第12話 紅い蝶


 艶やかに舞い、儚く堕ちる。



 大陸最大の領土を誇るラシャーナル王国の首都、ラシャード。堅固な城壁に囲まれて、国中から来た、ありとあらゆる人種や職種の民がひしめく大都市。その威容は、初めて見る者を驚かせる。

「わぁ……大きい!」

 荷馬車の荷台に膝立ちになったレイリは、感嘆の声を漏らす。

 一行がマヤリの住む街から出発して、数日が経過した。

 隊商との契約は、都に着くまでの護衛になっている。ここでレイリとユリアンは隊商と別れ、ザーシャの情報を探す手筈になっていた。都の傭兵の溜り場になっている酒場には、各地から集まって来た傭兵が沢山いるので、有益な情報を探しながら、出来るだけこちらの情報を流さないようにする事が肝要だ。特に、レイリが異世界の人間であることが分かれば、何が起こるか分からない。

 ザーシャは莫大な賞金が掛けられている犯罪者なので、その分彼女を追っている者も多い。さらにレイリとユリアンには、ザーシャを捕えるだけではなく、ツグノを奪還するという目的もある。二人の行方だけでなく、ザーシャの目的。今の二人には、分からないことが多すぎる。

 門の内側に入るとまず目に入って来るのが、広大な大通りだ。沢山の人々が行き交い、道の両側には様々な店が所狭しと軒を並べている。大通り沿いに進み、途中で何度か曲がって、とある宿屋の前で隊商は止まった。

「さて……ここまでの方も何人か居たはずですし、お約束通りのお給金を。まあ、同じ宿で休む方とは、もう少し顔を合わせることになりそうですが」

 ユリアンと一緒にバゼートから金を受け取ったレイリは、その後にクライドも金を受け取った事に気付く。

「あれ? クライドも、都までだったの?」

「ああ、言ってなかったか? メナルーからの出稼ぎで、都に着いたら帰る予定だったんだ。荷馬車も一つはうちの村から出してるものだから、そいつで帰るんだよ」

「そっか。じゃあ、今日は同じところで休む?」

「そうだな。今日のうちに土産でも買って、明日にはここを発つつもりだ」

「随分と忙しないですね……」

 言いながら三人は宿に入り、それぞれ部屋を取ろうとした、のだが。

「ああ、すみませんねお客さん。今日は少々混んでおりまして、部屋があと二つしか空いていないんですよ」

 ユリアンは少し考えるそぶりを見せてから、クライドを見上げた。

「クライドさん」

「おう、そう言うと思ったぜ」

 ニッ、とクライドは人の良さそうな笑みを浮かべる。というか、実際この男は人が良いのだった。

「俺とユリアンが相部屋、レイリは一人でいいな?」

「ええ、そうして頂けると有り難いです」

「決まりだな」

 部屋を二つ取ったレイリ達は、宿から外に出る。時間はまだ午後になったばかり、明るい街には活気が溢れている。

「んじゃ、俺は頼まれてる買い出しとかもあるんでな」

 人混みから頭一つ飛び出す長身のクライドを見送って、ユリアンはレイリのほうに向き直った。

「それでは、僕達も行きましょう。傭兵が沢山たむろしている酒場が有りますから、まずはそこから」

「うん」

 歩き出した二人は、先程の大通りと並行して伸びている広い道に出る。こちらも沢山の店が並び、その向こうには大きな建物が有るのも見えた。ユリアンは都の出身だけあって、人波を縫うようにさっさと歩いていく。レイリは、はぐれないように急いでついていった。

 何回か角を曲がってそろそろレイリの方向感覚が狂い始めた頃、ようやくユリアンは足を止めた。

「ここです」

 その視線の先には、二階建ての大きな酒場があった。入り口の横には大きな人だかりが出来ており、音楽が聞こえる。

「……あんた、いつもこんな所に出入りしてる訳?」

「傭兵という仕事上、仕方なくと言いますか。荒くれ者も多いですから……っと」

 ユリアンは入り口の横の人だかりに目を留め、その奥から聞こえてくる楽器の音と歌声に耳をすませた。

「おや。まさか、こんなタイミングで会うなんて、運が良いやら悪いやら……」

「え?」

「昔の知り合いが、来ているようですので。ちょっと、挨拶してきます」

 ユリアン人だかりに向かって歩いていくと、柄の悪い男数人が振り向いた。

「お、ユリアンか」

「久し振りだなあオイ!」

 その声一つ一つに会釈を返しながら、ユリアンは人だかりの最前列に出ようとする。レイリは、慌てて後を追った。ずかずかと歩いて行くユリアンに必死に付いていくレイリを見て、周囲から冷やかしの声が上がった。人垣の中心からは、相変わらず歌が聞こえてくる。

 と、曲が終わったのか、それまで流れていた弦楽器の音と女の歌声がぴたりと止まった。聴衆の拍手が沸き起こり、それが少しずつ静かになってきたところで、ユリアンは人垣の内側に入る。前に立っていたユリアンが内側に入ったので、レイリはやっと何が起きているのか見る事が出来た。

「……お久し振りです、アイロさん」

 ユリアンの声と共に、弦楽器を抱えた女が顔を上げた。

「なんだ、お前か。随分と久しぶりじゃねえか」

「ええ」

 赤い。

 それがその人の特徴をぴったりと表すたった一つの言葉だった。

 壁際に木箱が置かれ、そこに女が一人座っている。沢山の色鮮やかな髪飾りが付いた髪と、切れ長の瞳は燃えるような真紅で、真っ白な肌に良く映えている。長身でグラマラスな美人だが、まなじりが吊り上がり、きつい印象を与えた。歳の頃は二十代後半といった所だろう、着ている服も真っ赤で、ギターに似た大きな弦楽器を抱えている。

 その人は、赤い紅を差した唇で不敵な笑みを浮かべながら言った。

「どの面下げて戻って来やがった、この馬鹿弟子が」

「この面に決まってるじゃないですか、師匠?」

「はん、まあいい。ちょっくら、こいつを預かってくれ」

 おもむろに女は立ち上がると、木箱の後ろから真っ赤な大振りの扇を取り出した。対するユリアンも、女から楽器を受け取り、一緒に渡された琴の爪のようなものを指に着ける。

「紹介しよう、オレの最初で最後の弟子だ。こう見えて男だから、変な気は起こすなよ?」

 ユリアンが軽く楽器を鳴らしてから木箱に座ると、女は一礼して、扇を広げて構えを取った。ギャラリーからは、盛んな拍手が起こる。

 金属製の爪を付けたユリアンの白い指が弦の上で素早く動き、曲が始まった。激しい調べに乗って扇を持った女が舞う。赤い服と金属製の扇の軸、そして髪飾りの銀が交互に閃き、その様はまるで大きな蝶のようだった。

 前奏が終わって女の唇から歌が紡ぎ出され始めると、溜め息と拍手が漏れた。ハスキーな歌声に合わせて、舞も激しさを増していく。気が付くとレイリも、夢中になって二人の演奏を見ていた。

 あっと言う間に曲は終わり、最後に残った余韻も消えると、いつの間にか増えていた聴衆から嵐のような拍手喝采が起こった。二人が深々と礼をすると、沢山の硬貨が女の置いた箱に投げ込まれる。

「さってと……随分久しぶりだな? ちょっと見ない間に背が伸びたか?」

 ばらばらと崩れ始めた人垣の中で話をする二人の姿を見付けて、レイリは近付いた。

「にしても、相変わらず女みてーな面だなあ、お前は」

 ユリアンより頭一つ背が高い女は、ユリアンの顎に手を掛けて無理矢理顔を上げさせると、にやにや笑いながら言う。

「そっちこそ、男らしさに磨きが掛かってますよ?」

 むくれた顔でその手を払ったユリアンは、ようやくレイリに気付いた。

「あ、レイリさん」

 女もレイリに気付き、目を丸くしてユリアンとレイリを交互に見た。

「おや、こいつぁ驚いた。お前が誰かと一緒に旅をしてるなんてなあ、珍しい事も有ったもんだ」

 レイリに近付いた女は、赤い瞳でレイリを上から下まで眺める。

「……」

 もしかして何か怒らせてしまったのか? と思う程視線が厳しい。レイリが身の危険を感じ始めた時、突然女はにぃ、と笑みを浮かべた。

「初めまして。オレは傭兵兼旅芸人をやってる、アイロ・ゲイルバーンだ」

 美しい女は、肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。差し出された白い手を握り返しながら、レイリは偽名を名乗る。

「……レイリ・ウェルザーです」

「レイリか。変わった名だな」

 一瞬ひやりとしたが、これといって深い意味はなかったようだ。アイロは荷物を片付けると、二人を促して宿屋の中に入った。

 中の酒場と食事処を兼ねた所には、昼間から酒を飲む男達がちらほら見受けられた。女もいるが、男に比べて人数は少ない。そして全員に共通して言えるのが、皆一様に何らかの武器を手元に置き、鋭い目付きをしているという事だ。

 どうやらアイロには沢山の知り合いがいるらしく、方々から声が掛かる。ユリアンの後ろを歩くレイリに、好奇の目を向ける者もいた。

 レイリとアイロが隅のテーブルに着くと、ユリアンは上の階に続く階段に向かった。

「あれ、どこ行くの?」

「いわゆる情報屋、といいますか……そういう人がいつもここに居るので、情報を集めて貰おうかと。ただ、少々気難しい人なので、僕一人で行ったほうが良いかと思いまして。レイリさん、長旅で疲れたでしょう? 少しここで、休んでいてください」

「うん、分かった」

 初対面のアイロと二人で取り残されるのも若干気まずかったが、情報屋とやらの機嫌を損ねるわけにもいかない。

 レイリは辺りを見回し、テーブルの隅に置かれたメニューを発見すると、開いて中身を眺めた。一見普通のレストランのメニューだが、微かな違和感を覚える。

 その違和感の理由に気付いたレイリは、愕然とした。

 文字が、レイリが今まで見た事のあるどの文字とも違っているのだ。

 注意深く聞くと、周囲の会話も異国の言語で交わされている。それなのに、どちらも理解する事が出来ている。それだけでなく、無意識のうちにレイリ自身もこちらの言葉を使っていた。今まであまりにも自然にこちらの言語を使っていたので、ここまで気付かなかったのだ。

 ユリアン以外の人に知られるとまずい。レイリは何気なくメニューを置くと、アイロが酒を注文するのに合わせて、冷たいお茶を注文した。

「……あの、アイロさん」

「何だ?」

「ええと、ユリアンは……アイロさんの弟子、なんですよね?」

「おう」

「ユリアンって、何者なんですか? 魔術師って名乗ってるくせに何か腕っ節も強いし、あたしと同い年の割には、妙に世間擦れしてるっていうか……聞いても、自分の事はほとんど教えてくれないし」

「……ああ、あいつの正体な。実はオレも知らねえんだ」

「え?」

 グラスを口に運ぶレイリの動きが止まる。

「だって、弟子だって」

「いやまあ、そうなんだけどな。訳有りというか……何というか」

「教えてもらっても、いいですか」

「うーん……」

 妙に歯切れの悪いアイロを、レイリはじっと見つめる。あらかたグラスの酒を飲み終えたアイロは、最後に氷が解けた水で薄くなった酒を喉に流し込んだ。

「話せば長いぞ?」

「構いません。あたしとユリアンは、ある契約をして一緒に旅をしてて……ユリアンはあたしの事情を全部知ってるけど、あたしはユリアンの事、何一つ知らないんです。一緒に旅をする相手の事を少しでも知っておきたいって、そう思って」

「だがな、本当にオレは少ししか知らねえんだ。それでいいか?」

「お願いします!」

 空になったグラスをテーブルに置くと、アイロは大きく息をついた。

「仕方ねえな。やれやれ、あいつも苦労するぜ。……ああ、オレが話したってバラすなよ」

 酒を追加注文したアイロは、グラスを揺らしての中の氷をカランと鳴らすと、遠くを見つめながら話し始めた。



第13話に続く――

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