第9話 過去を映す鏡
同じだから、見ていられない。
分かるから、嫌悪せざるを得ない。
「よし……とりあえず、手当はこんなもんかね」
「あ、ありがとうございます……」
怪我の手当てを終えて立ち上がったイェンに、マヤリは縮こまるようにして頭を下げる。
「そんなに重傷でもないし、すぐ治るだろ。よかったな」
「はい……」
消え入るような声で返事をしたマヤリが座っている椅子の横にしゃがみ込んで、イェンは傍らに立っているユリアンを見上げた。
「で? さっきの使い魔云々の話は何なんだい?」
俯いたままびくりと肩を震わせたマヤリを一瞥して、ユリアンは肩を竦める。
「先程も言いましたが、黒の一族には魔物と契約して使役する技があります。力のある術者は意のままに魔物を従える事が出来ますが……反面、魔物が術者を主と認めなくなった場合、術者を襲う事もある危険な技です」
「じゃあ……」
「使い魔が、あなたの支配から脱して暴走しているんですよね?」
ユリアンに問いかけられてマヤリは体を縮めたが、ややあって微かに頷いた。
「術者の支配を離れた魔物っていうのは、どうなるんだ?」
クライドの問いに、ユリアンは事も無げに答えた。
「支配を離れたといっても、完全に術者との繋がりが切れたわけではありません。ですから、完全に支配を断ち切ろうとするのですよ」
「どうやって?」
「術者と魔物の繋がりは、術者が自らの意思で契約を解除するか、どちらかが死ぬまで切れる事はありません。ですから……術者を、殺そうとします」
しん、と静まり返った部屋に、レイリが息を呑んだ音が微かに響いた。俯いたマヤリが、スカートをぎゅっと握り締める。たったそれだけの動きが、ユリアンの話が真実であることを物語っていた。
「おいおい、マジかよ……じゃあ何だ? このまま放っておいたら、この子は殺されるまであいつに付け狙われ続けるっていうのか?」
「まあ、そうなりますね」
「そうなりますねって……何か、方法は無いの?」
レイリは、マヤリの手をそっと握る。微かに震えている手は、ひんやりとしていた。
苛立ちを隠そうともせず、険しい表情でマヤリを見やてから、しばしの沈黙ののちにユリアンは口を開く。
「方法が、無いわけではありませんが……」
「何だよ、さっさと言いな」
イェンに促されて、ユリアンはため息をついた。
「要は、魔物が術者を主と認めれば術者の言う事を聞くわけです。既に契約を果たしているということは、魔物は彼女に主たる資格を有する程度の魔力を保有していると認めているという事。あとは、この魔物を自分の僕とするという強い意志さえあれば、何の問題も無く使い魔として使役できるんですが」
ちらりとマヤリを見やって、ユリアンは再び険しい顔つきになる。
「ですから、直接対峙して意志の力で相手を封じ込めてしまえばいいんですよ。彼女にそれが出来るかどうか、甚だ疑問ですが、ね」
「それってつまり……マヤリに、もう一度あれの前に出ろって事?」
「ええ」
「そんな……危険じゃない!」
「ええ。一歩間違えれば死ぬかもしれませんね」
「何でそんな簡単に言えるの!?」
事も無げに言ってのけたユリアンに、レイリが思わず声を荒げると、ユリアンは冷たい瞳で見つめ返してきた。
「僕達は、そんな事は当然覚悟した上で使い魔と契約しています。……ねえ? バーユ」
どこからともなく現れてぴょんと肩に飛び乗った黒猫を撫で、ユリアンは座ったままのマヤリを見下ろす。
「こっちは最初から、命懸けだって分かった上で契約していますからね。生半可な覚悟で契約魔術に手を出して、勝手に自滅しようとしている半端な魔術師に同情してやるほど、僕は暇じゃありません」
吐き捨てるようにそう言って、ユリアンは部屋の出入り口に向かう。その肩の上から、つんと澄ました顔でバーユがマヤリを一瞥した。
バタン、と音を立てて扉が閉まり、部屋は重苦しい空気に包まれる。
「何だいありゃ。何に苛々してるか知らないけど、あの子らしくもないねえ」
イェンが肩を竦め、クライドも頷いた。レイリも釈然としない気持ちを抱えながらも、依然として黙って俯いているマヤリに視線を移す。
「気にしないでね。なんかユリアン、機嫌悪いみたいで」
「い、いえ……いいんです。ほ……本当のことですから」
消え入りそうな声でそう返したマヤリを、クライドは困ったように見やった。
「でも、ユリアンが言ったことが本当だとすれば、あいつはまたマヤリを襲うだろうし、それをやめさせるにはマヤリはもう一度あれと顔を合わせて、その……なんというか、服従させなきゃならないんだろ?」
「うん……」
いかにも気弱そうなマヤリを見ていると、ユリアンが言ったような「意志の力で相手を封じ込める」という事が可能なのか、心配になってくる。マヤリ自身もそれは分かっているのか、この世の全てに対して申し訳無いといった顔で俯いている。
「ご、ごめんなさい……あの、私、何をやってもダメで、頭も悪くてどんくさくて、だからいつも周りの人に迷惑かけて苛々されてばっかりで……だから、あの人が怒ってるのも、当然だし……」
「そ、そんなことないよ!」
言ってしまってから、レイリは気付く。そもそもマヤリとは初対面で、実際には普段の彼女の様子をレイリは知らないのだ。事情を知りもしない人間からの不用意な同情や慰めは、かえって本人を傷付ける事になりかねない。
人とうまくやるためには、甘い事ばかりを言えば良いという訳ではない。ただ誰にでも良い顔をするだけの自分は、終わりにしようと決めていたはずだったのに。
自己嫌悪に陥りそうになるのを踏みとどまって、レイリは慌てて続ける言葉を探した。
「えーと、ほら! いくら何でもあの言い方は無いっていうか! デリカシーが無いよね! 上から目線っていうか、失礼っていうかさ!」
「でも、私が駄目だから……」
「そうだとしても! マヤリがユリアンに直接迷惑かけたわけじゃないんだから、ユリアンがあんなに怒る必要無いじゃない。だから、マヤリも気にしなくていいんだよ!」
「そう、でしょうか……」
「うん! 全然、気にする必要無いって!」
レイリがにっこり笑いながらそう言うと、ここで初めてマヤリも微かに微笑んだ。
「あたし、ユリアンの様子見てくるね」
クライドとイェンが頷いたのを見て、レイリは立ち上がって部屋を出た。
宿屋の外に出ると、ユリアンは馬車の荷台に座って、膝に乗せたバーユを撫でていた。歩み寄ったレイリが目の前に立った事には当然気付いているだろうに、顔も上げない。まるで拗ねた子供のよう、というより、拗ねた子供そのものだった。
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのはユリアンだった。
「……流石に、僕も大人気無かったと思います。すみません」
「謝るのはあたしじゃなくて、マヤリでしょ?」
「そう……そうですね。マヤリさんに」
そこで一旦言葉を切り、ユリアンは溜息をついた。
「いけませんね。彼女を見ていると、どうしても苛々してしまって」
「マヤリが、どうかしたの?」
確かに、マヤリのやけに自分を卑下する態度は人によっては眉をひそめたくもなるかもしれないが、それにしてもユリアンの態度は行き過ぎているようにレイリには思える。そのまま黙り込んでしまったユリアンの前に少し立ち尽くし、それからレイリは小さく「隣、いい?」と尋ねた。
無言で少し座っている位置をずらし、空いた位置にレイリが座ってから、ユリアンはぽつりと漏らした。
「彼女――マヤリさんを見ていると、苛々するんですよ……昔の自分を、見ているようで」
「昔の、自分?」
「ええ」
そこで言葉を切って、ユリアンは視線を上にやった。明るい月には、少しだけ雲がかかっている。
「周りの目ばかりを気にして、いつもおどおどしていて、自分の言いたい事もはっきり言えなくて。そんな生き方をしてきてしまったせいで、以前取り返しのつかない事を引き起こしてしまった事があるので……僕は、そういう人間が嫌いなんです。自分もその気持ちが分かるから、なおの事見ていられないというか」
ユリアンは、そこで言葉を切って黙り込む。その横顔を見て、それから月を見上げて、レイリは口を開いた。
「そっか。あたしにも、それは分かる気がするな。
なんか、良い子で居なきゃって思う事で、自分がどうしたいか、どうなりたいかって事を人に言わなかった……ううん、言わなかったんじゃなくて、そもそも考える事をしてなかったんじゃないかなって、前にツグノに言われてから思うようになったんだ。周りの人に良い子だって思われたくて、どんな子になれば良い子だって思われるんだろうって、無意識にそんな事ばっかりしてた気がするの。ツグノに言われて、初めて気づいたんだ。自分が、自分から目を逸らしていたんだって」
ここで初めて、ユリアンはレイリのほうに顔を振り向かせた。
「レイリさんには、それを気付かせてくれた人がいるんですね」
「そう。ツグノってね、言う事がすごく辛辣なの。歯に衣着せぬっていうか、ズバーッとね、こっちが言われたくないことを、的確に言ってくるの」
「……それは、褒めてるんですか?」
「褒めてるの!」
少し膨れて見せてから、レイリは懐かしそうに笑う。
「だからね、ツグノっていつも学校では遠巻きにされてて、あんまり話しかける人もいなかったの。皆、ツグノにはっきり言われることをどこかで怖がってるみたいだった。でも、あたしにはそれ位で丁度良かったんだ。少しきつい言い方されて、初めて目が覚めたの。
友達って、上辺だけ良いこと言ってればいいって訳じゃないんだよね。駄目なとこはちゃんと指摘してあげたり、それを受け入れたり、お互いにそういう事が出来るのが、本当の友達なんじゃないかなって。だから……ツグノはあたしの、大事な友達なんだ」
こんな事本人には言えないけどね、と照れ臭そうに笑ったレイリを見て眩しそうに目を細め、それから膝に乗ったバーユに目を落として、ユリアンはぽつりと呟いた。
「僕には、それを気付かせてくれる人がいませんでした。いえ……気付くきっかけになった人はいますが、気付いた時にはもう、取り返しのつかない事になっていました。もし、レイリさんにとってのツグノさんのような存在が僕にもいたら……なんて、考えても仕方の無い事ですけどね」
「取り返しのつかない事……っていうのは、聞かないほうがいいのかな。でも、これから変わろうって思う分には、何も制限は無い訳だし。
あのね。母さんが死んじゃって、この世界に来てからは、そういう気持ちがもっと大きくなった気がするんだ。これまで自分の周りに有ったものがいっぺんに全部なくなったから、嫌でも自分ってものを見なきゃならない状況になったっていうか。それで、あたしがこれから何を目指していけば良いのかも、よくわからなくなってきちゃって……でも、今はそれでいいんじゃないかって思ってる。悩んでるって事は、考えてるって事だもん。どんな自分になりたいかわからなくて、目的が見えなくて苦しいのは、探してるからって事だもんね」
気恥ずかしそうに笑ったレイリは、再び月を見上げた。
「だから、あたしはあたしの一番大事な友達を見つけなきゃ。もう一度会って、ありがとうって、そう伝えたいんだ。その為に――あたしは、今よりももっと強いあたしになりたい。今のあたしは、それだけを考えていようと思う」
大きく息を吸って、それを吐き出して、レイリは立ち上がってユリアンの正面に立つ。
「話が逸れちゃったけど、マヤリの事、何とかしてあげてくれないかな。やっぱり、事情を知ってるユリアンが居てくれたほうが、心強いし。それに、お節介かもしれないけど、このままじゃユリアンにとっても良くない気がするんだよね。何となくだけど」
「そうでしょうか」
「うん」
「どうしても、ですか」
「どうしても。えっと、これは契約内容には入らないから、ただのお願い。あたしのわがままだけど、聞いてくれないかな」
「……仕方ありませんね」
やれやれ、とユリアンは溜息をついた。
「レイリさんに免じて、マヤリさんの件は僕が何とかしましょう。まあ、最終的に何とかするのはマヤリさん自身ですけど、それに可能な限り協力する。これでいいですか?」
「うん! ありがとう!」
ぱっと笑ったレイリにつられて少し笑い、ユリアンも立ち上がる。その膝からぴょんと飛び降りたバーユは、ユリアンを見上げて「人間ってのは、めんどくさい生き物だねえ」と呟き、ふっと影の中に消えていった。
宿の中に戻る二人を、ランプの柔らかな光が照らした。
第 10話に続く――
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