第13話 彼の理由
思い出は、少しずつ薄れていく。
とてもあやふやで、不確かなモノだ。
何年前だったか……確か、五年位前の事だ。
オレが仕事で北に行って、久々に都に帰って来た時だった。ここで酒を飲んでたら、扉が開いてガキが一人入って来た。
まあ、なまっちろくてガリガリに痩せて、目ばっかきょろきょろさせてさ。いかにも貧弱そうなガキだった。
そいつは真っすぐオレの所に来て、目の前に座りやがった。
オレは変なガキだなあと思って見てたんだが、相手はじーっとこっちを見てるだけで何にも言わねえんだよ。オレもさすがに気味が悪くなってきてさ。
「ここは、お前みてえなガキの来る所じゃねえ。帰んな」
って言ってやったんだ。
それが、最初。
そしたらあいつ、何て言ったと思う?
「アイロ・ゲイルバーンというのはあなたの事ですか?」
っていきなり聞きやがったのさ。
そうだ、ってオレが答えたら「僕を、弟子にしてください!」とか言って頭下げられたモンだからよ、オレも周りの皆も驚いたぜ。
オレはその頃から、傭兵としてはそこそこ名が通ってたから、まあ名前を知られてたくらいじゃ驚かないけどな。その辺のガキがこんな店に入ってくるだけでも珍しいのに、その上弟子にしろなんて、こりゃあこのガキは相当な変わり者だってオレは思ったし、たぶんその場にいた奴は皆思ったよ。
「なんで、弟子になんかなりてえんだ?」
「……言えません」
「理由も無しに弟子なんかになれると思ってんのか」
「言えません」
「オレ以外にも傭兵なんか、その辺にいっぱいいるじゃねえか。他当たってくれよ」
「いいえ、あなたの弟子になりたいんです」
「オレぁガキの相手してる暇はねえんだよ。理由も言えねえなら、弟子入りは無しだ」
「そこを何とか、お願いします」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
何を言っても無駄みたいだったから、別にオレもそれ以上は追及しなかったんだ。傭兵には、人に言えねえような事情がある奴も多いしな。だがまあ、妙だとは思ったね。着てる服もいい物だったし、いかにも育ちの良さそうな感じだったからな。
変な奴だったけど、決意が固いのは分かった。強い目をしていたからな。オレが今まで見たことがないって位に、真っすぐな瞳でこっちを見るんだ。
「ガキ、こっち来な」
黙って横に立ったガキを見て、本当に大丈夫か?って思ったよ。痩せ方が尋常じゃねえんだ。何かの病気みたいだった。無表情で生気があるのは目だけ、あとは人形みたいだった。
「武術か魔術の心得は?」
「どちらもあります」
「表出ろ。お前がオレの弟子に相応しいか試してやる」
そういう事で、この宿の裏庭で簡単な模擬戦闘をやった。ぶっちゃけた話、オレぁ驚いたよ。
思った以上に、奴は強かったんだ。
木の杖、ずっと持ち歩いてるだろ? 自前の武器らしいんだけど、あれを持たせたらその辺のチンピラどころか、経験の浅い傭兵だったら余裕って感じだった。
たかだか十かそこらのガキのくせしてよ。
まあ、さすがにオレには勝てなかったけどな。地面に押さえ付けて首にナイフを突き付けて、言ってやったんだよ。
「傭兵になるって事は、常に危険と隣合わせの人生に足踏み入れるって事だ。こういう状況に落ち入る時だってある。オレぁ師匠だ何だって言っても、危なくなった時に助けてやれるとは限らねえ。自分の身は自分で守れ。それすら出来ねえ奴に、傭兵を名乗る資格はねえ」
オレ、実はそこで奴がビビって諦めてくれるのを期待してたんだ。師匠とか弟子とかに縛られたくなかったんだよ。一人で気ままに過ごすのが気に入ってたからな。
「傭兵ってのは、他人の為に体張る馬鹿の代名詞なんだからよ」
でも奴は、相変わらずの無表情でナイフを見て言ったよ。
「この程度で、僕が怖気づくとでも思ったんですか? 僕が、そんな甘い覚悟であなたを訪ねたとでも?」
奴はナイフを持ったオレの手を押し戻して言った。
「他人の為に体張る馬鹿に成れと言うなら、成りましょう。自分の身は自分で守れと言うなら、守ってみせましょう。僕は、目的の為なら何だってします。それが……僕の、覚悟です」
オレは、諦めたよ。
何がここまでこいつを突き動かしてるのか知らねえが、ナイフ突き付けられてもそういう事が言えるようなガキに、今更何言っても無駄だ。
そう、思ったよ。
それから三年、ずっと奴と旅をした。
始めは無口で無表情で、黙々と言われた事をこなすだけのあいつにオレは、どう接したらいいか分からなかった。
でも、色んな所に行って色んな人に会って、色んな物を見て、あいつは変わった。喋って笑って怒って泣いて、まるで人形が人間になったみたいだった。
ただ一つ変わらないものがあったとすれば、それはあいつの目だな。
どんなに楽しそうにしていても、時々すごく暗い目をしているんだ。でもそれはオレの知らないあいつの過去から来てるもので、オレにどうこう出来る問題じゃねえ。あいつが、自分で解決する事だからな。
あいつはあんまり自分の話をしなかったけど、オレは無理に聞き出したりしないようにしてたんだ。今から思えば、あいつを傷付けちまうのが怖かったのかもしれないな。
だからオレは、あいつを見守ってやることにした。
それが、オレがあいつにしてやれる、唯一の事だと思ったからだ。
三年経ってあいつは、オレと比べても遜色ない位に腕を上げた。
もう、師匠なんか必要ない位にな。
だからオレは、あいつを独り立ちさせる事にした。あいつはオレの提案に文句一つ言わなかったし、勿論オレだって口が裂けても淋しいなんて言えなかった。
でも、分かったんだ。
オレもあいつも、名残惜しかった。
だけどこのまま一緒にいても、オレはきっとあいつの力をこれ以上伸ばしてやれないだろうって事も分かってた。
独り立ちする時に、あいつは「楽しかった」って言ったんだよ。それ聞いて初めて、ああ、オレも楽しかったんだ、って気付いた。
一人で旅をするのも確かにいいモンだけど、いつの間にかあいつは、オレにとってかけがえの無い存在になってたんだ。
「だから…レイリ」
アイロは空になったグラスを置いて、それまでどこか遠くを見ていた視線をレイリに合わせた。
「ユリアンがこの旅の先でどうなるのか、オレには分からねえ。でも」
真剣な目で、彼女は続ける。
「今回の旅に、あいつは何かを懸けてる。目を見りゃあ分かる。いつも損得でものを考えるあいつが、その旅の連れにお前を選んだって事は、何かあいつの利益になるモンをお前が持ってるって事だ。それが何なのか、お前にとってどういうモンなのか知って、奴と手を切りたくなったら、すぐにそうしろ。……後悔したくなかったらな」
「え?」
「あいつは、自分の利益の為なら、平気で他人を売れる。そういう人間だ」
そう言ったアイロの目を見つめる事に堪えられず、レイリは目を逸らした。
「自分の弟子の事を、随分な言い方するんですね」
「あいつはそういう奴だからな。お前の為にもあいつの為にも、そうしたほうがいい。確かに、オレぁ忠告したぜ」
「……覚えておきます」
レイリは、すっかり氷の溶けたお茶をすすった。
アイロはああ言ったが、たとえ騙されるにしても、今のレイリにはこの世界で他に行く宛など無い。ユリアンを信じて頼って、付いていくしかないのだ。
沈黙が支配するテーブルに近付いて来る足音に、レイリとアイロは同時に顔を上げた。
室内だというのに、フードを被って上着の襟で口元まで隠した男が、無言で立っている。表情は伺えなかったが、目付きが異様に鋭かった。その後ろには、眼鏡を掛けた若い女が控えている。
見るからに怪しげな外見がレイリの警戒心を掻き立てたが、アイロは事も無げに男を見上げた。
「何だ、お前か」
「ああ。例の件で、動きがあったらしい」
そう言った男は、ポケットから紙切れを取り出して、アイロの前に置いた。
「了解。また後で連絡すっから」
一通り紙切れに目を通したアイロは、ニヤリと笑みを浮かべる。
それを見た男は小さく溜め息を付くと、くるりと二人に背を向けた。
「場所や手順はいつも通りだ。行くぞ」
連れの女を促すと、男は店を出て行った。
「誰? 今の人」
「仕事関係の知り合いだ。また面倒な話を持ち込みやがって」
「ふうん」
それぞれお茶と酒、軽いつまみを追加注文した二人は雑談を始めた。
「アイロさんって、普段はどんな仕事してるんですか?」
「基本的に旅だ。あっちこっち回って、色んな街に行く。そこでさっきみたいに演奏して人を集めて、依頼を受ける。大体は護衛か、荷運びなんかもあるかな」
「それで、ユリアンにも楽器の扱い方を?」
「いや、楽器の基礎は最初から知ってたんだ。どうやら、母親から教わったらしいってことまでは聞いたんだけどな。教えることが少なかった分、助かったぜ。あと、舞いも基本は教えてるんだ。女形だけどな」
真面目な顔でアイロが言う。思わず吹き出したレイリの肩を、後ろから誰かが掴んだ。
「お二人共、随分楽しそうですね。何の話をしてるんですか?」
「うわぁっ!?」
驚いて声を発したレイリが振り向くと、ユリアンが立っていた。笑顔のはずなのに何故か怖い。
「い、いやあ、何でもねえよ。なあ、レイリ?」
「そうそう、世間話ってやつ。……そ、そんな事より、情報屋とかいう人には会えたの?」
レイリが半ば強引に話題を変える。ユリアンは、椅子に腰掛け、飲み物を注文した。
「ええ。ザーシャについての話を幾つか聞いて来ました」
「ザーシャ……ってオメェまさか、まだあの女追ってんのかよ」
アイロが呆れたように言った。
「奴は一介の傭兵風情に捕まるような相手じゃねえぞ。軍の特務部隊が追ってんだから、そろそろ手を引いたほうが身の為だ」
「それもそうなんですが、今回はまた事情が変わりまして。僕の個人的な理由じゃなくて、れっきとした依頼で動いてるんですよ」
アイロは一瞬怪訝そうな顔をしたが、レイリのほうを見て納得したように頷いた。
「それで柄にもなく二人で行動してんのか。どんな変ちくりんな依頼を請負ったんだよ」
「ユリアン、それ以上は」
「ああ、アイロさんなら平気ですよ。一応魔術の知識もあるし、ああ見えて実は口は堅いですし」
「大丈夫かなあ……」
レイリはやきもきしつつも、ユリアンがアイロに事情を説明するのをおとなしく聞いていた。
「はあん。それでザーシャを、ねえ……」
からからと酒と氷の入ったグラスを鳴らしながら、アイロはレイリの顔をまじまじと見た。
「異世界からの客人かい。見た目は普通の町娘みたいだけどなあ」
そして視線を、隣のユリアンに移す。
「で? 何か手掛かりはあったのか?」
「ええ。どうやら、ザーシャは南……メナルーに向かったようですね」
「メナルー?」
首を傾げたレイリの前で、ユリアンは荷物から取り出した地図を広げる。
「海沿いの、ここ……大きな港町です。目的は分かりませんが、そこに何かある事は確かでしょう」
「港町、かあ……あ、クライドが住んでるのって、ここだったっけ」
「ああ、確かにそう言ってましたね」
「歩きだと結構日数かかるだろ。装備はちゃんと整えておけよ」
「ええ。レイリさん、これから買い出しに行こうと思うんですが、いいですか?」
「う、うん」
立ち上がったユリアンにつられて立ち上がったレイリは、アイロのほうを見やった。
「あの、アイロさんは……」
「ああ、オレはもうしばらくここで稼いでく予定だから。なんかあったらまた声掛けてくれて構わねえよ」
ひらひらと手を振ったアイロと別れて、レイリ達は酒場の外に出る。
傾いた夕暮れの光の中の街は気怠げで、それでいて少し寂しかった。人込みの中を黙って歩きながら、レイリはそっと隣のユリアンを見る。深い緑色の瞳からは、何も伺い知る事は出来ない。
一体、過去に何があったのか。
自分の立ち入る問題ではないと分かっていても、何故か気に掛かった。
「ねえ……」
レイリが口を開きかけたその時、ユリアンが一つの露店を指差した。
「あれ、クライドさんですよね」
「え? あ、そうだね」
完全に切り出すタイミングを逃したレイリは、伸び上がってその方向を見た。確かに、しゃがみ込んで品物を物色しているのはクライドだった。しかし、彼が渋い顔をして眺めているのは女物の装飾品が並べられた店だ。
「……何をしているんでしょうか」
「さあ?」
二人は人込みに紛れてそっと忍び寄ると、同時にクライドの肩に手を置いた。
「うわっ!」
クライドが弾かれたように立ち上がったので、二人は驚いて飛びのいた。
「何だ、お前らかよ……脅かしやがって」
何故か狼狽した様子のクライドが見ていた首飾りを指して、レイリは言った。
「何やってんの? もしかして彼女にプレゼント?」
「か、彼女なんかじゃねえよ……」
「じゃあ、何?」
クライドは口籠もり、決まり悪そうに頭を掻いた。
「……幼馴染に、土産の一つでも買って行こうと思ったんだが、何を買ったらいいか分からなくてな」
それは大して変わらないのでは?と心の中でツッコみを入れつつも、レイリはクライドの横にしゃがみ込んだ。
「どんな人?」
「そうだな……。小柄で細くて、目がでかい」
「可愛らしい方ですね」
「冗談! うるさいだけが取り柄の奴だ」
ふと、レイリはオレンジの花の形をした髪飾りに目を止めた。
「これは?」
「……ああ、そうだな。これにするか」
髪飾りを買ったクライドは、それを大事そうに仕舞う。
「ありがとな」
「いいって」
三人が立ち上がりかけたその時、大通りの方が騒がしくなった。その不穏な空気に眉をひそめ、ユリアンが言う。
「何でしょうか……? 行ってみましょう」
ざわめいている人垣に近寄ると、皆深刻そうな顔をしている。一人の男に、ユリアンは声を掛けた。
「何か、あったんですか?」
「ああ。エルギーニ帝国の海軍が、メナルーを襲撃したらしい」
「……何だって」
メナルー。その地名は、何度も耳にしたばかりだ。
「……あ、」
見上げたクライドの顔は、蒼白になっていた。
第14話に続く――
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