なんとかだって風邪をひく


「静か、だな」

 夜維斗のその言葉に、光貴は飲んでいたジュースを吹きだしそうにになった。なんとかむせることなくジュースを飲み終えた光貴は真ん丸な目をして夜維斗を見つめた。

「……はい?」

「何だ、その顔は」

「いや、だって……月読が静かだなって言うって、よっぽどじゃねぇか」

「そうか?」

 何故そんなにも光貴が驚いているのかわかっていない夜維斗は光貴に疑問の目を向けて尋ねる。しかし光貴は話を聞いているのかいないのか、大げさにうんうんと頷いていた。

「ま、月読がそう言うのもわかるけどさ。里佳がいない、ってだけなのにな」

 光貴はちらりと視線をある席に向ける。そこは本来なら里佳が座っている場所なのだが、今日は誰も座っていない。というのも里佳は本日、学校を欠席しているのだ。

「今ごろ里佳、皆勤賞がーとか何とか言って泣いてるぜ」

「目に見えるな」

 ベッドで寝ながら「皆勤賞狙ってのに!!」などと叫んでいる里佳の姿を容易に思い浮かべることができた夜維斗は、はあと大きく息を吐き出した。

「ところで月読くんよ。今日の放課後、予定は何かあるか?」

「……は?」

 ぱちぱちと瞬きをしながら、夜維斗は光貴の問いを聞き返した。すると光貴が、はあと大げさなため息を吐きだした。わかりやすいほど馬鹿にされた、と理解した夜維斗は白けた視線で光貴を見返した。

「見舞いに行くのか、陽田の」

「あ、何だわかってんじゃん」

「面倒……」

「はあ? 我らが会長様が風邪で苦しんでおられるというのに、それをお前の個人的な感情で見舞いに行かないって言うのか、月読よ?」

 陽田がいなければいないで、こいつが面倒だな……などと思った夜維斗だったが、面と向かってそれを言うと余計に面倒になりそうだと察した。その代わりに先ほどの光貴よりも大きく重いため息を吐き出してやった。

「はいはい。行けばいいんだろ、行けば」

「あ、お前。今、俺のこと面倒って思っただろ」

「まさかそんな」

 夜維斗の無表情から放たれたおどけたような口調を聞いて、光貴はわずかに顔を引きつらせた。本気で思ってやがったな、と感じたらしい。


 そして放課後。夜維斗と光貴は里佳の家の前に居た。光貴がぴんぽーん、とチャイムを鳴らすとしばらくして扉が開いた。

「夜維斗兄ちゃん! ……と?」

「や、やあ、里志さとしくん。里佳の友人の、朱月光貴、です」

 扉から顔を出したのは里佳の弟の里志。夜維斗を見たときはぱあっと明るい顔をしていたのだが、光貴を見た瞬間むっと表情を曇らせた。人見知り、というよりは明確な敵意のようなものを里志の視線から感じた光貴は表情を引きつらせた。そんな光貴の表情を横目で見ながら、夜維斗は里志に声をかける。

「陽田が風邪ひいたって聞いたから、見舞いだ」

「わかった。姉貴起こそうか?」

「いや……。上がっても大丈夫か?」

「うん、今母さんも居ないから大丈夫。どうぞ」

 にっと歯を見せて夜維斗を誘導する里志。しかし、光貴に視線を向けたときはやはり苛立ったようなものだった。あからさまに変わる態度に、光貴は苦笑いを浮かべるしかできない。

「月読……。俺、あの弟くんに悪いことしたかな?」

「まあ……よくはないよな」

「それ、どういう意味だよ」

「姉貴ー、夜維斗兄ちゃんと変な人来たぞー」

 里佳の部屋のドアをノックしながら、里志が中に声をかける。夜維斗と変な人こと光貴は扉の向こうから反応の無いことに驚いているようで、ぱちぱちと瞬きをしていた。

「本当に里佳、風邪ひいてるんだな。結構ぴんぴんしてると思ってたけど」

「予想外、だな」

「おい姉貴! さっさと起きろよ!」

 とても病人に対するものとは思えないような怒声を扉の向こうに浴びせる。それからしばらくして、扉の向こう側からばたばたと騒々しい音がして、扉がバンッと大きな音を立てて開いた。

「里志? それが風邪をひいて苦しんでるお姉ちゃんに対する声かけなのかしらぁ……?」

 厚着をして、額には熱冷まし用の冷却シートを貼っているが、怒りを露にしている里佳が不気味な笑みを浮かべて里志の頭を掴んだ。里志といえば真っ赤な里佳の顔とは真反対の真っ青な顔をして震えていた。

「ごごごっ、ごめ、んな、さい……つ、つい、調子乗って……」

「だったら、あたしのために……、コンビニの新作の、プリンアラモード……買ってくるわよね?」

「しょ、承知しましたー!!」

 ばたばたと逃げるように、里志は夜維斗と光貴の間をすり抜けて去った。去ってゆく里志の背中を苦笑しながら見る光貴と呆れた顔で見る夜維斗の二人に里佳は声をかけた。

「お見舞ご苦労! で、何をもってきてくれたのかしら?」

「里志くんには悪いけど、これ」

 苦笑いを浮かべる光貴はもってきたレジ袋の中から、先ほど里佳が言っていたプリンアラモードを取り出した。

「ありがとー、しゅげっちゃん! ま、ちょっと散らかってる部屋だけど座ってちょうだい」

「おーう。……案外里佳の部屋って、普通の女の子の部屋、って感じだなー」

 部屋を一通り見た光貴は、少し驚いたように言った。今まで里佳の家に上がることはあっても、里佳の部屋に入るのは初めての光貴は興味津々と言うように部屋の中に視線を動かす。

 壁紙は薄いピンクで、白い勉強机に白いテーブル。カーペットも淡いオレンジとピンクの水玉模様で、引き出しの上には大きなうさぎのぬいぐるみまであった。

「しゅげっちゃん、あたしの部屋をなんだと思ってたの?」

「いやー、てっきりUFOとか浮いてたりオカルトな道具とか平気で置いてたりしてるって思ってた」

 へらり、と笑いながら光貴が答えると里佳が「人を変に思っちゃってー!」と光貴の額をぐりぐりと人差し指で押した。

「あたしだってそういうものがあれば置くけどさ、なかなか売ってないでしょ? ネットとかでみても変に高いし」

「確かになあ。あ、でもなんか学校の近くに変な中古屋? みたいなのがあるって聞いたから、そこにあるかもな」

 光貴が思い出したように言うと、隣で聞いていた夜維斗が眉間に皺を寄せていた。そんな夜維斗の表情の変化に気付かない里佳は光貴から受け取ったプリンを早速あけて一口頬張っていた。

「そういえば、あたしがいない間の活動は? 何かしてるの?」

「あ」

「は?」

 里佳の問いに光貴はそういえばと言いたげな声を上げ、夜維斗は何のことだという意味をこめた声を上げた。それぞれの反応を見て、眉を歪めて不気味な笑みを浮かべて二人に視線を送った。

「はっはーん? もしかしてお二人さん、オカ研の活動を忘れてた、とか言わないわよねぇ?」

「いっやー……ほら、なあ? 会長様が体調不良だからさ、それが心配で心配で! なあ、月読!」

「……そうだな」

「嘘つけー!!」

 視線を泳がせながら言う光貴と夜維斗に、里佳が怒鳴り声を上げた。本調子のように思われた里佳だったが、すぐに咳き込んでしまった。慌てて光貴が里佳の背中を撫でる。

「大丈夫か、里佳?」

「もー、人を叫ばせるようなことしないで……。あー、苦しかった」

「風邪の時ぐらい大人しくしたらどうだ」

「えー、何よ夜維斗! そんな言い方!」

「いやいや、一番心配してたの、月読だぜ?」

 光貴のその一言に、里佳だけではなく夜維斗本人も「は?」と声を上げた。同時に声を上げた二人を見た光貴は少し笑いそうになりながらも言葉を続ける。

「地味に視線が里佳の席のほうばっかり向いてた。で、『静かだな』って言い出したのは月読だし。あ、あと珍しく月読が真面目にノート作ってた」

「ええ?! 夜維斗がノート?!」

 里佳は驚きでとうとう大声を上げた。また咳き込むんじゃないのか、と思いながら夜維斗が里佳のほうを見ていると、いつの間にか光貴が一冊のノートを手にしていた。

「こちら、月読の数Ⅱのノートになりまーす」

「は?!」

「おお! よくやったしゅげっちゃん!」

 いつの間に取られたのかわからなかった夜維斗が呆然としている間に、里佳が夜維斗のノートを開いた。最初こそにやにやと笑いながらノートを見ていた里佳だったが、ページをめくるにつれて徐々に真面目な表情になる。里佳の隣でノートを覗き込んでいた光貴も中身を見て真顔になっていた。

「すっげ……月読のノートって、こんなに綺麗なんだ」

「どういうことよ……? あんた、中学のときこんな真面目なノート作らなかったくせに!」

「あのレベルなら教科書読んでたらわかるだろ」

 里佳の言葉にあっさりと返す夜維斗。その発言には、里佳も光貴も引きつった笑みを浮かべる。忘れがちだが、夜維斗は学年一位の成績を持つ男である。

「とりあえず、数Ⅱとリーディングと科学、現社のプリントあればいいだろ」

 疲れたように言いながら、夜維斗は鞄からノートとプリントを取り出す。どれも綺麗にまとめられており、自分のノートを見せようと思っていた光貴はなんとなく恥ずかしくなってしまった。

「ありがとねー、夜維斗! しゅげっちゃんもプリンありがとう」

「どういたしまして。ま、あとはゆっくり寝て体治せよ」

 里佳の頭を撫でながら光貴が言うと、「まかせなさい!」と頼もしい里佳の言葉が返ってきた。そして光貴と夜維斗は里佳の家を出た。

「なんだかんだで元気そうだったな、里佳」

「風邪ぐらいで弱るような奴じゃないからな。逆にあいつが弱るような風邪を見てみたい」

「本人に向かって言ったら、絶対投げられそうな発言だな」

 はははは、と笑いながら言っていた光貴だったが、笑いが途中で途切れた。何事か、と思って夜維斗が光貴を見た瞬間、大きなくしゃみの音があたりに響いた。

「……朱月?」

「あー……ちょっとくしゃみ出た。俺も風邪かなー、なんてね」

 鼻をすすりながら首をかしげる光貴を見た瞬間、夜維斗の頭に嫌な予感が過ぎった。いや、そんなことないだろうと思いながら、夜維斗と光貴は家路についていた。


 翌日。

「今度はしゅげっちゃんが休みだって」

 風邪を完治させて復活した里佳が、驚いたような声で夜維斗に言った。

「……みたいだな」

「よかったじゃない夜維斗! これでまた、あんた真面目にノート取る機会が増えたじゃない!」

「俺が見せないといけないのか」

 お前が見せればいいものを、という思いを込めて夜維斗が言うと、里佳はふふんと誇らしげに笑った。

「だって、あたし授業中寝ちゃうし。しゅげっちゃんも喜ぶと思うよー?」

 そう言って、里佳は夜維斗の机の上にあるノートを人差し指で軽く叩いた。先ほどの授業の内容が、ノートに記されている。

「さ、今日はお見舞ね! 二日連続で活動しない、って言うのもちょっと問題かもしれないけど、大切な会員のお見舞だもんね!」

「……はいはい」

 里佳に人差し指をびしっと向けられた夜維斗は、ため息交じりに返事をした。


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