ライバル、現る。

「失礼しました」

 一礼して、夜維斗は職員室を出る。

 とある放課後。担任教諭から職員室に呼び出しを食らった夜維斗は多々心当たりのある案件に身構えつつ、面倒くさいという感情を隠し切れないまま職員室に入って行った。そこで担任教諭から渡されたのは先日の模試の結果だった。

「今回もいい成績だったぞ。これからも頑張りなさい」

 にこやかに笑う男性教諭の言葉を受けて、夜維斗はただ「はあ」と気の抜けた声で返事をした。てっきり出席日数の件かあるいは自分が所属している部活(と名称していいものか定かではないもの)の件で何かしらのお叱りを受けるのだろうかと思っていた夜維斗にとって、模試の結果などどうでもいいものだった。

 職員室を出て廊下を歩きながら、夜維斗は手の中にある模試の結果用紙に視線を落とす。どこかで捨てるか、と考えていたときだった。

「お、月読」

 と、夜維斗の背後から馴れ馴れしい声が聞こえてきた。夜維斗が振り向けば一人の女性教諭が夜維斗に向かって手を振っていた。

杉原すぎはら先生」

 その姿を認めて、夜維斗は一礼する。杉原先生こと月原高校現代文教諭の杉原すぎはらまゆみは目を補足させて夜維斗に微笑みかけた。穏やかに微笑む、と言うよりは友人を見つけて気さくに笑いかける、という方が正しいような笑顔でまゆみは夜維斗に近づいた。

「どうした、月読。なんか悪いことでもして呼び出しか?」

「……いや、別に」

「あっ、それ。この間の模試の結果だろ?」

 そう言ってまゆみは夜維斗の手の中にあった結果用紙を指さした。と、同時に夜維斗からそれを奪い取って中身を確認し始めた。

「おー、すごいな! 学年一位だ」

「……先生、勝手に見るんですか」

 呑気な口調で言うまゆみに夜維斗がわずかに眉を歪める。この杉原まゆみという教諭は生徒とフランクな関係を築くことで人気はあるのだが、夜維斗はその距離の詰め方があまり得意ではなかった。どことなく、里佳と似ているような気がして、それはそれで夜維斗にとっては疲れるものだった。そんな夜維斗の疲労など知ることもないまゆみは話を進めた。

「大学は? もうどこか決めたのか?」

「いえ、別に……」

「お前なら推薦取れると思うぞー。あ、でもまず出席日数増やさないといけないだろ!」

「はあ……」

 豪快に笑うまゆみが夜維斗の肩を叩きながら言えば、その勢いのまま夜維斗は頭をがくがくと揺らしていた。それからまゆみは夜維斗の学ランのポケットに無理やり模試の結果用紙をつっこんで返却した。

「勉強も大事だが、お前は部活も頑張るんだぞー。せっかく部活に入ったんだ、陽田や朱月と仲良くするんだぞ」

 ははは、と笑いながらまゆみは夜維斗に背を向けて職員室へ向かった。ここで言う部活とは夜維斗が所属しておりまゆみが顧問を務めているオカルト研究会のことである。それを重々承知している夜維斗はがくりと肩を落とした。何が部活だよ、と思いながらまゆみが適当にポケットに入れてしまったせいで皺が寄っている結果用紙を取り出して大きく息を吐きだした。

「……帰るか」

 この職員室の呼び出しを食らう前、里佳や光貴から「後で部室に来い」と言われていた夜維斗だったが、今のやりとりで一気にやる気を失ってしまった。このままひっそりと帰ってもバレはしないだろう、と荷物を置いたままの教室に向かって歩きはじめた。

 その時だった。

「月読夜維斗だな!!」

 放課後の職員室前、授業の質問に来た生徒や顧問と部活の打ち合わせをしている生徒と教諭、その他行き交う人が多い廊下で聞こえてきた大声に、辺りが一瞬静まる。

「……は?」

 ここで振り向かなければよかった、ここで反応しなければよかった、という後悔はいつだって遅い。

 名前を呼ばれて思わず振り返ってしまった夜維斗の視界の先にいたのは、一人の男子生徒だった。夜維斗よりも小柄で、黒い髪が寝癖でぴんと跳ねている。それだけならどこにでも居そうな生徒なのだが、何故か彼は学ランの上から黒いマントを羽織っているのだ。

――これは、マズいヤツだ。

 夜維斗は本能的にそう察して、足を一歩退かせる。しかし反応してしまった夜維斗を捕らえた少年は大股で夜維斗に向かって歩みを進めた。

「お前が、お前が月読夜維斗だな!!」

 大きな目で夜維斗を見つめる視線は何故か期待の色を含んでいる。嫌な予感しかしない夜維斗はもう一歩足を下がらせたものの、彼の歩みの方が早かった。気付いたら、夜維斗とあと一歩の距離まで詰められてしまった。

「え……あの……」

 目の前の彼が、何を思って自分を見つめているのか夜維斗は理解できなかった。ただ夜維斗が願っていたのは、この場から早く逃げ出したいということだけだった。そんな夜維斗の心境など知るはずもない少年は突然、夜維斗に向かって頭を下げて、

「おれと、一緒になってくれ!!」

 そんなことを大声で言ったのだ。

 瞬間、夜維斗が願いが切り替わった。――今すぐこの場から消えたい、と。


「いや、悪い悪い! おれさ、お前がオカルト研究会の会長だと思ったんだよね!」

 マントを羽織った男子生徒は野木原のぎはら春弥はるやと名乗った。

 突然の春弥の発言の後、夜維斗はとっさに春弥の腕を引っ張ってその場から去り、現在人通りの少ない旧校舎裏にやってきたのだった。

「……だからって叫ぶヤツがいるかよ」

「いやー、ごめんなー! ほら、月読夜維斗って言えば全国模試で一位取ったって言うじゃん? 会長って言えば大体頭いいヤツがやると思ってたからさー!」

「……」

 この野木原春弥という人物と接してまだ十数分程度しか経っていない夜維斗だったが、彼の思考だけはどうやっても理解できないということだけははっきりとわかった。頭がいいから会長ってどういう理論だ、と思いながらもそんなことを言えばまたよくわからない理論で言いくるめられそうな気がして、夜維斗は沈黙を優先させた。

「それで、オカ研の会長って誰?」

「二年一組の陽田」

 しかし、春弥の問いに夜維斗は素直に答えた。この話題で春弥の思考が自分から陽田に向けられるのであれば、と思っていたら、春弥は「あー!」と思い出したような声を上げた。

「あ、陽田里佳! 柔道すっげー奴だろ? へー、あいつがオカ研の会長なんだ!」

「ああ」

 そこで春弥の興味の対象は目の前の夜維斗からいまこの場にいない里佳に向けられていた。それを確信した夜維斗はゆっくりと一歩足を退かせてその場から逃げようとした。が、思考を里佳から戻した春弥は夜維斗の腕をがっしりと掴んだ。

「なあ、今から陽田里佳のところ行きたいからさ! 一緒について来てくれよ月読!」

 春弥がぎゅうと握る腕の中に自分の平穏も一緒にぐしゃぐしゃに握りしめられたような気がして、夜維斗はがくりと肩を落とすしかできなかった。


「っていうかさ、夜維斗って何で呼ばれたと思う?」

 物理準備室で鞄の中から分厚いファイルを取り出しながら里佳が光貴に聞く。

「そりゃ、あれだろ。出席少ないとか」

「あーなるほど」

「あと、授業態度が悪いとか」

「それもある」

「それから不良時代の黒歴史掘り下げられたとか?」

「うーん、否定できないわね」

 光貴の適当な推測に里佳はうんうんと頷く。が、最後の一言には「ん?」と疑問の声を上げた。

「それを言ったらしゅげっちゃんだって黒歴史掘り下げられるかもしれないじゃない」

「いやー、俺はバッチリ更生したから大丈夫だって」

 里佳の指摘に対して光貴はへらりと笑って答える。そんな光貴を里佳がふっと笑ってその時だった。

「頼もうー!!」

 突然物理準備室に響き渡る声。聞き慣れない声に、里佳も光貴も目を丸くさせた。二人は顔を合わせたのち、物理準備室の入り口に視線を向ける。

「夜維斗?」

 そこにいたのは俯いていてもげんなりとしている様子がひしひしと伝わる夜維斗。

「……と?」

 そして、夜維斗の隣で目をきらきらと輝かせている、マントを羽織った男子学生――春弥。

「……何、夜維斗の友達?」

「違う」

 ぱちぱちと瞬きをしている里佳の問いに夜維斗はきっぱりと否定をする。しかし隣の春弥は勢いよく夜維斗の方を向いて悲鳴のような声を上げた。

「ええ?! 月読夜維斗! おれと友達になってくれたんじゃないのか?!」

「誰がだ!」

 春弥の大声に思わず夜維斗も声を大にして否定した。思いもよらぬ夜維斗の反応に光貴はまだ目を丸くさせたままだったが、里佳はぷっと吹きだしていた。

「えっ、夜維斗と超仲いいじゃん」

「そうそう! おれたち仲良し!」

 笑いながら言う里佳に対して、春弥はにこにこと目を細めて夜維斗の腕にしがみついた。一方の夜維斗は否定する気力を全て失ったようで、顔を俯けて肺の中の空気を全て吐きそうなため息を出していた。

「……お前、何しにここに来たんだよ」

 夜維斗がうなされるように言えば、春弥は「あっ!」と思い出したように声を上げて夜維斗の腕から手を離した。

「そうだ! おれ、陽田里佳に用事があったんだ!」

「え、あたし?」

 春弥に指名された里佳は思わず自分の顔に指をさした。その里佳の反応を見て春弥はこくりと頷く。夜維斗はまさか、と思ったが春弥の口はすでにはっきりと動いていた。

「陽田里佳! おれと一緒になってくれ!!」

 大きく開かれた春弥の口から出た発言に光貴が壮大に吹きだし、夜維斗は頭を抱えた。

「ちょっ、ちょっと待て? は? 里佳と一緒にって、何?」

 普段の様子からは到底想像できないような動揺を露わにした光貴が、引きつった表情で春弥と夜維斗に視線を送る。何故俺を見る、と夜維斗は光貴を睨むがそんな夜維斗の意図が伝わるはずもなかった。一方の里佳は「はー……」と何故かこの場で気の抜けた声を漏らしていた。

「つまり、どういうこと?」

 意外にも冷静な問いかけをしたのは里佳だった。里佳の問いを聞き、春弥はふふんと胸を張って答える。

「我が魔術開発研究会とお前らのオカルト研究会を一緒にしないか! そういう提案だ!」

「……はぁ?!」

 春弥の答えに、とうとう里佳・光貴・夜維斗は息ぴったりに叫んだのだった。


 事の発端はこうだった。

「そんな部活認められるか」

「何でだよ?!」

 高校に入って絶対に叶えたかった夢、それを抱いて一年一組の野木原春弥少年は生徒会室に向かった。しかし、生徒会長の座席についていた男――石倉悠吾は春弥の夢である『魔術開発研究会』の発足をたった一言で突っぱねたのだ。

「そもそも、部員いるのか」

「おれがいる!」

「会長は?」

「このおれだ!」

「部員が一人で部活が成り立つか」

「ないものに人は集まらないだろ! だからまずは集まるための場所を作るんだ!」

 春弥としてはもっともな理論を語っていたが、悠吾としては支離滅裂な発言でしかなかった。

「……というか、なんだ、その、魔術ナントカ研究会って」

「魔術開発研究会! この世に存在する魔術について研究し、そして自らも魔術を使いこなせるようになる! そのための会だ!」

「いや、そのための会って」

「ダメなのか?!」

「当たり前だろ」

 春弥の大声にも一切ひるむことなく悠吾はまたも断った。結局その後数時間かけて春弥は悠吾へ説得を試みたが悠吾の意志は固く、魔術開発研究会の開設には至らなかった。

 その数週間後、月原高校にオカルト研究会が発足したのだ。


「オカルト研究会が認められるなら、魔術開発研究会だって認められると思ったんだ!」

「何言ってんだ」

 目をきらきらと輝かせて無邪気に語る春弥に、光貴が反射的に言っていた。その言葉に、珍しく夜維斗も頷いていた。

 落ち着いて話を聞くべきだ、という結論に至って現在春弥は光貴と里佳、そして夜維斗と机を挟んで向き合って座っていた。一見すれば何かしらの面接会場のようにも思える空間だった。

「というか、陽田の場合は認めさせた、というよりは……」

「投げたって言うのが正しいよなあ……」

 オカ研発足の場に立ち会った光貴がその時の光景を思い出すようにしみじみと呟く。里佳の威勢のいい声と同時に宙を舞った悠吾の姿。下手な人間が同じことをすれば大けがになりかねないところを適切なダメージだけを与えて済ませたのだから里佳の柔道の腕は間違いのないものだ、なんて光貴が考えていた所で春弥が「そんなことより!」と思考を遮った。

「どうなんだ、陽田里佳!」

 春弥の話を聞いてずっと腕を組んで目を閉じていた里佳だったが、話を振られてようやく静かに目を開けた。

「お断りします」

「……え?!」

 丁寧な口調で断りを入れる里佳に、断られた本人に春弥よりも隣に座っていた光貴が驚きの声を上げた。夜維斗の方も珍しく驚愕の表情を浮かべて里佳の顔を見ていた。長い付き合いだが、里佳がこんな丁寧な口調を話す日がこんな風に訪れると思ってもいなかった顔である。

「なっ、なんでだ?!」

「悪いけど、あたしはファンタジーは信じない主義だから」

 そして困惑の声で問う春弥に里佳ははっきりと答えた。その発言に、また夜維斗は目を丸くさせる。

「は?」

「魔術みたいなファンタジーを追いかける理由はないわ。あたしが追いかけたいのは、幽霊とかUMAとかそういうものなの」

「なっ、魔術がファンタジーだとぉ?! 魔術だってオカルトの一種だろうが!」

「だとしても! あたしの興味の範囲外よ!」

 里佳の言い分もなかなかの自分論であって、真面目に聞こうとした夜維斗は頭痛を感じ始めていた。里佳の隣に座る光貴も「はは……」と乾いた笑いを浮かべている。

「いい?! このオカルト研究会はあたしが調べたいものをあたしのために調べるの!」

「そんな理屈が通るか!」

「うるっさいわね! あたしはあたしの実力でこの部活を勝ち取ったんだからあんたも人に頼ってないで実力で勝ち取りなさいよ!!」

 ばんっ、と大きく机を叩きつけながら、里佳は春弥に指をさして啖呵を切った。真正面から里佳の言葉を受けた春弥は目を点にさせて言葉を失っていた。

「……珍しく陽田がそれなりにまともなこと言ってるな」

「いや、うん……これはごもっともな意見だわ」

 里佳の両隣に座る夜維斗と光貴が言いながらぱちぱちと拍手を送ると、里佳はふんっと鼻を鳴らして腕を組んだ。

「さて、それでこれからどうするつもりかしら、野木っち?」

「野木っちって……」

 不敵に笑う里佳がさりげなく春弥をあだ名呼びしていることに気付いて光貴がはは、と乾いた笑い声を漏らす。春弥はしばらく俯いて沈黙していたが、ようやく頭の中の整理がついたのか、顔を上げて里佳を見つめた。

「おれ! 必ず陽田里佳に魔術の存在を認めさせてやる! 絶対っ、ぜーったいに、魔術開発研究会とオカルト研究会を合併させい、って言わせてやる!」

 見上げる春弥の瞳を見て里佳は「良い瞳ね」と呟いていた。お前は一体どんな立場の人間なんだ、というツッコミはこの場に出せばややこしいことになると察して夜維斗はぐっと飲み込んだ。

「覚えてろよ、陽田里佳! それから月読夜維斗! あともう一人! お前らを必ずぎゃふんと言わせてやるからな!!」

 意気揚々と叫び、春弥はマントを翻して物理準備室から飛び出した。ばたばた、と春弥の足音が遠のいた後、夜維斗が大きく息を吐きだした。

「……何だったんだ、アレ」

「まあ、あれも一種の青春やってるヤツってことじゃね? 方向性は謎だけど」

「しかし、しゅげっちゃんってば『もう一人』扱いだったわね。ちょっと面白かったわ」

「確かに」

「そこ触れる?」

 実は春弥に名乗るタイミングを逃していた光貴が里佳の指摘に苦笑いを浮かべる。

「しっかし、魔術でぎゃふんって言ってたけどどうするつもりかな、アイツ」

「さあ? それよりも、あたしたちは噂の解明に挑みましょ! まずは七不思議の情報収集よ!」

「……面倒くせえ」

 ニッと笑う里佳に夜維斗が大きく息を吐きだす。嵐が去ってもまた嵐が待っている、と里佳の笑みを見て諦めて肩を落とした。


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