ウォッシュメントと鈴の音

 水槽の脳。それは人間の脳へ幸福な夢を与え、精神を救済するシステムだ。


 しかし、システムに入るには感情をフラットにしなければならない。その為、コントローラーズの上級職員は記憶上書き教育装置、ウォッシュメントを所持している。中身はとんでもない物が入っていたわけだけどね。


「私はこの子を助けた筈なのに、この子は苦しんでいたのに!」


 いくら狂った発想だとはいえ、やっている当人達は信念を持っていた。そういう事なのだろう。こういう時はただ話を聴いてあげるしかない。俺は泣き続ける音辻さんに生成したハンカチを手渡し、話を聴く。


 《だんな様、どうしますか? 作戦を実行しますか?》


 カシマからの念話。

 ステルスフィールドがあるとはいえ、警戒を緩める訳には行かない。彼女は周囲を索敵している。

 しかしこれは完全に想定外だった。だだの人間ならば洗脳は解ける。最悪、数万人いる一般戦闘職員全員が脳みそオンリーの非人道的機械兵器になっている可能性もあるのだ。


 やろう。破壊するしかない。長引けばこの人達が苦しむ事になる。


「エリナ、ネイトを倒しましょう。私達の行動は全て無駄だったのかもしれない。辛いのは分かるわ。でも私は確かに見たの、ペイグマリオンと戦った時に」


「ペイグマリオンと、戦った時? 」


 カシマと念話会議を行う横で、音辻さんとシャリエさんが話している。こういう時にシャリエさんの様な大人な女性が居てくれると本当に助かる。


「そう、私は一般戦闘職員とペイグマリオンの人形、両方の記憶にリンクした。そうして、AIネイトの情報を垣間見た。そこにあったのは恐ろしい破壊衝動と虚無感だけ。私はその負荷に耐えきれなかった」


 シャリエさんの精神負荷はそれが原因だったのか。あれは明らかに常軌を逸していた。『古』の能力に感謝しなければ。


「シャリエさん、彼らを解放出来ると思いますか?」


 上手く行けば、『明野』で回復させられるかもしれない。人間に戻せるかもしれない。


「生命反応はありますが…………思考も、感情も、何もありません。脳はマシンの材料になっているだけです。魂が無いんです。ウォッシュメントによる効果なのか、その後の処置なのか」


 世の中には不可能な事も多くあるが、これではあんまりだろう。


 ――――方法はどうあれ、人を助けようとした末路がこれか。


 その後、一般戦闘員を一人、『古』空間に入れたところ、やはり回復はしなかった。アムトリス曰く、魂が無い場合、回復は出来ないらしい。オムニフラグメントに全てを喰われていたと。


 許せん。これは人として絶対に許せない。

 俺の世界ではAIは友達だ。ネイトだって対話ができるならば、そうしたかった。だが、これは許せない。許してはおけない。


「聴いてくれ。俺はこの人達を破壊する。無理なら、大丈夫だ。これは、これは余りにも酷すぎる」


「私は、私はやります。私には責任があるから、この子達を水槽の脳に入れた責任が」


 音辻さんはゆっくりと立ち上がりながら、そして覚悟を決めた表情でそう言った。


「私も引き続き探知を。私にはそうしてあげる事しか出来ないので」


 俺は彼女達に向かって頷きく。彼女達の覚悟は無視できない。


「分かった。ネイトを倒しに行こう。だが、ここは二手に別れる」


「二手に別れる? ヒタチさん、周辺探知による計画では……」


「ほぅ、施設の破壊ですかな?」


「ヨコハマの施設破壊は、今、僕がやった。引き続き、僕は先行してヨコスカの施設を破壊する」


 静かな灰色の街中に、緑の閃光が迸る。


「あまり、乗り気ではなかったけどね。これで僕はアホみたいな便利能力を持った上級職員に徹底して狙われるだろう。ま、引きつけてみせるさ。ヒタチきゅん、アーカイブ105も追加だ」


 穿いていたスク水は、最早元の形を維持出来ずに肩口から裂けていた。ヴェルトメテオール、この短時間で施設を破壊したのか。


「ヴェルトさん、一人で引きつけるなんて、大丈夫なのか?」


「僕は、いつだって逃げてるだけさ」


「でも105は……」


「え? 」


「――――追加で」


 顔を綻ばせ、破けたスク水をはがしながら、緑の流星は流れて行く。


 敵を引きつけるために。


「行こう、この施設を制圧し、ループチューブを使ってヨコスカに入る」


 戦闘を開始、もう手加減の必要は無い。


 カチコミだ!


 音辻さんは施設内にいる人間に対して音響攻撃を行い、生身の人間を気絶させる。


 ペイグマリオンは人間ベースでは無く、周囲の建造物や山中で発見した岩で巨大な人形を生成し、人海戦術を行う。


 途中に敷設されていたトラップはダイゴ・カシマに援護されつつシャリエさんが探知、俺が変換して解除しつつ奥へと進んでいく。


 生身の人間は全て「明」の空間へと放り込み、一般戦闘職員を破壊。制圧には、5分とかからなかった。


「おかしいです。上級戦闘職員が見当たりません、ループチューブを使って逃げたのか、それとも、ヴェルトメテオール対策でそちらの施設に向かったのか」


「シャリエさん、普段からこういう事は起きるんですか?」


「元々、上級戦闘職員は少人数。リベレーターにエリアを分割された際、締め出されましたので」


 そう、この世界は不可視のエネルギーフィールドによりエリアが分割されている。

 ペイグマリオン曰く、AIによる制空権・制宙権防衛の為だったらしいが、それによってエリア以外の外部との接触が困難になってしまったようだ。


「お陰で食事は再配列されたレーションばかり、嫌になりますね本当に。それはともかくとして、制圧は完了ですね。ネイトの居場所を突き止めなければ」


 シャリエさんがジト目でイヤミを飛ばしているがペイグマリオンはヤレヤレという表情を浮かびつつ、カシマをただ眺めている。


「ループチューブを使うのは良いが、ここを制圧した時点でもうバレてるよね?」


「ええ、その為にヴェルトメテオールが先行して敵を引き付けていますから。このインフラはもう修理出来ないらしいので、破壊される可能性はごく僅か。向こうでだんな様はバリアを展開して、皆を守って下さいね」


「着いた先は作戦通り、本部地下深くへと到着します。閉所での戦闘が続きますので要注意を」


 そうしてループチューブを使用し、本部に乗り込んだ俺達6人。


 ループチューブ自体にも罠も無く、着いた先にも誰もいない。

 まるで逆に引き込まれたかのような違和感。


 ――――――――チリィィィィン…………


 《大丈夫なのか? 先行したヴェルトさんは? ネイトは? 敵はどこだ? 》


 そろそろ戦いにも慣れたはずなのに、以上にのしかかる緊張感と不安感。何か音がしたような気がする。何か、鈴のような…………


 ――――――――チリィィィィン…………


 《なぜ誰も止めなかった? なぜ?》


 今まで起きた悲劇、燃える人間、灰色の無機質な街。管理された街。監視された街。密告する人間。記憶を操作された人間、記憶を消されて労働させられる人間、精神を壊しても死ぬ事すら許されない人間。


 いや、これはオムニフラグメントのせいだ。


 ――――――――チリィィィィン…………


 《周りにいる仲間は本当に仲間なのか? アイツらは裏で何を考えている? 元は敵だ。信用できるのか? 罠なんじゃないか? 》


 戦った相手と今行動を共にしているという事実。信用できるのか? 裏切られるんじゃないか…………? いや、そんな事は無い。全員が各自の目的を持って行動しているんだ。


 ――――――――チリィィィィン…………


 《でも裏切られるかもしれない。可能性なんてどう見ても無いじゃないか、信用出来ない、信用出来ない、信用出来ない!》


 そうだ。今まで、人を信用し過ぎたんじゃないか? 実際、割と騙されていただろう? 実験にさんざん利用されて、こんな所まですっ飛ばされて。許せないよな。許せない。利用ばかりされて、こんな目に合わされて。


 ――――――――チリィィィィン…………


 《敵を倒せ。敵を倒せ。俺の周りにいる敵を》


 ――――そうだ。敵がいる。俺を利用しようとしてくる敵がいるんだ。


 ――――――――チリィィィィン…………


 《殺せ。殺せ。破壊せよ》


 いや、話そう、話さなければ!話さなければ!話して…………殺せ。

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