私の知らないあなた(14)

 陰性症状は長く続いた。


 暴力的になることがないぶん、そばにいる私は神経をすり減らすようなことはなかったが、本人はとても辛そうだった。


「ねえ、今度また山に行かない?きっと気分もよくなると思うよ」


 小さな子どものように膝を抱えソファーに寝転がる優斗は何も映っていないテレビ画面をぼんやりと見つめている。


「お弁当の中身は何がいい?優斗が好きなものなんでも作るよ。おにぎりの具はやっぱりシャケだよね。あ、ツナマヨも」


 私は一方的に話し続ける。


 会話らしい会話は陰性症状になってからずっとない。


 優斗はうん、とか、いらない、とかそんな短い返事しかしない。


 すればまだいい方だ。


「どの辺の山がいいかなあ、ねえ、私たちが初めて会った時に登った山に行きたいと思わない?」


「僕、生きてる意味あんのかなぁ」


 優斗は呟いた。


 心臓が高鳴る。


 私はたたんでいた洗濯物を放り投げて優斗に駆けよった。


「優斗、なに言ってるの。意味あるに決まってるじゃない。だって」


 病気が治ったらまた仕事を始めて、そして私と結婚して幸せな家庭を作るんでしょ。


 そう言いたかったがその言葉はのみ込んだ。


 周囲のそういう期待も本人にはストレスになることもあると、担当医から言われていたのだ。


「僕の人生これからどうなるんだろう」


 一番苦しいのは優斗なのだ。


「ゆっくりいけばいいよ。今は人生の夏休みだと思って、焦らずゆっくり治療すればいいよ、ね、優斗」


 私は変わらなければいけない。


 そう思った。


 十数年、何十年もつき合うことになるかもしれないこの病気、社会人になってこれからという時に発症した優斗の将来はそれまで描いていたものとは全く別のものになるだろう。


 有名大学を卒業し大企業に就職した以前の優斗の未来は眩しいほど輝いていた。


 優斗の望むものは全て手に入るかのように思えた。


 それが今は普通の人の生活さえも送れなくなっている。


 薬の副作用なのか、優斗の下着はたまに汚れていることがあった。

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