第十三話 『恐怖の果てに』
その言葉には狂気が感じられた。ーーそれは予期せぬ発言ではなかった。
しかし、改めて言葉の意味を理解すると、俺の震えは次第に最高潮に達した。
(......殺される)
これまでにない恐怖だった。これまでにない危機だった。俺は今まで、何の変哲もない平穏な日々を送っていたごく普通の高校生だったのだ。勿論、殺人現場に出くわしたこともない。
「......何故......ですか?何故そんなことを......」
別にそんなことは気にもならなかった。ただ、この場から去りたいーー今はその一心だった。
しかし、俺は勝手に口を開いていた。
「何故って、決まっているじゃないか。ーー彼を幸せにするためにさ」
(!?)
「幸せ?死ぬことが幸せだって!?そう言っているんですか!?」
俺はその男の一言に驚いて、つい声を荒げた。
(しまった!まずい......)
俺は完全に取り乱していた。
話をただ聞いていれば良かっただけなのに、その時の俺は普通ではなかった。
男は表情を変え、身を乗り出した。
「まただぁ。君もか、分かってない。全然分かってないなぁ〜」
男はさらに顔を近づけた。
「僕が『異常』だと......そう思ってはいないかい?ーーしかし、それは違うねぇ〜。『異常』なのは君の方なんだ。君がおかしいんだぁ」
男の威圧的な態度に少々仰け反る。
意味がないと分かっていたが、俺は問いかけた。
「......俺のどこが『異常』だって言うんですか」
「全てさぁ。君の価値観全てが間違っている。君はまだ気づいてないんだ。ーー今の状況が残酷だと」
(こいつ、さっきから何を言っている......?何も分からない......)
受け答えはかろうじて出来ている。
しかし、会話をしているというよりは、ただ話を聞かされているようだった。
それほどまでに、彼とは噛み合っていなかった。
すると、男は突然立ち上がった。
「君とは会話しても意味がないと感じたよ。そういう人種だ。だから、単刀直入にいかせてもらうよ。ーー君は、人を殺すことが出来るかい?」
「......え?」
突拍子もない質問に少し戸惑う。
しかし、俺は何も考えなかった。というより、彼のその態度は俺に考える暇を与えなかった。
「......いや、出来ない。それよりそんなこと、したくもないさ」
異常な質問に対して普通すぎる答え。
しかし、今は模範回答を述べるべきだと思った。平静を装い、気力を振り絞って答えた。
すると、男は深々と溜め息をつく。
「はぁ〜......そうじゃない。そんな気持ちの問題なんてどうでもいいんだ。ーー勇気があるとかないとか、そんな精神面の話をしてるんじゃなくてぇ......技術!技術の話をしてるんだよぉ〜僕はぁ!」
「......?」
(技術?何だ......こいつは何を言っている!?)
俺が少しの間黙っていると、男はどこからかナイフを取り出し、刃先を俺の顔に向けた。
「!!」
眉間にあと数ミリで触れる距離。
死を覚悟したその時だった。
男はナイフを引き、刃の部分に手を添える。
「いいからさぁ〜。したいしたくないとかぁ、そんなちっぽけなことはいいからさぁ〜。ほらっ!殺してみてよぉ〜〜僕をさぁ〜」
そう言うと、男はナイフの持ち手を俺の方へ向け、刃を強く握りしめた。
男の手からは見る見るうちに血が流れ、俺は激しく動揺した。
「ほらぁっ!早く!!」
男が急に大声を上げ、俺は咄嗟にそのナイフを手に取ってしまう。
「ーーッ!!」
(!?何をしているんだ俺は!)
驚いて反射的に後ろに下がると、男の指が四本......「ボトンッ」と地面に落ちた。
「......うわああああああああ!!!!」
見たことのない恐怖の光景に、理解が間に合わない。
俺がパニックに陥っているのに対し、男はひどく冷静だった。
「ーーいいからぁ〜、早く俺を殺してくれよぉ」
男は反対の手で、俺の腕を掴み、自身の胸元へ刃を突き立てる。
(いよいよこれは本気でまずい!ーー早く逃げないと!!)
ーーその時だった。礼拝堂の方からゼロが大声を上げ、戻ってきた。
「おい!ノゾミ!何してる!?」
その声を聞き途端に我に返ると、ようやく事態を飲み込んだ。
(!!)
「いやっ!違うんだ!」
「そうじゃない!早く奴を追いかけろ!」
「!?」
振り向くと、先程まで隣にいた男の姿はなかった。
「あそこだ!追うぞ!」
男はすでにこの聖堂の出口付近にいた。ゼロは身廊を疾走して一目散に男を追いかけて行った。俺はしばらくして少し冷静になり、慌てて付いて行った。
しかしーー
「ーーいねぇな。どこ行きやがった......」
聖堂を出て間も無く、俺たちは男を見失った。
エンテルーー『地獄の門』。
俺は、カウンター席で項垂れていた。
「すまねえ......」
「いや......無理もねえ。俺も気付くのが遅かった」
ゼロも同じように項垂れる。ゼロは殺された神父と顔見知りだったと言う。
「また助けられなかった」
ゼロは「クソッ!」と言い、テーブルを叩きつけた。その場の雰囲気は最悪だった。俺はその雰囲気に呑まれてしまい、言ってはならないことを口にする。
「ゼロ......俺はやっぱり、お前に協力できないかもしれない」
「......!?」
ゼロは無言でこちらに顔を向けた。
「俺、分かってたんだ......会ってすぐ、あいつが『アルカナ』だと分かっていた。ーーでも怖くて、何もできなかったんだ」
「......」
「やっぱり俺なんかがあんな奴らに敵うとは思えない......」
ゼロは静かに顔を伏せた。
昨晩あれほど威勢の良いことを言っておきながら、いざとなると怖気付いてしまった。自分でも、かなり格好悪いことを言っているのだと思う。しかし、それが本音だった。
しばらくして、ゼロは口を開けた。
「おめぇさんが本当に嫌ってんなら......無理にとは言わない。またあんなような怖い思いをさせてしまうかもしれない......いや、必ずするだろう。さっき以上に......」
ゼロは真剣な表情だった。
「おめぇさんには悪いことをした。そう思うのも仕方ねえさ」
驚きと同時に悲しさがあった。俺は、てっきり怒られるものだと思っていた。「何言ってんだ!」と、怒鳴られる覚悟でいた。しかし、そうではなかった。それに対する驚きと同時に、ひどく寂しい悲しさがあった。
「ーー本当に......すまねえ」
怒って欲しかったのかもしれない。そうすれば、少し変われたのかもしれない。しかし、俺は前に進めなかった。
そして、俺は逃げ出した。
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