第十九話 『希望の行方』


 雨宿亭でお世話になってから今日で丁度一週間が経つ。


 仕事にもようやく慣れ始め、早朝に起きることも苦ではなくなってきた。




 「よし!」と気合いを入れ、仕事着に着替えた。


 姿見に映る自分を見て、案外様になってきたのではないかと自信を持つ。




(このまま平和に暮らしていけねえかなぁ)




 そんなことを思う。


 あの日以来、特に変わった出来事はなく、むしろ平和そのものであった。


 ミカ曰く、「軽く懲らしめた後だから、間髪入れず連日で襲われることはないだろう。しばらくは大丈夫だ」とのこと。外出も控えているせいか、そのミカの予想通り、一週間何事もなく過ごすことができている。


 しかし、その様に話すということは、この状態が長くは保たないということ。今日辺りが関の山だろう。


 そう思う様になってから、明日は大丈夫か、明後日は大丈夫かと、最近緊張して安眠できていない。それだけならまだしも、昨日はその変な緊張もあってか、襲われた時のことが夢に出てくる始末。


 十分な睡眠のためにもそろそろ真剣に考えなくてはならない。






 「おはようございます!」と元気良く挨拶しながら、下の階へ降りた。






「ああ、おはよう。ノゾミ。良く眠れたか?」




「あー、いや。あまり眠れませんでした......」




「そうか......」




 そう言ったロザさんは、何か思いついた様に手を叩く。






「そうだ!今日は休みにしよう」




「え?」




「休日だよ。ここのところ良く働いてくれてるしな。今日は気分転換に外でも歩いてくるといい」




「は、はあ......」




(あんまり外出はしたくないんだが......まあ、これからずっとビクビクして引き篭もるって訳にもいかねえか。休日って言っても、問題は何するかなんだよなぁ......)




 ーー考えた結果。




「ロザさん、じゃあ俺今日ちょっと遠くの方まで行ってきます」




「ああ、行ってきな。あの日の夜、何があったは知らないし、聞くつもりもないけど、君はまだ少し思い詰めた表情をしている。楽しみの一つや二つ見つけなきゃ、人生なんてつまらないものだぞ」




「はは、バレてましたか」




 どうやら気を遣われていたらしい。


 「いつまでも中途半端な気持ちじゃいられない」マドカのこの言葉がずっと心に残っていた。


 ゼロやマドカの思惑、自分の知らないところで何か事が着実に進んでいる。そんな予感に、あれからずっとそわそわしていた。


 そんな事を知っていながら何も行動を起こさないでいるというのは途轍もなく駄目な気がした。








 【エンテル】ーー『地獄の門』前。


 俺は呼吸を整えた。




「やっと着いた」




 今頼れる人と言ったら「あの人」しかいない。彼なら何か知っているかもしれない。


 そして、あわよくばゼロがいたら、あの時の事は謝ろう。色々と気が動転していたとはいえ、突然逃げ出すのはいけない、と今になって思う。




 しかし、いざとなると緊張する。


 ノイルには直接迷惑をかけた訳でもないが、何となく申し訳ない気持ちはあった。随分と格好悪い事をしたと思う。


 その事を彼はどの様に思っているのだろうか。


 ひょっとして軽蔑されているのではないか、口は聞いてもらえるのか。そんな感情が邪魔をして、俺はその扉をなかなか開ける事ができなかった......というよりーー




「普通こんな不気味な店、入る気になる方がどうかしてるぜ」




 恥ずかしい気持ちとか、不安とか、そんなもの以前に普通に入りたくない。


 冷静に考えれば、それが一番の原因だと分かった。


 そんな事を呟いたその時、「ガシャン!」と突然扉が開いた。




「うわぁあっっ!!」




「何しとるんじゃ、はよ入れ」




 中から出てきたのは、いかにもその店の主人だと言わんばかりの不気味な老人ーーノイルだった。


 彼はフードの奥の暗闇から両目だけを覗かせた。




「お、おう」




 俺は言われた通り中へ入った。






「何をしとるんじゃさっきから、ぼーっと突っ立ちおって。気が散ってならんわい」




「何で俺がいるって分かったんだ?」




「まあ仮にも占い師じゃからな。それくらいは分かる」




「あ、ああ......なるほど」




「そんな訳ないじゃろ。お主バカか」




 よぼよぼの爺さんに見事なまでのツッコミを入れられる。




(冗談が分かりづれえ......)




 ノイルはカウンター奥にある椅子に座った。




「お主がじきに来るだろうという事は、何となく分かっておった......で?要件は何じゃ?」




「お、おう......それもジョークか?」




「これは本当じゃ、半泣きになりながら逃げ帰って来る事は確信しておった」




「いや、泣いてねえよ!」




 ......ん、いや、似たようなもんか。




 俺はカウンター席に腰を落ち着かせ、本題へ入った。






「ノイルさん、アンタ『マドカ』って名前の人物は知ってるか?」




「ーー!」




 ノイルは驚いた様に一瞬瞳孔が開き、すぐさま無表情に戻った。


 ビンゴだ。


 日々〈アルカナ〉を探している彼が、マドカのことを知らない訳はない。何か繋がりがあることは勘付いていたが、よもや名前まで知っているほどとは思わなかった。


 マドカという男ーー彼の性格からして、名前を無暗に公表するなんてことはまずしないだろう。彼の名前を知っているのは、重要な関わりのある人間だということだ。




「ーー知ってるんだな」




「......」




「一週間程前、そいつと会ったんだ。そして、そいつの仲間の『ミカ』って奴に、通り魔に襲われたところを助けてもらった」




「......それがどうかしたのか」




「仲間にならないかと誘いを受けた。うちの組織に入らないか、って。でも、俺はどうしたらいいのか分からなくて、ここ一週間ずっと悩んでたんだ。ーー彼の事、何か知っているなら教えてくれないか?」




 そう言うと、ノイルは顔を顰めた。




「......なるほど、それでここへ来たという訳か」




「ああ」




「でも残念じゃが、詳しい事は教えられん。ーーお主もゼロから聞いておるじゃろう?わしは誰とも協力しない男だと......その男の事を話せば、少なからずわしに危険が及ぶ。お主は絶対に口を割らないと言えるのかね?わしがゼロと行動を共にしないのも、お主の様な考えと同じじゃ。あんな男と一緒にいたら、危険な目に遭うということは、『占い師』のわしでなくても簡単に分かることじゃ」




「でも、アンタはゼロに助言だってしてるじゃないか。それはアンタが優しい人間だからだ。身の危険を案じていながらも、ゼロの頼みをきっぱり断ってはいない。じゃなきゃ、ゼロがここを訪ねるはずはないぜ。ーーそこがあの男とは違う」




 薄々気付いていた。


 あの男と話してから、俺の「直感」は働いていた。




「今から話すのは、俺の憶測だ。間違っているかもしれない。だが、何となく分かるんだ」




 ノイルはじっと俺の眼を見た。






「マドカという男はきっと、〈逆位置〉の存在だ。俺は一度〈それ〉を目の当たりにしたから何となく分かる。彼はそういう眼をしていた。そして、彼はゼロの知り合いと言っていたが、それは昔の馴染みとか友人とか、そんな良い意味で言ったんじゃない。何故なら、ゼロは彼の存在を口にしなかった。マドカだって、ゼロの事を恐らく〈アルカナ〉だと知って、敢えて組織に入れていないということは、彼らは仲の良い関係じゃないという事だ。敵対していると言ってもいい。ーーそして、マドカは〈アルカナ〉による争いが今、起こっていると言っていた。これらのことが全部本当なら......」




 ゼロが「奴ら」の様な人々を〈逆位置〉と呼んでいる理由。


 ノイルが「中立」という言い回しで、一切の協力関係を築いていないと言いながら、ゼロに対しては明らかに前向きな姿勢を取っている理由。


 マドカが俺に、味方になるか敵になるかをしつこく聞いてきた訳もーー






「ーーこれはきっと〈正位置〉と〈逆位置〉の戦争だ......それが今起こってる」




 ノイルはまた一瞬驚いた素振りを見せ、そして笑った。




「ふふっ、お主ひょっとしたら、占い師のわしより『勘』が冴えとるんではないかのぉ......そこまで気付いていながら、何をわしに聞きに来たというんじゃ?」




 確信が欲しかったというのもある。


 しかし、それ以上にずっと気になっていた事があった。






「......分かるなら、これだけは教えて欲しい」






 怖かった。


 マドカの仲間に一瞬でもなろうかと思ったこと。


 聖堂で会った男が、俺には自ら近寄って来たのに、ゼロが来た途端逃げ出したこと。


 思い当たる節はたくさんあった。


 しかし、そのどれもが、信じたくはない事実だった。






「〈正位置〉と〈逆位置〉......一体俺は、どっちなんだ......?」

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