第10話 光を掴んで
その光は、闇を払う光明か。
それとも――
扉が開き、レイリの後ろに続いて入ってきたユリアンの姿を見て、マヤリは身体を竦めた。そんなマヤリに視線を向けて顔を曇らせたユリアンだったが、レイリにつつかれて渋々と言った表情で口を開いた。
「先程は、僕も言い過ぎました。すみません」
驚いて大きく目を見開いたマヤリの隣で、クライドが腕を組む。
「で、これからどうするんだ?」
「ユリアンがね、手伝ってくれることになったの。どうにかして、マヤリがきちんと契約できるように」
「そうか」
クライドは、ニッと人の良さそうな笑みを浮かべる。
「どういう風の吹き回しか知らないけど、それ聞いて安心したよ」
「安心するのはまだ早いですよ。これからなんですから」
呆れた様子のユリアンは、細い指を同じく痩せた顎の辺りに当てて考え込む。
「本題に入りますけど……マヤリさんの場合、先程も言った通り、直接対峙して意志の力で封じ込めてしまえば良い訳ですが、その前にある程度相手を弱らせてしまったほうが、事は有利に運ぶと思います。何か、あの魔物に弱点はありますか?」
ユリアンに見据えられて、マヤリは慌てたように目を泳がせた。
「つ、強い光に弱いです……」
「強い光……成程、夜にしか姿を現さないのはそういう事でしたか」
そこで一旦レイリを一瞥して、ユリアンはマヤリに視線を戻した。
「僕達は明後日にはここを発たなくてはなりませんし……光に弱い魔物では、日中におびき出すのは難しいでしょう。明日の日中に準備をして、一晩でケリを付けます。一先ず今日は、休みましょう」
翌朝、レイリといつも通りに剣の稽古を済ませたところで、ユリアンは口を開いた。
「さて……マヤリさんの件について、僕も色々と考えたのですが」
「うん」
「レイリさんにも、少し手伝って頂くことになりそうです。その剣を使って」
「あ、あたし? そりゃ初めの頃よりはいくらかマシになったかもしれないけど、戦うならユリアンのほうが……」
第一、レイリは魔物の相手どころか、人間相手ですら、真剣勝負をしたことなど無い。
狼狽えた様子のレイリを見て、ユリアンはふふ、と笑った。
「いえ、戦う訳ではありません。ただ……以前その剣を調べさせてもらいましたが、どうやら光属性の魔術式が刻まれた、高性能の魔術触媒のようです。初心者でも、魔力の流し方さえ覚えれば、光の魔術の初歩の初歩ーー強い光を放つくらいは、出来るかもしれません」
「えっと、つまり……」
「剣を発光させて、魔物を怯ませます。その隙に、魔物が逃げないように僕が陣を敷きますので、その上でマヤリさんに、契約の拘束力を強める儀式をしてもらおうかと」
レイリは、自分の剣をまじまじと眺めた。確かに古びた剣には、装飾に混じって細かい文字が無数に刻まれている。これが、魔術式というものなのだろうか。
ユリアンが立てた計画自体は納得出来るものなのだが、しかし。
「……待って。あたし、魔術のことなんて全然わからないんだけど」
「ええ、分かっています。ですから」
ニコリ、とユリアンは意地悪な笑みを浮かべる。薄々気付いていたことではあるが、どうやら彼は、レイリが困惑したり、狼狽する様を楽しんでいるふしがある。
「今から日没までに、やり方を覚えてもらいます。大丈夫、ただ剣を光らせるだけならそう難しいことではありませんから」
「いや、流石にそれは無茶でしょ」
「いえいえ、出来ますって。今日は一日、特訓してもらいますよ」
レイリがうわあ、という顔をしたところで、ユリアンはその背後に目を向けた。
「おや、マヤリさん」
振り返った先に、いかにも気弱な佇まいの少女の姿を認めて、レイリはその側に駆け寄る。
「おはよう、マヤリ!」
「お、おはようございます……」
怯えたようなマヤリの視線に気付き、レイリは慌てて、片手に持ったままだった抜き身の剣を鞘に納めた。
「ごめんごめん、剣の稽古してたところで。マヤリは、昨日怪我したところ、大丈夫?」
「は、はい……」
スカートを履いた脚に、包帯が巻かれているのをもじもじと隠すような素振りを見せてから、マヤリは意を決したように顔を上げた。
「あ、あの、レイリさん、ユリアンさん! 今日は、宜しくお願いします!」
精一杯張り上げたのだろう、彼女にしては大きな声でそう言って、マヤリは勢いよく頭を下げる。その勢いに毒気を抜かれたのか、ユリアンは気まずそうに視線を逸らした。
「はい、こちらこそ。それでは、作戦を説明しますね」
「はいっ!」
「いえ、そこまで改まらないでも……まあ、いいんですが」
どうやら、マヤリに対する苦手意識は払拭出来ていないらしい。溜息をついたユリアンを見て、ふふ、と笑ったレイリだったが、そこから先は笑っていられる状況ではなかった。
宿の部屋に戻り、ユリアンから魔術の基礎を説明されるも、覚えることが多過ぎて、頭がパンクしそうだ。時折、側で見ていたマヤリが助け船を出してくれたものの、付け焼き刃で一から学んだ程度で、どうにかなるとも思えない。
「ねえユリアン、これ本当に大丈夫なの……?」
「大丈夫ですよ、たぶん」
「たぶん? 今たぶんって言った?」
「さあ、何のことやら。……さて、説明は一通りしましたし、そろそろ実践で練習してみましょうか」
半信半疑のまま、レイリは教えられた通りに、剣を真正面に構えた。
「深呼吸しながら、意識を集中させます。自分の中に流れる気を、身体の中心に集めるイメージです。そしてそれを剣に乗せて、命じてください」
それは、この世界では古代の言語であったという、ごくごく短く簡潔な呪文。
しん、という沈黙。
「……」
「……」
「……光らない、ね」
「ええ、光りませんね」
「本当にこんなんで、剣が光るの?」
「ええ。元より、その為に作られた剣ですから」
「本当かなあ……」
その後も何度か試してみたものの、剣は全く反応しない。再契約の儀式のやり方を確認し始めたユリアンとマヤリの横で、疲れてきたレイリは勢いよくベッドに倒れこんだ。
「うーん! 難しい!」
「は、初めは、誰だってそうですから……」
「でしょ? 誰だってすぐ出来るようなもんでもないのに、一日で出来るようになるなんて無理だよ……ユリアンってば、無茶振りし過ぎだって……」
「いざとなったら、僕が何とかしますから。レイリさんは肩の力を抜いて、光ればよく出来たほうくらいの気持ちで大丈夫ですよ」
そこまで言って、ユリアンはマヤリを振り返った。
「マヤリさんは、全力で臨んでくださいね」
「はっ、はい……頑張ります……!」
「少し、休憩にしましょう。僕も、荷の見張りの交代が有りますから」
コツコツと軽くブーツの音を響かせながら、ユリアンは部屋を出ていく。
集中が途切れてぼんやりと天井を見つめていたレイリは、ふと浮かんだ疑問をマヤリに投げかけた。
「そういえば、さ。マヤリはどうして、魔術を覚えようと思ったの?」
「どうして、というと……」
「ユリアンから聞いたけど、魔術師は軍人にしろ傭兵にしろ、何かしら戦う職業になるか、研究者になることが多いって。マヤリは、そのどれかになりたいの?」
良く言えば優し過ぎる、悪く言えば気弱なマヤリが、何かと戦う姿は想像出来ない。となると、研究者でも目指しているのだろうか。
起き上がってマヤリの顔を見ながらそう考えていると、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「いえ、そんな大層な理由が有る訳ではなくて……ただ、兄のような魔術師になれればって、思っただけなんです」
「お兄さん?」
「はい。私は両親を早くに亡くして、歳の離れた兄と二人で生きてきました。兄は魔術の才があったので、都で軍人をやっていて、定期的に仕送りをしてくれています。今は宿舎暮らしだから一緒には暮らせないけれど、借家でもいいから個人の家に住めるようになったら、都においでって。そんな兄に憧れて、私も兄のような魔術師になれたらと思って……だから、魔術師として実力をつける事自体が目標で、その先のことはあまり考えていないんです。それで、焦って契約魔術に手を出したせいで、こんな事になってしまって……レイリさんやユリアンさんに、こうして助けて貰ってることは本当に嬉しいんですけど、同時に迷惑をかけてしまって申し訳ないなとも思っています。すみません」
困ったように身体を縮めたマヤリに、レイリは慌てて胸の前で両手を振る。
「そんな、あたしは迷惑だなんて思ってないし! この街には少ししか居られないけど、マヤリに会えて良かったと思ってるよ!」
ユリアンがどう思ってるかは、わからないけど。
その言葉を飲み込んで、レイリは改めて剣を手に取る。
やれるだけはやってみよう、と。
夕方、最後の光が街をオレンジ色に照らす頃。レイリ達の姿は昨晩マヤリの使い魔を見失った路地にあった。相手はマヤリが目当てだ。こちらはただ、準備を進めて待っているだけでいい。
ユリアンが買ってきたチョークで陣を敷くための魔術円を描いている傍ら、マヤリは緊張した面持ちでそれを見守っている。レイリは剣の柄に手を掛け、付いてきたクライドも周囲を警戒していた。
陣は二つ、両方とも見えない壁で内側と外側を隔絶する魔術だという。一つは使い魔を逃げられないように拘束するもの、もう一つは万が一の際に、マヤリの身を守る為のもの。複雑な記号を円の中に連ねながら、ユリアンは一同に指示を出していた。
「相手が出てくるのは、日没以降でしょう。先にマヤリさんの分の陣を描いておきますので、その中で待機してください。相手が真っ先に狙うのはマヤリさんでしょうし、仮に二つ目の陣が完成する前に襲撃されても、陣の中なら身を守れます。相手が現れたら、僕とレイリさん、それにクライドさんが路地の両側を塞ぐ形で立って、逃げられないようにしてから再契約を――」
ユリアンはそこまで言ったところではっと顔を上げ、バネでも付いているかのような勢いで飛び退いた。直後、もこもこした黒い塊がさっきまでユリアンが居た所に落ちてくる。
「上から――!?」
一瞬、全員が呆気に取られた。見ると、路地を挟む住宅の一つは塀に囲まれている。塀と建物の隙間には――昼間でも、影が出来ているはずだ。
「そんな所に潜んで……!」
舌打ちしたユリアンは、レイリとクライドを見やった。
「予定が狂いましたが、仕方ありません。手筈通りにお願いします」
「う、うん!」
剣を抜いて構えたレイリは、黒い塊に切っ先を向けて深呼吸した。クライドも持っていたランプを足許に置き、大きな猟刀を抜く。黒い塊のほうはといえば、マヤリ以外の人間がいた事に驚いたようで、きょときょとと両側を窺っていた。昨日はそこまで確認する余裕が無かったが、よく見れば丸々とした身体はふさふさした体毛に覆われ、短い四本の脚とつぶらな瞳の、小型犬にも似た可愛らしい顔をしている。
相手の外見はともかく、やる事は一つ。
レイリは、握った剣に意識を集中しながら、覚えた通りの呪文を口にした。
しん、と辺りが静まり返る。
「……」
「……」
「……レイリ……」
クライドが、憐れむような視線を向けてくる。
「言ったじゃん! 無理だって言ったじゃん!」
「うーん、すみません」
「謝る気無いでしょ!?」
などと、内輪揉めをしている間に。
「きゃっ」
前に進み出ていたマヤリが、尻餅をついた。使い魔に、体当たりされたのだ。
「マヤリ!」
「……まずいですね」
呟いて、ユリアンはレイリが握った剣に手を伸ばす。レイリが剣を渡そうとし、それを受け取ろうとして――何か思いついたように、手を引っ込めた。
「え?」
「レイリさん、もう一度やってみてください」
「え? でも……」
「今度は僕が、補助してみますから」
再び立ち上がって使い魔と睨み合うマヤリを見て、レイリはユリアンに視線を戻す。
「……分かった」
「剣を、構えてください」
再び剣を正眼に構え、深呼吸する。身体の中心に意識を集中し、大きく息を吐いたところで、剣を握ったレイリの手に、ユリアンの手がそっと添えられた。
一瞬だけ、レイリより幾分体温の低い手の感触にひやりとするも、余計な情報は頭の隅に追いやる。
息を吸って、呪文を唱えた瞬間――確かに後を押される感覚と、どこかが『開いた』感覚、そしてそこから何かが剣に伝わってゆく手応えを感じた。
光。
カメラのフラッシュにも似たごく短い、しかしそれよりも強い光が狭い路地に溢れ、一瞬辺りは真昼のような明るさに包まれた。
第11話に続く――
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