第8話 余りにも壮大な計画

16 悪夢


 「悪夢」は東京の夜を彷徨い始めた。彼にとって、この街も他の街と同様に、自分の存在を受け容れない「他者」であった。街を歩くだけで、彼の醸し出す死の臭いと彼が纏った憎悪のマントに、目敏い人間達が顏をしかめる。それほど鋭くない連中も、彼が話し掛ければ、その雰囲気を悟って、嫌悪に顏を歪める。

 彼はこれに慣れていた。生まれた国でも、アメリカでも南米でもどこでも彼は排除されていた。他者の目は常にこう言っている。

「気味の悪い奴め、私の視界からとっとと消えろ!」

「悪夢」はずっと、この声と戦い続けてきた。母に連れられて帰った村には、彼の居場所はなかった。混血児の彼は村人達から疎まれ、苛められ、食料も分けてもらえず、彼の母さえそれを仕方なしとした。それどころか、彼を山に捨てて、新たに昔馴染みの村の男と再婚しようとした。それと悟った彼は、山で食べられる木の根を探しているところで偶然にでくわした山賊まがいのゲリラどもを、自分から村に案内した。

 それ以降の彼の人生は、ただひたすら、自分に脅威を与える「他者」を殲滅することに費やされてきた。そして彼にとって最大の脅威とは、彼一人に複数の敵が手を携えて立ち向かってくることだった。彼はゲリラの少年兵として多くの人を殺した。その中で一番手ごわかったのが、愛する家族を守ろうとして必死に抵抗する者だった。必死の抵抗は、すなわち彼に向けられる反撃の激しさであり、彼の存在を消そうとする営為だった。彼はそこで「愛」の脅威を知った。彼は愛されない。しかるに、愛で武装した者達は連合して彼を消しにくる。彼はより凶暴に、冷酷に、冷徹に殺しをするようになった。彼は決して盗みも犯しもしない。ただ、事務的に殺す。自分の存在への脅威を払いのけるために。そして彼は「まだら団」のナンバー1と出会い、ナンバー13となり、また「悪夢」とも呼ばれるようになった。

 ナンバー13は夜の公園に入った。そこで、まだ高校生くらいの男女が人目を気にしようともせずに、ベンチを占領して抱き合いキスしているのを目撃した。「悪夢」は少し離れた街灯の陰から、様子を窺った。そして、この二人はたいそう仲が良さそうに見えるが、実は肉欲が大半でさほど愛は強くあるまいと踏んだ。そしてそのまま立ち去ろうとしたのだが、その時になってなにやら言い争いが聞こえてきた。再び陰に身を潜め耳を澄ますと、少女の方は別れたくないとわめいている。妊娠したとかしないとかも。少女の繰り言は、やがて泣き言になった。そしてじっと聞いていた少年は、黙って少女を抱きしめた。その後のキスは、さっきまでのものとは全く違うものだった。二人の頬に涙がつたっていた。

 ナンバー13はようやく殺すことができると思った。「悪夢」は音も立てずに二人の背後に忍び寄った。そしてまず男に背後から襲い掛かった。首を絞めて声も立てずに気合を込めて首の骨を折った。そして崩れ去る少年の体を捨てると、恐怖のあまり声も出ない少女に当身を食らわせ、やはり首を折って殺した。そして素早く死体を脇の生垣に放り込むと、平然と立ち去っていった。

次に彼が出くわしたのは、中年の男女だった。夫婦かと思って少し後をつけて、それから側の藪に先回りして話を盗み聞きした。どうやら二人は夫婦ではなく不倫の関係で、互いの伴侶と離婚して一緒になろうという相談をしているようだった。「悪夢」は素早く襲い掛かった。そして、アッという間に二人とも殺した。

四人殺した。しかしその中には、ナンバー1に指示されたターゲットはいなかった。ナンバー13は公園入口の駐車場まで来て、立派な外車が止まっているのを見つけた。ナンバーは外交官用の車であることを示していた。ナンバー13は目標を求めて、再び公園の中に戻った。彼の鋭い眼は、すぐに外交官らしき金髪長身の男を捉えた。周囲に人がいないのを見て取ると、「悪夢」は真っ直ぐに目標に突進した。そして背後からしがみつくと、抵抗する大男の首を巧妙に折った。男の死体は前の四人と同じように、公園の緑の中に放り込んだ。ナンバー13は少し疲労を感じた。それでベンチに腰を下ろして、目を閉じた。が、近づく足音ですぐに目を開けた。見ると、礼服を着込んだ老夫婦がこちらに向かって来る。どうやら結婚式の帰りのようで、大きな引き出物らしき袋をぶら下げている。「悪夢」は気付かれないように物陰に隠れて一旦やり過ごしてから、二人を尾行し始めた。老婆の方が夫に、今日の結婚式のことをしきりに話している。夫の方は寡黙だが、荷物は全て持ってやり、その上少し足の不自由そうな妻の手を引いていた。老婆は、もうすぐ私達も金婚式ですね、と夫に話し掛けた。夫は照れたように咳払いをした。これを見た「悪夢」は、この二人も殺さなくてはならないと思った。それで躊躇なく背後から飛び掛かり、二人の首を死神の鎌のような速さで折った。

翌日の新聞やテレビは、街中の公園で一晩のうちに七人もの人間が殺されたという前代未聞の殺人事件を大きく報じた。その殺し方が素手によるものであるらしいこと、更に被害者の中に某国大使館員がいたことで、一層事件は異様な香りを放ち、人々の恐怖と関心をかき立てた。


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 再び藤原様のお屋敷の豪勢な地下室よ。今日はなんだかたいそうな会議があるそうで、アタシはまたその記録を取るように仰せつかったの。この前の会議も、世界征服の話だからこの上もなく大事だったけれど、今日はいったいどんな話なのかしら。どちらにしろ、早く終わるといいわ。だって、最近は都内の公園で七人も殺されたりして、物騒でしようがないもの。あら、今日はこの前よりもスクリーンが大きくなったみたい。いつの間に工事したのかしら。七つのスクリーンに七つのお顏・・・あ、セバスチャンさんの合図ね。いよいよ始まるわ。アタシも記録に掛からなきゃ。話を聞き漏らさないように・・・


「みなさん、「まだら団」にようこそ!本日はみなさんに素晴らしいものをお見せ致します!」

あら、別に大きなスクリーンが開いて・・・なに、公園?あ、あら、これってあの殺人事件があった公園ね。あ、ナンバー13がいるわ。何してるのかしら・・・って、え、えー、いきなり人に飛びついて、ああ、人が倒れて・・・ちょ、ちょっと、これって殺人じゃないの!ま、まさか、あの七人殺しって、ナンバー13の仕業?ひえー、「まだら団」って殺人組織なのー!

「みなさん、このように、我らのナンバー13は殺しのプロです。素人だけではなく大使館付の情報部員もアッと言う間に素手で殺しました。ナンバー13の通算殺人記録は、二百十七人です。これは世界の暗殺者の歴史を見ても、トップクラスの数字です。今回の作品では、このナンバー13がターゲットの抹殺を行います。」

ああ?巨大なスクリーンの画面が切り替わったわ。今度はなに?ナンバー4と8だわ。キイイ、何よ、二人で肩を並べて学校帰り?あら、次の場面では図書館で仲良く机を並べてお勉強?あら、お弁当。まさかナンバー8の手作りじゃあないでしょうね!もしそうなら、許しがたいわ!

「みなさん、これはみなさんにはもう御馴染みのターゲットです。みなさんがずっと見守っておられた二人は、ようやく恋愛に陥り始めました。すなわち、殺し頃になったわけです。」

え、どういうことなの?

「ナンバー1、殺し方はもっとスマートにして欲しい。あんな無粋な殺し方では、今まで見守ってきた私の時間が台無しだ。」これは中央のスクリーンの、恰幅のいいオジサマ。

「大丈夫でございます。最高の殺し方を用意してございます。ナンバー13の今の殺し方は、彼の凄さをストレートにお見せするためのデモンストレーションです。本番では、彼の創造的な殺し方をお見せ致します。」

「ナンバー1、ターゲットは間違いなく処女と童貞なのであろうな。」と右のスクリーンの、凄くキンキラキンのお姉さん。

「もちろんです。それどころか、二人は異性の手を握ったこともありません。」

「役者ではない・・・」言い掛けたのは左のスクリーンのリッチマンっぽいお兄さん。

「もちろん、みなさんがこれまでご覧になってきた通りです。これは実際の人生です。役者の演技ではない、本当の人生なのです。それだからこそ、みなさまのような偉大な方々がこれだけの時間とお金を掛けて見る価値があるのです!」

「ナンバー1、私としては、ターゲットをもう少し親密にしたい。どうだろう、私の経営するテーマパークでデートさせてみては?よければ私がデートをコーディネートしてもいいが。」と白髪の押し出しも立派なご老人。

「ありがとうございます。しかし、この作品は、生きている映画のようなものです。お客様が御手を出されるのは、御遠慮願っております。最後の瞬間までは手を出せないでじりじりしながら二人の行方を見守る、これがこの作品の魅力だということを、皆さまにはご理解いただいております。そして既にご案内の通り、二人の愛にトドメを刺す権利は、入札とさせていただきますので、それをお楽しみに。」

「ナンバー1、もう少し、二人が一緒にいるところを見てみたい。本当に、恋愛状態に陥ったのか、確認しておきたい。」

「分かっております。次回にご覧いただけます。では、そろそろお時間でございます。また次回をお楽しみに。」

ナンバー1は深々と頭を下げているわ。どういうことかしら、あのスクリーンの人達は、ナンバー1よりも偉いわけ?ああ、スクリーンに幕が下りていく。終わったみたいね。あら、ナンバー9、また隠れて見ていたの?

「お疲れ様でした。」そう言っておしぼりなぞを差し出すわ。

「ああ、顧客の相手は神経を使うからね。しかし、大分こちらに取り込まれてきている感じがするねえ。」

「全ては作戦通りです。既にこの作品を裏で配給する策もほぼ完了いたしました。」

「そうかい。いよいよ大詰めだね。」

困ったわ。大詰めらしいけれど、アタシには何が何だかサッパリ分からないわ。聞いてみようかしら、思い切って。でも、アタシだけ分からないなんて、みっともないし・・・

「ナンバー14、記録はちゃんと取れたかい?」

あ、ナンバー1様から尋ねてきたわ。この際、聞いちゃおうかしら・・・

「あ、あの、それがどうも。よく事情が呑み込めないので・・・」

「ああ、君はまだ知らなかったのか。今のは「まだら団」の大事な顧客だ。僕はね、彼らに生きている芸術を見せているのだよ。」

「あの、すみません、分かりかねます・・・」

「最高の芸術とは何か、君は分かるかね?」

「ええと、絵とか音楽とか劇とか、いろいろありますが・・・」

「いや、違うな。絵画も音楽も芸術だが、芸術の至高の形態ではない。フフ、実はね、ナマの人生こそが最高の芸術なのさ。必死に生きる人生そのものこそが、最も価値のある芸術作品なのだ。僕はナンバー4とナンバー8のナマの人生を操り、それを作品として彼ら顧客に提供しているんだ。その見返りに彼らは金を払う。しかし、金は本当はどうでもいい。彼らは世界の経済や政治軍事を裏で牛耳っている人々でね。みんな途方もない金持ちなんだ。それで此の世のあらゆる贅沢をやり尽くして、普通の贅沢には飽きてしまった。その挙句に、純真無垢な少年少女の本当の人生をいじくるという禁断の娯楽に手を染めたのさ。なにしろ、他人が苦労して血の汗を流して頑張っている、その努力をだね、安穏と高見の見物をしながら、お気楽に片手で捻り潰す時の万能感!まるで自分が神になったように感じられる。これを一度味わったら、もう抜けられないよ。」

「え、そういうものでございますか・・・」

「そうさ。人にとっての喜びとは、他の愚劣なる連中の人生を自由自在に踏みしだくことなのだよ。他人の人生をいじり、弄び、踏み潰す。これ以上の快楽、娯楽があろうか?ありはしないさ。みんな、本当はこの娯楽を求めているんだ。それができない連中が、賭博や麻薬や売春といったお手軽な代用品に走っているのさ。」

「な、なるほど・・・」

「彼らはこの娯楽から抜けられなくなって、段々と僕の言いなりになっていく。それで最後に、他人の人生にトドメを刺すボタンを押す権利を、入札する。その権利は金で売るんじゃない。他のボタンを押す権利と交換さ。顧客達は皆、核のボタンに近い人達だ。すなわち・・・分かるだろう?」

「は、はい・・・」(ウソー、本当に核戦争を起こす気なの?ど、どうしましょう?)

「フフ、そういうことだ。この僕が、ナンバー1が此の世界の脚本を書き、筋書きを定める。言わば此の世界そのものを綴り出す作家なのだ。此の世界は我々の思う通りに動く。分かるね。」

(ひえー、ア、アタシこの人達に付いていけるかしらー?)

「さて、いよいよ最終段階だ。ナンバー1である僕が自ら出陣しよう。そして最後の一筆を添えて、物語を完成させてやろう!」

ナンバー1はいよいよ立ち上がったわ。ああ、いったい、これからどうなるのかしら?


  17 余りにも壮大な計画


 ここは○○高校近くの甘味屋さんだ。この店は久美ちゃん達が学校帰りによく寄る言わば溜まり場で、あんみつもおいしいし、名代の酒饅頭もお汁粉もいける。今日も久美ちゃんと一子ちゃんの二人は仲良くクリームあんみつとお汁粉を堪能しているところなのだが、ただ暢気に食べているのではなかった。お口の周りにあんこなんか付けているからたいした話をしていないように見えるかもしれないが、実はもの凄く大事な相談が今まさに始まろうとしているのだ。

「なあ久美スケ、物は相談なんだけどさ。」一子ちゃんは慎重に切り出した。

「なあに?」

「あのさ、私さ、ゆきりんと加藤をくっつけようと思っているんだけど。」

「えー!」久美ちゃんは思わず口にくわえていたスプーンを落っことした。「なんでさー。」

「まま、ちょっと聞いてよ。ゆきりんはさ、結構本気だと思うんだ。あの娘真面目だしさ。それに加藤だって、真面目だし頭いいし、根はいい奴っぽいし、そんなに悪い取り合わせじゃないだろう?考えてみればさ、私達ゆきりんにはいろいろとお世話になってきたんだし、この際御恩返しの意味でもさ。ゆきりんに手を貸してあげるべきじゃないの?」

「う・・・」久美ちゃんは詰まった。「恩返し」という言葉は、義理堅さの塊みたいな彼女の急所を突いていた。それでも、久美ちゃんは自分の信じるところに従って、わずかな抵抗を試みた。

「あのさ、加藤って地味だよ。ブサイクとは言わないけどさ。美男子じゃないよ。美少女のゆきりんの隣に並ぶのは、ねえ?」

「あのねえ、小学生じゃあるまいし、顏の造作にばッかりこだわるんじゃねえよ。いい加減、内面に目覚めろって。」

こうまで言われて、久美ちゃんも若干意地になった。

「でもでも、加藤って甲斐性無しっぽいよ。経済力の無い男と結婚すると、後々苦労するんだよ。その点、藤原くんはお金には強そうだし。」

「バッカ言うなって。まだ高校生なのに、経済力なんて分からないだろ?それに藤原は金持ちだけど、それはアイツの親父とか爺さんに金があるだけのことで、アイツ自身が金を稼いでいるわけじゃないじゃん。」

「う・・・何もそこまで言わなくても・・・」

「アンタねえ、どうしてそんなに加藤のことが嫌いなの?」

「別に嫌いじゃないけど・・・加藤と藤原くんって何か対極にいる人同士みたいで、加藤のことを褒めると、その分藤原くんの価値が下がっちゃいそうで・・・」

ハアア、と一子ちゃんは心の中でため息をついた。どうしてこの親友はそこまであんな藤原なんぞに入れ揚げてしまったんだろう、と。

「とにかくさ、アンタが藤原のことをそこまで惚れ込んでいるのと一緒で、ゆきりんも加藤がいいの。だから、アンタが藤原と相思相愛になりたいのと一緒で、ゆきりんも加藤と相思相愛になりたいの。だから、応援してあげなきゃいけないのよ!」

「それじゃ、なんで私と藤原くんのことは応援してくれないのよ。」久美ちゃんは恨めしそうな目で下から睨み上げた。

「分かったよ、ついでに応援してあげるからさ、だからアンタも協力してよ。」

「うーん。」

「もう、分かんない子だねえ。いいかい、ゆきりんと加藤をくっつけるのは、アンタのためでもあるんだからね!」

「え、そうなの?どうして?」

「つまりねえ、藤原の友達である加藤に恋人が出来れば、藤原だって羨ましくなって、彼女を欲しがるじゃん?その時さ、藤原に告白したのはアンタだけなんだから、とりあえず、アンタを彼女にしとこうかってことになるじゃん。」

もちろん世の中はそんなに単純じゃないから、そんなふうにうまくはいくまい、と一子ちゃんは思っていた。だが、何の根拠もないこの言葉は、久美ちゃんを異様に元気付けてしまった。

「そうか、私の告白はやっぱり無駄じゃなかったんだ!」久美ちゃんの目はキラキラ輝く。

「そういうことなら、私も大いにお手伝いするよ!それで、どうするの?」

一子ちゃんはいい加減な策が異様に効果を上げてしまって、いささか参ったナアとも思ったが、ここはこのまま押すしかないと判断して、話を続けることにした。

「うん、とにかくさ、ゆきりんと加藤を二人きりにするのさ。そうすれば、自然と何とかなるものさ。」

「そうかなあ。それで具体的にはどうするの?」

「選挙の開票日にさ、打ち上げやるの。そこに加藤も呼んでさ、タイミングを見計らって二人きりにしてやるの。一緒に選挙を戦った後で、気分は高揚しているし、二人の仲が進展すること請け合いだよ!」

「なるほど。で、私と藤原くんは?」

「へ?」

「へ、じゃないよ。藤原くんもその打ち上げに呼んであげてよ。」

「久美すけ、何を考えているんじゃ。いいかい、私達は選挙戦で藤原と戦っているんだよ。」

「うー、でも選挙が終わればお互い健闘を讃え合って、仲良しじゃん。」

「このやろ、理屈こねやがって・・・でも、そうだな。落選して失意のどん底にある藤原をアンタが慰めてやれば、アイツもアンタになびくかもね。」

「えー、藤原くんが落選するとは限らないし・・・」

「バカだね、久美すけ、藤原が落選すれば、アンタと付き合うってことになるんだから、中途半端なことをやっていないで、ゆきりんの応援に専念しなさいってば。」

「そんなこと言われたって・・・」

「あ、噂をすれば影だ。」一子ちゃんは声を潜めて、お店の外を指した。久美ちゃんが首を伸ばして覗いてみると、幸美さんと加藤くんが並んでこちらに歩いてくるところだった。久美ちゃんは、オーイと声を掛けようとしたが、すぐさま一子ちゃんに押さえ込まれてしまった。

「久美すけ、おまえな、今さっき二人きりにする算段してたんじゃなかったのか?」

「あ、そうか。」久美ちゃんは素直に納得して、口をつぐんだ。幸美さん達は、お店の入り口で立ち止まった。お店のおばあちゃんとのやり取りから、どうやら幸美さんはタイヤキを買っているようだった。久美ちゃんが目をこらして見てみると、幸美さんはタイヤキを一つ、加藤くんの口に押し込もうとしているようだった。加藤くんは真っ赤になって遠慮している。久美ちゃんはなかなか微笑ましいと思うと同時に、余りにおいしそうなので、自分もタイヤキをおみやげに買って帰ろうという気になっていた。

 と、久美ちゃんは一子ちゃんに脇腹をつつかれた。振り返ると、しきりに通りの向こうの辺りを指し示している。なんだろうと小手をかざして見てみれば、そこには電柱の影に隠れた、と言っても露骨に姿が見え見えの人がいた。じいっと幸美さんと加藤くんを見つめているその人を、久美ちゃんは知っていた。先週久美ちゃん達のクラスに転校してきたサンダース久世くんだ。

「アイツ、どう見ても二人を尾行しているよ。」一子ちゃんは小声で鋭く言った。

「そうだねえ、ストーカーかな。目的はゆきりんかな。」

「いやあ、案外同性愛者で加藤狙いかも。」

そうこうするうちに、17時を知らせる鐘が町内放送で鳴り響いた。幸美さん達は、タイヤキを持って帰っていった。そしてサンダース久世くんは、お店のすぐ前まで尾行していたが、そこでフイに立ち止まり、そのまま二人が立ち去っていくのを見送っていた。


「サンダースくーん!」突然、久美ちゃんが声を掛けた。これには一子ちゃんは仰天した。だが、呼び掛けに続く言葉には更に動転させられた。

「よかったら、こっちおいでよ。お汁粉食べない?」

「おまえ、何考えてるんだよ!」一子ちゃんは必死の形相で久美ちゃんに詰め寄った。

「あんなよく知らない奴を。しかも危なそうな奴を呼び込むなんて!」

「だって、転校生には親切にしなくちゃいけないんだよ。」

「だって、ストーカーっぽいじゃないか!」

「それなら尚更のこと、間違った道から引き戻してあげなきゃ。筋金入りのストーカーにならないうちに。」

「確かにストーカーはナミちゃん一人で十分だけど・・・」

一子ちゃんが迷っている間に、久美ちゃんは再び久世くんに声を掛けた。彼はそれに気付いたようで、真っ直ぐにこちらに向かってきた。

「よ、サンダースくん、一緒にどう、お汁粉?」

「ありがとう、ええと、鬼首さん。」サンダース久世くんはぎこちない笑みを浮かべて、久美ちゃんの隣、一子ちゃんの斜め向かいに座った。

「私のこと、覚えてくれてたの?」

「ああ、君は有名人だからね。ニューヨークやロンドン、モスクワや北京の上層部の連中もみんな君のことはよく知っているよ。」

「へへへ、冗談でも照れるなあ。」

「それから、聞いたよ。隣のクラスの藤原くんに告白したとか。」

「随分、耳が早いんだね。」一子ちゃんは胡散臭そうに睨んだ。

「藤原くんとは以前からの知り合いでね。彼が子供の頃にニューヨークに住んでいた時に知り合って以来なんだ。それで懐かしくていろいろ話すうちに、君のことが出て来てね。」

「私のこと・・・なんて言ってた?」久美ちゃんはドキドキしながら尋ねた。

「別に、興味はないと・・・ただ余り話したこともないからとも言っていた。」

「あ、そう・・・」久美ちゃんはストレートにしょぼんとした。「結構、藤原くんの目につくように頑張ってきたつもりなんだけどなあ。」

そこへ、おばあさんがお汁粉を持ってきた。サンダース久世くんは器用に箸を使って食べ始めた。

「これはおいしい。いやあ、いいお店を紹介してくれました。ありがとう。」

「ううん、別に・・・」

久美ちゃんは傍目で気の毒なほど元気をなくしていた。それを見て、久世くんは箸を置き、おもむろに話し始めた。

「どうだろうかね。実は僕の見るところ、藤原くんはいささか君に気があるように見えるね。なにしろ、話の中で出てきた女の子は君だけなんだから。」

「ホント?」久美ちゃんの目が生気を一気に取り戻した。

「そうなんだ。彼は奥手だから、女性のことはよく分からないんだろう。案外、君が他の人に心変わりしたりすれば、彼は急に寂しくなって、自分の気持ちに気が付くことになるかもしれないよ。」

「それだ!」突如、黙って聞いていた一子ちゃんが叫んだ。

「なに?」びっくりして、久美ちゃんはあんみつを引っ繰り返しそうになった。

「つまりさ、アンタが藤原を嫌いになればいいのさ。」

「えー!」久美ちゃんは文字通り目を丸くした。「そんなこと、できないよ!」

「違う、違う。つまり、お芝居さ。アンタが他の誰かに惚れたフリをする。そうすりゃあ、藤原も慌てて追っ掛けてくるかも。男っていうのはさ、コッチが追い掛けている間は逃げるくせに、こっちが逃げに掛かると、逆に追い掛けてくるものなのさ。」

「そういうものなの?」

「そうだって。雑誌にもそう書いてあったし。」

「でもさ、藤原くんに嘘をつくのは嫌だなあ。」

「そんなことはないさ。」サンダース久世くんがお茶をすすってから言った。「彼のためでもある。藤原くんは両親とも忙しくて、ずうっと一人だったんだ。もちろん、お手伝いさんとかはいるけれど、それで心の隙間を埋めることができたわけじゃない。それで彼は少し依怙地な性格になってしまったんだね。ニューヨークで母親と一緒に暮していた頃にはあんなふうじゃなかった。だからね、君の愛で彼を元の姿に戻してもらえれば、本人のためだし、昔からの友人である僕としても非常に嬉しい。ここで君が嘘をつくのも、彼のためなんだよ。」

「そういうことよ!」一子ちゃんも突然現れた味方の存在に力を得て、俄然勢いが出てきた。「藤原のため、世のため人のため、ここは久美すけ一世一代の演技が必要なの!」

「うーん、そうまで言われると・・・」

「納得したか?」

「うー・・・でもさ、誰を好きになるの?」

「そうだねえ、柔道部の世田谷ちゃんとかは?」

「それについては、僕からひと言。」サンダース久世くんはタイミングを見計らったように口を挟んできた。「加藤くんはどうだろう?彼のことは藤原くんも非常に高く評価しているし。他の者では、「あんな奴に惚れる女なんかどうでもいい」っていうことにもなりかねないよ。」

「加藤はちょっと、ねえ。」世田谷くんのことをちょっぴりいいかなと思っていた一子ちゃんは口をとんがらせて言った。「ゆきりんがいるし、おまけにナミちゃんが狙っているし、これ以上ややこしくはしたくないなあ。」

「しかし、藤原くんをよく知っている僕としては、この策の効果を保証できるのは、加藤くんだけだよ。マア、後は君達で判断してやってくれたまえ。」

お汁粉を平らげたサンダース久世くんはお店のおばあさんにご馳走様と言って、久美ちゃん達の分のお金まで置いて出て行こうとした。が、久美ちゃんが今日は割り勘だとどうしても主張するので、肩をすくめて、自分の分だけお金を置いて出て行った。

「どう思う、今の?」一子ちゃんは久美ちゃんの顔を覗き込んだ。しかし久美ちゃんは既に上の空で、藤原くんのためねえ、とつぶやいているだけだった。


 投票日が近づき、また新しい動きが起こった。藤原くんが予算の改定を行うと突如宣言したのだ。その内容は、従来は運動部に重点的に配分されていた予算を文化部にも公平に配分するというものだった。だがその実態は、彼が父から提供されている資金を有力な運動部に流すのを取り止めるというもので、藤原政権の強力な支持層である運動部から激しい反発を受けた。美人コンテストで女生徒を敵に回し、今また運動部をも敵に回して、ここに来て一気に藤原くん再選の雲行きが怪しくなってきた。世論調査では不支持率が初めて六割を越えた。

 そしてとうとう投票日がやってきた。藤原政権が最後に下した命令は、生徒会選挙と美人美男子コンテストの投票所を同じ体育館にすることだった。これは、美人美男子コンテストを拒否しようと思っていた生徒達を決定的に遠ざけることになった。

 即日開票の結果は、生徒会長は真田幸美さんが当選し、副会長は加藤祐一郎くんと斉藤一子さんがそれぞれ信任された。そして美人美男子コンテストの結果は、ミス○○高校は予想通り真田幸美さんだったが、ミスター○○高校の方は、なんと加藤祐一郎くんがなってしまった。つまり、藤原くんはどちらにも敗れてしまったわけで、完全に藤原政権の崩壊を意味していた。

 幸美さんは、「ミス○○高校コンテスト実行委員会」なるものからトロフィーを送られたが、受け取りを拒否した。更に、水着での写真撮影を頼まれたが、憤慨して拒絶した。そうして、生徒会新執行部は、このようなコンテストは二度と開催させないと宣言した。

 久美ちゃんは、一子ちゃんのアドバイスに従って、藤原くんが生徒会長選挙に落選した場合には、彼の下へ駆けつけて慰めてあげるつもりだった。失意の彼を慰めれば仲良くなるキッカケになると言われていたこともあるし、何よりも落選したら可哀相だという感情が強かったのだ。だが、現実は久美ちゃんの予想の範囲を超えていた。まさか、美男子コンテストまで負けるとは思わなかったのだ。あまりのショックに呆然自失となってしまった久美ちゃんは、腰が抜けたようになってしまって、とても慰めに行くどころではなかった。

 が、慰めは必要ではなかったかもしれない。敗れた藤原くんは実に爽やかな笑顔で皆の前に現れてみせ、自らの敗北を正々堂々と認め、勝者の真田さんを讃えた。そして、急遽、旧執行部のお別れ会兼新執行部発足記念パーティーをやろうと提案した。これには真田さんも敢えて反対しなかった。それで当選発表の翌日の放課後にパーティーを学生食堂で開くことになった。


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「このお部屋を使えるのも、今日で最後になっちゃいましたねえ。」

思わず、アタシも弱気になっちゃうわ。そうよ、せっかく「まだら団」に入れてもらえたのに、その直後に藤原政権が崩壊しちゃうなんて。「まだら団」に入ってから、殺人鬼のナンバー13に怯えるやら、いろいろ記録を書かされて腕が疲れるやら、いいことなんか何もないわ。ああ、嫌になっちゃう!

 あら、でも藤原さまは余裕しゃくしゃくだわ。ナンバー9や12と談笑している。いったい、どういうことかしら?

「ここまでは全て計画通りです。後は最後の仕上げを行うだけです。」そう言ってナンバー9は冷たい笑みを浮かべているわ。「しかし爽快ですね。自分には自由意思があると思い込んでいる連中が、実際には私の意思通りに動かされているというのは!まさに此の世界は将棋盤であり他人の人生は将棋の駒ですね。」

「実際そうですね。」これはナンバー12の傲慢なる笑いだわ。「会場には高感度の隠しカメラを計十七台取り付けてあります。これでリアルタイムで愛が滅びる瞬間を世界中の顧客にお届けできます。」

「既にナンバー13も配置に付いています。」

「いよいよ、大団円だな。我ら「まだら団」が世界を制し、ナンバー1であるこの僕が世界の主となる時だ。そうして、長い長い此の世界の歴史が、ようやく完成するのだ!」

「まだら団万歳!」

「ナンバー1万歳!」

「我らに最終的勝利を!」


ひえー、この敗北も計画通りなの?すごいわ、そこまで計算して罠を張っているなんて。やっぱり「まだら団」ってサイコ―なのね。ホントに世界を征服できるかも・・・そうなれば、アタシだってハワイくらいもらえるかもしれないわね!よーし、こうなったら、アタシも覚悟を決めるわ。根性据えて、徹底的にやってやるわ。ここでやるかやらぬかが、人生の勝利者になれるかどうかの分かれ道ね。人生の勝利者になるためなら、どんなことでもやってやるわ!サア、叫びましょう!

「まだら団バンザーイ!」

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