第六話 『愚者』
「ーー俺は、『愚者』のカード」
俺は男が抜き取ったその『愚者』のカードを見つめた。
そのカードには、旅人のような男性が一人と、その後ろをついていく犬が一匹描かれていた。その男性は先に袋をつけた棒を持って、「どこか」に向かって歩いている。
これは俺の感じた事だが、その男性は剽軽者のような風貌で、目の前の男に似ていた。
偶然だとは思えないほど、その身なりや雰囲気がそっくりだった。
(この「袋」と「棒」も......)
俺は壁に立てかけてある「袋」のついた「棒」を見つめた。
「なぁ......俺をからかってんのかよ」
そこに置いてある物ーーこの男が今朝から持っていた物は、「タロット」に描かれたものと全く同じだった。
「おいおいおいっ!待ってくれって!本当だよぉ!面白いくらい似ているが、別に俺がおめぇさんを納得させるために、わざとこの絵に似せてるなんて、そんな事は断じて無いぜ!」
俺は男の顔を凝視した。
完全に納得というわけにはいかないが、どうやら嘘をついているわけでもないらしい。
(本当に男がこのカードに写った男性を真似てないのだとしたらーー確かに、この男の推論も間違ってはいないだろう)
俺は試すように、男に訊いた。
「じゃあさぁ......その『袋』、何なんだよ。何が入ってるんだ?ーーその『棒』もだ......何でそんなに包帯でぐるぐる巻きにしてるんだ?一体何なんだよ。ただの木の枝じゃないのか?」
男は「袋」と「棒」を一瞥し、そして俺に振り返って言った。
「ああ、これは、気にしなくていい。別に大したもんじゃない......拾ったんだ。でも、もういらないから、後で捨てておくーーもう一度言う。これは気にしなくていい。この事は忘れていい。特に覚えておく必要もない」
そう言って、また誤魔化した。
「大したもんじゃない」と言ったが、どう考えてもそんな風には思えない。これまで男は「それ」を大事そうに肌身離さず持っていたし、そのカードの絵との関係もあるはずだ。
しかし、気にするなと言われた以上、もう言及もできない。
俺は話題を変えた。
「お前もその選ばれた者?なんだったら、何か不思議な〈能力〉があるっていう事か?さっき言っていたように」
「ああ、勿論。おめぇさんも今朝体験したはずだ」
(そうか。確かにあの時の不思議な現象は、さっき聞いたような〈魔法〉とは何か違う)
男は語った。
「俺のカードは『愚者』。〈能力〉は『次元を超えてものを移動させる能力』ーー俺が、『左手』で触れたこの世界のものは、全て『裏』の世界へ送られる」
(「裏」の世界というのは、俺が元いた世界(〈テイルズ〉とか呼んでいたか)の事だろう)
「......それで、俺をここに連れて来ることができたのか」
「ああ、でも俺が普段送ることのできるのは『物』だけだ。『人間』は送ることができない」
「ん?じゃあ、俺やハジメはどうやってこの世界に持ってきたんだ?」
「俺も、よくは分からないが......きっとあの場所が特別なんだ」
「......あの場所?」
「あの神社......藤崎ふじがさき神社だ。ーー何故かあの神社だけは、この世界でもあっちの世界でも、同じ座標に位置するんだよ。〈ヘッズ〉と〈テイルズ〉を繋ぐ唯一の場所だと言える。どういう理屈かは分からないが、あそこなら俺は『物』だけじゃなく『人』も送ることができる」
「なるほど......」
(しかし、どんなに有り得ないと思っていたような事でも、実際に体験すると、案外すんなりと理解してしまうものだ)
俺は、そんな自分の変化に少しも驚きを感じる事なく、目の前の男との会話を続けた。
「......お前は、どうしてその〈能力〉で俺をこの世界に連れてきたんだ?」
ずっと気になっていた。そして、どうしても分からなかった。これまでの話を聞いていてもちっとも俺がここにいる理由が分からなかった。なぜ、俺が......一体何のために......
男は少し溜め息をついた。
それは、疲れた時や嫌な事があった時に発するような溜め息ではなくて、まるで気合いを入れるような、何かを意気込む時のような、そんな溜め息だった。
「その答えは、俺がこの世界で成すべきことに直結する。俺の『目的』に......」
「『目的』?」
辺りはすでに暗くなっていた。男は頭の後ろに腕を組み、そこに寝転がった。
「さっきも言った通り、俺には記憶がない。気がついた時には、この世界にいた。ーー丁度、〈ヘッズ〉側のあの神社の辺りだったかなぁ......ここがどこなのかも、自分が誰なのかも、名前も、何もかも分からなかった。唯一分かったことは、自分が何も知らないということだけだった。まさに、途方にくれていたよ。自分の家も、知っている人すらなかったわけだから、しばらくはその日暮らしだった。......村の人たちには、気味悪がられていたし、村には入れなかったから、森で獣を狩って食ったり、街に行って、商店街の野菜や果物を奪って食った。当然、街の人にも、軽蔑されていたし、ごろつきに絡まれては、毎日のように滅多打ちにされた。空いた腹に入る拳は......痛かったぜぇ。そうして、心も大分やられてて、生きる気力なんてもう到底無くて......誰もいない所で死のうと思っていた時だった。ーーそこに、女の子がいたんだ」
「女の子?」
「十四かそこらの歳だったかなぁ。......俺が、何もかもどうでもよくなって、笑顔なんて到底作れなかったような時に、彼女は凄い笑顔で話しかけてきたんだーー『どうしたのー?』って。最初は、俺を馬鹿にしてるんだと思っていたが、俺はそれでも良かった。いつも死にそうな顔の俺に、話しかけてくるやつなんていなかったからな。とりあえず誰かと話がしたかった」ーーー
ーー「あなた、そこで何しているの?」
「......お前こそ何してるんだ」
「私?私はねえ、お母さんと会ってきた帰り」
「ふっ、なんだそれ」
「私のお母さん、先週死んじゃってね。墓参りに行ってきたの」
「......悪い」
「ふふっ、いいわよ」
彼女は笑った。
「......なんでそんな......」
「ん?何?」
「なんでそんな顔が......できるんだ?......母親が死んだってぇのに、悲しくねえのか?」
「......悲しいわよ。すごく悲しい」
「じゃあどうして......」
「『笑って』って言われたの」
「......?」
「お母さんがね。死ぬ前に言ったの......『あなたの笑っている顔を見るのが、私の一番の幸せよ。だから笑って』って」
「......」
「......お母さんが死んだ時は、すごく悲しかったけど、すごく泣きたかったけど、私が泣いていたら、お母さんは悲しいじゃない?天国でも、お母さんがずっと幸せでいてくれるように、私はずっと笑顔で生き続けるの」
「......強いんだな。お前は」
「あなたも、そんな顔してないで、もっと笑いなさい。ほら!アハハ!って、ウヒヒ!って」ーーー
「その時俺は、自分がとても情けなく思えたよ......十四やそこらの少女が、あんなに強く生きているのに、俺は自分のことしか考えていなかった。『愚か者』だったよ。ーーそんで、思ったんだ......もう悲しい顔はしないって」
「その女の子は今どうしてるんだ?」
男は、とても言いたくない様子だったが、しばらく空を見つめて言った。
「......死んだよ」
「え!?......どうして」
「殺されたんだ。この国にな」
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