第5話  燃えよ、シャーマン!

9 学園祭は高校生活の華ですッ 


 いよいよ学園祭が近付いてきた!学園祭は学園生活の華だ。お祭りだから、楽しいイベントはあるし、美味しいお店も出るし、盛り上がるし、この際恋も芽生えちゃうこともある。というわけで、久美ちゃんもこの学園祭に燃えに燃えていた。それは、あの藤原くんにお近付きになるための絶好の機会と思い、学園祭実行委員に自ら手を挙げたからだ。実行委員みたいな縁の下の力持ちになりたがる人は他にいなくて、久美ちゃんはめでたく実行委員にすんなりと選ばれた。が、おめでたいのはここまでだった。それは、藤原くんとお話しするどころか、彼と会うことすらほとんどなかったからだ。学園祭は生徒会にとっても最大の行事なのだが、なぜか藤原くんは他に用事があるとか言って、実行委員の会議にほとんど顏を出さなかったのだ。

 それで学園祭の準備全般は、生徒会副会長の真田幸美さんと、書記の加藤くんの二人が中心になって取り仕切っていた。なるほど、幸美さんの言っていた通りだと、藤原くん大好き人間の久美ちゃんですら納得せざるをえなかった。でもこのぐらいのことでは久美ちゃんの気持ちは変わらない。むしろ、学園祭の当日には必ず会える、話せる、お近付きになれるとばかりに、準備作業に魂を燃やすのだった。

そうは言っても、久美ちゃんである。彼女の能力は、事務仕事の片付けよりも、一人でも多くの人を実行委員の仕事に巻き込むことに発揮された。それで、帰宅部で時間に余裕のある斉藤一子ちゃんも、新たな恋のお相手を目をランランと輝かせて探している愛の狩人綿貫浪江ちゃんも、いつの間にか実行委員のお手伝いをさせられていた。

そんなこんなで、いよいよ大詰めに近付いた或る放課後、久美ちゃんと一子ちゃんは最後の追い込み準備に掛かっていた。

「しかし、ウチの学校の学園祭って変な出し物が多いねえ。」

プログラムの誤字脱字をチェックしていた久美ちゃんが言った。

「喫茶店とかお化け屋敷はマアいいとして、難民救済チャリティーセールとか、文芸同好会の社会理論雑誌即売とか、軍事研究会の軍事関係の発表とか、科学部の新しい種子の育成法の発表だとか。硬い話が多いねえ。」

「バカだね、久美すけ。そういう硬い研究発表みたいなのが、本来の学園祭なんだってば。」

「でもさ、この硬派の企画には全部ゆきりんの名前があるねえ。忙しいのに、あっちこっちで頑張っていて、さすがだねえ。」

「それだけエエ?」一子ちゃんはニャハハと笑った。久美ちゃんは視力1・5の両目をこらしてプログラムに見入った。

「ああ、分かった!」久美ちゃんは自信に満ちた声を上げた。「ここのところ、校長の名前が間違ってる。三国文左衛門なのに、三国悶左衛門になってる!」

「アホかあ!」一子ちゃんはプログラムで思い切り久美ちゃんを張り倒した。

「なあによお。」引っ叩かれた後頭部を撫でながら久美ちゃんは恨めしそうに言った。

「よく見ろ、久美すけ。ゆきりんが関係している出し物は、みんな加藤も一緒だろうに。」

「あ、ほんとだ。」

「ね、そういうことなのよん。」

「って、加藤も生徒会の書記だから、副会長のゆきりんと同じイベントに関係していても不思議じゃないじゃん。」

「ほんとにバカだな、おまえ!」

「バカじゃないもん!」

「ほんとにトロいな、おまえ!」

「トロくないもん!」

「いいか、よーっくお聞きなさいよ。つまりだな、ゆきりんは加藤のことが好きなのさ!」

「えー!」えー、えー、えー・・・と久美ちゃんの心の中で驚きの声のエコーが掛かった。それほどまでに、これは彼女にとって意外な発言だったのだ。

「うっそだあ!」

「うそじゃないぜ。」

「ゆきりんから聞いたの?」

「アンタと違ってゆきりんは慎み深い人だから、ホイホイと好きですなんて言わないの。でも、ゆきりんの様子を見ていれば分かるでしょう?」

「そうかなあ。」

「アンタはバカだから分かんないんだよ!」

「でもさあ、それはないと思うよ。」

「なんで。」

「だあって、加藤ってあんなに地味じゃん。ゆきりんはこの学校でも評判の美人だよ。とてもねえ、あんな地味男に惚れるはずがないよ。」

「だから、アンタはバカなの。みんながみんな、アンタみたいな面食いじゃないんだから。それにさ、加藤だって、そう捨てたもんじゃないよ。今風じゃないけど、結構キリリと締まった顏で、一年生の女子なんかにもちょっぴり人気があるらしいよ。」

「あんな地味顏が流行るなんて、世も末だねえ。」

「アンタに顔のことは言われたくないよ!」

「ひっどーい!」

とまあ、こんな暢気な会話を繰り広げている二人だったが、そこに或る人影が近付いてきたことには全然気付いていなかった。その影は、知られることなく二人がおしゃべりしている教室に入って来て、足音も立てず気配も感じさせずに、すうっと二人の背後に立った。

「あのー。」

突然の聞き覚えのない声に、二人は椅子から浮き上がるほど仰天した。慌てて振り向いてみると、いつの間にか黒い服に身を包んだ髪の長い女の子が、ニンマリ笑顔で立っていた。

「あのさ、学園祭の出し物の登録に来たんだけど、学園祭の実行委員とかいう人にお願いしろって言われてさ。」

「ああ、はい、ここで結構です。」一子ちゃんは答えながら、その女の子の姿を検分した。それは一子ちゃんがこの学校の中で見たことのない人だった。その上、ちょっとおかしな恰好をしている。最初に目につくのは、ネックレスのように首に掛けている白い数珠だ。そして胸に付けた、ドクロに骨がぶっ違いのマークのバッジ。

「あのう、どちらさまで?」さすがに久美ちゃんもこの人のセンスの異様さに気が付いて慎重に問うた。最近の妖しい事件の連発を受けて、本校学生以外の人の出入りには注意すべし、とのお達しが生徒会長藤原京也名で発せられていることでもあるし。

「あのさ、聞いてないかなア、2年4組の占いの館。そこに雇われたのよね、アタシ。火渡沙希(ひわたり さき)よ。占い師兼シャーマン。魔術なんかもやるわ。」

「エエッ!」一子ちゃんは即座に凄まじく反応した。「あの、火渡沙希・・・先生!」

「あ、知ってるの、アタシのこと?」

「はいはいはい、最近噂の天才少女占い師さん!雑誌で見ましたア!」一子ちゃんはほとんど絶叫調で言った。

「ありがとー。でもね、本当の本業はシャーマン兼魔術師なんだよ。まあ、東京じゃあ、シャーマンで食っていくのは難しいからね。」そう言って火渡沙希サマはウインクして見せた。

一子ちゃんは有名人の実物に会って、舞い上がってしまった。そこで占い雑誌なぞ読んだこともないために、いくらか冷静さを保っていた久美ちゃんが校内入場許可証を発行する事務を請け負った。

「先生は何でも凄い独特の占いをされるとか!」一子ちゃんは感動に身を震わせていた。「ええと、シャーマン占い!」

「そうね、占う相手の背後霊とかに直接聞くのよ。」

「すごいですねえ、背後霊!」

「そう、だからね、普通の占いとは、ちょーっと違うの。普通の占いじゃあ、例えば恋愛の相性を見て、相性が悪ければそれで終わり、じゃん。でもアタシのはさ、相性悪くても、背後霊の尻を叩いて頑張らせて、恋を成就させることができる場合もあるんだ。そこがちょっとばかり、他の占いよりも高級なところかな?」

「絶対に占いの館に伺います!」

「ありがと、待ってるわ。」

沙希さんは、久美ちゃんから許可証を受け取ると、投げキッスをしながら出ていった。

 それと行き違いに、実行委員会の会議に出ていた幸美さんが戻ってきた。一子ちゃんと久美ちゃんは、声を揃えて、おかえりなさあい、とお行儀よく言った。だが、いつもならただいま帰りましたアと明るく応じるはずの幸美さんは、ふうっと深いため息をついて、椅子に腰を下ろした。

「どうしたの?」久美ちゃんが尋ねる。

「それがバカバカしいったらないのよ。今日の会議でね、藤原くんがとんでもないことを言い出したの。」

「エッ、藤原くん、会議に出てたの?」しまった、今日はいくら忙しくても会議に出るべきだったと心の中で後悔しつつ、久美ちゃんは先を促した。

「そう、今まで一度も会議に出たことないくせに。それがね、いきなり「各チームで成績を競わせよう」って言い出したのよ。喫茶店とか物を売るお店を出し物にしているクラスや部の中で、どこの売り上げがトップか競わせる、優勝したクラスか部には、生徒会から賞金を出すって言ってね。」

「なんじゃ、そりゃ。」一子ちゃんは顏をしかめた。

「その代わり、各店の売り上げの10%は生徒会を通じて赤十字とかユニセフに寄付するっていうの。優勝賞金は三十万円。」

「三十万!それでそう決まったの?」

「ええ、部員の動員力に自信のある体育会系クラブが賛成に回ってね。チャリティーを持ち出されるとみんな反対しにくかったし。」

「で、例によって、賞金三十万円は藤原のポケットマネーか。チクショウ、来たる生徒会選挙を視野に入れて早くも金をバラまき始めやがったな。」

ところが、ここで満面笑顔の久美ちゃんが入って来た。

「もしもし、そうではありませんよ。」

「なによ、久美すけ。」

「それは、チャリティーの額を増やそうという、藤原くんの深い深い志なのよ。良い心なの、慈善の心なの、分かる?」

「それならいいんだけれどね・・・」幸美さんは敢えて反論せずに、頬杖をついて遠い目で窓の外を見た。「まさか加藤くんまでが賛成に回るとは思わなかったなあ・・・」

「へえ、加藤も賛成したの?」一子ちゃんは「加藤」という固有名詞に鋭く反応した。

「そうなの。最初は反対していたんだけれど、藤原くんに「勝負を逃げるのかい?」って挑発されて。彼ったら、勝負を挑まれるとつい熱くなっちゃうのよ。売られた喧嘩は必ず買うって言い出して。」

「バッカでー。」久美ちゃんはあっさりと笑った。この無神経さに一子ちゃんは思わず小さな悲鳴を心の中で上げた。

「・・・久美ちゃん、どうして加藤くんがバカなの。」幸美さんが、視線を外の世界から久美ちゃんに振り下ろした。その中に潜む常ならぬ迫力に気付いた一子ちゃんは身震いしたが、暢気な久美ちゃんは暢気に答えてしまった。

「だってさ、藤原くんに勝負を挑んで、加藤が勝てるわけ、ないじゃない。」

ひイイと叫びながら、一子ちゃんは久美ちゃんに背後から組みついた。だが幸美さんは怒ることなく、むしろ諦めたようにため息をついた。

「そうなのよ。勝ち目は少ないの。だって、藤原くんは強力な助っ人を呼んだんだもの。」

「アッ、火渡沙希・・・」

「そう。今人気急上昇中の占い師さんでね、今日発売の占い雑誌にウチの高校で出張占いしますっていう記事が載っていたそうで、既に問い合わせが殺到しているそうなの。」

「そうか、2年4組は藤原のクラスだね。」

「そう、ほぼ間違いなく2年4組の優勝ね。だいたい、一杯50円くらいのコーヒーと一件千円以上の占いの見料じゃ単価からして違い過ぎるわ。」

「そうか・・・くそう、藤原め。ここで自分が優勝して、またもや自分の優位を誇示する気なんだな。」

と文句を言ったところで、一子ちゃんにも幸美さんにもどうしようもない。二人揃って、ああと言ったところで、しかし強力なる助っ人が突然現れた。

「分かった、私も戦おう!」

叫んだのは久美ちゃんだった。

「恋は戦い、なのよ。だから、私も全力で藤原くんと戦う。そして彼は私と戦う中で、私の真の姿を身近に知ることになるの。そう、激しい戦いの炎の中から、二人の愛は育まれるの!」

そう来たか、と一子ちゃんは苦笑いを浮かべた。幸美さんは目をパチクリさせながら、問うた。

「でも、あっちには火渡沙希さんがいるのよ。どうやって・・・」

しかし久美ちゃんはなぜか自信満々にムフフと笑いながら胸を叩いてみせた。

「我に秘策あり!」


  10 燃えよ、シャーマン!


「ナンバー10、よく来てくれた。」ナンバー1は椅子を勧めながら言った。だが、ナンバー10の火渡沙希さんは座ろうとはせずに、目敏く見つけた海苔センベイの袋をひっつかむと、早速一枚ばりばりとかじり始めた。

「相変わらずの食欲だねえ。」

「ほれほろれもにゃいはほ(それほどでもないわよ)。」口一杯にせんべいをほうばったまま、沙希さんはようやく腰を下ろした。

「最近は商売の方も繁盛しているそうじゃないか。」

「ようやくね。」ペロリと舌先をなめて、沙希さんは言った。「ここまで来るのは大変だったわ。東京に出てから丸一年、ハンバーガー屋の店員を振り出しにコツコツと元手を貯めて、警官と追いかけっこの辻占いからようやく賃貸マンションの一室で開業できるまでになったんだから、繁盛してくれないと困るのよ。」

「そうだね。僕も君の成功を心から祈っているよ。今度の学園祭はいいキッカケになるだろう。」

「挨拶はこのくらいにして、さっそくお仕事の話。契約では、売上の85%が私の取り分、これでいいんだよね。」

「もちろんさ。宣伝はこちらに任せてくれ。既にネット上にも大々的に情報は流したし、女性向雑誌三誌に君の記事を掲載させたよ。それと、これは僕からの一時金だ。」ナンバー1はすっと封筒を差し出した。ナンバー10の沙希さんは遠慮なく頂くとその場で封を切って、ひいふうみいと万札の数を数え始めた。

「十万ね。ま、こんなところかな。後は自分の腕で稼ぐとするわ。」

「稼ぐのはいいがね、ここに君を呼んだ理由は分かっているんだろうね。」

「心配しなさんな。ちゃんと聞いているからさ。女の子の恋愛を一つ二つブチ壊してやりゃあ、いいんでしょ。私にかかればそんなこと、簡単のカンコちゃんよ。」

「どうやってやる?」

「魔術でチョチョイ、とね」

「なるほど、なかなか興味深いね。」

「そのお嬢ちゃん方を寄越してくれれば、すぐに捻り倒してあげるわよ。とにかく学園祭では稼がせてもらうわ。」

そう言うと沙希さんはどれ行きますかと立ち上がって、得意の投げキッスを三発もナンバー1に浴びせ掛けて、鼻歌を唄いながら出て行った。

「相変わらず下品な女ですね。」隣の部屋に隠れてやり取りを聞いていたナンバー9がそう言って部屋に入って来た。

「まあ、そう言うな。彼女は苦労人だからね。多少のことは仕方ない。」

「しかしナンバー1はあの女のことをどうしてそこまで買っていらっしゃるのですか。正直言って、僕らとは違い過ぎると思いますが。」

「ふふ、彼女は超自然の力を身に付けているからね。まあ、権力を得てそれを維持していくには、超自然も味方に付けなくてはならないのさ。」

「そういうものでしょうか。」

納得しないナンバー9に、ナンバー1は一枚のメモを見せつけた。

「隣で聞いてるナンバー9さん、お久し振り!」

そうして、沙希さんが書き残したメモに呆気に取られているナンバー9の顏を見て、腹を抱えて笑い出した。


 学園祭は始まった。お天気にも恵まれて人出は順調だった。それどころか、ネットや雑誌で宣伝などしたものだから、人がどっと押し寄せた。おかげでどのイベントもおおむね盛況だ。そうした中で、一番の盛況はやはり2年4組の占いの館で、女の子の行列で入場一時間待ちだった。しかし、ぶっちぎりの勝利ではない。久美ちゃん達のクラスの2年3組も好調で追い上げていた。それは久美ちゃんの秘策その1、「客寄せ子猫」作戦のお蔭だった。つまり、久美ちゃんの愛猫であるクマスケを教室の入り口に置いたのだが、これが最近覚えた秘技「生きている招き猫」をするのである。早い話が、左の前足を挙げてちょいちょいとお客さんを招くのだ。これが、異様に当たった。女の子もおばさんもお婆さんも、みんな目を見張って3組のお茶屋さんに入ってきた。そして秘策その2「にゃんころ餅」が大当たり。これはただのアンコロ餅なのだが、お茶付きで二百円で飛ぶように売れた。という訳で単価は一人千円以上と高いが時間が一人五分以上掛かる占いに対して、単価は安いが数で勝負のお茶屋もいい勝負になっているのだ。

 お昼すぎの集計の段階で、やや3組のリードとなった。これを知らされた火渡沙希さんは、憤激した。3組に負けたことが悔しいのではなく、自分と同じ場で自分よりも稼いでいる連中がいるという事実が、単純に彼女の商魂に火を点けたのだ。3組のみんなは売上でリードしていると知って、歓声を上げた。そうしてこのまま突っ走ろうと気勢を上げ、看板猫のクマスケもにゃんにゃんと合いの手を入れた。

 だが勝負の行方は突然暗転した。午後も二時近くなった頃に、占いの館に予約と称して立派な仕立ての紺のスーツ姿の紳士が二人現れた。そうして、自分の会社の経営方針について占って欲しいと言ってきたのだ。火渡沙希先生は目を丸くした。会社の事業運営に関する占いは、数ある占いの中でも最も料金が高い部類で、沙希先生のところでは一件五万円もする。これは沙希さんのところは恋愛相談ばかりで会社絡みの占いなんて全く無いことから半分ヤケで付けた目茶苦茶な相場なのだが、それが今日に限って二件も立て続けに来たのだ。あまりの嬉しさに沙希さんは、八百万の神々に感謝し、ほっぺをつねって夢ではないことを確認したほどだった。

 勝負はほぼ決した。十万円の差は、二百円のにゃんころ餅500杯分である。とても夕方までの二時間ちょっとで詰められる金額ではない。3組のみんなは敗北を覚悟し、意気消沈した。だが、一人、叫びを上げる人がいた。それは他ならぬ久美ちゃんだった。

「ずるい、汚い、そんなのない!」そう吠えるや、久美ちゃんは隣の4組の教室に突進した。その後を慌てて、一子ちゃんと幸美さんと、忠義の子猫のクマスケが追っていった。


「たのもーう!」久美ちゃんは4組の教室に向かって、あらん限りの声で呼ばわった。すると魔法のように扉が開いた。そして目の前に、大きな黒い革張りの椅子に悠然と座る、あの火渡沙希さんが現れた。

「来たね、お嬢ちゃん。待っていたよ。」

「ずるいぞー!」久美ちゃんは両手を振り回して叫んだ。

「なにが?」しかし沙希さんは澄まして答える。

「なにがって、あんな社長さんばっかり二人も連れてきて、反則だよ!正々堂々と勝負しろ!」

「甘い、甘い!ショートケーキに砂糖振りかけて、その上からお汁粉を垂らしたくらい甘いわね!いい、此の世は勝った者の勝ちなの、分かる?だいたい、社長さんが来てはダメっていうルールはどこにあるの?悔しけりゃ、アンタも社長を連れてきな!」

「ううう、うるさーい!」

「うるさいのは、アンタの方よ。でも、ちょうどいい。稼ぎの方も一段落して、こっちからお邪魔してブチのめしてやろうと思っていたところだから。」

「え?」

「聞いたよ、あんた、藤原に惚れているんだって?」

「そ、そうだよ!好きだよ、それがどうしたの!」

「ははーん、よおし、それじゃあ、この火渡流降霊術十三代目、火渡沙希サマがアンタの恋とやらを今この場で消し去ってやろうじゃないの。」

「え、え、どういうこと?」

「どういうもこういうも、とにかくそういうこと。アタシの秘術に掛かったアンタは、もう藤原のことは好きでも何でもなくなるの。恋心なぞ、きれいサッパリ跡形も無くなるのよ。」

「そ、そんなこと、ないもん!」言いながらも、久美ちゃんは既に気圧され始めていた。なにしろ長い黒髪をざざざと振り乱した沙希さんが、印を結んでなにやら妖しい呪文を唱え始めたのだ。その迫力たるや、尋常ではない。

「そうら、吹けよ風、呼べよ嵐!」ぶんちゃぶんちゃどんがらどんがらと、不気味な音楽まで流れ出してきた。

 気が付くと久美ちゃんは既に体が動かなかった。久美ちゃんばかりじゃない。付き添いの一子ちゃんや幸美さんまで体が硬直して動かないらしい。

「ふっふっふ、これぞ火渡流金縛りの術よ。さあ、これでもうアンタ達は動けない。これからゆっくりと恋心を奪ってやる。」そう言って、火渡沙希さんはこれまでのやり取りを見守っていた多くの野次馬達の方に向き直った。

「みなさーん、これから世紀のスペクタクル、地上最大のショウが始まりまーす!さあて、取出だしたるは、この娘、鬼首久美が恋している藤原京也くんの写真!これからアアラ不思議、私の秘術で彼女は愛する藤原くんの写真を足蹴にしまーす!さあさ、お代は見てのお帰りだ!」

口上を一通り申し上げて、取り巻く観客達に深々と頭を下げた火渡沙希は凶暴な笑みでもって久美ちゃんに対した。そうして、両の手の平を彼女の目の前で大きく広げ、久美ちゃんの視野を奪ってしまった。

 藤原、藤原、藤原、と唱え続ける。その言葉が直接に久美ちゃんの頭の中に飛び込んできて、ふじわらふじわらふじわらと共鳴し始める。ふじわらふじわらふじわらふじわらふじわらわらわらわらわら・・・いつの間にか頭の中は藤原で一杯になってパンクしそうになる。

(よおし、首尾は上々だ!)虚ろになっていく久美ちゃんの目を見て、沙希さんは思わず心の内で叫んだ。(思った通りだ。これぞ我が秘策、「いくら惚れていても年中一緒じゃ厭きちまう」の策よ。惚れた相手の名前を言霊に使って、あたかもうじゃうじゃ無数に無限にまとわりつくかのようなイメージを作り出す。これでうんざりした女は必ず相手の写真を足蹴にする!へへ、周りのお客も半分私の術に掛かって、うっとりして見入っている。これでおひねりもたんと貰えて・・・)

火渡沙希サンは最後の気合を込めた。そうして久美ちゃんの足がゆっくりと動いた。持ち上げられたその足は、やがて床に置かれた藤原くんの写真の上まで来て・・・久美ちゃんは必死に抵抗するが、体はその意に反して・・・観客も目を皿のようにして見つめて・・・

(勝った!)火渡沙希さんの心が叫んだ。

次の瞬間、しろくろのものがパッと久美ちゃんの肩に飛び乗った。それは久美ちゃんの愛猫、クマスケだった。クマスケはにゃおーと一声うなると、いきなり必殺の猫手刀を沙希さんの鼻の頭にお見舞いした。

「うぎゃああー!」沙希さんは此の世の終わりが来たかのような悲鳴を上げた。そうして術も何もほっぽり出して、どすんと尻餅をついてしまった。これで、秘術は解けた。久美ちゃんは体の力が抜けていくのが分かった。

 だがクマスケはまだ力を抜いていなかった。久美ちゃん達三人をかばうかの如く前に出て、フウーッとうなった。その様は、危ないご主人様を助けるために体を張って自分よりも遥かに大きな敵に立ち向かう子猫の姿の絵になった。途端に、観客は火渡沙希の術の凄さに感心するのを止めて、忠猫の美談に酔いしれることになってしまった。そうして、猫や頑張れ、悪の魔導師を倒せとの大合唱が起こり始めた。沙希さんは、今や猫にひっかかれて鼻は流血し、おまけに回りは全て敵に回った。

「こりゃ、ヤバイ!」叫ぶや沙希さんは、三十六計逃げるに如かず、と古い台詞を残して、電光石火の速さで窓から校庭へと逃げ去っていった。


「やあやあブラヴォー、たいしたものです。」そこでわざとらしく拍手しながら、あの藤原京也くんが現れた。

「また校内に入り込んだ妖しい奴を追い払いましたね。僕の出番はまたもやナシだ。」

久美ちゃんは久々で間近に見る藤原くんに舞い上がってしまった。それでもなんとかお話ししようとしたが、そんな彼女よりも先に、幸美さんが話し掛けてしまった。しかもこの上なく冷たい調子で。

「妖しいですって?君が連れてきた占い師さんでしょう。今日こそハッキリ言わせてもらいます。君、いったい、どういうつもりなの!」

「真田くん、誤解だよ、それは。僕もあんな人とは知らなかった。父の会社と契約している大手広告代理店の担当者が女性雑誌の記事から見つけてきただけで、僕は今の今まで顏を直に見たこともなかったんだから。」

「そんな言い訳が通用するとでも・・・」

「まあまあ、その話はまた後にしよう。今日は楽しい学園祭だよ。それにね、まだ売り上げ勝負は終わっていない。僕のクラスは占い師が逃げ出してしまって、もうこれ以上売上は伸びないけれど、しかし二位の君達3組とは今の時点で十万円も差がある。しかるに君のクラスはもう品切れらしいね。やはり、ここは僕の勝ちだね。」藤原京也くんはあくまでも紳士的に笑った。

 確かににゃんころ餅はおろか、コーヒーさえも売り切れ寸前だった。これほど売れるとは思っていなかったので仕入れが間に合わなかったのだ。品物がなければ、売上もない。久美ちゃんは、ここまでか、やっぱり藤原くんには敵わないのかと諦めかけた。

「ふふふのふ、この時を待っていたのだよ!」ところが不敵な笑みをまき散らし、突如一子ちゃんが一歩前へ踏み出した。その手には白い紙の箱がいつの間にか載せられていた。

「藤原、どうせアンタが汚い真似をすることは分かっていたからね、私も最終兵器を用意させてもらったのさ!」

そう叫ぶや、パッと箱の蓋を開けた。そこには小ぶりのショートケーキが入っていた。

「さあ、これだ!」ケーキを皆の前に掲げて、一子ちゃんは口上を述べ立てた。「さあさ、御立合い、このケーキはそんじょそこらのケーキじゃないよ。ここにおいでの生徒会副会長、真田幸美さんが心を込めて作った手作りのケーキだ!さあ、これに値段を付けてもらいましょう。3組お茶屋の最後の商品の、チャリティーオークションだ!さあ、いくらで買う?いくらで買う!」

ちょっとそんな話は聞いてないわ、と赤面した幸美さんが止める間もあらばこそ、回りの男子どもが一斉に手を挙げて値を付け始めた。そうして、アッという間にケーキのセリが始まってしまった。

「五百円!」

「千円!」

「千五百円!」

「二千円!」

「ええい、おんどれら、それでも男かい!女子高校生の手作りケーキだぞ!しかも皆のアイドルとの誉も高い、あの真田幸美ちゃんのケーキだぞ。気合入れて値を付けんかい!」

思うように上がらない値段に、一子ちゃんは怒鳴った。しかしそれでも二千二百円、二千三百円と百円玉の攻防戦となりつつあった。

「一万円。」いきなり値がハネ上がった。あの藤原京也くんが手を軽く挙げて、ニヤリと笑っていた。

「僕の大事な片腕の副会長のお手製の品だ。それがたったの二千いくらじゃあ、僕のプライドが許さない。」

さすがにこの値段に付いてこれる人はいないようで取り巻く学生や父兄などは、半ば呆れた目で見つめていた。藤原くんは皆の視線を集めて、フッと笑ってみせた。

「どうやら僕が落としたかな・・・」

「一万五千円!」

みんな、声の方を一斉に振り向いた。それは観客の後ろの方で手を挙げている、加藤くんだった。

「一万七千円。」藤原くんは横目で加藤くんを見やって静かに言った。

「一万八千円!」

「・・・君はお金に困っていると思っていたが、こんな金の遣い方をできるほど、お金持ちになったのかい?一万九千円。」

「・・・今日の同人誌や鉢植えの売り上げなんかでね。どうせ、みんなチャリティーに回すものだ。3組のみんなが頑張った分と合わせて寄付すればいい。二万円!」

「なるほど、そういうことか。最初から全額寄付するつもり、自分のポケットに入れるつもりはないか。二万五千円。」

「・・・二万八千円!」

「加藤くん、君の尊い志には感心するが、それに延々と付き合うほど僕も暇ではない。これで終わりだ。九万九千円!」

ウヘエー、という驚愕の声が上がった。この値は壮絶な高額ではあったが、しかし計算された値でもあった。すなわち、到底誰かが追随できる値段ではないが、4組と3組の売り上げ差の十万円には微妙に届かない。つまり藤原京也くんはこのセリにも勝ち、学園祭の売り上げ競争にも勝ち、ついでに精神的にも副会長と書記を打ち負かすことができるのだ。

「僕の勝ちだね。」勝利を宣して、藤原くんはゆっくりと右手を挙げた。自分の手作りケーキを大嫌いな男の手に委ねることになった幸美さんは、顏から血の気が退いていた。加藤くんも唇を噛みしめて、ただ黙っている。

「きたきたきた!」ここで一子ちゃんが頓狂な叫びで、はるか後ろを指差した。「最後の秘策が来た!」

けげんな顔で藤原京也くんが振り向いたのと、ほぼ同時だった。

「十万円!」

叫びながら、一人の紳士がなだれ込んできた。その人はたいそう高価なスーツに身を包んだ五十くらいの人で、真田幸美さんの「お父さん!」という声に迎えられた。これぞ一子ちゃんの最後の秘策、親バカ大作戦だった。実はこの前に幸美さんの家に遊びに行った時に、お父さんが娘の手作りケーキを食べられるなら死んでもかまわんと悲壮なことをおっしゃっていたのを覚えていて、ここを先途とお父さん爆弾を投入したのだった。

「ウチの娘の手作りケーキは誰にも渡さーん!」幸美さんのお父さんは外見の立派さに反して、きわめてストレートに娘への愛情を爆発させた。久美ちゃんはあまりの展開に、ただ呆然としていた。仕掛け人の一子ちゃんは、ニヤっとVサインを掲げて言った。

「どう、藤原、まだ続ける?」

「やめておこう。お父さんの御嬢さんに対する親子愛に水を差すほど、僕は野暮じゃないよ。」

「言っとくけど、売上勝負もこれで互角だからね。」

「いや、3組の勝ちだ。」加藤くんが百円玉を差し出して、女子の一人が持っていたポットの底に残っていたわずかなコーヒーをカップに注いだ。この瞬間に、百円差で3組の勝ちが決まった。

「いい勝負だったね。」藤原京也くんはニコリと笑ってみせ、どうもお騒がせしましたと言いながら、周りの人々にお愛想を振りまきつつ、人込みの中に消えていった。

「やったー、勝った!」

一子ちゃんの歓喜の叫びを引き金に、クラスの喜びは爆発した。そうして少し遅れてやってきた幸美さんのお母さんが持ってきてくれた差し入れのお菓子やサンドイッチがそこに加わって、そのまま祝勝会に突入してしまった。


 藤原くんが生徒会室に戻ってくると、あのナンバー9が待っていた。そうして学園祭の最中で大忙しなのにも関わらず、生徒会や実行委員の生徒を全て部屋から追い出して二人きりになった。

「ナンバー4、裏切ましたね。」

「バカな、ただの遊びさ。」

「そうでしょうか。遊びとは言っても、セリの対象となったのは、ナンバー8のものです。二人が共謀している可能性は十分にあります。」

「ありえんな。今の段階でナンバー4と8が組むなぞ。それが証拠に、ナンバー4は今回の敗因分析も書いてくれたよ。」

ナンバー9は薄い紙を一枚受け取った。そこにはこうあった。

「我、怪力乱神を語らず。呪術の類とは、明日も定かならぬ人間が、虚構の保証を求めてすがりつく幻想である。意味がない!」

顏を歪める9に、ナンバー1は笑って言った。「怪力乱神を語らず、か。これは孔子の言葉だね。確かにオカルトなぞ真面目に相手をする必要はないな。」

「これからどうされます。」

「君はどうしたい?」

「私はナンバー12と組んで、作戦の準備に掛かっています。準備が完了するまで今少し時間が必要ですが・・・」

「そうかい。では次はナンバー11にお願いしよう。学園祭で浮ついた校内の気分を引き締めるには、彼が適任だろうよ。」ナンバー1は椅子に身を委ねて、スマホを取った。そうしてどこぞに電話を掛けたのだが、電話で使われているのは日本語でも英語でもなく、どうやらフランス語らしくて傍らに立つナンバー9にも内容を聞き取ることはできなかった。

 電話はすぐに終わった。ナンバー1はなにやらメモに走り書きをして、立ち上がった。

「ちょっと、行ってくる。これから学園祭の打ち上げのキャンプファイアーがあるんだ。下らない行事だが、生徒会長選挙を控える身とあっては、顏くらい出しておかなくてはならないからね。」

「行ってらっしゃい。」9は丁寧に頭を下げた。そうして頭を上げる際に、チラと目を走らせメモを見た。そこには11ではなく、「13」という数字がはっきりと記されていた。


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