第4話 契約



 相応の対価の基準って、何なんでしょう?




「……おいしい!」

 差し出された温かいスープを口に運んで、レイリは嬉々とした声を上げる。携行用の乾燥させた肉や野菜を煮込んだスープと乾パンという粗末な食事を一心に頬張るレイリを見て、ユリアンの顔には微苦笑が浮かんだ。

「お腹が空いているのは分かりましたから、もう少し落ち着いて食べてくださいよ……」

「あ、えっと、あったかいご飯食べるの久し振りだったから」

「ああ、良いんですよ、遠慮しなくて。好きなだけ食べてください。……あと、もっとくだけて喋ってくださって結構ですよ。僕達、歳もそんなに変わらないでしょうし、窮屈でしょう」

「そう? でも……」

「僕は元々誰に対してもこんな感じですから、気にしないでください」

 既にとっぷりと日は暮れ、二人は森の中で小さな焚き火の前で夕食を取っている。今夜はこのまま、ここで野営をする予定だった。

 レイリが食べ終わった頃を見計らって、ユリアンは携帯用の小型の金属製食器一式を丁寧に片づけ、真剣な顔になって問いかける。

「それで……何が有ったんですか?」

 レイリは、どう説明したらいいか少し考え込んだが、とりあえずありのままに話すのが一番だと考え、口を開いた。

「えっと……あたしも、何が何だかよくわからないんだけど」

 突然母親を喪った事、深夜の公園でツグノに出会った事、池の中の赤い光に落ちた事、仮面の女にツグノを連れ去られた事。

 辺りには、焚き火が爆ぜるパチパチという音と、レイリの声だけが聞こえている。ユリアンは、話題が仮面の女に移った時に一瞬だけ軽く目を瞠ったが、それ以外は微動だにせず、黙って真剣にレイリの話を聞いていた。

「それで、あの化け物に襲われて、ユリアンに助けられて……そんな感じ、かな」

 話し終わって、レイリは軽く息をつく。荒唐無稽な話を信じてくれるだろうか、という不安が湧き上がったが、ユリアンは少し考え込んでから、レイリの顔をまっすぐに見た。

「レイリさん、あなたは……異世界の人間、だと思います。この世界に居る、僕から見て、という事ですけれど」

「え?」

「この世界にはニホンなんて国はないし、あなたの持ち物を見ても、見たことがないものばかりです。違う世界から来たと考えれば、筋が通る」

「異世界……」

 レイリが首を傾げると、ユリアンは焚き火に拾ってきた木の枝を放り込みながら尋ねる。

「レイリさんの世界には、『魔術』という概念は存在しますか?」

「ううん。昔は信じられてたけど、今も信じてる人はほとんどいないよ」

「魔術が無い……」

 呟いて、ユリアンは少し考える。

「そちらの世界では、あまり知られていないのかもしれませんね。世界というのは、普段僕達が意識していないだけで、実は沢山存在しているものなんです。無数にある世界が、近づいたり離れたりしながら漂っている、というのが、こちらでの一般的な認識ですね」

「そんな……」

 少しの間言葉を失って、レイリは何回か瞬きをした。

「本当に、あたしが違う世界に来ちゃったんだとしたら、どうしてそうなったのかな。あたし……帰れるのかな」

 にわかには信じがたい事態に、胸の中にどす黒い恐怖が湧き上がる。

「それは、難しいかもしれません」

「どうして?」

「この世界で古代に栄えた文明には、ほかの世界に転移する技術を始め、現代よりも遥かに高度な技術が有ったと伝えられています。しかし、大きな戦でその文明は滅び、今ではその技術の大半は失われてしまっています」

「ちょっと待ってよ。そうしたら、あたしの世界にも、この世界にも、他の世界へ行く方法は無いってことでしょ? どうしてあたしは、違う世界に来ちゃったのかな」

「そればかりは、僕にも何とも。……これはあくまでも憶測ですが、ツグノさんという方と一緒に、赤い光に落ちた、と言いましたよね。ツグノさんが何らかの形で異世界へ行く方法を知った、もしくは何者かが手引きして、彼女を異世界に引き込んだ……レイリさんはその際に、巻き込まれてしまったのではないでしょうか」

 赤い光に照らされた、無表情なツグノの顔を思い出して、レイリは身震いをした。

「ツグノを探さなきゃ。あの仮面の女からツグノを取り返して……二人で、帰りたいよ」

 その事なんですが、とユリアンは思い出したように言う。

「仮面の女は、肌が褐色で、黒いマントを羽織って、銀色の髪を長くのばしていたんですよね?」

「え? うん……知ってるの?」

「恐らく、その女はザーシャ・アーヴィンといいます。軍によって多額の懸賞金がかけられたお尋ね者で、幾人もの賞金稼ぎを返り討ちにしてきた手練れとして、業界では有名でして」

「業界? ……つーか、ユリアンて何者なの?」

 レイリが聞き返すと、ユリアンは苦笑した。

「そういえば、まだ言ってないんでしたっけ。僕の職業は、傭兵です」

「傭兵?」

「有り体に言えば、何でも屋ですね。流れ者の戦士や、魔術師なんかが主です。依頼された仕事を請け負って、依頼料を貰う。内容に見合った報酬さえ貰えれば、文字通り何でもします。どんな事でも、ね」

「どんな、事でも……」

「腕が立つ者が多いですから、護衛や荷運び、魔物や害獣の駆除なんかが主な仕事ですね。時には、犯罪に関わるようなヤバい仕事ばかりを請け負っている者もいます」

 魔物を倒した時の、流れるようなユリアンの動きを思い出して、レイリは頷いた。

「じゃあ、今回も依頼で?」

「ええ。近隣の村から、村人や旅人が魔物に襲われる被害が多発しているから退治してくれ、と依頼されまして。一回追いつめたんですが、すんでのところで取り逃がしてしまいましてね。後を追って行ったら、レイリさんに会った訳です」

「なるほどね……」

 頷いて、レイリは少し考えてから、口を開く。

「じゃあ、もう今回の依頼は終わったんだよね?」

「そうですね」

「その後の仕事とか、特に決まってないんだよね?」

「ええ、今のところは」

 レイリは居住まいを正し、真っ直ぐにユリアンの瞳を見つめた。

「……あたしがユリアンを雇うっていうのは、出来るのかな?」

 思い切って口に出してみると、ユリアンは少し目を細める。

「ツグノさんを取り戻して、元の世界に帰る方法を見つける手伝いをしろ……と?」

 ユリアンもレイリの方に向き直り、正面からその瞳を見つめた。焚き火の赤い光に半分だけ照らされたその顔は、レイリの心を探るように静かな表情を浮かべている。

 レイリは、深い緑の瞳を真っ直ぐ見つめ返した。

「あたし一人じゃ、この世界でツグノを探す事も勿論だけど、生きていくのも難しいと思うの。だから……協力して」

「報酬は?」

「え?」

「さすがに僕も、何の報酬も無しに動く訳にはいきませんから。報酬には、何を頂けるんでしょう? 別にお金でなくても構いません、正当な対価として、僕がした仕事に見合うだけのものであれば」

 真剣そのものの顔でそう返されて、レイリは言葉に詰まった。

 今のレイリには、報酬として払える物など、何一つ無い。どさくさに紛れて落としてしまった鞄は、ユリアンが一緒に探してくれて、無事に回収出来た。一応財布には金が入っているが、大した額ではないし、そもそもこの世界で円が通用するとはとても思えない。他に入っているのも、学用品の類だけだ。

 何も――無い。

「……お受けいたしましょう」

 沈黙を破ったユリアンの声に、レイリは顔を上げた。

「むしろ、こちらから提案しようと思っていた所です」

「でも……あたし、報酬としてあげられる物なんて、何も」

「それは、これから手に入ります」

 いいですか、とユリアンは人差し指を立てる。

「ツグノさんを取り戻すには、銀髪の女……ザーシャ・アーヴィンを捕える必要がありますね。彼女には、国から莫大な懸賞金がかかっています。ですから、レイリさんは、ツグノさんと一緒に元の世界に帰る。懸賞金は、そっくりそのまま僕が頂く。これでどうでしょう? ……ただし、一つだけ条件が有ります」

「条件?」

いきなりユリアンは手を伸ばしてレイリの肩を掴むと、無理矢理地面に押さえ付けてのしかかった。

 そして素早く懐の短剣を引き抜き、大きく振り上げる。

 思わずレイリは、ぎゅっと目を閉じた。

「目を、開けてください」

 言われた通りにすると、短剣は喉元一センチの所でぴたりと止まっている。あまりの恐怖に、体が動かない。

「分かっていると思いますが、この旅には危険が伴います。こういう状況に陥る事だってあるでしょうし、僕だっていつでもあなたの事を守れる訳じゃありません……まあ、それが僕の仕事ですし、努力はします。しかし、それを百パーセントにする事は、残念ながら無理なんです。僕達がやろうとしている事は、そういう事になります。いざという時は、自分の身は自分で守る覚悟をしてください。いいですか?」

 ユリアンは、深い緑の瞳で問い掛けるようにじっとレイリを見つめていた。

 言われている事の意味は、理解している。それが正論で、ユリアンにしてみれば当たり前のことである事は、レイリにもよく分かっている。

 しかし……それは、果たしてレイリに可能な事なのだろうか。

 ツグノを取り戻す。口で言うのは簡単でも、それは決して、生易しい事ではない。常に危険は付きまとう。それでも行く覚悟があるか、とユリアンは問うているのだ。

 命の危険に身を晒す、覚悟。

 それでも生き延びる、覚悟。

 ツグノを取り戻すという、覚悟。

 今よりも、もっとずっと強くなる――という、覚悟。

『強くなってね』

死を前にした眞澄の言葉が、耳の奥に蘇る。

『強くなってね。辛くなっても前を向いて歩けるように、強い人になってね』

 ゆっくりと、レイリは口を開いた。

「要するに……強くなれば、いいんでしょ」

「ええ」

「もっとずっと、誰にも負けないくらい、強くなればいいんでしょ」

「その通り」

 レイリの手が、短剣を突き付けたユリアンの手首を掴んで、力一杯押し戻す。

「あたしは、強くなる。だから……一緒に、来て」

 少し驚いたように目を見開いて、ユリアンは短剣を納めた。ゆっくりと立ち上がって、レイリに手を差し出す。レイリがその手を取って起き上がると、傍らに跪いて微笑んだ。

「それでは契約と致しましょう」

 荷物を漁って一枚の紙を取り出し、ユリアンはそこに何かを書きつけ始める。

「確認しますね。依頼の内容は、ザーシャ・アーヴィンを発見及び確保し、ツグノさんを取り戻し、異世界へと渡る方法を見つける事。期限の指定は無し。報酬はザーシャにかけられた懸賞金、一億マルド。備考、条件として――基本的に僕があなたを守りますが、有事の際には自分の身は自分で守る覚悟をして頂きます」

「分かった」

 レイリが大きく頷くと、ユリアンは振り返ってレイリに紙を差し出した。

「いいですね? ここに署名を」

 羽ペンを物珍しそうに眺めてから、レイリは指示された場所に漢字で名前を書き込む。

「契約完了です。この契約書は、僕が保管しておきましょう」

 レイリの手元から契約書を取り上げ、丁寧にしまいこんで、ユリアンは胸元に手を当てた。

「それでは今より、不肖ながらこの僕が、あなたの護衛兼案内人となります。どうぞよろしく」

「うん……よろしく」

 差し出された手を握り返すと、白い手はひんやりとしている。

 固く握手を交わしたその瞬間から――二人の長い長い旅が、始まった。


第五話に続く――

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