09 さっき渡したあたしのスプーン、ぺろぺろ舐めた?

 その大型4WD車は、病院の近くの神社脇にとめられた。

「ここからは徒歩で行きましょう。境内を抜けると、ちょうど先回お伺いしたお宅の庭に出ますから」


 かすみはフェイカーの言葉に少し驚く。

 それはこの辺りの子供たちでもあまり知らない、秘密の抜け道だったからだ。


「まだあの壁は壊れたままなの?」

 かすみがかくれんぼをしていたのは、十年以上昔の話だが。


「かすみさんから話を聞いて確認しておきました、少々通り辛いですがなんとかなります」

 そんな話をしたかどうか……首を捻ったが。


 フェイカーが先に歩いて行くので、かすみは慌てて後を追う。


 移動中の打ち合わせでは、玄関前で警備中の警官に取材のふりをして話しかけ、十分後に隣のおばさんの家を訪ねる。

 そして庭先に置いてある絵を受け取り、堂々と歩いてこの車に絵を詰め込む。


 ――誘導と運び屋の役だ。

 これであたしも犯罪者になっちゃうのかな。


 不安と緊張で喉が渇き始めたが……


「ではかすみさんはあちらに回って、警察に声をかけてください」

 フェイカーは壊れた壁の穴を確認しながらそう言う。


 かすみはそれに頷くと、どうしても気になっていたことを聞いてみた。

「ねえ、なんでそんな恰好をしてるの?」


 シルクハットにタキシード。手には黒いステッキを持ち、顔の上半分はピエロのようなマスクで覆われている。


「怪盗らしいでしょう」

 笑う姿は、どう見ても場末の手品師だ。


「それにこの穴、自分なら何とか通れそうだけど大柄の男性では無理じゃないの?」

 かすみが心配してフェイカーを見ると。


「やはり大丈夫ですね」


 三メートル以上ある壁のてっぺんにジャンプして手を掛けると、ひらりと身をひるがえして飛び越えて行く。


「穴関係ないじゃん!」



 かすみは思いっきり突っ込んだが……

 フェイカーの気配は、もうどこにも存在しなかった。




 ¬ ¬ ¬




 かすみが叔父の家の玄関に着くと、太った若い男と年配の男の制服警官が二人、規制線の中に立っていた。

 取材のふりをして話しかけると。


「僕たちから、何か話すことはできないですから」

 太った若い警官が苦笑いするだけだったが。


 話し声に気付いたのか、建物の玄関が内側から開けられた。

「かすみ姉さん!」


 あらわれた八剱静香は、真昼に幽霊でも見たような表情だ。


「静香ちゃん、どうして」

 まだ病院にいると思っていたかすみが、そう問いかけると。


「お父さんの荷物を調べてて……それより、良かった。無事で」

 静香はかすみ近付き、今にも泣きそうな小さな声を出す。


 警官二人が不審そうにかすみを見たが。

 ――まず静香ちゃんに話を聞かなきゃ。


「何があったの、話してくれると嬉しい」

 かすみが震える静香の手を取ると……


 丸めた紙屑がかすみの頭にコトリと当たる。

 足元に落ちたそれを拾い上げ、家の窓を見上げると……チラリとピエロが笑っている姿が見えた。


『プランB、その娘を連れて隣の家から脱出しろ』


 ――そんなプラン、聞いてないけど。

 かすみはそのメッセージをポケットに詰め込み。


「とにかく、落ち着ける場所に行こう」

 強引に、隣の家に連れて行った。


 チャイムを鳴らすと、運よくおばさんが出てきたので。

「ごめんなさい、また庭から家を見せてもらっていい?」

 お願いすると。


「まあ、静香ちゃんまで! どうぞどうぞ上がってちょうだい」

 ニコニコしながら、通してくれた。


 あまりに人の好いおばさんの対応に、かすみの良心が痛む。

「もし何かあって、あたしたちが消えても心配しないで。……その、かくれんぼみたいなものだから」

 だから庭を通りながら、かすみはおばさんにそう言い残した。


「はいはい、かくれんぼね。気を付けて」

 その会話に、静香が首を捻ったが。


「おい、どうした!」「け、煙です……火事だー」

 警官の声が聞こえてくると、かすみはもう一度静香の手を強引に引っ張った。




 ¬ ¬ ¬




 大野が現場に着くと、家中の窓から煙が出ている。特に酷いのは殺人事件があったあの部屋だ。


「この匂いは……」

 先に到着していた亞里亞はそう言うとポケットから防塵マスクを取り出し、ひとつを大野に手渡す。


「消防通報と、周辺住人の非難誘導が先だろう!」

 突入しようとした亞里亞の肩を慌ててつかむと。


「大丈夫、燃えてないから。火災音がしないし、これは催涙ガスよ」

 亞里亞は振り返り。


「フェイカーの手口なの」

 そう言って、制止を振り切って煙の中に消えていった。


「跳ねっ返りが!」


 制服警官に簡単な事情説明と、念の為の避難誘導の指示を出すと。

 大野も防塵マスクをして後を追った。


 室内は煙が充満し、周囲を確認することは不可能だったが。

 耳を澄ますと亞里亞の言った通り、燃える音やそれに伴う崩壊音が聞こえてこない。


 姿勢を低くして煙を避け、殺人があった二階の部屋に向かうと……

 同じように姿勢を下げ、階段を上る亞里亞がいる。


「くそっ、縞パンか!」

 黒や紫の大人っぽいレースのパンツを想像していた大野は、小声でそう呟くと軽く舌打ちした。


 ふわっとしたひざ丈のワンピースを着ていた亞里亞の……

 腰を突き上げるような態勢から、形の良い大きなお尻とピンクと白の縞パンが良く見える。大人っぽい服装からは考えられないパンツに。


「いや、こんなところで萌えてる場合じゃねえ」

 大野は見入ってしまいそうな自分を、その強靭な精神力で何とか押しのけたら。


 亞里亞が振り返り、大野に向かってニコリと笑う。

 そして、機動隊で使われるハンドサインで『突撃準備』の指示を出してきた。


 階段を登り切った亞里亞は、微かに空いた殺人現場の反対側の部屋のドアに気付くと……迷うことなく肩で押し開け転がり込む。


 大野も懐の拳銃を取り出し、後に続くと。


「動かないで!」

 亞里亞は規則通り制止命令の後、天井に向かって威嚇射撃をし。そいつに銃を向けた。

 大野も銃を構えたが……


 南側に面したこちらの部屋には、大きな光取りの窓が存在し。

 全開にされたそこから風が吹き込んだおかげで、視界が確保でき。


 ――シルクハットにピエロの面をした、奇妙な男がはっきりと見えた。


「その絵を置いて、両手をあげて」


 亞里亞が大声で叫んだが。

 男は空いた片手を胸に当て、深くお辞儀をすると……優雅にマントをひるがえして、窓へ向かって跳躍する。


「待て!」


 大野と亞里亞が慌てて窓に駆け寄ると、隣の家の屋根までつながるロープにステッキをかけ、男はスルスルと移動して行った。


「もう!」

 亞里亞がロープに気付いて、窓の下に結ばれたそれをつかんだが。


「やめておけ、移動中にロープを切られたらケガじゃすまない」

 大野は亞里亞を抱き留めて阻止する。


 しばらく大野の腕の中で暴れたが、シルクハットの男が見えなくなると大人しくなり。


「ねえ、もういい加減手を放してよ」

 凄く嫌そうな顔で大野を見た。


「バカはしないか?」

「確かにバカだったわよ。あんなにフェイカーに接近できたのは初めてだったから、冷静さを失ってた」


 大野がため息をつくと。


「だから胸を揉んでることも、さっきパンツ覗いてたことも許してあげるから、早く手を放して!」

 亞里亞そう言って、ぷくりと頬を膨らます。


 大野はそれで、初めて自分が亞里亞の胸をわしづかみにしていたことに気付いた。

 妙に張りのある大きなそれから、ゆっくりと手を離すと。


 亞里亞は大野の赤くなった顔を覗き込み。


「ねえ、ひょっとして……さっき渡したあたしのスプーン、ぺろぺろ舐めた?」

 ぐふふふと、楽しそうに笑う。


「するか!」

 反論する大野に。


「そう? まあ、信じてあげましょう。おかげでバカなことしてケガをしなくて済んだし、頭も冷えてきたわ」

 亞里亞は、ロープの位置やピエロ男の消えた場所を再確認しながら、スマートフォンを取り出すと。


「じゃあ第二ラウンドと行きましょうか」

 地図アプリの上で点滅する信号を大野に見せた。


「何ですかこれは……」

 嫌な予感しかしなかったが。


「昨日あの絵の裏に張り付けておいた発信機よ。あたしまだこの辺り不案内だから、運転は任せたわ」


 その発信機、ちゃんと許可承認出してますかとか。発砲したから、まず報告しないと不味くないですかとか。言いたいことを全部飲み込んで。


「了解しました」



 大きく息を吸い込むと……

 大野は、とことん運の無い自分を呪った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る