第二十一話 『ざわつく胸中』


 ーー暗い部屋だというのに、その水晶は薄らと輝いていた。


 放たれているのは白く柔らかい光。


 完全な透明ではなく、スモークがかかった様な色。


 その光に当てられたノイルの顔は、一層不気味に微笑んだ。




「ひ、光ってるぞ!何したんだ。さっきまでただのガラス玉だったのに」




「これは何故か、わしにだけ反応する不思議な水晶じゃ」




 ノイルが手をかざすと、それに反応するように水晶は光った。


 予言が出来るというのは本当らしい。


 恐らくこの水晶を使って行なっているのだろう。


 これは、ただの水晶ではない。それは一目見ただけで容易に理解できた。




「〈能力〉って......アンタも〈アルカナ〉だったのか。まあ何となくそんな気はしてたが......いや、そうじゃなくて!何故だ。何故今、そんな事を言う?」




 〈アルカナ〉の〈能力〉というのは、易々と他人に教えるものではない。


 例えるなら、火中に身を投じる様な、それほど危険な行為である。


 それを俺に教えるという事は、つまり......




「お前さんを見て、わしにも踏ん切りがついたというか......もう、こんなところに身を隠しておられる場合ではなくなったらしい。ーーそれより、今回ばかりはわしの力が必要じゃ」




「つまり、それほどまでにマズい事態だって事か」




「うむ......わしが協力したとて不可避の事態かもしれぬ」




 俺は耳を疑った。






「協力!?協力ってまさか......俺とじゃねえよなぁ?」




「何を言っておる。お主以外誰がおる?」




 確かにその通りなのだが、しかし、そうだとしても意味が分からない。




「何!?アンタこそ何言ってんだ?俺がゼロを助けに行くだって?この前のことをもう忘れたのか!俺は言われる通りゼロに付いて行ったが、当然何もできなかった。むしろ、足手まといになったさ。それがまだ分からねえってのか!アンタらは俺に何か期待している様だが、それは間違いだ!俺には何もできない!」




 自分で言っていて途中で心が折れそうになったが、これは全て事実だ。


 〈アルカナ〉だと言われても、自分がどんな〈能力〉を持っているかも分からないし、運動神経も良い方ではない。


 そして、あの日から何かが変わった訳でもなく、ゼロの元へ行ったところで、今回もまた何もできないだろう。


 足手まといになるくらいなら行かない方がマシである。




「それはのぅ、お主が端っから諦めているからじゃ。お主は、『自分は何かが出来る』と思って行動をしておらん。この世に何もできない人間などおらぬ」




「俺に自信を持てって言ってんなら、それは無理な話だ。自信ってのは後から付いてくるもんだぜ。何かが出来て初めて自信がつくってもんだ」




 俺も人並みには「自信」というものを持っていた。


 しかし、それは過去の話だ。


 俺はこれまでの経験で、そんなものは自分に必要のないものだと判断してしまった。




「であれば、これがラストチャンスじゃ。お主にとっても、ゼロにとっても、勿論......わしにとってもな」




「......」




「これから行う挑戦は失敗できない。お主は、これで自信をつけるしかないんじゃ」




 後がないというのは本当だった。


 今起こっている〈アルカナ〉同士の争い。これが終決するまでは、またあの時のように命が狙われる危険性がある。一人でいる事はできない。


 ましてや、俺は今何の力もないただの一般人だ。いや、常人より遥かにか弱いだろう。


 そんな俺には、何としても真っ先に安全地帯を見つける必要があった。


 そして、マドカが信用ならない人物だと確信した今、残された選択肢は一つ。


 目の前のこの男と行動を共にする他はない。




「話を戻そう。ーー今お主がやるべき事はただ一つ。ゼロの救出じゃ。そして、それを行うためには、お主が『あの男』を叩きのめす必要がある」




「くっ......簡単に言ってくれるぜ。本当に出来ると思ってんのかよ......」




「ああ、思っている。見積もれば三割五分ほど、お主に勝機はある」




「三割五分か......」




 命をかけるにはやや低い確率だ。


 しかし、今の俺に選択の余地はない。




「そして、勿論分かっているとは思うが、わしは共に行く事はできぬ。このような老いぼれが付いて行ったとて話になるまいーーしかし、力を貸さんという訳でもない」




 ノイルは人差し指を立て、注意深く聞かすよう顔を近づけた。


 俺は緊張して唾を飲んだ。






「わしは協力できることは、この情報を提供するくらいじゃ。よく聞いておけ」




「......」




「男の名前は『ウズ』。ーー『吊るされた男』のカードーー」




 〔大アルカナ〈十二番〉のカード『吊るされた男』ーー行う事は全て逆効果になり、今は動くべきではないことを示唆するカード。意味する主な言葉は、「修行」「忍耐」「自己犠牲」〕




「......『吊るされた男』」




「このカードの最も注目するべき点は、『逆さ吊り』にされているというところ。罪を冒し、罰を受けている様子や、修行を行なっているようにも取れる。しかし、やはり悪い意味で捉えられる場合が多いかのう......いや、しかし、努力や妥協といった意味もあるから......」




 後半は、独り言のようで、はっきりと聞き取れなかったが、どうせ聞いていても理解できないような事を言っている事は確かに分かったので、特に聞こうともしなかった。


 しばらくぶつぶつ言っていると、唐突に彼は大きく目を見開いた。




「ーーそして、ここが最も重要。今しがた、奴の〈能力〉が視えた」




「何!?ホントか!?......一体、どんなものなんだ?その......ゼロを圧倒する〈能力〉ってのは」




 俺は息を飲んだ。




 ノイルは、小さく、しかし明瞭な声で言った。






「ーー『決して死なない』」




「え?」




「如何なる手段を使っても、殺す事はできない。火あぶりにしても、身を粉々にしても、決して死ぬ事はない。それが奴の〈能力〉じゃ」




 これは何ともまた、信じられないような事を言う。




「何!?死なないだって!?それはつまり......不死身って事か?」




「ああ、その通り。そして、この水晶で視えたことは真実。嘘は憑かない」




 その水晶の事を疑っている訳ではなかったが、しかし、受け入れたくはない事だった。


 ノイルは続けて話す。




「この『吊るされた男』のカードに描かれている男。そのモチーフは、北欧神話の神『オーディン』であると解釈される事が多い。ーー『オーディン』は、ルーン文字の秘密を得るため、ユグドラシルの木で首を吊った。そして、九日間吊られた末、偶然にもその縄が切れ、『オーディン』は命を落とさずに済んだと言う。ーーその逸話から、この『吊るされた男』は、表情が笑っているように見えることもあり、後に『死刑の失敗』とも解釈されるようになった。恐らく、そのウズという男の〈能力〉も、その逸話が具現化したものじゃろう......」




 俺が疑ったような顔をしていたためか、ノイルが丁寧に根拠もつけて話してくれた。


 しかし、今はこんなにのんびり聞いている暇もない。


 まさに刻一刻を争っている。




「いやぁもう、それは分かったけどよぉ。つまり何だ?それを俺に言って何になるんだ?俺の気持ち的には、今から倒そうとしている相手が『死なない』とか言われて若干モチベーション下がってんだけどよぉ......」




「死なないからといって、勝てないわけではない。ーーそして、これはつい先程視えたビジョン。ゼロにも伝えていない。お主が行って、教えるんじゃ」




「で?後は?」




 俺が聞くと、ノイルは首を傾げた。




「ーー?それだけじゃが」




「......え?」




「ゼロは今この事実を知らぬままいる。早く行って伝えるのじゃ」




 そう言うと、ノイルは要件は全て話したかのように黙った。




「はぁ!?それだけ!?なんかめちゃくちゃ強え武器とか、奴の弱点とかねえのかよぉ!?」




「何じゃと?そんなものあったらゼロに持たせているし、〈能力〉だって今しがた視えたばかりじゃ。それ以外は何も分からぬ。弱点はお主が見つけてくるんじゃ」




 何という無茶振り。


 俺が言うのも何だが、他人任せにもほどがある。


 しかし、「あの男」の〈能力〉が「不死身」というだけなら、ゼロが負ける理由が分からなかった。ましてや、殺されるなど想像がつかない。


 この老人の見間違いか、それとも、奴に殺されるという訳ではないのか......




 ノイルは「もう何もないぞ」と言わんばかりにこちらを見つめ、一切動かない。


 俺も同じように、考え事をしながら突っ立つ。




 しばらくして彼は「あぁ」と言って、何か分かったかのように手を叩いた。




「そうか。忘れておった。場所を伝えておらんかったわい」




(おいおいこのジジイ。マジにボケていやがる。ゼロが殺されるってビジョンも、老眼が進んでたせいで見間違えたんじゃねえのか?)




 今はそんなつもりで突っ立っていた訳ではないが、確かに場所を聞いていなかった。




「で?どこに行きゃいいんだよ」




 軽々しく聞いたことを後悔するような答えが、次の瞬間返ってきた。






「ゼロが向かったのは、モルダンの最南端【マルタ】という町じゃ」




「!?」




(マルタ!?その町って......まさか)




 その場所の名前を聞いた時、嫌な寒気がした。


 頭のどこかで、辻褄が合ったような感覚。


 しかし、それは良い感覚ではなかった。




「ーーと言っても、この世界に来たばかりのお主じゃ、道も分からんか......ーーそこの峠を超えて見下ろすと岬が見える、そこからーー」




「いや......」




 ノイルが行き道を教えようとしたが、俺はその話を断ち切った。






「その場所は、知ってる」

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