第十六話 『深い川は静かに流れる』
ーー部屋には俺を含めて四人の男がいた。
一人は、背中に大きな「翼」の生えた大柄な男性。
先程、「ミカ」と呼ばれていたか。その男は無口で、必要以上のことは話さない。
彼は部屋に入ると、そっと壁に背を向け、腕を組んだ。そこがその男の定位置らしい。
次に、俺が家に入るやいなや、いきなり怒鳴り立てた男性。「ヘンドリック」と呼ばれていた。
非常に短気で、物事には逐一突っ込むやや細かい性格。
彼はそこにあった一人掛けのソファーに座った。しかし、こだわりでもあるのだろうか。もう一度立つと、ソファーの位置をきちんと整え、「よし!」と言って座り直した。
そして、もう一人は車椅子の男性。
どうやら、先程「ミカ」という男が従っていた「命令」というのは、この男によるものだろう。
関西弁のような口調で一見優しそうな雰囲気をしているが、どこか悍ましいオーラを放っている。
しかし、何故ーー
「ーー何で俺の名前を知っている......?」
男は確かに「ノゾミ」と、そう俺の名前を呼んだ。
しかし、その男の言う通り「初めまして」である。
当然、俺はこのような男と面識などなかった。
俺が自分の名を名乗ったのは、ロザさんとゼロ、ノイルの三人である。そして、ハジメやペイジは、ゼロから聞いているかもしれないが、彼はこの内の誰かと知り合いなのだろうか。
「何でか?何でやろうなぁ......まあそんな細かいことはええやないか」
「いや、気になるだろ!ーーロザさんか!それともゼロの知り合いなのか?」
「ロザ?そんな奴は知らんけどーー」
男は車輪を動かし前へ出てくると、近くでこう言った。
「ーー『ゼロ』。そいつはよう知っとる......何せ今から話すんはそういう話やからなぁ」
(何?ゼロの知り合い?ーーまあ似たような感じではあるけど、こんな知り合いがいたとは......)
男は「まあとりあえず座りなさい」とソファーの方を差した。
俺は言われた通りそこへ座る。
「君にもそんな風に名乗っとったんかぁ......」
男は呆れたように頭を抱える。
「ゼロ」と言うのは偽名だ。
しかし、彼はあの時、その名前を咄嗟に考えたように見えた。
だが、そうではなかったらしい。この男にも同じように名乗っていたようだ。
「ゼロとはどういう関係なんだ?ーーそれに、何故俺をここに連れてきた?ゼロから言われたのか?」
「まあまあ、そう慌てんなや。急にこんな真似したんは悪かったけど、ちょっと落ち着け」
それもそうだ。
この状況、こんなに興奮していては、却って飲み込めないだろう。
俺は一度深呼吸をした。
「そうやなぁ。君に来てもらったのは他でもない。ーー君のためや」
「は?」
「君、さっき襲われたやろ?」
「あ、ああ」
俺は襲われた。
身に覚えは全くないが、俺は確かに刃物を持った男に殺されかけた。それも、恐らく計画的に。
それを、今そこの壁にもたれかかっている「ミカ」という男に助けられたのだ。
「そのことは知っとった。別にその襲ってきた奴と仲間ぁ言うわけやないけど、そうなることは分かっとんたんや。やから、ミカを遣わせた」
「何!?どういうことだ」
「〈アルカナ〉は一人ではおられんということや」
「!?」
(!?ーーこいつ〈アルカナ〉のことを知っているのか?)
ゼロの知り合いというのだから、それで聞いたのか。
しかし、ゼロはハジメやペイジの他に仲間はいないと言っていた。
それなのに、仲間というわけではないというのに、〈アルカナ〉のことをこの男へ言うだろうか。
(この男ももしかして......)
「〈アルカナ〉......なのか?ーーあなたも」
「......」
「答えてください!どうなんだ!」
男は少しの沈黙の後、口を開いた。
「それはなぁ......その問いに答えるかどうかは、君がぼくの質問に答えてからやぁ。それから決める」
「......質問?」
男は単刀直入に言った。
「君ぃ、ぼくらの仲間にならへんか?」
「え?」
「やからぁ、ぼくらと手を組まへんかと聞いてんねん」
「......仲間って、いきなり何言って......どういうことだ」
「別にいきなりやないやろう?さっきまでそういう話をしとった」
「?」
「君はさっき襲われた。ーーそれは君が〈アルカナ〉やからや。奴はそれを知っとったから君を殺そうとした」
(!?)
「何を言っているんだ?訳が分からない。奴は何故俺が〈アルカナ〉だと知っているんだ。それにあなたも!ーーそして、何故〈アルカナ〉だったら狙われるんだ?そもそも奴は一体何者なんだ!?何も分からない!」
立て続けに起こる意味不明の事態。
俺はそれを全く理解できなかった。
何故何もしていないのに殺されそうにならなければならない?
何故それに怯えて生活しなければならない?
こいつらは一体誰なのだ!?
この世界は何だ!?
ーー〈アルカナ〉とは一体何なんだ!?
ずっと前から俺の頭の中はパニックだった。
元々飲み込みの早い方ではなかったが、それにしてもこの世界は俺に対して厳しかった。
分からないことだらけだった。
それを、この男なら何か分かるのではないか、答えてくれるのではないかと期待した。
しかしーー
「やからそれは言われんて」
「ーー」
「そんな一気に言われても、ぼくにも知らんことかてあるし、それに知ってたとしても今の君には言われへん。ーー敵になるかもしれん奴に、何をおいそれと持ってる情報を渡さなあかん?ぼくはできるだけ危険を犯したくないんや」
「......それもそうだけど、お願いだ。頼むよぉ......もうこんなことは懲り懲りなんだ」
「ーーあかん」
「!?」
「聞きたいなら『はい』と言え。ぼくらと手を組むんか、組まんのか。どっちかはよ言うてくれ」
何とも高圧的な態度だった。
その男の態度に俺は少し腹を立てた。
「あのなぁ......あんたらと仲間になったら、それこそまたあんな危機に遭遇するかもしれないだろう!?また血を見ることになるかもしれない。また人が死ぬかもしれない。悲しい思いをするかもしれない!もうそんなのは嫌なんだよ!ーーそれが嫌だから!あんなこともうしたくないから、俺はこうやって逃げ出して来たんだ!!」
俺は怒鳴った。
自分でも何を言っているか分からなかった。
この男にそんなことを言っても何も変わらないのに、俺は思いの内を叫んだ。
すると、それを見かねてか、先程から黙ってソファーに座っていたヘンドリックが口を開く。
「ギャーギャーギャーギャーうるせえぇんだよぉ!ボケ!!」
「ーー!!」
彼の怒号の後には静寂が広がった。
その寂けさを感じ、俺は少し冷静になった。
「......すまねえ」
「いやええんや。無理もない」
彼はソファーから立ち上がって、俺の近くで忠告するように言った。
「俺様は騒々しいのが嫌いなんだ。テメェのように弱い男も嫌いだ。ーーだが、マドカが言うから仕方なくOKしたんだ。テメェのような男と手を組むことをなぁ!」
「......マドカ?」
ヘンドリックが「あ」と言って、手で口元を覆い、車椅子の男は額に手を当てる。
「おい......」
「あ、悪りぃ......」
「ぼくは危険を犯すのは嫌やと言ったやろう〜?リスクは最小限や。やから名前もあんまり教えたくないんや。ーー約束を守らん奴はぼく、あんまり好きやないで」
「すまねえって、ごめん!」
今までの雰囲気を見て読み取れるが、恐らくこの「マドカ」という男が、このグループの「ボス」のような立場なのだろう。
これまでのミカの態度といい、ヘンドリックの今の反応といい、どうにもこの男には頭が上がらないらしい。
一体この男は何者なんだ......?
「あのなぁ、ノゾミ君。仲間になる言うても、ほんまはそんな大層なもんとちゃうで?」
「?」
「ぼくらと手を組むことと、危険になることは同義やない。ーー言うたやろ?ぼくは危険が嫌いやと」
「あ、ああ」
「ぼくは不利益が嫌いや。誰でもそうかもしれんけど、ぼくは特に嫌い。やから、ぼくはそのリスクを最小限に減らしたい。当然君にも、無茶なことはさせへん。ーーどうや?」
仲間......
どこかで聞いた台詞だ。
俺は一度、「あいつ」とそうなって、そして逃げ出した。
俺では到底力になれなかったから。
「あいつ」のように勇気がなかったから。
だが、この男の言っていることは正しい。
〈アルカナ〉は一人で生きていくことはできない。
だから彼は協力しよう、と。
彼は頭が良い。それは見てて何となく感じたものだった。
よく考えて行動、発言しているようだし、全く隙を見せない。とても頼りになるような気がする。何より、そのような人間でなくては、このように慕われてはいないだろう。
「あなた達の仲間になれば、俺は『安全』だと。そう言っているのか?」
「そういうことや。君は何も心配いらん」
「安全」は大事だ。
この先、平和に暮らしていくためにも、「安全」な環境は必要だ。
そして、この人達は頼りになるだろう。それは今朝、襲われた時を思い返せば分かることだった。
ミカはとても強かった。
あんなに強い人間が純粋に慕っているのだから、このマドカという男も只者でないに違いない。
悪くない誘いだった。
でもーー
(分からない)
人生で最も重要なことは「賢い選択」だ。そして、それは「正しい」道を征くということ。
しかし、今の俺にはそれが分からなかった。
理屈では分かっているのに、この男を本当に信じて良いのか、何故か確証が持てなかった。
「悪い。ーーでも俺は、あなた達の仲間にはなれない」
熟慮しての答えだった。
いや、「選べなかった」というべきか。
深く考えたが、結論は出なかった。
「そうかぁ......無理かぁ」
「だが、一つ言わせてもらいたい。俺は、あなた達に敵対するつもりはない」
「......」
「仲間にはならないが、同時に敵になることもないと言っておく。だからーー」
「ん?」
「少しでいい。教えてもらうことはできないか?あなた達の知り得る情報を、話せる範囲でいいんだ。教えて欲しい」
この人達は、〈アルカナ〉のことを知っている。ーーこの世界の「謎」を。
それを少しでも知りたかった。
そうすれば、今日襲われた理由も分かるかもしれない。
中途半端な立場ではあるが、これが今の俺にできる最大の決断だった。
男は少し俯いて、しばらく検討した。
「......まあ、ええやろう。君は多分悪い人間やない。ーーそれに今、約束したからな。ぼくらの敵にはならへんと、ぼくらの行いに邪魔はせえへんと。なら、少しぐらいええやろう」
男は了承した。
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