第5話 旅の始まり
外見に囚われるな、本質はその先にある。
もぞもぞと寝がえりをうったレイリは、辺りが肌寒い事に気づいて、体にかかっている何かにくるまった。しかし、妙に硬い所に寝ている事も手伝って、再び寝付く事が出来ない。薄目を開けると、周囲は仄かに明るくなっていた。
物の燃える臭いが鼻をつき、慌てて跳ね起きる。
自分が屋外に寝ていて、少し離れたところに熾きになった焚き火が有るのに気付き、ようやく昨日の事が頭の中に戻ってきた。母親の死。ツグノ。仮面の女。化け物。そして――ユリアン。
そう。ここは、異世界。
あたしは、ユリアンと一緒にツグノを探すんだ。
ぐるりと周囲を見渡してみたが、ユリアンの姿は見えない。不安になりかけた時、ヒュンヒュンと何かが風を切る音が聞こえてきた。音を頼りに木立の向こう側を覗いてみると、ユリアンがそこにいた。
目を閉じて、長い黒衣を靡かせ、武器である杖を振り回している。閉じた瞼の裏に敵の姿を見ているかのように、突き、払い、打ち、受け流し、そして叩きのめす。徹底して無駄を省き、いかに速く効率よく敵を排除するかを追求した、それでいて舞っているかのような美しい動きだった。
ビュッ、と空気を薙ぐ音を響かせ、ぴたりと杖の先端がレイリの喉に向けられる。杖が届くはずのない距離なのに、レイリが気圧されるほどの迫力だった。
ゆっくりと開かれた緑色の瞳がレイリを捉え、ユリアンはにっこりと微笑む。
「お早うございます」
「……お早う」
「よく眠れましたか?」
「まあね」
それは何より、と笑って、ユリアンはレイリに向かってぽん、と何気ない動作で杖を放った。
「わ、と」
慌ててレイリがそれを受け止めると、ユリアンは半身になって肩幅に両足を開き、両手の五指をぴんと伸ばして手刀を作って拳法のような構えを取る。
「打ち込んできてください」
咄嗟に言われた意味が理解できず、レイリはぽかんとその顔を見た。
「簡単な護身の方法くらいは、覚えて頂きたいので。僕を敵だと思って、殴りかかってきてください」
わかった、と頷いて、レイリは杖を両手で握り、剣道の試合の時のように正眼に構え、すう、と息を吐いた。
「はッ!」
気合とともに地面を蹴り、一気に距離を詰める。
面の要領でユリアンの額のあたりを狙って振り下ろした杖は、しかしその右手で軽く受け流される。斜めから迫ってきた左の手刀を、すれすれで躱す。素早く後退して距離を取ったが、あっという間に距離を詰められた。
その胴に向かって、渾身の力で突きを放つ。走ってくる速度はそのままに、ユリアンは身体を横にしてそれを躱した。
懐に入られた、と思った時には、もう遅かった。
少女のようにたおやかで白く細い手には不釣り合いな、鋭く抉るような掌底が隙だらけになった脇腹に――
とん。
と、軽く触れただけだった。
「……あれ?」
てっきり強烈な一発をお見舞いされるものだと思っていたレイリは、拍子抜けして下を見た。低い体勢で手を突き出したユリアンが、上目遣いでその様子を見ながらくすくすと笑う。
「ま、僕も初めから本気で殴ったりはしませんから。今日はこんなところにしておきましょうか」
レイリの手から杖を取り上げ、軽く目に掛った前髪を払って、ユリアンは微笑んだ。
「朝食を取って、出発しましょう。結構やることはたくさんありますからね」
昨日魔物と戦った洞窟の前に戻ると、焼けた魔物の残骸には早速蟻やら虫やらが集って、大分正視に堪えない状態になっていた。レイリは極力そちらに目をやらないようにしながら、洞窟内に入ったユリアンを待つ。少し洞窟内を覗くと、ユリアンは昨日レイリが偶然手にした刀を片手に持って、何かを探しているようだった。
「これ、ですかね」
何かを拾って戻ってきたユリアンは、レイリに向かってそれを差し出す。よく見ると、それは古びた剣の鞘だった。形状も施された装飾も、ユリアンが持っている刀のそれとぴったり合う。荷物から取り出した布の切れ端で丁寧に刀身を拭い、ユリアンは刀をじっくりと調べた。
「古いですし、少々傷んでいますが……手入れをしっかりすれば、十分使える状態ですね。モノはかなり良いみたいですし。……ん?」
不審そうに眉をひそめ、ユリアンは鐔の部分を凝視する。レイリも横から覗きこんでみると、繊細な文様が彫刻されているのが見えた。
「これ……魔術式ですね」
「魔術式?」
「高度な術式を行使する場合、補助として陣や術式を媒体に刻んで用いるんです。模様っぽくカムフラージュされていますが、これは魔術剣ですね。勿論、普通の剣としても使えるようですが」
「どういう事? 持ってると、魔術が使えたりするの?」
「持っているだけではダメですが、魔力を注いだり、呪文と併用すれば、或いは。まあ、どんな魔術か調べてみない事には何とも言えませんね」
鞘に刀を納めると、かしゃんと乾いた音がした。
「これは、レイリさんが持っていてください」
「え?」
「武器も持たずに行くつもりですか?」
「まあ、そうだけど……罰とか、当たらないかな」
「平気ですよ。元の持ち主だって、このままここで腐らせるよりは、新しい持ち主に使われたほうが浮かばれるというものです……それに」
ユリアンは、少し声をひそめた。
「それに?」
「女の子なんですから、気をつけなきゃダメですよ?」
「そんなもんなの?」
「そうですよ! この国、軍が取り締まっているとはいえ、結構物騒なんですからね!」
大真面目に言うユリアンの顔を見て、レイリは心の底から言った。
「確かにユリアンなんて女の子らしくって可愛いし、そういう意味じゃ色々大変そうだよね……」
突然ユリアンの周囲の温度が下がったように錯覚し、思わずレイリは身を竦める。
「僕が……なんですって?」
にっこりと笑顔なはずなのに、何故か怖い。というか、このびしばし襲ってくるのは殺気に違いない。
「だ、だから、女の子らしくって可愛いって……」
「レイリさん?」
「ひっ!」
いきなり片手でがしっと肩を掴まれて、レイリは小さく声を上げた。
「僕だって、一応気にしてるんですよ? よく女の子と間違えられて、ナンパされたり痴漢に遭ったり覗かれたり、危うく襲われかけた事もありました……もちろん全員メッタメタにしてきましたけど、僕としては不愉快極まりないんですからね?」
ぽかん、とレイリは口を開けて、数秒かかってやっとユリアンが言った事の意味を理解した。
「あ……あんた、男だったの !?」
大声を上げたレイリに、ユリアンは笑顔のままレイリの肩に掛けた手に力を込めた。細い指が食い込んで、結構痛い。
「ええ、そうですよ。若干父よりも母に似てしまったせいでこんな外見ですが、れっきとした男ですからね? 付くものもちゃんとくっ付いてますからね?」
「そ、そうなの……?」
「そうですよ」
「えっと、その、ごめん」
「ええ、分かってくださればいいんです」
ようやくレイリの肩から手を離し、ユリアンは何事もなかったかのように話を続ける。
「とにかく! もちろん使わないに越したことはありませんが、保険のためにも一つは武器らしい武器を持ってください。いいですね?」
とりあえずここは、おとなしく受け取っておいたほうがいい。
本能的な危機感から、レイリは差し出された刀を受け取った。しっかりした冷たい感触が有りながら、レイリが振り回すのにちょうどいい程度の重さに調整されている。その重さが逆に現実的で、これが武器なのだという実感がわいた。
刀を吊る為のベルトなどは無いので、当座は手に持ったまま移動することになった。まずはユリアンが魔物退治の依頼を請け負った村に行き、報酬を受け取る。それから、情報を集めるために都に行くことになった。
森の中を歩きながら、ユリアンはこの世界について色々と話をしてくれた。元々さほど饒舌なタイプではないようだが、レイリが質問すれば、分かりやすく説明してくれる。
それによると、二人が現在いるのはラシャーナル王国という国の、中心から少し西に行った辺りで、都からはさほど遠くないという。
ラシャーナルはその昔、幾つもの国々が統合されて作られた国家なので、広大な領土を持ち、地域によって気候風土のみならず、文化や人種も様々である。言語は共通語としてラシュ語が一般的に使われているが、方言が有ったり、古い言葉が残っている地域もある。人間以外の種族も暮らしており、友好的で人間に混ざって暮らしている種族もあれば、人里離れたところに集落を作って暮らしている種族もある。
「……と、この国に関してはこんな感じでしょうか。他に、何か聞いておきたい事はありますか?」
ようやく森の中を通る道に出たところで、ユリアンはレイリに尋ねた。両側を木立に囲まれた、人が二人並んで歩ける程度の幅の道である。それまでが道なき道だっただけに、きちんと舗装された道路ではないものの、ちゃんとしたところを歩けるようになって、レイリは幾分ほっとする。
「んー、そうだなあ……あ、魔術って、どんなもの?」
一瞬驚いたように目をぱちぱちさせてから、ああ、とユリアンは頷いた。
「そういえば、レイリさんの世界には魔術が無いんでしたね。この世界では当たり前の話ですから、危うく忘れてしまうところでした」
うーん、と少し考えて、ユリアンは口を開く。
万物には『気』の流れがあり、それを司るモノを『精霊』と呼ぶ。魔術とは、己の気を他の物と同調させ、精霊の力を借りて自然現象を操る技術である。同調しやすいものは人によって違うので、同じ魔術師でも、得意とする魔術の傾向は術者によって異なる。魔術を使用するには、魔力、体力、精神力の三つの要素が要求されるため、術者は相応の訓練が必須となる。また、使い方を誤れば甚大な被害をもたらす危険性もあるので、ラシャーナル王国では国家試験を設け、通った者のみが魔術師を名乗ることを許される。
「じゃあ、ユリアンも国家試験に?」
「ええ。ある程度の魔力があって、使い方を身に付けていて、精神鑑定に問題が無ければ合格できます。国家試験と言っても、そんなに難しいものではないんです」
「そんなもんなんだ。……そういえばさ、ザーシャも魔術師なんだよね? あたし、触れられてもいないのにふっ飛ばされたし」
「まあ、彼女は指名手配されてから一応資格は剥奪されていますが……魔術を使う人間である、ということに変わりはありませんね」
「なんで指名手配されてるの?」
レイリが尋ねると、ユリアンは眉をひそめた。
「彼女は……人殺しです」
そういったユリアンの表情がとても冷めたものに見えて、レイリは微かに違和感を覚える。しかしそれはほんの一瞬のことで、ユリアンの表情はすぐに元の穏やかなものに戻った。
「この国の軍隊は三つに分かれ、それぞれ右軍、左軍、魔導騎士団と呼ばれています。六年前に、当時の右軍の指揮官であったルメウ・ルヴァルディスと、彼の妻で左軍の指揮官であったアルドリア・ルヴァルディスが惨殺される事件が起こったんですが、その犯人が……」
「ザーシャだったんだ?」
「ええ」
「でも、軍隊の指揮官だったってことは、その夫婦だってそれなりに戦えるんでしょ? なのに、二人とも殺されちゃったの?」
「まあ……有り体に言えば、やり口が汚かったんですよ。ザーシャは二人の息子に術を掛けて錯乱させ、両親をその手にかけるように仕向けたんです」
晴れていて、歩いていると暑い位の陽気にもかかわらず、レイリの背中に悪寒が走った。
「わずか十歳の子供が、剣を持って自分の両親を切り伏せて……ザーシャは彼自身にも重傷を負わせてから去りましたから、肉体的にも精神的にもボロボロになって、酷い有様だったそうです」
レイリは考える。
あたしは母さんが死んだ時、すごく悲しかった。悲しくて、心が千切れそうだった。
その子はどうだったんだろう。両親を斬った自分の手が、憎かっただろうか。それとも、ザーシャが憎かっただろうか。
こんな悲惨な運命を、呪っただろうか。
きっと、怒りや悲しみで心がバラバラになりそうで、苦しかっただろう。
「その子……今、どうしてるの? 六年前に十歳って事は、大体あたし達と同じ位の歳だよね?」
「彼は、両親の仇を討つ為に魔導騎士団に入りました。彼らの情報は、なかなか外には伝わって来ないんですが……どうやら現在は、特務部隊の隊長としてザーシャを追っているようです」
「詳しいんだね」
「軍にも知り合いがいますし、これから訪ねる情報屋に色々調べてもらったりもしていますから」
「ふーん」
それきり、二人は黙って歩き続けた。
幼い子供に両親を斬らせるような人が、ツグノをどうするつもりなんだろう? 一刻も早くツグノを見つけ出そう、とレイリは思った。
第6話に続く――
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