少し違う視線の先
今から十二年前。月読夜維斗の両親が交通事故に遭って、この世を去った。当時三歳の夜維斗には、自分の身に何が起こったのかわからず、葬式の時も泣くことすらできなかった。
それから夜維斗は叔母の所に引き取られることとなった。
「夜維斗くん、どうしたの?」
「あそこ」
幼い夜維斗は、よく何も無い空間を指差すことがあった。叔母も視線を合わせてその方向を見るが、何も見当たらない。
「何があるかな?」
「おんなのひと」
「女の人?」
「ないてる。何で?」
問われても、彼女には答えることはできない。そこには夜維斗の言う『女の人』は見えないのだ。
「……本当は、私……姉さんのこと、苦手だったのよ」
ある夜。夜維斗が偶然トイレに行こうとした時、叔母と叔父の会話が聞こえてきた。
「姉さんのことも、あの子のことも……わからないのよ、私……!」
「
扉の隙間から叔母が泣きながら肩を震わせている姿と、そんな叔母の背中を撫でる叔父の姿が見えた。
夜維斗は、その日から目に見えるモノについて口に出すことをやめた。
「……ちがうんだ」
自分の目に手を当てても、耳には誰かの声が届く。
「……ちがうんだ」
それでも、夜維斗は見えないフリをして、聞こえないフリをして、何かを言う事をやめたのだった。
「この子が、
「ええ、夜維斗くんっていうの」
ある日、叔母の家に叔母の友人とその娘がやって来た。叔母に言われ、挨拶をするとその友人は穏やかに微笑んで夜維斗の頭を撫でた。それから、隣にいた娘の紹介をする。
「里佳、夜維斗くんにごあいさつは?」
「ようたりかだよ! よろしくね!!」
にっと歯を見せて笑う少女、陽田里佳に対して夜維斗はそっぽを向いた。里佳はきょとんとした表情でぱちぱちと瞬きをすると、叔母が申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね、里佳ちゃん。夜維斗くんはね、人見知りしちゃってね」
「ひとみしり?」
「里佳みたいにはじめての人とおしゃべりするのが苦手なのよ」
母親に言われて、里佳はよくわかっていない様子で「ふうーん」と夜維斗の顔を見た。それからしばらく友人同士で会話をする、と言われたので里佳と夜維斗は子ども部屋で一緒に過ごすこととなった。
「ねえねえ、やいとくん」
「……」
里佳の問いかけに、夜維斗は答えない。今までの友人とは違う対応に、里佳は内心戸惑っていた。夜維斗は何をするでもなく、ただ一点をじっと見つめているだけだった。里佳も同じ方を向くが、そこに何かがあるようには見えなかった。
夜維斗と里佳は近所に住んでいたため、会う機会が多かった。里佳が友人を引き連れて公園で遊んでいると、公園の片隅にぼんやりと立っている夜維斗の姿があった。
「あいつきもち悪いよなぁー」
「本当。いっつも、一人だし」
「声かけてもむしするんだぜー」
「うわぁー」
友人たちがそう言う中、里佳だけは夜維斗に毎日、声をかけた。
「ねえ、なんかいるの?」
夜維斗と同じ方を見て尋ねるが、返事はない。何も言わずに、ただじっと公園の奥にある薄暗い林を見つめているのだった。
そんなある日、子どもたちの間で噂が流れる。
「あの林の中に、おばけがいるんだって!」
ありきたりな怪談話である。何人かの子どもたちはその噂を信じて林に近づこうとしなかったし、また別の子どもたちはその林に入る計画を立てていた。ほとんどの少女たちが近づこうとしなかった中、里佳だけは少年たちと一緒に林に入ろうとしていた。そんな里佳を他の少女たちが不安げな顔で見ている。
「りかちゃん、本当にいくの?」
「行く! それで、あたしがおばけなんかたおしてやる!」
「無理だ」
突然の声に、林に入ろうとしていた少年たちも里佳に声をかけていた少女たちも、そして里佳も驚いた。声の主が、あの全く喋らない夜維斗だったからである。
「……え?」
「たいじなんて、無理だ」
里佳たちに視線を向けることなく、ただ林の奥を見つめたままで夜維斗ははっきりと言い放った。一同が呆然としている中、里佳だけが眉間に皺を寄せた険しい顔で夜維斗にずかずかと近づいた。そして、里佳は夜維斗の腕を掴んだ。
「あたしがたいじするって、しょうめいしてやる! ついてきなさいよ!」
そのまま、里佳は夜維斗を引っ張って林の奥に入る。先ほどまで里佳と一緒に入ろうとしていた少年たちも、里佳を止めようとしていた少女たちも、何も言う事なく二人の背中を見送った。
「……おい」
「……」
「……おい」
「……」
「……お」
「あたしの名前はおい、じゃなくって、ようたりか!!」
里佳が夜維斗のほうを見て叫ぶと、夜維斗が驚いたように目を大きく開いていた。夜維斗の表情の変化を初めて見た里佳も、驚いたように夜維斗を見る。
「……うで、放せよ」
「あ」
里佳は言われて掴んでいた夜維斗の腕から手を放した。夜維斗はしばらく放された腕を見た後、辺りを見回した。
「帰り、どうするんだ」
「え?」
「道、わかるのか」
ぶっきらぼうに夜維斗に言われて、里佳は辺りを見た。気が付いたら林の奥のほうまで入っていたらしく、どこからどうやって来たのかわからなくなっていた。林の中に公園までの道があるわけもなく、二人は完全に迷子になってしまった。
「どう、しよう……」
道がわからない、というだけで里佳に大きな不安がのしかかった。その不安によって先ほどまでは普通に見えていた林も薄暗く不気味なものに思えてきた。そんな中で里佳が泣きそうな声で呟くと、夜維斗は小さく息を吐いた。
「どうしようもねぇだろ」
その夜維斗の一言で、里佳の中で不安よりも冷静すぎる夜維斗に対する怒りが上回った。里佳が夜維斗をぎっと睨むと、夜維斗は少したじろいだ。
「どうしようもないとかいわないでよ!!」
「じゃあ、どうするんだよ」
「どうにでもなる!!」
そう言って、里佳は再び夜維斗の手を掴んだ。辺りをきょろきょろと見た後、「こっち!」と一点を指さして歩き始めた。手を掴まれてしまった夜維斗は、引っ張られるように里佳の後を歩くこととなった。
しばらく二人は歩き続けたが、公園に辿り着きそうな気配が無い。逆に、林から森に入ったような錯覚さえあった。里佳は不安になりつつも、歩みを止めなかった。
「おい」
「……」
「おい」
「あたしは『おい』じゃなくて、ようたりか!」
「本当にこっちであってるのか?」
夜維斗の問いに、里佳は立ち止まる。夜維斗は繋いでいた手から、里佳の手が少し汗ばんでいることがわかった。わずかに震えた里佳の手を見て、夜維斗は今まで歩いてきた道を見た。戻ろうと思ったのだが、後ろに道らしい道は見当たらない。どうやって歩いてきたのかもわからなくなっていた。
「わかんないよ……」
泣きそうな声で、里佳が言う。里佳の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。夜維斗の手を掴んでいないもう一方の手で涙を拭うと、里佳は歩き出そうとした。
「でも、行けばなんとかなる!」
その時、里佳の足元からがら、という音がした。それと同時に、里佳の体が傾く。
「えっ」
里佳の立っていた場所は崖だったらしい。そうわかった瞬間、里佳の手から力が抜けた。傾いた体は重力にしたがって、落ちる。
「きゃああっ?!」
がらがらがら、と石が落ちてゆく音の中で、里佳は夜維斗が何かを叫んだのを聞いた。あんな奴でも、叫べるんだ、と何故かそのときの里佳は冷静に考えていた。
里佳が目を覚ますと、目の前に母の顔があった。
「お……、かあ、さん……?」
「……里佳っ!!」
名を呼ばれた直後、里佳は母の腕に包まれた。ぎゅっと、手放さないと言うように強く抱きしめられた里佳は何が起きたのかわからないで、混乱していた。
「よかった、本当に! もう、心配させないの……!」
「あたし、どうしたの……?」
里佳の記憶は崖から落ちてゆく瞬間からしかなかった。落ちて、それから何があったのか、里佳は知らない。
「夜維斗くんがね、里佳を背負ってきたのよ」
「……夜維斗、くんが?」
チャイムではなく、突然扉が叩かれたと言う。里佳の母が扉を開くと、そこには泥まみれになった夜維斗が居た。その背中には、里佳が背負われていた。何があったのかを尋ねても、夜維斗は何も答えなかったらしい。夜維斗自身もけがをしていたらしいのだが、母が救急箱を取りに行っている間に姿を消してしまった。
「家に帰っても、何も言わないらしいの。里佳、何があったの?」
母に問われた里佳は、そのまま林に行ったことを説明した。それから数日間は勝手に立ち入り禁止の区域に入ったことに加えてけがが完治していないこともあって、里佳は遊びに出ることを許されなかった。
そして、久しぶりに外に出た里佳は公園に向かった。何人かの子どもたちが里佳に心配の声をかけたが、それよりも里佳は先に、いつもの場所で林を見つめている夜維斗の元に駆け寄った。夜維斗の頬には良く見ると小さい擦り傷が残っていた。
「やいとくん!」
里佳が名を呼ぶが、夜維斗は反応しない。普段なら腹が立つはずなのだが、その日の里佳はそんなことを気にしなかった。
「ありがとう、やいとくん!」
思いっきり里佳は夜維斗に向かって礼をする。そこで夜維斗がやっと里佳に視線を向けると、表情の変化はないものの驚いたように瞬きをしていた。
「あたしのこと、助けてくれたんでしょ!」
「……」
「ごめんね。あの時、むりやり引っぱって、連れてって」
里佳が謝ると夜維斗は視線を反らした。その時、里佳の耳に「べつに……」と言う声が聞こえた。それを聞いて、里佳はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「なっつかしいわねぇー。夜維斗とまともに会話したの、ここだったもんねぇ」
夜維斗の家に向かう途中、里佳は公園の奥にある林を見て思い出したかのように言った。それを聞いて、光貴が興味を持ったような顔をして、林を見る。
「へぇ、こんな所で?」
「おばけ退治に行く、って言ったら夜維斗が『退治は無理だ』なんて言ったのよ。覚えてる?」
「さあな」
里佳がにやりと笑いながら聞くと、夜維斗はあくび混じりに返答した。もちろん、そんな返事で納得する里佳ではなかったが、夜維斗なら実際に覚えてなさそう、とも思っていたので深く聞くことはしなかった。
「それで、結局どうなったんだ?」
「一緒に調べに行って、あたしが崖から落ちて夜維斗が助けてくれた、ってオチ」
「うっわー、王道展開」
さすが幼なじみ、と思いながら光貴は苦笑いを浮かべる。これだから一年ちょっとと十年ちょっとの違いって大きいんだよなあ、とも、少し寂しく思いながら。
「そういえばさ。夜維斗ってあの時、なんか叫んでたでしょ? あれって、何て言ってたの?」
里佳が夜維斗の前に立って、尋ねる。その顔は悪戯を思いついたような子どものような笑みだった。そんな里佳を見て、夜維斗は小さく息を吐く。
「さあな、覚えてない」
「月読ってわかりやすいぐらい嘘吐くの下手だな。嘘吐く時、視線がずれる」
「え、マジで?! あっぶなー……今しゅげっちゃん居なかったらスルーしてたわ」
「別にいいだろ、何でも」
夜維斗は逃げるように足早に歩く。それを里佳と光貴もすぐに追いかける。
「よくなーい! さっさと、会長さまに吐きなさーい!!」
「あー、もしかしてやましいことがあるのか、月読?」
「こらー! 答えなさい!!」
「……名前を呼んだだけだっつーの」
小さく零す夜維斗の頬は、赤くなっていた。そんな呟きも、顔の変化にも気づいていない後ろの里佳と光貴は笑いながら夜維斗に向かって叫んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます