第三十二話 『吊られた男の幸福論』



「ーーどう......して......?」




 波の音が聞こえた。


 聞こえてはいけないはずの波の音が。




「凄いぜあいつの〈能力〉はぁ......人を操れるなんてなぁ〜」




 いつもの俺ならば、パニックでウズの言った事など聞き逃していたかもしれないが、今の俺には視覚から入ってくる情報がなかった。そのせいか、彼の言っている事がはっきりと聞こえた。




「......〈能力〉......だって?」




「ああ、これがアーラの〈能力〉ーー対象の『意識』や『感覚』を操る事が出来る。それで君の『方向感覚』を弄った......と言っても、近くに彼がいないから、対象に下される命令は大雑把になるけど、それでも十分に強い!何より人を操れることがこんなに気持ちの良いことだったなんて......これがもっと自由に使えるなんて、彼はなんて幸せものなんだぁ〜」




 ウズが高らかに独り言を言っている中、俺は分からないことへの不安とこの先の絶望で頭がいっぱいだった。




「どういう......ことだ。何故お前がアーラの〈能力〉を使えるんだッ!!」




 この男の〈能力〉は「不死身」ーー決して死なないというもののはず。そして、これはアーラの〈能力〉と言っていた。それがどうして、今この状況で行われているんだ。


 この場所にアーラはいない。とすると、彼は遠隔で〈能力〉を使うことが出来るということなのか?


 いや、しかし、そんなことが出来るのなら、どうして今まで使ってこなかったんだ?この〈能力〉を......


 いつでも使えたというのなら、きっともっと早くに使っていたはず。そして人の「意識」や「感覚」を操るなんてデタラメな〈能力〉......使われていたなら、もうとっくに俺たちは負けていたはずだ。


 今までは「使ってこなかった」のではない。「使えなかった」のだ。


 こんな強大な力、何か限定的なトリガーがあるはず......それは何だ?




 俺は様々な可能性に考えを巡らせたが、答えは出なかった。




「君は今から死ぬんだよ。どうしてそんな事が気になるんだ。聞いて何になるんだ。死ねば何もかも終わる......つまり、すべての事から解放される。そんな些細な疑問なんて抱かずに済むというのに......」




「......」




 彼の言う通りだった。


 俺にもう為す術は無く、ただ死を受け入れる他なかった。


 しかし、どうしてか俺は、まだ諦めがつかなかった。




「ああ、分かっているよ。でも......じゃあ、最後に一つだけ聞くぐらいいいだろう?ーー俺はアンタに負けた。アンタの方が俺より格上だった。一枚上手だった。それが、どのようにして負けたか......気になるんだ」




 俺は一体何を言っているんだと思った。


 そんな事は聞いても仕方のない事だと分かっていたのに、まるで時間稼ぎでもしているように、彼に問いかけていた。




(時間稼ぎ?何の時間稼ぎだ......俺は何を待っているんだ......)




 自分でも分からなかった。


 ただ何となくそう思った。


 もしかしたら、そんな事が起こるのではないかと思った。




「僕が最後に行なった『ワイン』で作った水圧カッターの攻撃、あれにはアーラの『血液』が含まれていた」




「『血液』......?」




「ああ。アーラの〈能力〉は、自身の『血液』を相手の体内に送り込む事でそれの『意識』や『感覚』を操るというもの。そのために僕は彼の『血液』を自身の〈水魔法〉に含ませ、それで君の目を攻撃。その傷口からそれを行なった」




 ウズはあっさりとタネを説明すると、「もういいかい?」と言った。


 これは、「もう面倒臭いんで、君を殺してもいいかい?」という意味だろう。だが俺は、その質問にノーと答えた。






「......待ってくれ。一つだけと言ったが、もう一つ聞かせて欲しい。すまねえ......」




「?」




「俺がアンタに負けた理由は何だと思う?」




 俺がそう言うと、しばらく返事が返ってこなかった。


 しかし、少しの静寂の後、ウズの声が聞こえた。




「僕は君との勝負を楽しんでいたわけではないけどねぇ。ただ少しだけ優越感に浸ってもいいだろう。ーー僕よりも力の強い君が、この喧嘩で僕に負けた原因は、単純に『精神』の問題なんだよ」




「精神......だって?」




「ああ。全ては最初から決まっていたのかもしれない。君は僕を本気で殺すつもりではなかったんだからな。ーーでも、それは仕方のない事さ。君は人を殺した事なんてないだろうからね」




 ウズはそういった時、何故かとても悲しそうな声をしていた。




「......確かに人なんて殺した事はねえが、ただ真剣に戦っていた事は事実だ。アンタが手を抜いて勝てる相手じゃないって事は十分分かってる」




 何より、殺されそうになったんだ。本気で立ち向かわない理由はない。




「いや、違う。そうじゃない。『戦う』とか『勝てる』とか、そういう次元で話してるんじゃないんだよ」




「?」




「僕は君に『殺す気で来い』と言ったんだ。でも、それでも君からは殺気が感じられなかった......分かるんだ。これまで何人もそんな人間を見てきたから分かる。ーーそれじゃあ甘いんだよ。『こいつを絶対殺してやる』って、『どのようにしてこいつを殺すか』って、そう思わなきゃあ僕には勝てない」




「......俺の考えが甘いって、そう言ってるのか」




 つまり俺には「覚悟」がなかったと言う事だ。


 戦いに対する重みが俺と彼とでは違った。




「君は、『次に僕がどんな行動をしてくるのだろう』『どんな風にすればその攻撃を躱す事ができるだろう』と、そういう受け身の態勢しかとらなかった。一度優勢に立って、僕を殴りつけていた時も、君は本気で殴っていたつもりだったんだろうが、無意識に手加減をしているようだった。あのくらいじゃ人は死なない。君はずっと受け身だったんだ。もう自分の事なんか忘れて、相手だけを見つめて、その相手に『殺意』を抱かなくちゃ勝負には勝てない」




 こんな男の言っている事が全て本当の事のように聞こえる。


 自分の心の内側まで知られているようで怖かった。




「ーーどうしてアンタは、そんなにも純粋に『人を殺そう』なんて思えるんだ。どういう理由があってそんなことをする?」




 俺は聞いた。


 説得しようなどとは毛頭思っていないが、ただ単純に気になった。




 そして、ウズは言った。




「どうしてもこうしても、僕はその行為を『正しい』と思っているからそうしている。大抵の人は皆、僕の言っていることを理解しようともしないが、僕はそれでもいい。僕は、自分が『正しい』と思ったことをする」




 人を殺すことが正しいだなんて、やはりこの男は「狂っている」とその一瞬思ったが、聖堂で会った〈あの時〉のように、ただ考えることもなくこの男を否定することはなかった。




 少しの間この男と接して、ほんのわずかだが気づいたことがあった。それは、この男がもっぱら「日頃から何も考えない」ような人間ではないということ。


 ただ自分が楽しいからといって「殺人」を為し続けているような、例えるならば「切り裂きジャック」のような猟奇的殺人者には見えないのだ。


 「殺人」が「正義」であると盲信している点においては、やはり「狂人」と呼ぶに相応しいが、しかし、彼はアーラとは全く違う人種のような気がする。〈逆位置〉の〈アルカナ〉という点で一つの括りにはなるが、ただウズとアーラが完全な同類とも思えない。


 アーラは自身の「利害」を考え、殺人を行うか否かの判断をする。そして、そこにやや「趣味」のようなものも感じられた。人を殴ったりすることで、自身の気持ちがすっきりするのかもしれない。彼はそういう人間だと感じた。


 しかし、このウズという男はそこが他とは違う。


 人を殺めるということに一切の引け目も感じていない。




 ウズは悪びれる様子もなくこう言った。




「僕は『生』というものがどれほど残酷なものかを知っている。だから、人々をその状態から救ってあげるんだ。『死』という名の『幸福』がある世界へその人を導くんだ」




 ーー波の音が激しくなるのが分かった。


 少しずつ、近づいてきていた。






「だから、君ももう恐れることはない」




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