第三十一話 『恋人』

ーー薄暗い寒空の下。


 弓を持った男を星の光と月明かりが照らした。




「貴様......訳の分からねえ事言ってんじゃねえ!あいつが......あんな雑魚がッ!」




 ゼロは左腕を抱えながら、苦しそうな声で言った。




「......へへっ!そりゃあ驚くよなぁ......何たって、てめぇらが必死こいて探してるのは......あいつなんだからよぉ!!」




 今にも倒れそうな体を何とか支え、出せるだけの声を発した。


 先ほどまで余裕の表情だったアーラは態度を一変、急にあわあわとたじろぎ始めた。




「そんなわけがあるかッ!!マドカはそんな事一度も......ッ!何故そんな事が言える!?」




「これは俺の直感だがなぁ......自信を持って言えるぜ。あいつが、ーーあの星川希望ノゾミって男が、俺ら〈アルカナ〉の頂点に君臨する『救世主メシア』だ」




「!?」




 アーラは驚きつつもどこか疑った様子で聞き返す。




「し......信じられないねえ、そんな事。陽動作戦とは......男らしくねえなぁ.....ゼロ」




「あぁ、俺も百パーセントだとは言い切れねえ。だがよぉ......もし一パーセントでもその可能性があるんなら、てめぇはその可能性を捨てられないはずだ......」




 ゼロは思った。




(奴もこの可能性は十分に考えたはずだ。〈アルカナ〉でたった一人の選ばれし者ーー『救世主メシア』。これは、ユリウスやマドカが目指す〈王〉になるために欠かせないピースだ。奴らが血眼になって探しているピース。それを失おうものなら、マドカの目論見は破綻する......)




 これは後に明らかになる事であるが、彼はどうしてか、その仕組みを既に知っていた。


 マドカが口にしたーー〈王〉という存在。〈アルカナ〉が本来目指すべきもの。「栄光」であり「名声」であり〈アルカナ〉の「本質」。その目標に向かい、彼らは争う。


 〈王〉になるために必要な条件は、この戦争で勝ち残るだけではいけない。「力」だけでは圧倒的に足りない。その他を補うものの一つとして、『救世主メシア』がある。




 彼らは追い求め、奪い合うーーそのたった一つの欠片ピースを。




(アーラがその可能性を捨てたのは、誰だってそう思うだろうが、ノゾミの力があまりにも頼りないからだ。自分の〈能力〉も把握できていない。〈魔法〉も「武器」も扱えないし、この世界で生き抜く術を持っていない。そんな奴が選べれし者であるわけがない......と。しかし、それは早計ってもんだぜ。俺には分かる。あいつはまだ芽吹いていないだけなんだ)




 ゼロは問いかける。




「なぁ、分かるか?てめぇの考えは浅はかなんだよ......きっとマドカはそんな命令を下していないはずだぜ。あいつを殺せ......なんてな。ーーだが、本当に良いのか?このままだと、きっとあのウズとかいう野郎はやっちまうぜ......そして、後になって後悔するんだ。やめときゃあ良かったって」




「......ちっ......ちっくしょ......あぁ、うざったいぜテメェ......全っ然男らしくねぇ」




(どうやら賭けには勝ったか......こいつが馬鹿じゃなくて良かったぜ......)




 アーラは説得されたようだったが、ゼロに対しての警戒はまだやめなかった。


 彼は矢を放つ寸前のところまで目一杯に弓を引き、言った。




「確かに、テメェの言う事には一理ある。あんな雑魚でも〈アルカナ〉ってんなら可能性はある。だから、俺は急いで向かわなくちゃならねえが、テメェを痛ぶる時間はなくなったかもしれねえが......それでもテメェを生かしておく理由はどこにもねえぜ。テメェが言った事が正しいなら、テメェ自身は〈その可能性〉じゃねえって事だからな。あと、いつだったかマドカは言っていたぜ。テメェは明確な『敵』だってな」




(......まずい。何とかこの場を切り抜けねえと......)




 アーラの目が変わった。


 獲物を仕留める時の狩人の目になった。


 張り詰めた弓がギシギシと軋む音を立てている。




(このままじゃ殺される。何か......何でもいいから言い訳を並べるんだッ......!)






「おいッ!待て待て待て!!ーーストップだ。降参だ。何も殺さなくても良いだろう?」




 アーラは少しだけ腕の力を緩めた。




「何?テメェ......ここに来て助かろうとしているのか?ーーあれだけ俺らの事を攻撃してきて、自分が危なくなったら言い逃れようとしているのか?」




(くっ!ああ、てめぇの言う通りだぜ......何て男らしくない手段だ。こんな格好悪い事をするなら、いっそ死んでしまった方がマシだとさえ思える。ーーでも、そういうわけにはいかないんだぜ。こんなところで死ぬわけにはいかない。何をしてでもいい......あの目的を達成するまでは俺は絶対に死ねない!)




「アーラとか言ったか。今てめぇが行って、果たして一人でウズを説得できるのか?戦闘状態に入って、アドレナリンが出ちまっているあいつを、力づくで止める事が果たしててめぇにできるのか?」




「......」




「あいつのクレイジーさは十分に分かっている。あいつを止めるために、一人でも多く戦力はあった方がいい......違うか?」




 ゼロは僅かな時間でありったけの言い訳を並べた。


 すると、アーラは構えていた弓を下ろした。




「フッ!口が達者な奴だ。ーー良いだろう、命は取らないでおいてやる。そして、今からの同行も許可する......だがなァ!」




 アーラは今持っていた矢を矢筒に仕舞い、その矢筒から別の矢を取り出した。




「!?」




 そして、その矢を弓で引き、ゼロの脇腹の方へ向け放った。




「うぐゥッ!!」




 矢はアーラの狙った所に一寸の狂いもなく突き刺さり、ゼロの下半身を覆っていた土の塊は力を失ったようにサラサラと地面に落ちた。




「何をしやがるッ......」




 アーラは地面に伏せているゼロを見下ろして言った。




「命を取らないと言ったのは今だけだ。ウズを説得し、ノゾミを確保した後、テメェは用済みになる。そうしたら後でじっくりといたぶる。ーーそのためにテメェには『ロック』のようなものをかけた。俺と同行している間、ウズを説得しノゾミを捉えるまでの間、テメェは俺に向けていかなる攻撃もできない。そうなるよう俺がテメェの『意識』を支配した」




「......これが、てめぇの〈能力〉......か」




「いかにも、俺は六番目の大アルカナーー『恋人』のカード」






〔大アルカナ〈六番〉のカード『恋人』ーーこのカードは主に人間関係について解釈される事が多い。「恋愛」や「友愛」など様々な「愛」の形や「出会い」「別れ」などから発展して「幸運の到来」や逆位置では「チャンスを逃す」といった意味合いがある。意味する主な言葉は「恋愛」「友情」「選択」。逆位置では「失恋」「決別」「優柔不断」がある〕






「さっきの矢には俺の『血』が塗ってある。俺は自分の『血液』を相手の体内に送り込む事で、その対象の『意識』『感覚』を一時的に支配する事ができる。そうやって、俺は強制的に『恋愛』を発生させる事ができる」




「......『恋愛』?」




「そうさ。テメェは無意識のうちに俺に恋をしているんだ。だから、俺に『意識』や『感覚』すなわち『心』そのものを享受して欲しくなる。人は本当に好かれたい時、相手に自分の全てを預けたくなる。そうやって安心したくなるんだ。だからもう、テメェは俺に歯向かう事はできない。俺のこの〈能力〉に嵌ったら最後、全ては俺の思うがままだ」




 アーラは弓を仕舞い、後ろを振り返った。






「さあ早く来い。急所は外しておいた。走るくらいの体力はあるはずだ」




 そう言うと足早に馳けていった。




(そうだ。早くしないと......ノゾミが......)




 この時ゼロは、走る事は疎か、まともに動けるような体ではなかった。


 しかし、全身の痛みを必死に耐えた。


 すると、自然と体が動いた。




 アーラが動けと言ったから動いたのか、彼の強い精神がそうさせたのかは分からない。




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