第8話 少女と魔物
黒い、暗い、夜のお話。
レイリ達が隊商に加わってから一週間、隊商は都まであと数日のところにある小さな町に着いていた。市場で積み荷の一部を売り、二日過ごして出発する予定である。
これまでは取り立てて魔物や賊などの襲撃を受ける事も無く、レイリの雑用も積み荷の整理・点検や炊き出し程度だったので、道行きは極めて平和だった。レイ リにとっては、毎日長距離を移動するというのがあまり馴染みのない事だったので、初めのうちは疲れなどもあったが、それも一週間続くとすっかり馴染んで しまっている。
町の中央を南北に伸びる通りの一角に馬車を停め、バゼート達は品物を広げ始めた。作業が終わった後は休憩にしていていいと言われたので、レイリはユリアンと共に町を見て回る事にする。といってもさほど大きな町ではないので、市場をうろつく程度である。
小さな町とはいえ、中心部の市場は活気に満ちている。人や馬車が忙しなく行き交い、話し声、笑い声、店の呼び込みなどが賑やかに響く。食べ物の匂いや、何だかわからない様々な匂いが混ざり、一種独特な匂いが漂う中を、二人は特に宛てもなくぶらぶらと歩いた。
食品以外にも、店先には衣服や日用品など様々なものが売られている。それらをレイリが物珍しげに眺めていると、丁度こちらを見ていた一人の少女と目が合っ た。歳は十四、五といったところか、ユリアンのそれとよく似た、真っ黒な髪の少女だ。着ているものもこの世界ではごく一般的と思われるもので、取り立てて目立つ所も無い、たまたま通りかかっただけという風であったが、レイリが彼女に目を留めたのは、その表情が目に入ったからだった。
紫色の瞳を大きく見開き、驚きと恐怖、二つがない交ぜになったような表情を浮かべている。レイリと目が合ったのに気付いた少女は、怯えたように後退り、くるりと振り返って逃げるように走っていった。
「あ……」
「どうしました?」
レイリが上げた声を聞いて、ユリアンが振り返る。
「うん……なんか、こっち見てる女の子がいて、目が合ったら走って行っちゃって」
「女の子?」
若干目付きを鋭くしたユリアンに問われ、レイリは人混みの中を少女が走って行った方向に目を凝らした。黒髪が遠ざかってゆくのが、小さく見える。
「あれ、あそこの……黒髪の子」
「黒髪?」
眉を軽くひそめ、ユリアンはレイリの指先を視線で辿る。少女の後ろ姿を確認したユリアンは、何か考え込むような顔でレイリのほうに向き直った。
「レイリさんは特に何か、思い当たる節は無いですよね?」
「そのはずだけど」
「では、僕でしょうね」
「なんで?」
「髪の色、ですよ」
ユリアンは自分の長い黒髪を示し、少し笑った。
「この世界では、真っ黒な髪というのは非常に珍しいんです。『黒の一族』という少数民族だけが持つ色で」
「じゃあ、あの子も……ユリアンも?」
「黒の一族は、黒髪と紫の瞳と白い肌が特徴です。僕は母が黒の一族で、父は一番人口の多いセーア系……混血ですから、瞳の色は父譲りなんです」
「ふうん……」
言われてみれば、今まで見てきた人々にはレイリがいた世界には無い色を持つ人が沢山いたが、逆に黒髪の人間はユリアンと先程の少女くらいしか出会っていない。強いて言えばクライドも黒っぽい色と言えなくもないが、黒というよりは暗い灰色という感じだ。
「で、その黒の一族って何なの?」
「生まれつき強い魔力を持っているんです。使い魔も黒の一族だけが使う技ですし、他にも魔物に関係する術が沢山伝わっています。魔物と共に生きる、魔物に近い民族……他の人達からは、あまり良い顔をされません。
彼の魔王にも、その血が流れていたという伝説も有りますし、昔はかなり差別もあったようです。今はそうでもありませんが、地域や人によっては嫌われることもありますね」
振り返ったユリアンは、どこか皮肉な笑みを浮かべた。
「でも、そんなのあくまで伝説でしょ? だからって……」
「それでも、黒髪の魔術師が総じて強い魔力を持っている事、魔物を手懐ける事が出来る事は事実です。忌避される事だってあります――僕の両親も、結婚するにあたって色々揉めたみたいですし」
つまらない話をしましたね、と肩を竦めたユリアンは、それきり黙って歩きだした。
二人が隊商が居る所まで戻ると、馬車の荷台に座って剣の手入れをしていたクライドが顔を上げた。
「おう。戻ったか」
「ただいまー」
二人の姿を認めてニッと笑ったクライドは、手元の剣に向けられたユリアンの視線に気付いて真剣な顔になった。
「さっき、嫌な噂を聞いた。お前も用心しておいたほうがいい」
「どういう事です?」
綺麗に磨かれた刃を眺めながら、クライドは声のトーンを落とす。
「最近この町の中で、魔物が出るらしい。夜中にうろついてる所を、何度か目撃されてるそうだ」
「町中で !?」
レイリが声を上げると、ユリアンも眉をひそめた。
「それは物騒ですね……何か被害は出ているんですか?」
「今の所人が襲われたりはしてないけど、食料やゴミが荒らされてるらしい。俺達の荷物にも食料はあるし、人を襲わないとも限らない。何があるかわからないから、気を付けろよ」
手入れの済んだ剣を鞘に納め、クライドは立ち上がって伸びをした。
「まあ──出てくるのは決まって夜らしいけどな」
夜は更け、街にはすっかり人気がなくなった。隊商は宿屋の脇に馬車を停め、見張りの者以外は宿で休んでいる。レイリは護衛ではないので宿屋の中にいたが、 ユリアンとクライドは先程、交代の番が回ってきたので外に出て行った。入れ違いに戻ってきた同部屋の護衛の女性・イェンと共にベッドに腰掛け、レイリは他 愛のない会話を交わしていた。
イェンは二十代半ばくらいの、サジェン族の女性だ。顔だけを一見すると、一部を長く残して短く切った白に近い金髪が浅黒い肌に映え、眦がきりりと吊り上った凛々しい顔立ちの女性である。が、彼女の特徴はその肢体であった。腕と背中、腰から下が褐色の羽毛に覆われ、そ の腕は翼になっている。と言うより、翼に手がついていると表現したほうが正しいだろう。
険しい岸壁に囲まれた地域に住む種族、サジェン族は人と鳥の中間のような姿をしており、その激しい気性から勇猛な戦士として知られる。そのご多分に洩れず、イェンもまた非常に武勇に優れた女性であった。しなやかな身体を簡素な革の防具で覆い、ほんの少しだけ装飾品を身に着けただけのシンプルな外見からも分かる通り、さっぱりした性格をしている。
レイリも初めは彼女の外見からかなり物怖じをしていたのだが、話してみると非常に気さくな人物で、この数日ですっかり仲良くなっていた。
唐突に聞こえてきたノックの音に、イェンが「はあい?」と声を掛けると、レイリと同じ雑用係の少年が顔を覗かせた。
「外の護衛の人達に、夜食を持って行くんですけど。手伝ってもらえません?」
「あ、はーい」
「あたしも行こうかね、暇だし」
レイリに続いてイェンもバサリと音を立てて立ち上がり、三人は食べ物や飲み物を持って外に向かう。夜更けの街は昼間とは打って変わり、人気はほとんど無い。民家の窓から零れる光も、しばらくすれば消えてしまうだろう。
一番手前の馬車の荷台に腰掛けていたユリアンが、足音に気付いて顔を上げた。
「お疲れ。様子はどうだい?」
「今のところ、特に異常はありません」
「そりゃ良かった。ああ、これ差し入れだって」
イェンに軽食を手渡され、ユリアンは礼を言って受け取った。レイリも、クライドや他の護衛達に食料を配って回る。
そして、レイリ達が宿の中に戻ろうとしたその時──
「おい、出たぞ!」
突然ユリアンの肩に、どこからともなく現れた黒猫が飛び乗り、鋭い声で叫んだ。
直後、女性のものと思われる悲鳴が、静かな街に響く。
「魔物か !?」
「バーユ! 案内を!」
ユリアンの反応は早かった。動揺する他の護衛達の間を縫って、走り出した黒猫の後を追って悲鳴の聞こえた方向へ向かう。我に返ったクライドと数人の護衛が 後に続き、何人かの護衛は残って荷馬車を固めた。イェンがばさりと翼の音を響かせ、空に舞い上がる。レイリも少し迷ったが、ユリアン達の後を追うことにし た。
先頭の黒猫と少年──バーユとユリアンの姿は、少しでも目を離すと暗闇に溶け込んでしまいそうに見える。その後を追って路地を走り、何度か角を曲がったレイリの目に飛び込んできたのは、地面にへたり込んでいる少女と、その前に立ちはだかるユリアンの姿だった。彼の視線の先では、大型犬くらい の大きさになったバーユと、バスケットボール大の黒い塊──ぞわぞわと動いていることで辛うじて生き物だと分かる、黒い塊としか形容のしようのないモノ ──が対峙している。
フシャア、とバーユが牙を剥き出して威嚇すると、黒い塊は存外素早い動きで身を翻し、暗い路地裏に消えた。
「あっ……」
クライドが剣を抜き、傍の家屋の屋根に舞い降りたイェンも展開式の弩を構えて発射したが、矢は民家の外壁に当たって落ちただけだった。
「何だ、今の……」
振り返ったクライドが、バーユの姿を見てさらに当惑したような表情になった。
「まず、そいつは何だ?」
「これは僕の使い魔です。黒の一族に伝わる、魔物を使役する古い魔術……ですよね?」
そこで初めて、ユリアンはぺたんと座り込んでいる少女に声をかけた。レイリは彼女が、昼間の黒髪の少女であることに気付き、小さく「あ」と声をあげた。少女は、はっきりと周囲からもわかるくらいに怯えた表情でユリアンを見上げている。魔物に襲われた時のものか、脚に擦りむいたような跡があった。
「まどろっこしいのは嫌いなので、単刀直入にお聞きします。今の魔物、あなたの使い魔ですね?」
言葉面だけならば質問のようだが、ユリアンの言い方は、質問というより確認に近かった。口元には笑みが浮かんでいるが、目が全く笑っていない。
「そ、その……わたし……」
「質問の答えは?」
「ご、ごめんなさい! ごめ……」
カーン! と突然大きな音が響いた。座り込んだ少女の足元に、ユリアンが杖の石突きを叩きつけた音だった。
「答えてください」
完全に笑みを消したユリアンは、苛立ちを隠そうともせず、氷のような目付きで少女を見下ろした。少女は涙の溜まった目を伏せ、小刻みに震えている。
「おい、待てって! 怪我人相手に何やってんだ」
「そうだよ。あーあ、すっかり怯えちまって可哀想に」
割って入ったクライドとイェンに諌められ、ユリアンは渋々といった様子で引き下がった。レイリが少女の横にしゃがみ込み、軽く肩に手を乗せる。少女はびくりと体を震わせたが、相手が同年代の少女であることに気付くと少し安堵したような表情を見せた。
「ごめんね。普段はあんなじゃないんだけど、なんかイライラしてるみたいで」
「いえ……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ、今のはユリアンが悪いし」
「ごめんなさい……」
「いいって! 名前聞いてもいいかな? あたしはレイリっていうんだけど」
「……マヤリ・シファーです……」
マヤリは幾分落ち着いてきたのか、相変わらず声はか細いものの、受け答えは出来るようだった。脚の怪我は、深刻なものではなさそうだったが、少々出血している。
「それ、手当てをしないとまずいんじゃないかい? あんた、家には誰かいる?」
イェンの問いかけに、マヤリは更に縮こまって小さな声で答えた。
「いえ……一人で、暮らしているので……」
「そうかい。仕方ないね、とりあえずアタシらが泊まってる宿に来なよ」
「そっすね。俺がおぶって行きますよ」
マヤリを背負って歩き始めたクライドの少し後ろを歩きながら、レイリは小声でユリアンを問い詰める。
「ちょっと! どういうつもりなの !?」
「何がですか?」
「何がじゃないよ! あの子怖がってたじゃん!」
「別にレイリさんが怒るような事ではないでしょう」
「怒るよ!」
不機嫌そうな顔でレイリを一瞥したユリアンは、小さくため息をつくと無言で足を速めた。ユリアンが漂わせる静かな怒気に、レイリもこれ以上問い詰める事を諦め、黙って歩を進めた。
騒ぎで起きてきた住民達もそれぞれ家に戻り、再び静けさを取り戻しつつある町を、月が白い光で照らしていた。
第9話に続く――
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