第7話 最後の作戦

14 最後の作戦


 大公安委員会の統治は砕かれた。転校してきた灰色制服どもは、再びどこかへと転校していった。そして校長も騒ぎを起こした責任を取ることになったのか、どこかへと転勤していった。その後にはなんと前の校長先生が戻ってきた。この先生は温厚篤実の固まりみたいな方で、生徒にも先生方にも父兄にも人望があった。それで混乱を収拾するために、非常の人事で元のポストに戻ってきてくれたのだ。校長先生は赴任直後に生徒達の代表と話し合った。そして元の通り自由な校風に戻すと約束した。その代わりにと、騒動の責任を取る形で加藤くん達は自ら停学を申し出た。だが校長先生は、若いくせに格好付けて突っ走るなと苦笑して却下した。

 ともあれ、「解放」はなされた。生徒達は勝利を祝って、文字通り校庭で廊下で教室で踊り狂った。そうして恋愛感情は一気に解放された。もうカップルが溢れまくった。独り身でいるのが恥ずかしいくらいに、恋人達が生まれ始めた。

 そうしていよいよ生徒会長選挙が近付いてきた。当初は藤原現生徒会長の圧勝という見方が圧倒的だった。あのナンバー11との対決の際にも藤原くんはヒーローになって、一層盤石な体制になった。そのはずだった。だが、ここに小さな亀裂が入った。あの時、警備員さん達は藤原くんの命令がないからと言って、動かなかった。その間、加藤くん達は暴行を加えられていた。その後で警備員さん達は命令を確認して事態の速やかなる収拾を図り、藤原くん自身解放者として鮮やかに振る舞った。

 しかし、鮮やか過ぎた。最初からいた人の目には、加藤くんに殴られ役を押し付けてオイシイ場面だけを持っていったという、余りにもいいとこ取り過ぎに見えてしまった。だいいち、ヒーローがあんなに傷一つ付いていない綺麗な顔をしているはずがない。皆の心に微妙な引っ掛かりが残った。それが選挙の行方に微妙な影を落とし始め、新聞部の世論調査でも初めて支持率が八割を割ってしまっていた。

 生徒会長には、藤原京也くんがまず立候補した。続いて真田幸美さんが会長候補に名乗りを上げた。加藤くんを会長候補に担ぎ出すのに失敗した彼女は、一時はこのまま身を退くことも考えたが、藤原政権の余りの目茶苦茶ぶりに、自ら生徒会長になるべく決意して立候補したのだった。副会長候補には現書記の加藤くんと、幸美さんを支える意味で斉藤一子ちゃんが立候補した。書記には現生徒会執行部の一年生が数人立った。実は久美ちゃんも書記に立候補しようかと思ったのだが、およそ字を書くことが大の苦手の彼女としては、さすがに書記になるにはちと自信がなかったので、止めた。だいいち、真田さん系の書記に立候補するのは、藤原くんに刃を向けることにも思えたのだ。そんなわけで、久美ちゃんは親友である幸美さんの応援にすら身が入らなかった。

 生徒会の選挙運動が始まった。ここ数回は対抗馬なしで信任投票ばかりだったのだが、今回は現生徒会長に現副会長が公然と叛旗を翻したという、盛り上がる要素があった。しかも解放直後でみんな気分が高揚していた。おまけに世紀の美男子と学園一の美少女との一騎打ちだ。それで公式の後援会以外にも、私設応援団があちこちに生まれて勝手に選挙運動に邁進していた。

 ところが、ここで藤原政権はトンデモないことを言い出した。なんと、ミスター&ミス○○高校コンテストを行うと宣言したのである。これには喜びはしゃぐ者も大勢いたが、外見だけで女性を判断するのかと女子の多くは激しく反発した。選挙を控えてのこの行動は自殺行為だと藤原派の生徒達も藤原京也くんを諌めたが、彼は全く言うことを聞かず、浮かれた雰囲気の一部生徒達を味方に付け、先生方を無理やり説得し、生徒会長選挙とリンクさせる形で強行してしまった。


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 さあて、ここは藤原京也様の豪壮なお屋敷の地下室よ。なんとここで、「まだら団」の総会が開かれるの。え、私?もう忘れたの?弁士よ、弁士!・・・なあんてね、実は弁士じゃないの。「まだら団」のナンバー14よ。今日はめでたく初めて会議に出ることを許されたの。それでその様子を余すところなく記録しろっていうのが、ナンバー1の命令なのよ。まあ、私は書記係みたいなものね。

 会議の出席者は、ナンバー1の藤原京也様、ナンバー9の穂積芳正くん、初登場であるナンバー12の黒木宗司(くろき そうじ)くん、執事のセバスチャン熊本さん、そしてこの私、ナンバー14たる司馬仙太郎(しば せんたろう)くんよ。

 それにしても、なんて豪華なお部屋なのかしら。くるぶしまで埋まるふかふかの赤い絨毯、黒檀紫檀の家具、社長さんが座るような大きな椅子、それにでっかいシャンデリア!ホント、藤原様ってリッチよねえ。アタシ、「まだら団」に入れてもらえて、本当によかったわ。

 あ、セバスチャン熊本さんがご静粛にって言っている。さあ、いよいよ始まるわ。私も記録を始めるわ。まずは藤原様からね。ご挨拶って・・・え、え?あちこちの壁にスクリーンが出てきて、そこにいろいろな国の人の顏が映って・・・え、テレビ会議なの?この人達みんな「まだら団」?そんな、メンバーは14人だけじゃなかったの?と、とにかく記録しなくちゃ。質問はあとでゆっくりしましょ・・・まずは藤原様の発言、と・・・


「諸君!我が「まだら団」の同志諸君!いよいよ最後の作戦の時が来た。この作戦はナンバー9とナンバー12が策定し、この僕自身が監修したものである。ではナンバー9、説明したまえ。」

「はい、ナンバー1。この作戦は、「愛」というものを自由自在に操る術を完成させ、その術を以て「愛」を基に形成された此の世界を我ら「まだら団」が永遠に支配するための第一歩を築くという、壮大な計画であります!本作戦のターゲットは二つ、第一はナンバー4及びナンバー8、第二は鬼首久美です。

 さて、本作戦の第一段階は、「愛」を人工的に発生させることにあります。その段階は既に成就されつつあります。ナンバー8は、我々が今まで張り巡らした策に操られ、ナンバー4に恋愛感情を抱く一歩手前まで来ている。これから行われるミスター&ミス○○高校コンテストによって、その恋愛感情は完成される。これについてはナンバー12から補足説明があります。ではナンバー12。」

「ありがとう、ナンバー9。さて、お初にお目に掛かります。私がナンバー12、黒木宗司です。私は父が大手芸能プロダクションを経営している関係で、エンターテインメントの分野には子供の頃から精通しており、また私自身も幼少の折から映画出演を始め、エンターテインメントの現場で生きてきました。そして有名な前衛芸術家の母と世界的なヴァイオリニストの祖母から、芸術の本質も受け継いでいる。こうした私の経験から申しますと、こうです。すなわち、「人生はパンとサーカス」である、と。愚かな大衆には娯楽が絶対に必要なのです。逆に言うと、まあまあ食えて、それに適切な娯楽を与え欲望をコントロールしてやりさえすれば、彼らは従順になる。但し、その娯楽はただの低俗ではダメです。そこにいくばくかの芸術性を加味してやらないといけない。そして、欲望のコントロールとは、行き場のない欲情の流れを或る一定の型に流し込み、その流れの方向を定めてやることです。すなわち、快感のモデルとなる姿を見せつけ、それに憧れさせ、それに向かって進ませる。映画俳優やスポーツ選手、ブランド製品など全てこの応用に過ぎません。

 これをこの○○高校でもやってやるのです。ナンバー11による過度の抑圧から解放された直後の○○高校は、バカ騒ぎを受け容れ易い環境になっている。普段なら顔をしかめるかもしれない美人コンテストなぞも、大目に見られる。それどころか、通常の道徳では禁止されている、友人を外見で等級付けするという禁断の味を噛みしめて、内心では燃え上がる。燃え上がらせるための演出は私が担当致します。そうして、ミスター&ミス○○高校をモデルとして構築し、それに向かって走らせる。そしてモデルとなった男女自身も、その流れの影響をフィードバックされ、いよいよ燃え上がる。こうして、愛の連鎖反応が生じるのです。」

「ありがとう、ナンバー12。さて、作戦の実行段階ですが次の要領で行うこととします。

① 生徒会選挙において、ナンバー4を我々から裏切らせて、ナンバー8と組ませる。これで二人は言わば戦友同士となる。戦いは非日常の世界であり、日常を支配する心の規範を緩め、気分の高揚を生みやすくなる。ここにおいて、二人の間に横たわる心のバリアーを取り除く。

② 同時にナンバー4をミスター○○高校にする。更にはミス○○高校にはナンバー8を選出する。この過程において、二人にペアであるという意識を刷り込むと共に、二人を取り巻く周囲の人間達にこの二人を意識させる。それによって、周囲に恋愛感情を煽らせ、二人にフィードバックさせる。

③ 面食いの鬼首久美に、ミスター○○高校になったことでナンバー4の存在を意識させ、それによって恋愛感情の転移を図る。これはライバルの出現によってナンバー8の恋愛感情を煽動する効果も持つ。

ここにおいて作戦の第一段階は終了するものとします。」

「僕から更に補足しよう。」と、これはナンバー1が言うわ。「愛とはつまり、自己の投影に過ぎない。自己愛に過ぎないのだ。ナンバー8は愚かにも、自分のことを倫理感と正義の塊だと思い込んでいる。この傲慢は、やがてその虚像を映し出す鏡として、ナンバー4を求めるだろう。そして愚かなナンバー4は、8の情熱に押されて自らの理論を捨てて、愛という仮面を被った情欲に屈することになるだろう。鬼首久美の場合、自らの貧弱な容姿の反面鏡として僕を求めている。愛とは、裏返しの自分可愛さに過ぎないのだ。僕はこのことを喝破した。それをこれから実証するのだ。そうして諸君、「愛の技術」が成されたならば、僕は愛を操ってみせる。それによって、核のボタンを握っている者をも押さえる。諸君!約束しよう、三年以内に核戦争だ!聖なる核の炎で世界は焼かれ、新たな世界はそこに生まれるのだ!」

「まだら団万歳!」

「喝采!」

(え、え、何ですって?核戦争って、そんな大それたこと、アタシ聞いてないわ。ど、どうしましょう。「まだら団」って、そんなに恐ろしい組織だったの?いやーん!)


・・・ナンバー1が続けるわ。

「諸君、作戦の第二段階だ。恋愛を成就させた後、それを破壊する。それはナンバー13によってなされるだろう。ナンバー13は我々の切り札だ。彼は人類が産み出した最高の殺人マシーンだ。彼ならば何の証拠も残さずにナンバー4を抹殺できる。そしてナンバー8と鬼首久美を、ナンバー1である僕の恋愛の奴隷とするのだ。そのための策として・・・ナンバー9?」

「はい。恋愛は自己の反射鏡である、これはまさにナンバー4の理論「全ての愛は自己反芻の自己愛である」の延長上にあります。すなわち、ナンバー8達を愛に落とすには、彼女達を我々と同じ『自分』に取り込んでしまえばいい。そのためには、強力なる精神的打撃により、彼女達の既存の『自分』をまず崩壊させます。既存の『自分』が崩壊した後の空白状態では、こちらの『自分』を浸透させていくのは簡単なことです。空白地帯では、最初に与えられた情報が、他に比較できるものがないために、消去法的に必ず選択されるのですから。そして、この『自分』を破壊するための衝撃を与える役目を、ナンバー13が果たしてくれるのです。」

「ここでナンバー13をご紹介します。ナンバー13は日系人で父親が日本人、母親が某国人、と言っても彼は父のことは知らない。遊びで某国を訪れた日本人が現地の娼婦に産ませて捨てた子供です。彼の父は逃げ、母はやむなく里である地方の山奥に彼を連れて帰った。そこで反政府ゲリラに襲われた。ゲリラは彼に、助かりたければ実の母を殺せと命じた。そこで彼は母と祖父母を自らの手で射殺したのです。七歳の時です。以後反政府軍の少年兵として殺戮の限りを尽くしてきましたが、十四歳の時に反政府軍が投降、彼も捕虜になりました。そして、捕虜収容所を視察に訪れたナンバー1と出会ったのです。一目でその殺しの資質を見抜いたナンバー1は、「まだら団」と提携関係にある殺人組織「黒い逆十字団」に彼の身柄を預け、訓練を施した。その結果、彼は最高の暗殺者、殺人マシーンに仕上がったのです。」

「そういうことだ。既に我々を裏切ったナンバー14を抹殺したことで、ナンバー13の実力は証明されている。そうだ、ちなみに新しいナンバー14はそこで書記を担当してもらっている司馬仙太郎くんだ。紹介しておこう。」

(え、えー!「まだら団」のナンバー14ってアタシが最初じゃないの?ま、抹殺て何よー?)

「ナンバー14、挨拶したまえ。ここにいるのは全て「まだら団」の幹部達だ。本来ならば、皆を個別に紹介したいが、それは無理でね。なにしろ、世界中に広がるメンバーは、既に777にまで達しているからな。」

(ひえー、「まだら団」って、そんな凄い国際組織なの?うそー、いったいどうなってるのー!)


「諸君!我ら「まだら団」は全てを支配する。我らは他者を自由に処分する。他者の心を思うがままに操る。他者の生殺与奪の権を握る。他者の存在を完全に圧殺するのだ。それは、我々が優等な人間だからだ!いいか、諸君!我らはその優等性を証明するためにも、下等で下劣な奴らを自由自在に処分してみせるのだ!此の世界を、我らの意のままに動かし、破壊し、処分するのだ!」

「まだら団万歳!」

「まだら団万歳!」

「まだら団万歳!」

(ちょ、ちょっと待ってよ。そんなに恐ろしい組織なの、こ、こんな~)


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 幸美さんは美人コンテストなんか無視して、生徒会選挙に集中しようとした。そして真面目な公約、すなわち一部運動部に偏った予算配分の是正、ボランティア活動の活性化、開かれた校風などを掲げてポスターを作った。だが、藤原くんは選挙運動をやろうとしなかった。彼がやったことは、或る人気写真家に撮影させた自身のポスターを作って貼りまくったことだけで、しかもそのポスターには「ミスター○○高校には藤原京也を!」というロゴがあって生徒会長なんてどこにも書いていなかった。

 或る昼休み、幸美さんは一子ちゃんと共に、体育館で演説会を開いた。体育館は満員の盛況だったが、いざ幸美さんが演説を始めようと壇上に現れると、異様な声援が殺到してマイクの声も通らない有様となった。そして会場を埋め尽くす人々を見れば、その多くはピンクのハチマキを巻きメガホンを手にした男どもで、「真田幸美親衛隊」なる怪しい法被を着ている者までいた。その圧倒的な数の男子どもが、「ゆきり~ん」などと黄色い叫びを上げているのだ。もう選挙演説どころではない。一言話すたびにキャーキャー叫ぶ。余りの騒々しさに近所の家から職員室に文句が来て、演説会は中止せざるを得ない羽目になってしまった。

 生徒会長選挙は、急速に美人美男子コンテストに浸食されつつあった。もはや巷では、ミスター○○高校=生徒会長、ミス○○高校=生徒会副会長みたいな言われ方さえし始めた。実際、藤原くんは、自分が生徒会長になった暁には、「ミス○○高校の真田さん」を生徒会副会長に指名するという、規則のどこにも書いていないことを平気で言い出した。真田さんは正式に抗議したが、お祭り騒ぎの狂熱の中で理性の声は吹き飛ばされ、いつの間にか、彼女が勝ったら生徒会長、負けたら副会長という超法規的な措置が世間に是認されるようになってしまった。

 学園内は大混乱だった。みんな、選挙とコンテストの下馬評にあけくれ、地に足が付いていない状況だった。だが、ここに一人、この喧噪の中で沈黙の孤独にいる人がいた。それは我らが鬼首久美ちゃんだった。本来ならば、真っ先にこの大騒ぎに突入する彼女なのだが、ご案内のように、好きな人と親友の狭間に立って、アチラを立てればコチラが立たず、忠ならんと欲すれば孝ならずの心境で、身動き取れない状況なのだった。

 久美ちゃんは考えた。苦しんだ。悩んだ。七転八倒した。そしてついに、一つの結論に至った。それは「両方応援しちゃえばいい」というものだった。幸いにして、今現在は生徒会選挙と美男子コンテストが同時に行われている。そこで久美ちゃんとしては、生徒会選挙は親友の幸美さんを、美男子コンテストでは恋しい藤原くんを、それぞれ応援することにしたのだ。

 そうと決めると、久美ちゃんの行動は早い。さっそく、「真田幸美さんを生徒会長に!ミスター○○高校には藤原京也くんを!」という看板を作り、頼まれもしないのに次の朝から校内を練り歩き始めた。これに忠義の子猫のクマスケが付いてきた。クマスケは「ミス○○高校には鬼首久美ちゃんを!」という小さな字でちょこっと書かれたスローガンを首から下げて、久美ちゃんと一緒に行進した。これは、効いた。むやみに効いた。クマスケはあの謎の占い師撃退事件の他にも、たまにお弁当を忘れた久美ちゃんのところへ小さな弁当箱を背中に載せて届けにきたりしていたので、校内の猫好き人間の間ではカリスマ的な人気を誇っていた。それが運動に加わったのだから、生徒会長選挙はじわじわと真田幸美さんが優勢になったのだ(但し、その優勢は生徒会長選挙だけで、つまり久美ちゃんのミス○○高校への野望にはほとんど役に立つ兆しはなかった)。この戦略はかくして或る面では大成功したのだが、成功し過ぎた面が出てしまった。クマスケの行進のことを耳にした真田幸美さんのお母さんが、父兄の中の猫好きの人々を誘って、「クマスケちゃんを○○高校のマスコット猫にする」運動を立ち上げてしまったのだ。あの学園祭を機にクマスケに入れ込んでいたお母さんは運動に熱中し、かくして生徒会選挙、美人コンテストに加え、第三の「マスコット猫運動」まで現れて、情勢は混乱の度を深める一方となった。


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 さあ、今度は生徒会室よ。登場人物はアタシ、ナンバー14とナンバー1の藤原様、そしてナンバー4の加藤の奴よ。アタシは二人の対決の場に記録係として同席するの。いったいどうなるのかしら。ドキドキするわ、本当!あ、ナンバー1様がまず口火を切ったわ。

「ナンバー4、今日は君とじっくり話し合いたいと思ってね。今後のことについて、だ。」

「今後のこと、とは。」ナンバー4はゆったりと椅子に座っている藤原様の前に立ったままで話すの。まるで先生に呼びつけられた叱られ生徒みたいね。それにしても、加藤の奴は貧乏人のくせにいつも真面目ぶって優等生っぽくて、ホント鼻持ちならない嫌な奴だわ!

「生徒会長選挙のことだがね、君は僕を応援してくれるだろうね。」

「もちろんだ。」

「その割には、運動の参加率が悪いようだねえ。」

「アルバイトの合間をぬって、地道な選挙運動はしているつもりだ。しかし、君のやっていることは選挙運動ではなく、アイドルの売り込み活動だろう。あんな浮ついた話の中に、僕の出番はないよ。」

「相変わらず硬いことを言う。マア、いい。今日はね、一つ頼みがある。聞いてもらえるかね。」

「内容にもよるが。」

「ふふ、頼みというのはね・・・生徒会副会長選挙を辞退して欲しいんだ。その代わりに、君にはミスター○○高校の肩書をあげよう。これでいいだろう?」

「何を言っているんだ?意味が分からない。」

「文字通りさ。僕としては、真田幸美さんを副会長に残したい。副会長は定員二名で立候補者は二名だから、信任投票でまずこの二人が当選する。だが、真田さんを僕の推薦で副会長にするとなると一人はみ出てしまう。残念ながら、真田さんシンパの斉藤一子さんは僕の言うことを聞いてくれそうにないから、君にポストを譲ってくれるように頼むしかないんだよ。」

「・・・どうしてもと言うなら、辞退しよう。しかし、ミスターなんとかというのはお断りだ。だいいち、僕のルックスでなれるわけもない。」

「ところがそうでもないんだ。ナンバー12が君を素晴らしい素材だと言っていてね、必ずモノにしてみせると意気込んでいる。ミスター○○高校になった暁には、更にアイドルへの道も開いてくれるそうだ。よかったねえ。当節は君のような無骨な面相がかえって珍しいのかもしれないねえ。」

「お断りする。僕はそんなものになるつもりはない。」

「そうか。反抗的な態度だねえ。それでも君は我が「まだら団」のメンバーかい。君は最近、僕のやることに反対ばかりしている。どうだろうねえ、そういうのは。」

「・・・今まで君が目茶苦茶をやってきたのを、なんとか収束するように努力してきたつもりだ。反抗じゃない。君のことを諌めてきたんだ。」

「僕は「まだら団」のナンバー1だ。僕の判断は常に正しく無謬なのだ。君が僕を諌めるなど、僭越の極みだ。そうは思わないのかね。」

「間違いが絶対に無いという人はいない。上に立つ者は下の者の厳しい意見にも耳を傾けないといけない。イエスマンばかりでは組織は滅びる。」

「それは劣等人類がリーダーの場合だ。我々は、全ての人種、性別、階級を超越して、世界中の青少年達の中から、生まれついて優等な能力を持った人間として選抜された者達なんだ。「まだら団」はそうした生来の超エリート達の集団なのだ。その僕達がミスをするはずがない。そんなことを口にするのは、「まだら団」の存在に疑問を呈する、言わば反逆行為だよ。」

「・・・他人に対する比較優位は、単なる偶然の産物に過ぎない。そんなものにすがっていたから、ナンバー2達は敗れた。もし我々にいくばくかの正当性があるとしたら、それは自分をも捨てて此の世を変えるための努力を続ける意志を持っていることだ。そのためには、自己犠牲をも顧みないということだ。つまり・・・」

「君のその理屈はもう結構だ。君には今まで僕の優等、優越、優秀性を立証してもらうための理論を構築してもらってきたが、ここのところはむしろ我々の正当性に刃を向けるような言辞が増えてきたねえ。ハッキリ言っておこう。そんなものは要らない。黙って僕の言うことを聞くんだ。いいか、君はアイドル路線をひた走る。そして真田さんは、ナンバー13の拷問に屈して、僕の奴隷として副会長職に止まるんだ。」

「ナンバー13・・・「アフリカの悪夢」を呼んだのか!」

「明日君と真田さんのクラスに転校してくるよ。」

「拷問だと?そんなことは絶対にさせない!」

「・・・では君とはお別れだ。お別れとなれば、僕が君に行っている援助も打ち切りとなる。両親を事故で失い、バイトと奨学金でなんとかつないでいる苦学生の君を締め上げることくらい簡単だ。市役所も育英会も全て僕の祖父の言いなりだからね。」

「脅すのか。僕は脅しには屈しない。たとえ飢寒のために果てることになっても、それは仕方ない。」

「いいのか、それで。君は此の世をなんとかするために、君の理論を完成させねばならないのだろう?」

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり、だ。」

「また孔子だね。しかし、それは理論に何らかの結論が出たということかね?是非聞きたいね!・・・ああ、いや、君の理論には用は無いのだった。とにかく、君とはお別れだね。」

「・・・僕は機会があったら、また君のところにメモを送る。読む気がないなら、捨ててくれ。君が真っ当な道に戻ることを願っている。必要とあらば、いつでも僕を呼んでくれ。では、さらばだ。」

加藤ったら、そう言い残すと、身を翻して堂々と生徒会室を出て行くわ。ホーント、生意気な奴よねえ。ナンバー1様に向かって、何よ!ねえ、藤原様、生意気で嫌な奴ですわねー。

「・・・惜しい男だ。失うには惜しいが・・・」

え、えー!惜しいの?そうかしら、だって、今やこのアタシがいるじゃないの。そうよ。アタシは凄いメンバーなのよ。新しい側近なんだから!

 ちょっと藤原様に話し掛けてみようかしら。思い切って、ねえ?側近なんだもの、話し掛けたって、バチは当たらないわよねえ。ヨーシ、いくわよ!

「ええと、首尾は上々のようですね。」

「まあね。しかし、ナンバー4を失うのは惜しい。なにしろ我々の教義を作った一人だしな。彼のような人物には、この先の人生においても二度と会うことはないだろう。」

「それではお助けあそばすのでございますか。」

「いや、だからこそ犠牲に供さなくてはならないのだ。」

「はあ・・・」

「ふふ、分からないか。ところで君はナンバー4の理論を知っているかね。」

「いえ、よくは・・・ただ以前に山田先生が、加藤の奴は訳の分からない形而上学を振り回すと文句をおっしゃっていましたけれど。」

「そうかい。しかしナンバー4の理論は実によく分かる。明快そのものさ。つまりね、我々は今の体、生物個体としての私を「自分」だと思っているが、本当はそうじゃない。自分とは、個体を超えたモノなんだ。そして、我々「まだら団」も、個々人を超えて存在する。その要件は「優秀さ」なのさ。世界中から人種も階級も性別も民族も越えて、とにかく優秀な人間が集まって一つの「自分」を成す。これこそが、我が「まだら団」なんだ。「まだら」という意味は、いろいろな人種や民族が混じり合って一つを成す、ということなんだ。そしてそうした表面上の相違を超越して一つであることの理論付けを僕とナンバー4とで成し遂げたのだ!」

「はあ・・・申し訳ありません、全然知りませんでした・・・」

「僕は片腕たる存在を失うことになる。しかしこれは新たな支配への階段として避けては通れない道だ。致し方ない。いいかね、ナンバー14。君も栄光ある「まだら団」の一員となったからには、その優秀さを存分に見せてくれたまえ。そうすれば、君が新たな僕の片腕ともなれるだろう。」

「・・・はい、はい!」

マア、そういうこと!アタシの優秀さを理解してくれるなんて、やっぱりサイコ―ね。見る目があるわあ。よおし、そういうことなら、頑張っちゃうわ!見てなさい、明日の側近NO1はこのアタシよ!


  15 悪夢の来襲


 選挙戦も中盤に差し掛かった或る日、久美ちゃん達のクラスに転校生がやって来た。それは日系人の少年で、サンダース久世(くぜ)くんと紹介された。担任の山田先生は、クラス委員長の真田さんがその日は忙しかったので、副委員長である加藤くんに放課後校内を案内するように頼んだ。これに目を輝かせたのは綿貫浪江さんで、新しい恋の目標である加藤くんと一緒になるべく、案内役に俄然立候補した。しかし加藤くんは素っ気なく一人で十分だと言い、ナミちゃんを悲しませ、一子ちゃんの眉をひそめさせた。

 放課後、久美ちゃんはいつものようにクマスケと一緒に選挙運動に邁進しようとした。だが、教室を出ようとしたところで、ナミちゃんに取っ捕まった。そうして、

「クミッペ、お願い、一生のお願い!」

と拝み倒すナミちゃんに引っ張られて、加藤くん達の後をつけるお手伝いをする羽目になってしまった。二人は必死に後を追い、その後からちょこちょことクマスケが付いてきて、その後からたまたま学校に来ていた幸美さんのお母さんがクマちゃんだわと喜んで追っ掛けてきた。さすがにこの行列は余りにも目立つので、すぐに幸美さんに何をやっているのと見咎められて、一行は加藤くん達をじきに見失ってしまった。


誰もいない屋上で、加藤くんはサンダース久世くんと対している。サンダースくんは、氷の表情で、ぽつぽつと話し始める。

「君がナンバー4か。」

「そうだ、君は?」

「ナンバー13。」

「やはりな。君が「アフリカの悪夢」か。」

「下らないニックネームだ。」

「そうだな。」

「僕が何しに来たか、分かるか。」

「・・・僕を抹殺しに来たのだろう。」

「どうして分かる?」

「そのぐらいは、な。」

「ナンバー1は君を欺きとおしているつもりだが、君は全てお見通しというわけか。」

「そんなことはない。ただ、「悪夢」が来るからには、それなりの理由がある。まさか観光ではあるまい。」

「勉強しにきたのさ。」

「それなら大歓迎だがね。一緒に勉強するかい。」

「・・・冗談でも僕を誘ってくれたのは、君が初めてだね。」

「僕は本気だぜ。」

「ありがとう。ところで君の理論は聞いたよ。なかなか興味深い。しかしね、少し難しく考え過ぎる。此の世の中はもっと単純だ。」

「どういうふうに?」

「つまりね、「愛」とは特権階級のものだということだ。僕は人に愛されたことはない。父は僕を捨てた。母も祖父母も僕を邪険にした。正直言ってね、ゲリラに母達を射殺するように命じられた時、嬉しかったよ。生まれて初めて引き金を引いた瞬間、僕の心には少しの躊躇もなかったね。」

「・・・悲しい話だな。」

「君の口からそんな台詞は聞きたくないな。」

「・・・」

「とにかく、愛は普遍で誰にでも備わっているというわけではないのだ。現に僕は愛される能力も愛する能力もない。ただ、それだけのことだ。」

「愛と能力は関係ないだろう。」

「いや、能力だ。しかも或る限られた人々にしか備わっていない能力だ。たまに「愛する家族とつつましく暮らす平凡な幸せ」などという戯言を抜かす輩がいるだろう?ふざけた話だ!「愛する家族」なるものほど高価なものはない。そんなものを手に入れることができる奴らは、特権階級なんだ。僕のような愛されない者の苦しみを理解しようとせず、いい気になって浮かれている特権階級どもだ。こんな連中は絶対に許しておくわけにはいかない!」

「それは、しかし・・・」

「後は単純だ。僕は此の世の底を這いずりのたうち回っていた。その僕が存在するには、僕より上の連中を一人ずつ引きずり降ろすしかなかった。だから、僕よりも上にいる特権階級はみんな殺す。それに、「愛」は危険だ。愛によって二人が結ばれる。すると、僕の前に居る敵の数が二倍になる。戦力比が2対1になる。更に子供が生まれでもしたら、戦力比が更に三倍以上に開く。こんなことは僕にとっては危険極まりない。」

「なるほど、単純だな。それで、いつ僕を殺すつもりだ。」

「まだ決めていない。ただその前にやらなくてはならないことがある。」

「やらなくてはならないこと・・・それは何だ?」

「ナンバー8、すなわち真田幸美の粛清だ。」

「ナンバー8?それは欠番のはずだ。真田幸美くんがナンバー8だと?何かの間違いだろう。」

「僕はそう聞いている。」

「そんなことはさせない!」

「君が守り切れるのか。まあ、やってみたまえ・・・但し、君も二十四時間彼女を護衛できるわけでもないだろう。こうしようじゃないか。僕は放課後の16時から17時までの間にナンバー8を抹殺することにしよう。君はその間だけ守り切ればいいわけだ。それも生徒会選挙開票の翌日までとしよう。どうだね。」

「本気なのか?」

「僕はね、この手で殺した数は二百人を下らない。こと、殺しに関しては嘘は言わないよ。」

「そうはさせるか!」

「そうなるさ。僕はナンバー8を殺し、その上で君を必ず抹殺する。正直に言おう。僕は君が気に入った。だからこそ、この手で君を殺すのだ。他の下らない奴に任せるのは嫌だからね。」

そう言うとナンバー13は氷の笑みを残して消えていった。残されたナンバー4は、青白い頬でその後ろ姿を睨み付けていた。


 選挙戦に異変が起こった。今までは藤原京也・加藤祐一郎組対真田幸美・斉藤一子組のタッグマッチというふうに見られていたのだが、なぜか加藤くんが真田派に寝返ったという説が流れ出したのだ。実際、ここ数日加藤くんは放課後真田さんにぴったりと寄り添うようになった。そうして、なぜか加藤くんは藤原くんを押し退けてミスター○○高校の有力候補にのし上がってきた。これには、一年女子や二年男子を中心にした正体不明の組織票が動いているという噂も流れ始め、人々のいろいろな憶測を誘った。

 選挙戦も終盤に差し掛かった或る日、幸美さんのお母さんは、激励会を開きましょうと唐突に言い出した。そして幸美さんに、一子ちゃんと久美ちゃんとナミちゃんと加藤くんと、なによりクマスケちゃんを誘ってきなさいと絶対的な威厳を以て命じた。その常ならぬ迫力に押されて、幸美さんは皆に夕食を食べに来てとお誘いした。久美ちゃん達は是非行きまーすと元気よく声を揃えたが、加藤くんは遠慮すると言った。だが、その袖をクマスケが必死にくふんくふんと引いたので、彼も断りきれずに御同道することになった。これにはナミちゃんは目を輝かせて喜んだ。そして幸美さんのお家に着いてお座り下さいと勧められるや否や、目にも止まらぬ早業で加藤くんの右隣りの席を確保した。一子ちゃんは、さすがに幸美さんに加藤くんの左隣りの席を空けてやったが、なぜかそこにはクマスケがちょんと座り、そしてその隣には幸美さんのお母様が並ぶ、という構図になってしまった。実は幸美さんのお母さんも、一人娘が招待客の少年を憎からず思っており、ナミちゃんと三角関係になりつつあるのではと、なんとなく悟ってはいた。が、立派な人であるお母さんは、娘の肩を持ってナミちゃんを排除するようなことはしなかった。男女のことは正々堂々と勝負して、どっちが負けても恨みっこなし、が彼女の持論であったし、今はなにより大好きな可愛いクマスケのお相手に夢中で、加藤くんの件はとりあえず二の次三の次なのであった。

 手作りの豪華な料理に囲まれて、激励会は始まった。お母さんは、いきなりその冒頭で、今日は「クマちゃんを○○高校及び○○町マスコット猫ちゃんにする会期成同盟」にお集まり下さりありがとうございますと、かしこまった挨拶をした。それで一同は、これが生徒会選挙の激励ではないことを初めて知った。なんのことはない、久美ちゃん達は、お母さんがクマスケをご招待するダシに使われただけなのだった。それでも一同の中で怒り出す人はいなかった。幸美さんとは小学校からの付き合いで、お母さんの「暢気な母さん」ぶりもよく知っている一子ちゃんは毎度のことだと笑っているだけだ。久美ちゃんは愛猫クマスケが可愛がられているから嬉しいし、なによりチラシ寿司やケーキの誘惑にあっさりと白旗を揚げたのだった。加藤くんに寄り添うナミちゃんは言うことなし、その様を微妙な表情で見つめる幸美さんとて、決して不快そうではない。加藤くんも女性陣に囲まれて若干戸惑っていたが、じきに慣れてきた。

 会の趣旨はともかく、宴は徐々に盛り上がってきた。ナミちゃんは加藤くんにしきりに話し掛け、彼の両親が飛行機事故で亡くなったことを知るや大声で泣き、彼が苦学生であることを知って本気で心配し、彼がナンバー11や6を倒した時の様子を語り合っては、瞳を異様に輝かせていた。この二人のやり取りを、幸美さんは両手で頬杖をついてただ微笑んで聞いていた。

「久美スケ、藤原のことなんか、忘れちまえい!」突如、一子ちゃんが叫んだ。

「なあによお、一子のおばかあ。」久美ちゃんは妙に間延びをした返事をして、キャッキャッと笑い転げた。そのいつもと異なる様子を見て、幸美さんは初めて飲み物にアルコールが入っていることに気が付いた。

「おかあさん!」幸美さんは母を問い質そうとしたが、無駄だった。缶入りカクテルとジュースを取り間違えた、おっちょこちょいでお酒に弱いお母さんは、既に陽気な酔っぱらい状態で、クマスケを抱いて踊っていた。

「久美スケ、おまえ、藤原なんかやめろよなあ!」一子ちゃんは真っ赤な顔をして、既にいささか回りの悪くなってきた舌で叫んだ。

「うるさああい。あんたなんかに彼の良さは、分かんなあい!」久美ちゃんは必死で叫んでいるつもりだが、最後の方は欠伸も混じっている。

「久美スケ、ばあか・・・」

「ばかじゃあないもん・・・」

連日の選挙運動の疲れもあって、慣れぬアルコールに酔った二人は、喧嘩しながらも仲良くもたれ合って眠りに落ちてしまった。そしてナミちゃんも、加藤くんの隣りに座った緊張からくる喉の渇きを癒そうとかなりのハイペースで飲んでいたので、二人に続いてキュウと目を回してしまった。その側で、お母さんも気持ち良さそうに眠りに落ちていた。

 こうなるとマトモな状態でいるのは、しゃべり続けでほとんど飲まなかった加藤くんと、そのおしゃべりに耳を傾けるのに夢中だった幸美さんと、クマスケだけということになった。仕方ないので二人と一匹は、毛布を持ってきて酔い潰れた方々に掛けてまわった。そしてこのまま全てを幸美さんに押し付けて帰るのも気が引けた加藤くんは、クマスケの相手をしてやりながら、なんとなく残ってしまっていた。

「もう少し寝かせておいてあげましょう。じきに目が覚めると思うから。」幸美さんは淹れ立ての熱いコーヒーを手渡した。

「そんなにすぐに目が覚めるかな。」コーヒーの礼を言いながら、加藤くんは四人の寝顔に苦笑した。

加藤くんはクマスケを撫でてやっていた。クマスケはその腕の中で寝息をたて始めた。

「うちの母ったら、クマスケちゃんに夢中なの。子供の頃に飼っていた猫とそっくりだって。」

「そう。」加藤くんはコーヒーをぐっと飲んだ。

「おいしいコーヒーだね。」

「私が選んだ豆なの。」

「そう。」加藤くんは微笑んだ。その笑みに、幸美さんは心の中のつかえがとれたような気がした。それで、決心して切り出した。

「ねえ、加藤くんは今度の選挙では藤原くんの味方をするの?」

「いや、彼とは袂を分かった。」加藤くんは静かに言った。

「え、それって・・・」幸美さんの胸は高鳴った。頬が紅潮し、握りしめた手に汗が噴き出てきた。

「彼とは道が違ってね。実は副会長選挙も辞退しようかとも思った。藤原が当選してもうまくやっていけるとは思えないし。でも副会長候補は定員二名に候補者は僕を含めて二名だからね。辞退は逃げることみたいに思えて・・・」

「それなら、私と一緒にやっていかない?」幸美さんは本当に思い切って言った。言って、赤い顏を見られまいとうつむいた。

「そうだね。」意外にも、加藤くんの答えはあっさりしたものだった。幸美さんは思わず顔を上げた。

「君が当選すれば、一緒にやっていくことになるだろう。今まで通りにね。」

「そう・・・」幸美さんは少しガッカリした。だがすぐに気を取り直して、続けた。

「当選後のことじゃなくて、選挙戦のことなの。選挙戦を一緒に進めていかない?公約とか統一して。既に、一子ちゃんと私は共闘しているの。そこに君も加われば・・・」

幸美さんは思わず身を乗り出した。その拍子に顏が加藤くんの顏に近づいてしまった。加藤くんは幸美さんの瞳を間近に見て、真っ赤になった。そして幸美さんも赤い顏が更に紅く染まっていった。そして自然と手が・・・

「なんじゃー!」

突如、毛むくじゃらな叫びが轟いた。見ると、あの幸美さんのお父さんが、娘命のお父さんが髪を振り乱して、息も荒く部屋の入口に立っていた。

「ウチの可愛い娘に何をするー!」

お父さんは野獣のように、加藤くんを愛娘から引き離そうとした。が、一瞬早く、酔ったお母さんが、アナタ愛してるわと言って、横から抱きついてきた。お父さんとお母さんは抱き合ったまま倒れ込んだ。その倒れた先には久美ちゃんと一子ちゃんがいて、二人の下敷きになりウギャアーという悲鳴を上げた。これに驚いてクマスケがハネ起きて飛び回り、ナミちゃんのお顏を蹴飛ばして、眼を覚まさせた。アッという間に、部屋は混乱の巷になってしまった。そして幸美さんがお父さんを抱き起こして、力の限り説得して、ようやくいくらか収まったのだった。


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