第二十八話 『攻戦一方』


 モルダン地区ーー【マルタ】


 俺は、海岸近くの住宅街にいた。


 隣に見える広大な海は、つい先ほどとは裏腹に、ドス黒く不気味な雰囲気を漂わせている。




「チッ!まずったなぁ」




 ゼロの命令通り、ウズをやっつけるという理由でこの場所に来た俺は、現在が「真夜中」だという事を完全に忘れていた。


 ーーそう、ウズは隠れているのだ。




 街灯は全く無く、あるのは薄い月明りのみで、辺りは真っ暗と言っても良い程だ。


 人を探すというのには、少々不便な環境である。


 迷子を探すというのならそれほど難しくはないのかもしれないが、今回は残念ながらその逆だ。かくれんぼをしている時みたいに、相手は自分が見つけられないように必死に身を隠している。




 しかし、ウズを見つけられなければ、やっつける事は当然出来ない。


 まずは何が何でも彼を探し出すのが今の俺の課題である。




「っつってもなぁ......」




 手がかりが全くない訳ではなかった。というのも、ウズはアーラが俺たちを仕留めに来た時ですら、この辺りから移動する事はなかった。ゼロがこの辺りにいると言ったのも、勝手な想像ではなく、根拠のあるものだという事は俺にも分かる。


 ウズは「水」のある場所から、遠くへ離れる事は出来ない。彼の〈魔法〉の効果が及ぼされる範囲は限られているのだ。




 俺はマンホールにうっかり近づかないよう注意深く、海岸沿いを探した。しかしーー




「......駄目だ」




 ーー見つからない。


 先程、家屋に逃げ込めたのはどうやら偶然のようで、殆どの家には鍵が閉められていた。それもそのはず、近隣の住民が今の状況を知らない訳がない。皆、関わりたくないのは当然だ。


 だが、そうなると、隠れられそうな場所はもう「この建物」しかなかった。






「......」






 マドカ率いる〈アルカナ〉の組織ーーそのアジトとも呼べるこの建物。


 周りの建物と見た目はそれほど変わらないが、俺には分かる。この建物は、他と比べてオーラが丸っきり違う。


 はじめから、この場所にいる可能性が高いということは分かっていた。しかし、俺はその可能性には目を瞑りたかった。




「ここが一番安全だもんな......」




 ここから離れている隙に、マドカたち一向がもうすでに帰っているのかもしれない。この建物の中には、邪悪な精神を持った奴らが大勢いるのかもしれない。そんなネガティブな思考に陥って、ドアノブを握ったまま十秒程突っ立っていた。


 気を張り詰めていた俺も、その時だけは無防備だった。






 ーー「ドォンッッ!!!!」と何かが爆発するような音が後方から聞こえ、瞬時に振り向くと、そこには両手に大量の「水」を纏ったウズの姿があった。




(ーーッッ!!こいつッ!どこからッ!?)




 周りにいない事は確認した......つもりだった。


 マンホールの蓋が上空に吹っ飛ぶのが見え、彼がどこに隠れていたのかようやく分かる事になる。


 しかし、もう少し早くに気付くべきだったと、そう思う暇すらなかった。そんな後悔すらできずに、俺の人生はーー終わったのだと思った。






「ーーーー」






 目を塞ぎ顔を伏せていた俺には、何も分からなかった。


 目を開いて映った情景は、ウズの驚いた顔。


 ますます訳が分からない。




「......え?」




「......?」




 お互いにしばらく硬直した。




(ーー何だ......?何が......ウズは、攻撃を......やめたのか?)




 あまりに一瞬の出来事だったので、パニックになって、自分が死んだことにさえ気付いていないんじゃないかと思った。


 しかし、体は何不自由なく動かせるし、痛みだって全くない。


 それよりももっと不思議なのが、先程までウズの体の周りで生き物のように動いていた「水」が、今は地面に打ち水でもしたみたいに飛び散っている。


 ウズが〈魔法〉を解除したようにしか見えなかった。しかし、あれは完全に目の前の人を殺してやろうという、殺意の篭った眼差しだった。それを、一体何があって攻撃をやめることになったのかさっぱり分からない。




 ウズは俺以上に驚いた様子だった。




「......ッッ!あッ!何してんだ俺!」




 今は、何でそうなったんだとか、そんなことを思っても仕方がない。


 俺は訳も分からずただ闇雲にウズを殴った。




「うぉらッッ!!」




 「ガツンッ!!」と一撃。


 右頬に気持ち良いのがしっかり入った。




「うぐぅッ!!」




 ウズの歯が俺の手に当たって、こちらも歯を食いしばる程に痛かったが、相手もどうやら効いている。


 俺はすかさず殴りかかった。




「ンンゥゥ!!オラッ!!」




(こいつッ!弱いッ!思っていたよりも全然弱いぞッ!!)




 顔面やら腹やら、殴りやすいところを、ただひたすら殴った。


 時にはエルボーや蹴りも入れたり、下手をすれば、死んじゃうんじゃないかと思うくらいに殴った。




「ーーはぁ......はぁ......」




 息が切れて自分の手もかなり痛くなってきたところで攻撃を止めた。


 ウズは体が小さく、筋肉や脂肪なども殆ど付いていない。本当に骨と皮だけのような奴で、見た目通りに弱かった。


 これまでずっと隠れて、遠くから攻撃していたことにも納得がいく。




(......こいつ、本当に〈アルカナ〉なのか?変わった奴ではあったが、実はごく普通の一般人だったり......いや、一般的な男よりも遥かに軟弱だぜ......)




 目の前でぐったりしている彼を見て、そう思った......その時だったーー






「ーーだからさぁ......」




(!!)




 ウズは立ち上がった。


 俺は彼のその行動に驚きを隠せなかった。




「そんなんじゃあ何度やっても同じなんだってぇ......」




「......何でだよ。まだ起き上がることが......できるのか」




 骨の数本は確実に折った。小さな臓器であれば、何個も破裂しているに違いない。普通の人間なら、痛みで立ち上がることなんて到底できないはずなのに、彼は平気で立ち上がった。


 目的のために決して諦めないゼロのような、熱い意志を持っているという訳でもない。ウズは、それとは全く逆の、何事にもやる気のないような目をしている。


 それなのに、どうして立ち向かって来るのかが分からなかった。




 俺は体格も良い方ではないし、別段喧嘩が上手ということもない。しかし、肉弾戦では彼に絶対に負けないであろうという確信がある。それは誰が見ても明白なことであった。




「おい、聞いてんだよ。何で、そんなにもボロボロなのに、立ち向かって来るんだよ......今のお前じゃ俺に勝てない。近くに『水』もないし、お前は〈魔法〉を使えない!」




 俺は殴りかかっている時に、彼を突き飛ばしたりして、マンホールから遠くへ移動していた。


 奴に勝算はないはずだ。




「ーーこの前とは違うんだよぉ......」




「?」




「君にはもう興味がないんだ。今の君はもう、僕にとって邪魔なものでしかない」




「......どういうことだ......てめぇ、何を言ってる?」




「殺すかもしれないって言ってんだよぉ〜!これ以上僕の邪魔するんだったらなぁ〜!!」




 ウズはそう言うと、何の迷いもなく俺の方へ飛びかかって来た。




「ッッ!!」




(こいつッ!何を考えていやがるッ!?)




 あまりに意外な行動に驚いて、反射的に半歩下がったが、冷静に攻撃を繰り出すとーー




「ーーうぐぅぅッッ......!!」




 ウズはうめき声をあげた。


 俺は、彼の腹部を遠慮なく蹴った。




「ドスッ!」




 蹴った。




「ドスッッ!!」




 全体重を乗せて蹴った。




「ドゴォォッン!!!」




 先程と同様に、少しも反撃にあうことなく攻撃に成功。


 ウズは受け身もとらずに、そこにあったごみ捨て場に吹っ飛んでいった。




「はぁ......はぁ......」




(何なんだ一体......?こいつ、隠してた秘策か何かを使って来るのかと思いきや、さっきと全く同じだ......)




 動きは亀みたいに遅いし、力だって鼠より弱いんじゃないかと思うくらいに手応えがない。


 蹴られれば、素直に蹴られた分だけ吹き飛ぶし、顔や腹などの大事な箇所もノーガード。全く受け身をとらない。


 まるで五歳くらいの子供に暴力を振るっているみたいで心が痛む程だ。




「ここまで手応えがねえと、何だか申し訳なくなってくるぜぇ......」




 相手は自分を殺そうとしているというのに、こんな事を思うのは少々人が良すぎるのかもしれないが、生まれてこの方、これほどまでに人を殴った事はない。それも完全に一方的な攻撃なので、なおさらである。




(もう意識を失ってもおかしくない程殴った......というより、これ以上殴れば、こいつ本当に死んぢまうぜ)




 ゼロに協力はするつもりだが、人殺しにはなりたくない。できるなら、ここで諦めて降参するか、逃げ去って欲しいと願ったーー






「......嘘だろ......もういいだろ......もうこれ以上......」






 ーー目の前には血だらけのウズが立っていた。


 そして、彼は笑っていた。


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