第二十六話 『一つ目のヒント』
ーー五分は経っているか。
ゼロはそのくらい息をしていない。様子を見た所、そろそろ限界が近い。
そんな苦しむ様子を見て、まるで弄ぶように、なかなか止めを刺さないアーラ。
この男は性根が腐っていた。
「でぇ?出てきたところで、君は一体何をするんだァ?ーー放って置いたらこいつ、死んじまうぜぇ?」
楽しそうに話すアーラに、俺は怒りが隠せなかった。
(こうなったらヤケクソだ!やるしかねえ!)
「ウォオオオ!!!!」
雄叫びにしては少々控えめな声を上げ、俺は奴に目掛けて突進した。
顔面に掌底でも食らわせてやろうかと思っていたが、当然そんなに上手くは行かない。
「馬鹿めがァ!!」
彼の元までには、弓を引くのには十分なほどの間合いがあった。
アーラは勢い良く弓を引き、俺の頭目掛けて矢を放った。
そうーー
「頭だと思ったぜ!!おめぇが狙ってくんのはよぉ!!」
俺は間一髪のところで矢を躱した。
しかし、これは偶然ではない。
アーラは弓で攻撃してくる時、「頭」を必ず目掛けて矢を放つ。
これは必ずだ。そんな根拠があった。
一撃目、二撃目共に彼は「頭」を狙って射っている。狙い易い胴体ではなく、より的の小さい頭部ーーそれも、眉間にピタリと照準を合わせて。
つまり、彼は自分の弓の腕にかなりの自信がある。このような類の人間には、自分に絶対の自信があるが故のポリシーがある。三撃目も「頭」を狙ってくるだろうという確信が俺にはあった。
しかし、あの途轍もないスピード。目視してからでは反応できない。一種の賭けのようではあったが、今の俺には容易い賭けだ。
奴が弓を引いた瞬間、俺は踏ん張っていた右足で精一杯地面を蹴って左側に避けた。
「ーー何ッッ!?」
俺は、クラウチングスタートの時のような前傾姿勢で一気に前へ進んだ。
次の矢を引く間合いはもうない。
アーラは顔を引いて後方へ仰け反ると、無駄だと分かっていても反射的に右手を矢筒の方へやった。
「胴体がガラ空きだぜ!この間抜けがァッ!」
俺は人生で初めての膝蹴りを奴の腹部に食らわせた。
「ドスッ!」と鈍い音が鳴り、アーラは勢い良く唾を飛び散らせる。
「ーーがはッッ!!」
軽装なのも幸いしてか、かなり効いている。
アーラは腹を抱えて蹲るように倒れ込んだ。丁度、横隔膜の辺りに蹴りが入ったのか、息苦しそうに顔を伏せたままだ。
自分の意外な身体能力の高さに驚きつつも、俺はすかさずゼロの元へ駆け寄った。
(動けないのも一瞬だけだ!直に起き上がって反撃してくるッ!)
駆け寄ると、ゼロにはもう意識がなかった。
ウズの操る「水」によって壁に貼り付けられているゼロを、俺は必死に引き剥がそうとした。
するとーー
「うわっ!!」
「ドンッ!!」
俺とゼロは激しく地面に打ちつけられた。
「痛てぇ......って何だこれ!この「水」!!全然弱いぞ!!」
俺がゼロを引っ張ると、「水」は瞬時に飛び散り、いとも容易く壁から離す事ができた。
気付くと、彼の鼻口に執拗に纏わり付いていた「水」も何処かへ消えていた。
「ッ!?」
何が起こったのかまるで分からなかったが、俺はゼロを担いで一目散にその場から逃げた。
アーラは徐々に起き上がり、朦朧としながら矢を引いた。
「何......やってんだよウズ......ってぇ、待て貴様ァ!この野郎ッ!!」
あのような体勢で苦し紛れに放った矢は、当然まともに飛ぶ事はなく、俺の数センチ横を通り過ぎる。
建物の角を曲がり、全力で走った。人を一人抱えているとはいえ、あの状態で追いつかれる事はないだろうが、そう遠くない場所にウズが潜んでいるかもしれない。俺はしばらく走ったところで、人気のない民家に隠れた。
「ーーしかし、まずいな......」
ゼロは完全に意識を失っていた。
心臓も動いていない。当然、呼吸もしていない。
だが、まだそれほど長い時間は経っていないはずだ。
俺はゼロを肩から下ろし、仰向けに寝かせた。
(心肺蘇生ってやつか。人生で本当に使う時が来るなんてよぉ......)
訓練などでやった事はあるが、正直に言ってあまり鮮明には覚えていない。
「......あぁ、えーっとまずはぁ......」
[胸骨の圧迫]胸の真ん中を両手で押す。この時、肘は曲げない。押し込む深さは約五センチ。これを一分間に百回から百二十回のペースでやる。そして、それでも息を吹き返さない場合はーー
「ーーおいおい頼むぜぇ......」
[人工呼吸]口に息を吹きかける。胸の膨らむのが見える量を一秒間。これを二回やる。
「ーーーー」
(いや!駄目だ!今はそんな事考えてる場合じゃねえぜ!!こいつがちょっと不潔そうだとか、初めては女の子が良かったなとか、そんな事は考えちゃいけねえ......これはただの人工呼吸だ)
「これは仲間のためだ!うぉおおおおおおお!!」
そう自分に言い聞かせながら、気合いを入れた。
するとーー
「ゴホッ!くッ......ゴホッッ!!ゲッフンゲフンッ......はぁ......ってうわぁぁァァアアッッ!!」
「うわああああああ!!!!」
二人はお互いの顔の近さに驚いた。
そして危ない。もう少しで唇が重なるところだった。
ゼロは不安そうにこちらを見る。
「おい......まさか、おめぇさん......!!」
「落ち着け!!未遂だ!!」
慌てるゼロに執拗に言い聞かせた俺は、大声のあまり場所が気づかれてはいないかと窓から辺りを見回した。
辺りに誰もいない事を確認し、俺が一息ついた暇にゼロは事態を飲み込んだのか、早速本題に取り掛かった。
「ーー正直信じられねえが、一先ず窮地から脱したんだな?」
「ああ、俺も『奇跡』だと思ったよ。ーーでも、安心できるような状況じゃない」
「......そうだな。何せもう〈魔法〉を使っちまった。次の回復までに一日やり過ごすのは、恐らく不可能だ」
いよいよ後がなくなった。
もうすでに日没。マドカらが拠点に戻ってきてもおかしくない時間帯だ。
「あんまのんびりはしてらんねえぜ。ーーそして、俺は追われるのは好きじゃない。こちらから行く」
「......行くって、何か秘策でもあんのかよぉ?今闇雲に行ったって、また同じ目に合うだけだ!」
「おめぇさんよぉ......もっとポジティブに考えるんだぜ!さっき俺たちが、あの場所で死ななかったのは、逃げ切れたのはーーきっと、おめぇさんが『成長』しているからだ」
「『成長』......」
「そうだ。『成長』だ。しかし、まだだ。俺たちがあいつらを倒すためには、もっともっと『成長』が要る。おめぇさんが次の『ステップ』に行くしかないんだ」
彼の語彙力はちっとも成長しないが、しかし、伝えたい事はなんとなく分かる。
今の俺では、〈アルカナ〉一人分の強さに達していないのだ。この戦い、お互い「フェア」になるためには、俺が『成長』しなければならない。
「もっと具体的によぉ......俺は何をすれば良いんだ。どんな風に『成長』すれば良いんだよぉ?」
しかし、一概に『成長』と言われてもピンと来ない。
植物に「成長しろ!」と言うだけでは駄目だ。光と水が必要なように、俺にだって「ヒント」が必要だ。
「まずはなぁ......つまりは、そういうところだぜ。そうやって何でも俺に頼るところを改善した方が良い。今からは、俺とアーラ、おめぇさんとウズで戦う......一対一だ。そこでーー」
「ーー何ぃ!?一対一?俺がウズを倒すのか!?一人で?」
「おいおいまあ落ち着けって。最後まで話を聞けよぉ」
「何でだよ!そうなる理由を言ってくれよ。訳が分かんねえ......」
ゼロは溜息をこぼし「やれやれ」と言って、渋々質問に応じた。
「理由なんざ話したって時間の無駄だが......まあ、おめぇさんの納得のためか」
「ーー」
「それはだなぁ......俺がこの作戦を考えた理由は、率直に言って、俺たちの力がまだ『掛け算』になってないからだ」
(「掛け算」?またもや訳が分からん)
「対してあいつらの力は『掛け算』になっている。『一』掛ける『一』は『一』だけど......そういう事じゃなくって、取り敢えず『相乗効果』だよ。そういうのを生んでる。『足し算』じゃないんだ」
恐らく彼が言いたいのは、ウズやアーラはコンビとして相性が良いという事だ。
俺たちよりもお互いの事を分かっていて、「友情」や、そんなものよりももっと深い何かで繋がっているように見える。だから奴らは強い。故の余裕がある。
「だからってよぉ......何で俺がウズとなんだ?はっきり言って勝てるとも思えない」
「ーーそんなもん何となくだよ。何となく、そうした方が良いと思っただけだ」
「勘」というやつか。またしても根拠がない。
しかし、ゼロは自分の説明が完璧だと思ったのか、すぐさま話題を戻した。
「そして、そう戦う上でだ。俺はアーラをやっつける。必ずだ。そこは心配しなくていい。ーー問題はおめぇさんなんだよ」
「......」
(そんな事いちいち言わなくていいぜ......)
「さっき『具体的に』っつったかぁ?......そんじゃあなぁ、おめぇさんはこれから、俺の『命令』に従ってもらう。俺の三つの『命令』にだ。少しばかりのヒントをくれてやる」
(ーー何で「少しばかり」なんだ?)
「......何だよ?」
ゼロは人差し指をピンッと立てて言った。
「一つ目はーー『賢い』人間になる事だ」
「......『賢い』人間......」
「ああそうだ。しかし、『賢い』ってのは、勉強が出来るとか、色んなものを知ってるって事じゃねぇ。ーー自分で考える事が出来る人の事を言う。自分の力で考え、そして行動する者の事だ。さっき言ったのはそう言う事。人に頼ってばっかりは、自分の考える力を失う事に繋がる。そうなればきっとーー」
ゼロは真剣な表情で言った。
「奴らに勝つ事は出来ない。俺たちはここで死ぬ」
「ーー」
(これは本当だ......彼は真剣な表情をしている)
これは脅しではない。
彼は事実を言っているだけだ。
そして、彼は敢えて「答え」ではなく、「ヒント」を言った。
ーーそして、その「ヒント」を三つに絞った。
このような状況だからこそ、彼は多くを語らなかったーー
「いいか?ノゾミ......おめぇさんはウズと『一人』で戦うんだ!おめぇさん自身の力で奴に勝つんだ!そのためにおめぇさんは、これまでにした事のない程の『成長』をしなければならない」
簡単に言ってくれる......そう思った。
ーーしかし、何故か俺は、出来ないとは思わなかった。
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