第十五話 『雲泥万里』
男は勢い良く剣を振りかざす。
俺は目を閉じた。
(お終いだ)
ーー何もかも諦めかけた、その時。
「キーッン!」と鉄の交わる音が聞こえた。
(何だ......?)
恐る恐る目を開くと、そこには「翼」があった。
「!?」
背中に「翼」の生えた人物。それが男の攻撃を防いでいた。
(ーーペイジ?......じゃない。この大きさは)
よく見ると、目の前の「翼」は、ペイジのそれより遥かに大きく、相応に体格も大柄であった。
攻撃を防がれた男はその衝撃に一瞬よろめき、すぐさま後ろへ下がる。
「ッ!?ーー誰だテメェ......」
男も余程の事態に驚いたのだろう。これまでの飄々とした口調とは打って変わって、それは酷く慎重な口ぶりであった。
「......」
翼の生えた男は、その問いかけには一切応じず、まるでロボットのようにただ立ち尽くす。
「まあいいや。邪魔すんならお前も殺してやる!」
その態度に腹を立ててか、男はこれまでの勢いを取り戻し、二撃目を繰り出す。
「オラァ!!」
ーーしかし、その攻撃はまたしても防がれる。
「何ッ!?」
三撃、四撃、五撃......!
嵐のように激しく繰り出される怒涛の斬撃。
衝撃波が伝わってくるほどの威力に、俺の目では到底追う事のできない素早さだった。ところがーー
(嘘だろ......?)
その一切は、どれも容易く跳ね返されていた。
休む間も無く動き、攻撃を繰り出す男に対し、翼の男は、その場から一歩も動いてはいなかった。
(......何だ......こいつ!?)
二刀に対し一刀。
それも、恐らく両手剣であろう程の大きさの剣を片手で振るい、圧倒していた。
「何でだ!?クソッ!」
百は剣を振るったか。その辺りで、男の攻撃が止む。
「......はぁ......はぁ......ちくしょう。何もんだテメェ......」
ーースタミナ切れ。
男は地面に剣を突き、苦悶の表情を浮かべる。
一方、翼の男は、汗一つかいていない様子だった。
そしてーー、
「......その程度か」
彼はそう吐き捨てると、ようやく足を一歩前へ出す。
その一瞬、空気が変わった。
踏み出した足に体重をかけ、身を乗り出す。
いよいよ反撃開始か。と思ったその時、
「ヒィッ!」
先程まで地に膝をついていた男が、慌てて立ち直り、後方へ下がった。
「こ、降参だ!......俺の負けだ。もう何もしねえよ。ーーなぁに、ちょっとからかっただけさ。ハハッ!」
そう言うと、男は剣を鞘へ仕舞い、両手を上げた。
(何!?そんな言い逃れできるわけ......)
しかし、それを見た翼の男は、同じく剣を仕舞う。
(!?)
男は軽やかに身を翻すと、瞬く間に逃げていった。
「え!?何やってんだよ!何で剣を仕舞った!?」
俺が慌てて言うと、彼は冷静に答えた。
「......命令されていないからだ」
「は?」
「奴を殺せとは命令されていないからだ」
(は?何?命令?何言ってるんだこいつは)
「殺さなくても、捕まえて自警団とか近衛兵とか、なんかそういう場所に連れてくべきだろう!?」
「そのようなことも命令されていない。だからしない」
「それじゃあ俺が困るんだよ!あいつは俺を殺そうとしてたんだぜ?また襲われるかもしれない」
助けてもらった人に対し、このような態度で言うことではないかもしれないが、しかし、それほどまでに俺は必死だった。何せ殺されかけたのだから。
襲われた理由は分からなかったが、奴は確実に俺を狙っていた。
だが、一体何故だ?
目立って豪華な服装という訳でもないし、金品目当てではない。
鬱憤晴らしの殺人というのならば、あれほどしつこく追っては来ないだろう。
しかし、奴はこの俺を狙って襲ってきた。何か理由があって。
「いや、その心配はない」
「!?」
「恐らくもう君を襲っては来ないだろう」
「何?どうしてそんなことが言える?」
「......」
男は答えず、ただ「付いてこい」とだけ言うと、そそくさと行ってしまった。
俺は、言われた通り付いて行き......
ーー歩くこと一時間。
(やべぇよ......今日はやることがあるってのによぉ。ーーまた変な奴に絡まれちまったなぁ)
男は一切口を開かず、俺が付いてきているかだけを確認しながら、目的地まで淡々と歩いていた。
こんな奴に、まともに付いて行っている俺も大概だが、しかし、付いて行く他ない。
何故なら、先程の戦いを目の当たりにしたからである。
あんなデタラメな力の差を見せられて、果たしてこの男に逆らう者がいるだろうか。
(でも、もうそろそろ帰んねえとまずいよなぁ.....)
「あ、あのさぁ......俺もう帰んねえとーー」
その瞬間、男は急に足を止めた。
「ドンッ!」
突然立ち止まるので、俺は勢い良く男にぶつかる。
「ーーッ!......痛てて。おい、急に止まんなよ」
「着いた。ここだ」
「ーーえ?」
そこは、モルダンの南ーー「マルタ」という町に位置するごく普通の古民家だった。
市街からは随分外れているものの、それほど人の数は少なくない。
そんな町に軒を連ねている内の一角。まだ昼間だというのに、その家だけは薄暗く、かなり不気味だった。
「入れ」
「......お、おう」
男は扉を開いてすぐに「こっちだ」と言って、右手にある階段を上がった。
階段を上り、奥へ進む。
そして、突き当たりの一室に入ろうとしたその時ーー
「おうおうおうおうおう!!」
扉が突然開き、中から人が大声を上げて出てきた。
「おい!ミカ!おっせぇぞテメェ!何時間待たせんだよ!ボケ!」
「うるさいぞヘンドリック。まだ二時間も経っていない。それにアーラもまだ帰っていないだろう」
「あァ!?一時間四十四分三十二秒だ!十分に待ちくたびれたぜ!ボケ!ーーあとアイツは帰って来ねえ。放っとけあんな奴!」
盛大に怒鳴り立てた男は、「まあいい」と言って、こちらに顔を近づけた。
「それでぇ!?」
「!」
「ハハァ〜ン。こいつかぁ。弱そうだなぁ〜」
かなり強面で、一瞬体を引いたが、男の手が力強く俺の肩を掴んだ。
「何突っ立ってんだ。入れボケ」
強引に部屋へ放り込まれ、勢い良く躓く。
「ウォワァッッツッ!ーーってて......」
顔を上げると、そこには車椅子に乗った人物がいた。
その人物は、背を向けた状態から、ゆっくりと車椅子を回転させると、まじまじと俺を見た。
恐らく男性だろう。ーーしかし、彼はとても華奢な体つきで、髪も長く、後ろ姿であれば女性と見紛うほどの美形だった。
彼は、しばらくして言った。
「初めまして、ノゾミ君ーー」
暖かい声で話し、優しく微笑む。
それなのに、こちらに向ける眼差しはどこか冷たく感じた。
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