第7話 隊商
騙すのもまた一手、という事でしょうか?
「さて……どうしたものでしょうか」
小さな町の宿屋の壁を見上げ、黒髪の少年は呟く。彼の視線の先には、壁にべたべたと貼られた沢山の貼り紙があった。びっしりと文字が書かれたものから簡潔に数行書かれたものまで、千差万別のそれらはしかし、全て何らかの『依頼』なのだという。レイリもユリアンと並んで、張り紙に埋め尽くされた壁に視線をさまよわせた。
二人の旅には、避けては通れない問題があった。そう、金銭の問題である。レイリは無一文、ユリアンもそれなりに金は持っているものの、二人分の路銀がいつか底をつくことは明白だった。故に、道中で何らかの方法で資金を得ることが必要になってくる。
幸いにも、傭兵への依頼はどこの町でも宿屋に行けば情報を得る事が出来る。現在二人が見ているような張り紙には、仕事の内容と依頼人の連絡先が書かれているので、そこへ行って詳しい話を聞いて、仕事を受けるなり断るなりすればよいのだ。
元々ユリアンはこういった依頼をこなして生計を立てている人間なので、レイリがいる事を除けばいつも通りであるともいえる。
「護衛……報酬は魅力的ですけど、文面を見る限り長期の仕事っぽいですし……大量発生した害虫の駆除とかも嫌ですね、報酬は高いけど。あとは……『妹になってくれる男子募集、一日十万』……変態?」
「紛れもなく変態だね……」
うわあ、という顔をしたレイリだったが、ふと一枚の貼り紙を目にとめた。
「これは? 隊商の護衛ってやつ」
「どれです? ……これはいいかもしれません。報酬はあまり高くありませんが、目的地が都になっています」
市場で店を出していた商人のバゼートは、現れた二人組がどう見ても十代の娘だったのを見て、あからさまに失望の表情を見せた。年齢は三十代前半と言ったところだろうか、やや小柄だが頭の回転が速そうな印象を受ける。後ろに背の高い護衛の青年を控えさせ、彼はうーんと唸った。
「一応聞きますが……本当にあなた達は、私の隊商の護衛に志願している、と?」
「はい。……ああ、こちらの彼女は僕がボディガードとして警護しているので、護衛として働くのは僕一人です。報酬は一人分で結構ですので」
ユリアンの真黒な髪に目をやって、バゼートの顔は一層訝しげになる。
「外見から察するに、あなたは魔術師でしょう? 一応募集要項には、武器を扱える方、という風に書いておいたはずですが」
「ええ、ですからこれで戦います」
杖を差し出したユリアンの白く細い指を見て、バゼートはため息をついた。
「そうは言われても、あなたのような華奢なお嬢さんが魔物や夜盗を相手に戦えるとは、到底思えません。この話は無かった事に……」
「僕は男です」
「は?」
「ですから、僕は男です。これ以上は侮辱と受け取ります」
一瞬だけユリアンが漂わせた殺気に、バゼートや護衛の青年だけでなく、レイリまでもがなんだか謝罪しなければならないような気分になった。
「それは……失礼しました。ですが、やはりあなたが戦えるというのはにわかには信じ難いのです」
「では、僕がその護衛の方と戦って、どの程度の力があるか見て頂くのはいかがでしょう?」
いきなり話を振られ、護衛の青年は驚いたように眉を吊り上げた。嵐の空の色をした髪をくしゃくしゃとかき回し、自分よりも背の低い雇い主を見下ろす。
「どうします? 俺は構わないっすけど」
「……分かりました。ただし、あなたがクライドに勝てなければ、この話は無かった事にします。いいですね?」
バゼートの言葉に、ユリアンは軽く頷く。そのまま一同は近くの広場に移動し、ユリアンはクライドと呼ばれた青年と少し距離をおいて向き合った。レイリとバゼートは、黙ってそれを見守る。
クライドが、腰の後ろにくくり付けていた二本の剣を抜いた。右手には、鉈のような形をした大振りの片刃剣。身幅もあってかなり重量があるように見える。左手には、鍔の広い短剣。垂れ目で優しそうな顔立ちの青年ではあったが、見上げるような長身と大きな武器のせいで、威圧感がある事も確かだった。
「それでは、お手合わせ願います」
ユリアンは一礼したが、構える風もなく杖を軽く握って立っているだけである。クライドは身構えたまま、斬りかかったものか少々迷った風だった。
唐突に、ユリアンの姿が霞んだ。一瞬でクライドとの距離を詰め、唸るような音と共に杖が襲いかかる。
「ッ !?」
初撃を受け止めただけでも、クライドは巧く反応したほうだと言えるだろう。大概の人間なら、正面からあの速度で迫られたら対応出来ない。変幻自在の動きで杖が回転し、反撃の間も与えず次々と打ち込まれてゆく。クライドは剣で攻撃を受けるのがやっとといった様子で、どんどん押されていく。
突然ユリアンが後方に大きく飛び、クライドから距離を取った。防戦一方だったクライドが攻撃に出ようとした瞬間、その唇が何かを呟く。
クライドがしまった、という顔をした瞬間に、その目の前で派手な音を立てて炎が炸裂した。反射的に、クライドは腕を上げて顔を庇う。
気が付くと、クライドの喉元すれすれに杖の先に飾られた緑の宝石がぴたりと静止しており、ユリアンは口元に僅かに笑みを浮かべた。
「ここまで、ですね」
目くらましにするだけだったためか、炎は見た目の派手さほどの威力はなかったらしく、既に跡形もなく消えている。後ろに下がりながら曲芸じみた動きで杖をくるくると回転させ、ユリアンは構えを解いた。
呆気にとられた表情で、クライドは顔を庇おうと上げていた腕を下ろした。
「あんた……何者だ」
「ただの傭兵ですよ。それで……僕達を雇って頂けますか?」
振り返ったユリアンに満面の笑みで尋ねられ、バゼートは慌てたように頷いた。
「はい、是非! まさかここまでの腕前とは思っていませんでした。あなたもそちらのお嬢さんも、都までの契約で雇わせて頂きます」
「はい。……一応僕はレイリさんのボディガードですので、有事の際にレイリさんを最優先するかもしれません。よろしいですか?」
「ええ、構いません。それを差し引いても、あなたの力は魅力的ですから」
「あまり買い被られないほうがいいと思いますが……それでは、よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
バゼートと握手するユリアンの後ろで、レイリも頭を下げる。賃金などの細かい話をしている二人の後ろに立っていると、ぽんと肩に手が置かれた。振り返って見上げると、空色の瞳が笑いかける。
「よろしくな。俺はクライド・マリディム。あんたは?」
「あ、レイリ……レイリ・ウェルザーといいます。よろしくお願いします」
「いいよ、改まらなくて。堅っ苦しいのは苦手なんだ、普通に喋ってくれ」
「じゃあ……うん、わかった。ユリアンはいつもあんな喋り方だから、気にしないでね」
ユリアンの後ろ姿を一瞥して、クライドは苦笑する。
「本当、悉くこっちの予想を裏切ってくれる奴だよな。女だと思ってたら男だし、魔術師なのに滅茶苦茶強いし。あの成りであの動きは反則だろ」
「確かに……」
レイリは初めて会った時にユリアンに命を助けられたため、あまりそういったイメージを持たなかったが、確かに華奢でか弱そうな外見からは、あんな動きをするとはとても想像がつかない。外見に騙されて油断する相手が多い、というのも、彼の強みの一つなのかもしれない。
「本人の才能も有るんだろうけど、子供の頃から訓練してましたって感じだよな。確かにあんな生まれじゃ、苦労もしそうだし」
「生まれ?」
「見れば分かるだろ、あいつが黒の一族の血筋だって。目の色が違うから、混血だろうけど」
「黒の、一族……」
聞き慣れない言葉にレイリが首を捻ると、クライドは訝しげな顔をする。
「知らないのか?」
「えっと……」
どうやら一般常識らしい。答えに詰まってうろうろと視線をさまよわせていると、バゼートと話していたユリアンが振り向いた。
「こちらが、レイリ・ウェルザーさんです。訳あって二人で都に向かっています」
「よ、よろしくお願いします」
何とかうやむやに出来た事に内心で安堵しながら、レイリはバゼートに頭を下げる。
「あなたは戦闘要員ではないんですよね? 帯刀しているようですが……」
「実戦経験は無いんです。これは……護身用、というか」
「そうですか、それでは簡単な雑用をしてもらいますね。多くはありませんが、お給金はきちんと出しますので」
「ありがとうございます」
レイリが頷いたのを確認して、バゼートはクライドを見上げた。
「クライド、二人に仕事の事を教えてやってください。私は荷を見てきます」
「はい」
バゼートを見送って、クライドは二人に視線を移した。
「あんたには、まだちゃんと名乗ってなかったな。俺はクライド・マリディム。あんたは?」
「ユリアン・サーヴェンです。先程はどうも」
ユリアンと軽く握手をして、クライドは簡単に隊商の説明をする。曰く、この隊商は南にあるメナルーという大きな港街から、海産物や交易品を運んでいる。主な積み荷は、加工食品と貝や珊瑚を使った細工物だ。護衛の人数は、クライドとユリアンも含めて十七人。他、レイリが任じられた雑用係やバゼートの部下等も含め、隊商の総勢は二十六名になる。荷馬車と人が乗る馬車を合わせて四台、その周囲を護衛達が交代で警護しながら進む形になる。
一通り説明を聞き、隊商の他のメンバーとも顔合わせをして、その夜はそのまま宿に泊まった。翌朝早くに一行は出発し、ユリアンとクライドは護衛の交代まではレイリと共に馬車で移動する。
ガタガタと微かに揺れる馬車には座席など無く、荷台の床に座ったまま人々は雑談に興じる。
「クライドさんは、どちらの出身ですか?」
突然ユリアンに聞かれ、クライドは怪訝そうに片方の眉を吊り上げた。長身を荷台の壁面に預け、気だるそうに長い脚を投げ出してはいるものの、一つ一つの動きには隙が無い。
「メナルーの近くにある、小さい村だ。たまに出稼ぎでこうやって護衛の仕事なんかもしてるけど、本職は漁師なんだよ」
そうですか、とユリアンは少し考え込む素振りを見せ、顔を上げる。
「昨日は正直、初撃を受け止められるとは思っていませんでした。動きもしっかりした型を下地にしているようですし……失礼ですが、ただの漁師の戦い方にはとても見えません。どちらかというと、貴族の剣術に近い印象を受けました。何か訓練を受けていらっしゃったのですか?」
あの中で、そこまで見ていたのか。
目を丸くしたレイリがクライドに視線を移すと、クライドも驚いたような表情を浮かべていた。それから眉をひそめ、軽く髪をかき回す。
「いや……俺自身もよく分からない。覚えてないんだ」
「覚えてない?」
「今から十年くらい前に、嵐が有った翌朝、浜辺に流れ着いてた木箱の中から見つかったらしい。村の人に見つけられて、それからずっとそこで暮らしてる。それより前の記憶が、名前以外は全く無いんだ」
「木箱って……なんで?」
「さあ?」
クライド自身も滑稽だと思ったらしく、くつくつと楽しげに笑った。
「子供の頃の事を覚えてなくたって別に生活に支障は無いし、普段はまるで気にしてないけどな。剣の扱いは、考えなくても自然に体が動くから……たぶんユリアンが言うように、記憶を無くす前にそれなりの訓練を受けてたって事だろうよ」
ごく軽い調子でそう言ってのけたクライドは、思い出したようにユリアンに視線を向けた。
「つーか、驚いたのはこっちだぞ。魔術で攻めてくると思ってたら、真っ直ぐ突っ込んでくるなんて」
「そういう作戦なんですよ、大概の相手はそう思いますから。この髪に生まれた以上は、有効に利用しなければ」
「なんつー奴だ」
濡れたように光る艶やかな黒髪を、くるくると指先に巻き付けてユリアンは笑う。
「僕は母親似で、父からは瞳の色くらいしか遺伝していないんです。自分じゃよく分かりませんが、顔も母の若い頃によく似ているらしいです。母は何年も前に亡くなりましたから、比べようもありませんが……その辺が、よく女性に間違われる原因みたいですね」
最後の部分だけはやれやれといった風だったが、両親の話をするユリアンは遠くを見るような視線の中に、哀しさや優しさの他にも違う色が混ざっているように見えた。それが何なのかは判然としなかったが、妙に暗い、底の見えない目付きがレイリの印象に残った。
「まあ、そんなのはどうでもいいんですけどね。使えるものは最大限に活用するのが僕の基本方針です、というお話です」
何故か笑みを含んだ声でそう言って、ユリアンは長い袖で口許を隠し、一つ欠伸をした。僅かに眦に浮かんだ涙を拭い、壁に背中を預ける。
静かな会話を載せながら、馬車はガタガタと音を立てて都へと続く街道を進んでいった。
第8話に続く――
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