短い付き合いでしたが……せめて、無事にたどり着けるよう、祈ります」

「……ありがとうございます」

 バゼートに軽く頭を下げて、クライドはレイリとユリアンを振り返った。

「ほら、乗りな」

 都の城門は、まだ早いにもかかわらず開いており、沢山の人間が出入りしていた。メナルー襲撃のせいで軍関係の動きが多いのだろう、とユリアンが言う。三人を乗せた馬車は、ガタガタと音をたてながら都の外に出ていった。

「ねえユリアン、聞きたいことがあるんだけど」

 広い荷台に足を投げ出して座ったレイリが、隣に座っているユリアンに小声で聞く。どうやらクライドには、馬車のたてる音のせいで聞こえていないようだ。

「何です?」

「あたしが喋ってる言葉って、おかしくないよね? ちゃんと、この国の言葉を喋ってるよね?」

「ええ。それが何か……あっ」

 レイリの質問の意図に気付いたようで、ユリアンは小さく声を上げた。

「異世界なら、言葉も違って当然なのに、普通に会話が成立している……?」

「うん。無意識にこっちの言葉を使ってるし、文字も読める。変だよね、それ」

「そう、ですね……僕も、レイリさんがあまりに自然にこちらの言葉を使うので、すっかり失念していました。確かに、妙なことですが……でも、理由がわからない。転移の術式に、何か細工でもしてあったとか……?」

「うーん……」

 ユリアンにも分からない事なら、ここで考えていても仕方ない。そこでレイリは、もう一つの疑問を投げ掛けてみることにした。

「ところで、エルギーニ軍って、どこの軍?」

「メナルーより更に西、海を渡った先にある、エルギーニ帝国という国の軍の事です。度々こうして戦争を仕掛けて来るんですよ」

 ユリアンは事も無げに言ってのけたが、その一言はレイリにとっては大きな衝撃だった。

「戦争……が、あるの?」

「ええ。厄介な事になりましたよ、全く」

「ちょっと待ってよ!」

 幾分声をのトーンを上げてレイリが言う。

「戦争って……それって人が人を殺すって事でしょ? 兵士も一般人も、沢山の人が犠牲になるかもしれないって事でしょ?」

「まあ、そうですね」

「なんで、そんなことが……度々あるって、一体どうして?」

 レイリの声に気付いたのか、クライドが振り向く。

「何だお前ら、喧嘩してんのか?」

「いいえ、何でもありませんよ」

 笑顔でそう返したユリアンを不審そうに見たクライドは、首を捻りながらも視線を前に戻した。

「この世界に伝わる神話を、いつか話しましたよね」

 再び小声に戻って、ユリアンが話し始めた。

「あれには続きがあるんです。神竜王に倒された魔王の肉体は、魔術師達によって五つに分割されて、大陸の各地に封印されました。それとは別に、心臓が封印された場所に都が造られ、このラシャーナル王国が建国されたんです」

 レイリは、ユリアンの話におとなしく耳を傾けた。ユリアンは、抱えた杖の文様を指でなぞりながら、話を続ける。

「魔王の封印が解かれてしまった時の為に、各々の封印が置かれた土地の領主には、魔王に対抗する為の力が与えられ、その子孫にも代々伝えられていきました。そして、心臓の封印を守る王族にも」

「だけど、魔王の魂だけは封印されなかった、だったよな?」

 突然クライドの声が割って入り、ユリアンは驚いたように振り返った。

「聞いていたんですか?」

「いや、何の話をしてたのか気になったからさ。悪気は無かった」

 クライドは、困ったように言った。

 馬車は、見渡す限りの平原に伸びる街道を進んでいく。まだ朝なのに日差しが強く、これから暑くなりそうだった。

「クライドも、この話を知ってるの?」

「俺も、というかな……。逆に知らない奴を、俺は初めて見たぞ」

 自ら墓穴を掘ってしまった事に気付き、レイリは慌てた。それを見て取ったユリアンが、さり気なく話題を変える。

「何故、魔王の魂だけが封印されなかったのか。レイリさん、分かります?」

「ええ? えと……なんでかな。分かんない」

「魔王の魂は、消えたんです。消えたというと語弊がありますが……正確に言うと、死の間際に魂を肉体から切り離し、別の世界に逃れて転生したと言われています」

「じゃあ、その頃はまだ転移の技術があったんだ」

「ええ。またその一方で、魔王軍の残党も動いていました。海を渡った彼らは、もう一つの大陸にエルギーニ帝国を作りました。彼らは魔王の復活の為に、封印を破壊しようとして、度々この国に攻めて来るんです」

 レイリは眉根に皺を寄せて考え込む。にわかに神だの魔王だのと言われても、いまいち現実味が湧いてこない。

 もっとも、魔術でさえもつい数日前まで、その存在を信じていなかったのだから、今更現実味も何もないのだが。

「三年位前にも、結構大規模な戦いが有ったし……一番有名なのは、五百年前のハザダ戦争だよな。双方に甚大な被害が出たらしい」

「一説によれば、当時の高度な技術のほとんどがその時に失われたとか」

 クライドの見ていない所で、ユリアンは意味ありげに目配せした。それに気付いたレイリも、小さく頷き返す。転移の技術の事だろう。

「メナルーも封印が置かれた場所の一つですから、きっと今回の襲撃もそれを狙っての事でしょう」

「……だな」

 ここでユリアンは、何かを思い出したようにクライドの方を振り返った。

「そういえばこの馬車、クライドさんの村の物だって言っていましたが……」

「え? ああ。便宜上メナルーって言ったけど、実際はメナルーのすぐ近くにある、ちっせぇ漁村に住んでるんだ。……どっちにしろ、今回の襲撃で何がしかの被害が出た事は確かだな」

 その瞬間、三人全員が同時に最悪の事態を想像したのが分かった。

「……すみません」

 ぼそり、とユリアンが言った。

「いや、気にすんなよ」

 クライドはそう言ったものの、馬車の上は重苦しい雰囲気に包まれる。そのまま会話は途切れ、嫌な沈黙が流れた。

 ここは、日本じゃない。

 普通に武器を持って街中を歩く事だって出来るし、戦争だってある。

 レイリは改めて思い知らされたその事実を噛み締めながら、膝を抱えた。




 同じ頃。

 彼女は一人、穴を掘っていた。

 焦げ跡のついた割れた板切れを掴み、崩れ易いさらさらした砂地に立って、ただひたすらに穴を掘り続ける。

 風が吹いて、肩の少し上で切り揃えられた彼女の青い髪を揺らす。その風に巻き上げられた砂が顔にかかり、彼女は目を細めた。

 そのうち穴が充分な大きさになったのか、板切れを放り出すと、傍らにあった布に包まれた大きな物を、重そうに引きずって穴の中に入れる。

 暫く無言でそれを見つめた彼女は、板切れを拾い上げて、今度は穴を埋め戻し始めた。見る見るうちに、白い包みは砂に覆われて見えなくなる。

 最後に、板切れに小振りのナイフでかりかりと何かを刻みつけると、それを埋め戻した砂に深く差し込んで立てた。

「……ありがとう」

 小さく呟いた彼女の顔から落ちた透明な雫は、あっと言う間に砂に吸い込まれて消えた。



第15話に続く――

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