第5話
「私はもともと孤児院にいたの」
夜の街は、本当に生温かった。
季節がそういう季節なせい、ではないだろう。この時期、日本はもっと寒いはずだ。それなのに吹く風は人肌の温度で、コートを羽織っていることに違和感を覚えてしまうほどに、気温が高い。
顔が割れないように一応マスクをかけていたが、それも鬱陶しく、すぐ顎まで下してしまった。
「でも、長くはいなかった。私はみんなと違う目と運動神経を持ってたから、割と早く、養女にとってくれる人が現れた。私はそこの家の養女になった」
日本はいい街だ。こんなことを街中で話していても、特に見咎めたり、話に割ってきたりするような奴はいない。それが社会倫理的に良いか悪いかは微妙だが、聞いた人間は、どうせゲームの話か何かと思っているに違いない。他人の傷に無関心な社会というのは、それはそれで問題があるんだろうが、とりあえず今は都合がいい。
「その家は、街一番の裕福な家だった。屋敷みたいな家で、庭師や執事やメイドがいて、私は風呂付きの部屋さえ与えられた。それはそれで、幸せだった」
10円のチューインガムを噛みながら歩いていたユキは、「でも」とガムを膨らませて、割った。
「ある日、私に家庭教師がついた。そいつがヘドが出るような変態野郎だったの。親が見ていないところで、私を何回も殴ったり、犯したり、好き放題やった。今の私ならそんな男に簡単に好きにはされないけど、その時の私は、血の繋がらない両親に対して義理みたいな気持ちがあって、黙ってたの。私さえ黙っていれば、このまま平和に暮らせるんだって思ってた」
「よく聞く話だ」
「だよね」
ふふ、とユキが微笑む。
「でもね、ある日偶然知っちゃったの。父親が、家庭教師に乱暴されている私を、余すところなくビデオに撮っているってことを。そして、母親はそのことを黙認していた。そのビデオで父親が何をしていたかなんて、言うまでもないよね。証拠を取ってた……なんてわけがないし、現に、私は父親がそのビデオで自分の欲を満たしてるところをこの目で見た」
「うえ」
「目が腐り落ちなかったのが奇跡だよ」
パン、とまたガムが弾ける音が鳴る。
「だからね。私は包丁で全員殺したの。何もかも気持ち悪くて仕方がなかった。家の中に血が飛び散って、血だまりができるたびに、その気持ち悪いものが全部洗い流されていくような気がした。私の動体視力でなら、大の大人を相手にしても何にも難しいことなんてなかったよ。その時の私にはもう遠慮する理由もなかったし」
「それで、こっちの世界に仲間入りってわけか」
「そういうこと」
これが、私の秘密のお話。
ユキはそう言って話を締めると、ガムを紙に吐き出し、通りがかったコンビニのゴミ箱に放った。目の前の信号が赤に変わり、立ち止まると、ユキが嬉々とした表情でこちらを見てきた。
「さ、次はコウの番だよ!」
「えー。俺の話は……また今度でいいだろ?」
「はあ!? 何それ!? いいわけないでしょ!?」
背中を思い切り仕込み針の手袋で叩かれる。
「痛っ」
「痛いよ、嘘ついたら針千本だよ」
「わかったわかった。まあほらでも……この仕事が終わったらでいいだろ?」
「もったいつけてんの? ムカつくー」
「ムカつかないで」
目の前の信号が青に変わり、「ほらいくよ」と言ってごまかす。
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